追い出された白猫姫は、王太子にお猫様として溺愛される

ミレイユは観察を続けた。
王宮の日常が、だいぶわかってきた。
人が多く通る時間、庭師が来る時間、厨房から匂いが流れてくる時間。
そして、魔女——偽ミレイユの行動もある程度把握できた。

週に二度、定例の会食か何かで王宮にやってくる。
昼食は本棟の食堂で取り、そのあと午後の一定の時間になると、必ず別棟の一室へ入る。
同じ時間、同じ部屋だ。

(殿下と会うのと、お妃教育のため?)

建物の中に入るのは危険だった。
窓から覗けないかも試してみたけれど、その部屋の窓は庭から見えない位置にある。
屋根伝いに回れないかとも考えたが、途中で人目につく可能性が高い。

じわじわと手詰まり感が増していく。

そして、手詰まりを意識し始めた十一日目の夜。
転機が訪れた。

月のない夜だった。
ミレイユは池の脇で水を飲んでいた。
夜の池は昼より静かで、水面が黒く光っている。
遠くでは蛙の声が途切れ途切れに響き、濡れた石の匂いがした。

そのとき、本棟の一室に明かりが点いた。
窓が開き、人影が現れる。
濃紺の上衣。昼間にも倉庫の屋根から見かけた人物だ。

人影は窓に肘をつき、夜の庭を眺めていた。
何かを考えているような、静かな佇まいだった。
ただ立っているだけなのに、不思議と目を引かれる。

ミレイユは水を飲むのも忘れて動きを止め、その人影を見た。
耳が自然と前を向き、尻尾の先だけが一度、小さく揺れる。

(王太子殿下……かな)

暗くて顔はわからない。
けれど立ち姿から、若い男性だということはわかる。
ふと、その人物がこちらを向いた気がした。
暗い庭の中、目が合ったかどうかは距離がありすぎてわからない。
わからないのに、なぜか胸の奥が妙にざわついた。

ミレイユは草の上に座ったまま、その窓を見つめる。
逃げるべきなのか、このまま見ていていいのか、自分でもわからなかった。

(もし本当に王太子殿下なら……何を考えているんだろう)

婚約が成立した。
相手は、しかし偽物だ。
殿下はそれを知らない。

(……申し訳ない気持ちが湧いてくる)

自分は被害者だ。
何も悪いことはしていない。
それでも、見知らぬ殿下が騙されているのを知っていて、何もできないでいる。
その事実が、ミレイユの胸にじんわりとした痛みを残した。

(変な話ね……もし猫にならなかったら、今頃私が婚約者として王宮に入っていた。そうしたら、あの窓から夜の庭を見下ろす殿下を、建物の中から見ていたのかもしれない)

そんなことを思う自分に、少しだけ戸惑う。
会ったこともない相手なのに。
声も知らない相手なのに。

人影はしばらくして窓を閉め、明かりも消えた。
ミレイユはその場に座ったまま、消えた窓をいつまでも見つめていた。