放課後の図書室は夏休みと同じように。驚くほど静かだった。
カーテンがゆらゆらと揺れている。あの時と同じひんやりした匂いが鼻を刺した。
バクバクと心臓が音を立てる。今日から俺は図書委員だ。いるかも知れないあの人に話しかける正当な権利が俺にはある。足を踏み入れてまずカウンターに目線を向けた。あの人が、あの日眠り姫みたいだった彼がそこにいた。夏休み前と同じ艶のある白い肌。少し長めの黒髪。細くて長い指をカウンターに積み上がった本に伸ばしていた。
「っ、いた……」
つい漏れた声は静かな空間に溶け、誰に咎められることもなく消えた。どう声をかけよう、謝罪?告白?ぐるぐると考える間に俺の足はカウンターのすぐ近くまでたどり着いていた。
「あのっ!今日から図書委員になりました!一年いち――」
勢い余って図書室に合わない大きな声で挨拶をしてしまった俺に、ピクリと肩を揺らした彼はゆっくりと顔を向けた。
……あ。
目があった刹那、息を呑んだ。頭の中が真っ白になって言葉が出てこなかった。
記憶の寝顔よりも綺麗な端正な顔がまっすぐに俺を見ていた。
「君…はじめましてじゃないね」
あの時よりもはっきりした声で、けれど相変わらず耳障りの良い澄んだ声が図書室に溶け込む。そしてその瞳がほんの僅かに見開かれた。
「えっあの、覚えて」
「うん。だって君あの時のとーさつはんでしょ」
「盗撮犯?」
「僕の寝顔撮ったでしょ。校内はスマホ禁止だよ?って、コレはあの時も言ったか」
「ッ!誤解…ではないけど、あまりにも綺麗で……つい。ッでも未遂です!まだ撮って無いんで!」
気がつけば俺は自分でも何を言ってるのかわからないことを口走っていた。実際盗撮まがいのことはしたんだから、盗撮犯でも間違ってはいないかもしれない。
焦りが顔に出ていたのか、しばらく黙って俺を見ていた彼は目を細めてクスリと笑った。
「へぇ、未遂だったか…瀬戸くん、だっけ?」
「なんで名前、まだ言ってないのに」
「んー?だってコレ、君のでしょう?」
そう言ってポケットから彼が取り出したのは見覚えがありすぎるカードだった。俺の顔写真と『一年一組・瀬戸湊』の印字。
「あッ!」
「あの時君落としてったから。そのうち取りに来るかなって思ってたのに、意外と来なかったね」
「あの、それ」
「返してほしい?あ、もう再発行した?」
「いや、まだです。返してほしいっす」
彼の白い指が俺の生徒証を掴んだままひらひらと弄ぶ。そして彼は意地悪く唇の端を上げた。薄い唇がゆっくりと開く。
「言う事聞いてくれたら、返してあげる」
「……なんですか」
「じゃあ決まりね。僕と当番ペアになって?」
「…えっそんだけ?」
「そんだけって。ここ、日当たりいいからあったかくて眠くなるんだ。でも当番1人だと寝られないでしょ?……君が隣で僕の代わりに仕事してくれたら楽だなぁって」
猫のようにぐーっと伸びをした彼はもう一度俺を見て首を傾げた。
「わかりました。いいですよ」
「えぇっ?いいの?」
「寝ててもサボってても俺が働きます。あなたの寝顔に一目惚れして図書委員なったんで。こんなのむしろご褒美っすよ?」
「一目惚れ……君、面白いね。よろしく、とーさつはんくん?」
満足気に表情を緩めた彼はカウンターの内側の椅子に腰を下ろして俺の生徒証を再びポケットにいれると1冊の大学ノートを手に取った。表紙には『図書委員活動日誌』と整った文字で書かれていた。
「日誌?」
「そう、一応規則で書くことになってるんだけど僕以外が書いてるとこは見たこと無いな。先生ももう僕が図書委員になる前からチェックしてないっぽいし……だからまあ、コレは実質君と僕の交換日記みたいなもんかな。ほら」
そう言って見せてくれた日誌には確かに同じ人物が書いたであろう文字だけがひたすらに並んでいた。
『7月21日(金) 生徒証の落とし物あり。【担当】2年3組日向釉』
一番最後の日付はあの日だった。書いてある名前が、目の前の彼の名前だろうか。二年三組。
「ひなた…」
「ゆう。女の子みたいでしょ」
肩をすくめて困ったように笑う。少しだけ嫌そうに、でも慣れたような口ぶりがすこしだけ引っかかった。
「そうっすか?…釉先輩って呼んでいいっすか?」
「…だめ。とーさつはんくんにはまだ早いな。日向先輩でどうぞ」
「はーい。てか、俺のこと、とーさつはんくんって」
「んー?それ、とりあえず今日の分は君が書いといて?そしたら業務説明するから」
話を逸らすように指示を出すと日向先輩はカウンターの上に置きっぱなしだった本を持って本棚へ歩いていった。
結局返ってこなかった生徒証の代わりに、俺の手元には日誌が残った。
――「コレは実質君と僕の交換日記みたいなもんかな」
日向先輩の言葉を思い出した俺は少し迷ってシャーペンを握った。
『9月1日(金) 日向先輩の名前、似合ってて綺麗だと思います。仲良くなりたいです。これからよろしくおねがいします。【担当】1年1組瀬戸湊』
カーテンがゆらゆらと揺れている。あの時と同じひんやりした匂いが鼻を刺した。
バクバクと心臓が音を立てる。今日から俺は図書委員だ。いるかも知れないあの人に話しかける正当な権利が俺にはある。足を踏み入れてまずカウンターに目線を向けた。あの人が、あの日眠り姫みたいだった彼がそこにいた。夏休み前と同じ艶のある白い肌。少し長めの黒髪。細くて長い指をカウンターに積み上がった本に伸ばしていた。
「っ、いた……」
つい漏れた声は静かな空間に溶け、誰に咎められることもなく消えた。どう声をかけよう、謝罪?告白?ぐるぐると考える間に俺の足はカウンターのすぐ近くまでたどり着いていた。
「あのっ!今日から図書委員になりました!一年いち――」
勢い余って図書室に合わない大きな声で挨拶をしてしまった俺に、ピクリと肩を揺らした彼はゆっくりと顔を向けた。
……あ。
目があった刹那、息を呑んだ。頭の中が真っ白になって言葉が出てこなかった。
記憶の寝顔よりも綺麗な端正な顔がまっすぐに俺を見ていた。
「君…はじめましてじゃないね」
あの時よりもはっきりした声で、けれど相変わらず耳障りの良い澄んだ声が図書室に溶け込む。そしてその瞳がほんの僅かに見開かれた。
「えっあの、覚えて」
「うん。だって君あの時のとーさつはんでしょ」
「盗撮犯?」
「僕の寝顔撮ったでしょ。校内はスマホ禁止だよ?って、コレはあの時も言ったか」
「ッ!誤解…ではないけど、あまりにも綺麗で……つい。ッでも未遂です!まだ撮って無いんで!」
気がつけば俺は自分でも何を言ってるのかわからないことを口走っていた。実際盗撮まがいのことはしたんだから、盗撮犯でも間違ってはいないかもしれない。
焦りが顔に出ていたのか、しばらく黙って俺を見ていた彼は目を細めてクスリと笑った。
「へぇ、未遂だったか…瀬戸くん、だっけ?」
「なんで名前、まだ言ってないのに」
「んー?だってコレ、君のでしょう?」
そう言ってポケットから彼が取り出したのは見覚えがありすぎるカードだった。俺の顔写真と『一年一組・瀬戸湊』の印字。
「あッ!」
「あの時君落としてったから。そのうち取りに来るかなって思ってたのに、意外と来なかったね」
「あの、それ」
「返してほしい?あ、もう再発行した?」
「いや、まだです。返してほしいっす」
彼の白い指が俺の生徒証を掴んだままひらひらと弄ぶ。そして彼は意地悪く唇の端を上げた。薄い唇がゆっくりと開く。
「言う事聞いてくれたら、返してあげる」
「……なんですか」
「じゃあ決まりね。僕と当番ペアになって?」
「…えっそんだけ?」
「そんだけって。ここ、日当たりいいからあったかくて眠くなるんだ。でも当番1人だと寝られないでしょ?……君が隣で僕の代わりに仕事してくれたら楽だなぁって」
猫のようにぐーっと伸びをした彼はもう一度俺を見て首を傾げた。
「わかりました。いいですよ」
「えぇっ?いいの?」
「寝ててもサボってても俺が働きます。あなたの寝顔に一目惚れして図書委員なったんで。こんなのむしろご褒美っすよ?」
「一目惚れ……君、面白いね。よろしく、とーさつはんくん?」
満足気に表情を緩めた彼はカウンターの内側の椅子に腰を下ろして俺の生徒証を再びポケットにいれると1冊の大学ノートを手に取った。表紙には『図書委員活動日誌』と整った文字で書かれていた。
「日誌?」
「そう、一応規則で書くことになってるんだけど僕以外が書いてるとこは見たこと無いな。先生ももう僕が図書委員になる前からチェックしてないっぽいし……だからまあ、コレは実質君と僕の交換日記みたいなもんかな。ほら」
そう言って見せてくれた日誌には確かに同じ人物が書いたであろう文字だけがひたすらに並んでいた。
『7月21日(金) 生徒証の落とし物あり。【担当】2年3組日向釉』
一番最後の日付はあの日だった。書いてある名前が、目の前の彼の名前だろうか。二年三組。
「ひなた…」
「ゆう。女の子みたいでしょ」
肩をすくめて困ったように笑う。少しだけ嫌そうに、でも慣れたような口ぶりがすこしだけ引っかかった。
「そうっすか?…釉先輩って呼んでいいっすか?」
「…だめ。とーさつはんくんにはまだ早いな。日向先輩でどうぞ」
「はーい。てか、俺のこと、とーさつはんくんって」
「んー?それ、とりあえず今日の分は君が書いといて?そしたら業務説明するから」
話を逸らすように指示を出すと日向先輩はカウンターの上に置きっぱなしだった本を持って本棚へ歩いていった。
結局返ってこなかった生徒証の代わりに、俺の手元には日誌が残った。
――「コレは実質君と僕の交換日記みたいなもんかな」
日向先輩の言葉を思い出した俺は少し迷ってシャーペンを握った。
『9月1日(金) 日向先輩の名前、似合ってて綺麗だと思います。仲良くなりたいです。これからよろしくおねがいします。【担当】1年1組瀬戸湊』

