テレパシー ー君の声だけ、頭から離れないー

ーー練習を終え、校舎裏に向かう。

壁にもたれて空を見上げている奏の隣に駆け寄った。

「はい、これ」

昨日と同じ甘いコーヒーを手渡す。

「ん、さんきゅ」

そう言って、少し目を細める奏。

「弾いてみろよ」

「……え、また?」

「嫌なら、帰る」

「……弾きます」

即答する俺を見て、
奏はふっと小さく笑った。

この前より、少しだけ慣れた指。

ぽろん、と鳴らした。

まだ、拙い音。

その時だった。

「奏ー!」

明るい声が、聞こえてきた。

声の先から、
小さくて可愛らしい女子が手を振りながら歩いてくる。

「やっぱここにいた」

そして、
当たり前のように、
奏のすぐ隣に立った。

「…なんだよ」

奏はいつも通りの調子で返す。

その距離感が、少し気になった。

「え、なに。奏が誰かといるの珍しくない?」

女子の視線が、こっちを向く。

「……別に、関係ねえだろ」

奏は、それ以上何も言わなかった。

「ふ〜ん?」

少し口を尖らせながら、
興味ありげに俺を見た。

「ね、ちょっと付き合ってよ。話あるんだけど」

そう言って奏の腕を引く。

その動作があまりに自然で、
なぜか胸がきゅっと痛んだ。

「…は?今?」

「そう、今!」

「はあ」と小さくため息をついて、
立ち上がる奏。

そしてそのまま、
女子に手を引かれて歩きだした。

その後ろ姿を、ただ見つめた。

ーー別に。

なんでもない。

そう思っても、指先に力が入らない。

一人残された俺は、
ぽろん、と力のない音を鳴らした。

「…何してんの」

背後から奏の声がした。

「……え…行ったんじゃ…」

思わず、声が漏れた。

「ああ、あいつ帰してきた」

面倒そうに言って、隣に腰をおろした。

「…で、お前はなんでやめてんの」

「え」

「帰ろうとしたのか?」

そのままさらに距離を詰めてくる。

「なに?逃げんの?」

その一言で、
心臓がどくん、と鳴った。

「…に、逃げない」

「じゃあ弾けよ」

「……っ」

視線を落とした。

ーー近づいて、
ーー離れていく。

そんなの、わかってる。

それでも。

「…わかった」

指先に力を込めた。

さっきよりも少しだけ、強い音が鳴った。

奏は何も言わずに、
ただ、じっと見ている。

俺もただ、夢中で弾き続けた。

どれくらいの時間、
弾いていただろう。

「……春」

突然名前を呼ばれて、手を止めた。

「別に、さっきのあいつと、何の関係もないから」

「……は?」

理解が追いつかなくて、
思わず間抜けな声が出た。

「勘違いすんなよ」

奏の綺麗な瞳が、
真っ直ぐこちらを向いた。

「…お前が来るから、ここにいるだけ」

言葉の意味がわからなかった。

でも。

鼓動が速くなったことだけは、
確かにわかった。

「…ほら、続き」

奏は顎でギターを指しながら、
ふっと微笑んた。

「止めんなよ」

その声は、今までよりも優しかった。

「……うん」

小さく頷いて、もう一度弦に触れた。

ぽろん、と鳴る音。

隣にいる存在を感じて、
さっきよりも真っ直ぐな音になっている気がした。

ーーと、同時に。

胸の奥が少しざわついていた。

隣にいるだけで、
こんなに落ち着かなくなるなんて。

この気持ちを、たぶん。
知っている。

ふと、頭をよぎる。

優しく笑っていた横顔。

"「いや、ごめん。俺そういうんじゃなくて、弟みたいに思ってたんだよね」"

あの時の声。

ーーそして。

"「え、それ普通に無理じゃね?」"

"「だろ、そういう勘違いほんと困る。俺そういうの無理でさー」"

"「うわーかわいそっ」"

蘇ってきて、息が詰まった。

胸の奥が、ぎゅっと痛む。

……やめろ。

思い出したくない。

あの時みたいに、失いたくない。

「……春」

名前を呼ばれてはっとした。

顔を上げると、
すぐ隣にいる奏がじっとこちらを見ていた。

「また、止まってる」

「……あ」

「ほら、続き」

優しいその声に、少しだけ息が整う。

ぽろん、となる音。

ーーあの日、聴いた音には程遠い。

それでも。

胸の奥のざわつきが、
少しだけ、静まっていく。

それでもまだ、
消えきらないままだった。