ぼっちの誕生日に、知らない先輩のスマホが鳴った

 その週から、紬の中で曜日の並び方が少し変わった。

 月曜は長い。
 火曜は放課後がある。
 水曜は終わったあとの日で、木曜はまだ少しだけ余韻が残っている。金曜になると、次の火曜までの遠さを考えてしまう。土日は、気づけば半分ずつなくなっていて、月曜の朝にもう一度、長いと思う。

 そういう数え方をしている自分に、紬はなるべく気づかないふりをした。

 授業はいつもどおりだった。英語の小テストがあって、数学では当てられて、昼休みにはクラスの男子が購買のパンを取り合って騒いでいた。何も変わらない学校の一日なのに、火曜だけはその終わりが少しだけ明るく見える。

 別に、約束があるわけじゃない。
 朝比奈が必ずいるとも限らない。シフトが変わることだってあるだろうし、いても休憩が重なるとは限らない。向こうにしたって、たまたま話す客の一人くらいにしか思っていないのかもしれない。

 そう思うたびに、紬は心の中で何かを整えようとする。
 期待しているわけじゃない。
 ただ、火曜の放課後にあの店へ行けば、少しだけ息がしやすい。それだけだ、と。

 けれど、その「それだけ」を一週間ごとに待っている時点で、もう少し別の名前がついてしまいそうで、紬はそこから先を考えないようにしていた。

 火曜の四時間目、窓の外の空はよく晴れていた。
 黒板に向かっていた教師が何かの公式を書きながら、「ここ、テスト出るから」と言ったのに、紬は最初の一度を聞き逃した。慌ててノートに書き写しながら、自分がまた時計を見ていたことに気づく。まだ昼前だ。放課後まではずいぶんある。

「瀬戸、今日なんか急いでる?」

 隣の席の男子が休み時間にそう言ってきて、紬は反射的に「別に」と返した。
「顔が、なんか」
「何」
「いや。そわそわしてる感じ」

 そんなふうに見えていたのかと思って、紬は少しだけ眉を寄せた。
 自分ではいつも通りのつもりだった。けれど、周りから見れば違うのかもしれない。火曜日の放課後を待つ顔、なんてものがあるのなら、できれば自分では見たくなかった。

 終礼が終わると、紬は鞄を持ち上げた。
 早く立ったつもりはないのに、気づけば教室のドアの近くにいた。廊下へ出ると、部活へ向かう声や足音が一斉に動き出す。そんな流れの中に混ざりながら階段を下りていくと、不思議なことに胸の内側だけが少し静かになる。
 あと少しで、火曜日の放課後になる。

 駅前のファミレスは、夕方の光を受けてガラスが白く光っていた。
 自動ドアの前で一瞬だけ立ち止まる。別に深呼吸をする必要なんてないのに、息をひとつ整えてから中へ入った。

「いらっしゃいませ」

 いつものように声が飛んでくる。
 その声に混ざる店内の匂いも、グラスの鳴る音も、どこか馴染んできている。紬は窓際の席が空いているのを見つけて、そちらへ向かおうとした。

 その途中で、通路の向こうから黒いエプロンが見えた。

 朝比奈だった。

 トレーを片手に持ち、奥のテーブルへ料理を運んでいる。紬が入ってきたことに気づいたのは、その一瞬あとだった。視線が上がる。たったそれだけのことなのに、胸のあたりがひどく近いところで鳴る。

 来た、と思ったのが、自分のほうだった。

 朝比奈は足を止めない。ただ、通りすぎる直前に目だけで紬をとらえて、ほんの少しだけ口元をゆるめた。笑ったと言うには小さい。けれど、知らない客に向ける表情ではないことだけはわかった。

「窓際、空いてる」

 通りすがりに、それだけ言う。
「……はい」

 紬は短く返す。声が思ったより低く出て、少し安心した。もっと変に上ずるかもしれないと思っていたからだ。

 席に着いてメニューを開く。
 何を頼むかはだいたい決まっているのに、今日は一行ずつ読むふりをした。そうしないと、さっきのたった一言を何度も思い出してしまいそうだった。

 窓の外では、ロータリーにバスが入ってきて、制服姿の中学生が駆けていく。店内では、子どもがストローの袋を指で弾いて遊んでいた。どこもいつもと同じなのに、自分のいるテーブルだけ、少しだけ明るさが違って見える。

 注文を取りに来たのは別の店員だった。
 ドリンクバーと、軽い食事。伝える声はちゃんと平静だった。
 それでも、注文を終えたあと、紬は無意識に通路の方へ目をやる。朝比奈はもう別の席にいて、背を向けて水を注いでいた。自分を見ているわけではないのに、いるとわかるだけで店の空気の感じ方が変わる。

 火曜日の放課後は、ここへ来るための時間になりつつある。
 そう思った瞬間、紬はストローの先を少し強く噛んだ。

 認めたくはない。
 でも、ここ数週間の自分は、火曜までの日数で一週間を測っている。授業の長さも、家の静けさも、駅前の信号も、全部どこかで火曜日の窓際席につながっている。

 たぶん、それはあまりよくないことなのだろう。
 こういうふうに、ひとつの場所や一人の相手を基準にしてしまうと、なくなったときに困る。紬はそういう困り方をしたくなくて、今までずっと、何かを基準にしないで過ごしてきたはずだった。

 それなのに、視線の先で朝比奈が他の客に呼ばれて振り向く、その動きひとつに胸が静かになる。

 料理が届く前から、もう少し軽くなっている。
 そのことに、紬は気づかないふりをしながら、グラスの氷がからんと鳴る音を聞いていた。