テレパシー ー君の声だけ、頭から離れないー

「……初対面、だよな」

視線を逸らす事も出来ないまま、ただ彼を見つめる。

いつの間にか、涙は止まっていた。

さっきまで触れていた彼の指先の感触が、まだ頬に残っているような気がする。

「……いや、別にいいや」

興味を失ったみたいに、ふっと視線を外される。

それだけなのに、
このまま終わってしまう気がして、
胸の奥がざわついた。

「……あの」

気づけば、また声をかけていた。

今度こそ、用意していたはずの言葉を逃さないように。

「け…軽音部、来ない?」

廊下の向こうから、部活終わりのざわめきが聞こえてくる。

この空間だけが静かで、
返事を待つ一瞬が、
ものすごく長く感じた。

「……行かない」

予想通りの返事。

「そっか……」

それだけ言って、
引くべきだってわかっていたのに。

足が、動かなかった。

「……なんで」

気づけば、言葉にしていた。

「音楽……やめたの」

ぴくり、と。

彼の表情が、ほんのわずかに動く。

踏み込みすぎだとわかっている。

それでも、止められなかった。

「……関係ないだろ」

さっきよりも、明らかに低い声。

それでも。

「……ある」

自分でも驚くくらい、
はっきりと声にしていた。

彼の視線が、
もう一度こちらを向いた。

「俺、軽音部入ったんだ」

「……だから?」

「…聴きたいんだ。さ、沢田くんの音色」

言った瞬間、
喉が詰まりそうになる。

うまく説明できない、
それでも、言葉が止まらなかった。

「……は?」

呆れたような声。

でも、ほんの少しだけ彼の瞳が揺れた気がした。

「図々しいってわかってる。でも、俺が聴きたいんだ。」

空気が止まったような気がした。

何も言っていないのに、
"何か"に触れたような、そんな感覚。

「……俺、もう弾いてねえけど」

「でも」

それでも。

「聴きたいんだ」

根拠なんてない。

それでも、
確信みたいなものがあった。

あの夜、心に直接触れてきた音。

あの時の感覚と、
さっきの一瞬が重なって離れない。

彼はしばらく何も言わなかった。

ただ、じっとこちらを見ていた。

「……お前さ」

突然、ぽつりと落ちる声。

「なんでそんな必死なの?」

彼のその言葉に、
すぐには答えが出なかった。

でも、
考えるまでもなかったのかもしれない。

「…どうしても、聴きたいんだ」

言い終わったあと、
少しだけ息が乱れていた。

彼は、吹き出したように、
ははっと笑った。

その声はさっきよりも少しだけ柔らかくなった気がした。

「変なやつ」

完全に拒絶されてない事に、
少しだけ安堵した。

「軽音部は……?」

「…だから行かないって言ってんだろ」

少し呆れたように言ってから、
ふいに、彼が一歩近づいた。

思わず息を呑む。

「……普通、ここで引くだろ」

低い声で言ったあと、
少し考えてから続けた。

「条件付きなら、考えてもいい」

「…えっ?」

一瞬、意味が追いつかない。

「言うこと聞けるなら、な」

試すような目つきでそう言う彼に、
完全に遊ばれているのかも知れない。

でも。

「…いいよ」

自分でも驚くくらいにあっさりと、
そう答えていた。

「は?」

今度は彼の方が、目を見開いている。

「来てくれるなら、それでもいい」

自分でもおかしいと思う。

それでも、迷いはなかった。

「…マジで言ってんの?」

「うん」

「本当、変なやつ。まあ、いいや」

数秒の沈黙のあと、
投げるように言った。

「逃げんなよ」

それだけ言って、背を向けて歩き出した。
ーーでも。
すぐに足を止めて、彼は振り返る。

「あー、あと」

「俺を沢田くんって呼ぶやつ、いない」

一瞬、視線が絡んだ。

「…奏でいい」

それだけ言って、今度こそ歩き出した。

その背中を、ただ見つめる。

頬に触れられた指先と、
胸の奥に残った感覚が、まだ消えない。

ーーやっぱり、似てる。

確信に近い何かが、静かに残った。

あの夜に、繋がっている。

そんな気がした。

ーーーー


「春!早く来いよ!」

部室のドアを開けた瞬間、
陽向の声が飛んできた。

部室はいつも通り、騒がしい。

「今日、楽器決めるってよ」

「あ……そうだった」

ようやく思い出す

ここ数日、
いろんな楽器を見て、触れてみた。

ーーでも。

「決まってる」

「え?もう?」

陽向はぽかんと驚いた顔をしている。

「…俺、ギターやってみたい」

言葉にした瞬間、
胸の奥が小さく鳴った。

あの夜の音。

優しくて、どこか切なくて。

触れた瞬間、
全部持っていかれるような音。

そして、あいつ。

二つが重なって、離れなかった。

「お!いいじゃん、ギター!」

陽向が嬉しそうに笑った。

「春ならすぐ弾けるって!」

「……どうだろ」

小さく返して、
視線を部屋の奥に向ける。

スタンドに並べられたキダー。
ドラムやベース。

色も形も、全部違う。
でも全部、"音"で繋がっている。

「最初はコードを覚えるところから!春はこれ、弦押さえやすいから使えよ」

渡されたギターを、恐る恐る受け取る。

指先でそっと、触れた。

ぽろん、と頼りない音が鳴る。

それだけなのに、
胸の奥がわずかに震えた。

頭の中でイメージしてる音とは、全然違う。

でも。

確かに、繋がっている気がした。

あの夜の音と
さっきのあいつに。

「……やる」

ぽつりと呟く。

「俺、真面目にやる!」

陽向が一瞬ぽかんとして、
すぐに笑った。

「おー!春!やる気満々じゃん!」

その声を背中で聞きながら、
もう一度弦に触れる。

拙い音。

でも、

ぽろん、と鳴った音は、

さっきよりも、ほんの少しだけ、
強くなった気がした。