七人の訳あり王子と、八番目の薬草姫

秘喪の十七日目。
王宮の空気は、雨の前の土みたいに重かった。

事件が多すぎる。
偽蜜蝋、書類改竄、火事未遂。
一つでも王宮を揺らすには十分なのに、それが短い日数のうちに幾つも重なった。
誰もが『次は自分かもしれない』と思い始めていて、その疑心が言葉を尖らせている。
黙って座っているだけでも、椅子の脚から不安が伝わってくるような朝だった。

会議室に集められた八人は、いつもの席に座る。
ベルは末席。レオンハルトは上座。ジークムントはその隣。
他の王子たちも、表面だけは普段通りに見せている。
けれど誰の肩も少し固く、誰もが相手の最初の一言を待っていた。

ベルが椅子に座ると、空気がわずかに揺れる。
『ベルがいる』というだけで、話題が王位になるからだ。
この場にいる理由そのものが、もう政治だった。

レオンハルトが短く言う。

「今日は事件の報告ではない。合議の方向性を決める」
「方向性?」

ルーペルトが鼻を鳴らす。

「方向性も何も、さっさと王を決めればいいだろ」
「決め方が問題だ」

レオンハルトが淡々と言う。

「誰か一人を押し上げれば、他が反発する。反発が割れ目になる。割れ目に火を入れる奴がいる」

『火』。
その言葉に、全員の喉が一瞬だけ詰まった。
昨夜の火事未遂を思い出したのだろう。
誰も口にしないのに、炎の色だけがこの部屋へ戻ってきたような沈黙。

その沈黙を割るように、ジークムントが静かに口を開いた。

「火を入れる者がいるのは事実だ。だが、だからこそ結論は一つだろう」
「何だ」

レオンハルトが目だけで問いかけると、ジークムントは微笑む。
笑みは薄い。自信の形だけが残る笑み。
感情を削ぎ落とし、理屈だけを前に出す時の顔。

「王政を廃止する」

空気が止まった。
椅子の軋む音すら、急に遠い。
フロリアンが思わず声を漏らす。

「え……待って。父上の遺言は、合議がまとまらなければ廃止、って——」
「そう。まとまらないなら廃止だ」

ジークムントは淡々と言う。

「なら『まとまらない』ことを前提に、最初から廃止を選べばいい。混乱を長引かせず、国を守れる」
「守れる、だと?」

ルーペルトが低く唸るように言うが、ジークムントはそちらを見もしない。

「国を守る……?王政を廃止して、何に移行する」
「評議会だ。宰相と有力貴族、騎士団長、財務官。必要なら教会。王の血で国を回す時代は終わりだ」
「終わりだ、と簡単に言うな」
「簡単じゃない。だが合理的だ」

ヨアヒムが『教会』という単語にわずかに反応した。
だが、言葉を挟まない。まず聞く。
この場でいちばん幼く見えても、聞くべき時に黙れる子だとベルは思った。

ジークムントは続ける。

「この一か月で分かったはずだ。王宮は『鍵』を一つ持つだけで狂う。人が一人倒れれば動揺し、封蝋が一つ見つかれば疑いが走る。そんな場所に、さらに王位という一点を置く意味がどこにある」

視線がベルに向く。
ベルは目を逸らさなかった。
逸らしたら、負ける気がしたからだ。
自分が今ここにいることごと、相手の理屈に組み込まれてしまう気がした。

「ベルが悪いと言っているわけじゃない」
「構造が悪いと言っている。王の血、魔女の血、『真名』。そういう『例外』が国の中心にある限り、争奪はなくならない」

ジークムントが言うと、カシミールが軽く笑う。

「正論っぽい」
「正論だよ」

ジークムントは穏やかに返す。

「私は片耳の聴力を失った。原因は疲労と音とストレス。つまり——王宮そのものが人を壊す。壊れる人間に王位を背負わせるのは、合理的じゃない」
「自分が壊れたから制度ごと潰すのか」
「個人の問題にしたいなら好きにしろ。だが私は、自分一人の症状として片づけるつもりはない」

『被害者』。
その言葉を、誰も口にしないのに、空気に滲む。
ジークムントは今、その立場ごと理屈に変えている。
傷を見せて同情を引くのではなく、傷を証拠にして盤面を動かそうとしているのだ。

ルーペルトが机を叩いた。

「だからって!火をつけた奴がいるから、家を燃やして更地にするってか?」
「燃えているなら更地にするのが一番早い。火を消そうとして水を運ぶ間に、燃え広がることもある」
「……」

ルーペルトが噛み殺す。
怒りはある。でも、ここで暴れればジークムントの理屈が勝つ。
ルーペルトはそれを本能で分かっている。
分かっているからこそ、余計に苛立っている。

ベルは息を吸って言った。

「王政を廃止すれば、争いがなくなるんですか」
「減る」

ジークムントは即答した。

「王位が誰か一人に集中しないなら、権力が分散される」
「分散された権力は、誰が監視するんですか」
「相互に、だ」
「互いに疑い続ける仕組みで?」
「そうだ。少なくとも、一人に集めて奪い合うよりはましだ」
「本当に?」

ベルの背筋が冷えた。
母が恐れた未来を、ジークムントは『合理性』で語る。
誰にも王冠を被せない代わりに、誰もが小さな王になる世界。
ベルは言葉を選んだ。

「分散、で終わるなら。私はそれが怖い。怖さで国は守れない。怖さで国は壊れます」
「怖さ?」
「誰も信じない仕組みを作れば、人は最初から裏切る前提で動きます。裏切られる前に奪う。奪われる前に縛る。そういう国になります」
「理想論だな」
「違います。診療所で見てきた現実です。疑いだけで人を回すと、最後に残るのは弱い人から壊れる形です」

ベルが言い返すと、ジークムントの目が細くなる。
正論同士の衝突。
どちらも感情ではなく、理屈の形をしているからこそ、引きにくい。

ジークムントが静かに言う。

「ベル。君は優しい。だから『守るための偽り』を許す。執事長を残すと言う。監査を作ると言う。でも優しさは遅い。遅い優しさは、遅れて燃える」
「優しさの話じゃありません」
「では何だ」
「壊さないための手順です」

ベルはまっすぐ言った。

「全部を焼けば早い、は確かに早い。でも焼いた後に残る灰の中から、誰が国を拾うんですか」
「評議会が拾う」
「拾うのは強い人だけです。弱い人は、最初から数にも入らない」

言い切った瞬間、部屋の空気がまた一つ重くなった。
王位の話をしていたはずなのに、いつの間にか国の形そのものを裁いている。
そんな会議だった。

ベルは反射的に口を開きかけた。
しかし、レオンハルトが先に言った。

「ジークムント。お前の言葉は強い。だが、お前の結論は早すぎる」
「早い方がいい」
「早いのは、お前が『待てない』からだ」

レオンハルトの声は低かった。
怒鳴りもせず、断じもしない。ただ、相手の理屈に貼られた皮を一枚ずつ剥がすような声。
ジークムントは薄く微笑んだ。

「待てないのは、兄上では。ベルを守ると言って、結び目一つで目の色を変える」

一瞬、会議室の空気がひび割れた。
ベルの頬が熱くなる。
今それを言うのはずるい。ずるい上に、効果的すぎる。
この場にいる全員が、少しずつ察していることを、ジークムントはわざと形にしたのだ。

けれどレオンハルトは否定しない。
否定しないまま言う。

「守る。だからこそ、廃止は選ばない」
「なら、代案は?」
「合議で決める。遺言通りに」
「その合議が割れると言ったのは君だ」
「割れないようにするのが俺の仕事だ」
「仕事、か」

ジークムントが肩をすくめる。
その仕草には、嘲りよりも諦めに近い冷たさがあった。

「『仕事』で国は救えない。兄上は国を守りたいんじゃない。ベルを守りたいだけだ」
「それの何が悪い」
「視野が狭くなる」
「お前の合理も、痛みで視野が狭くなっている」

ジークムントの目が、わずかに細くなる。
刺されたのはお互い様だった。

ベルは呼吸が浅くなった。
この場で『恋』を晒すのは危険だ。
誰が誰を守りたいか、そんな感情を王位の議論に混ぜた瞬間、全部が利用される。
でもジークムントは、危険なことを言うのが上手い。
正しさの形にして、いちばん触れられたくないものを真ん中へ置いてしまう。

そこへ、カシミールが口を挟んだ。

「じゃあさ。多数決で決めようか。『王政廃止』に賛成の人、手を挙げて」