この恋の続きは頭痛のあとで

もらったハーブティーを飲んだ。
鼻から抜けていく香りがスカッとして気分が落ち着く、だからふわっと軽くなったみたいに痛みが消えていく…はずだったんだけど。

「……。」

いまいちスッキリしない、ぎゅーって締め付け感じてる。
ちょっとはマシになったか?でもさっきあんだけ叫んじゃったし、九重先輩のあんな話聞いたら冷静でなんかいられなくて…

「由木くんっ!!」

バタバタバタ…ッ、と顔の上に大量の玉が降ってきた。
しまった、考え事してたからぼぉーとしてたけど今玉入れの練習中なんだった。

「大丈夫っ!?」
「あ、ごめん大丈夫…」

ただでさえこんな運動の時は参加しないのに、ぼさっとしてたらクラスメイトに迷惑がかかる。心配してくれるのも申し訳ないし、せめて今は玉入れに集中するために気持ちを切り替えないと。

「思ったんだけど、役割を決めてやるってどうかなぁ?」

玉入れは数少ない男女混合競技、メガネをかけた瀧本(たきもと)さんが手を上げた。

瀬田(せた)くんの言った通り玉を重ねて一気に投げるのはいい案だと思うんだけど、それだと玉の数と人の数が合わないと思うの」

ちなみに瀬田くんはさっき俺に玉が降ってくることを教えてくれて、カゴから1メートルくらい離れたところから投げるのがいいことも教えてくれた。

「だから玉を拾う人、投げる人、あとはせーの!って号令を出す人って役割を決めて効率化を計るってのはどうかな?」

……。
正直、玉入れについてそんな本気で考えることなんかないって思ってた。玉入れに練習なんかいるのかって思ってたぐらいだし、遊び感覚で練習するのかなって。

「瀧本さんの案すごくいいと思う、それでやってみよう!」

瀬田くんがグッと親指を立てた。それに瀧本さんが笑って、みんながうんって頷いてた。

「じゃあ背が高い男子が投げる担当で女子が拾う担当ってどうかな?」
「あ、それで運動部が外の玉拾って文化部が内側の…ってみんな文化部か!」
「うちら運動苦手だから玉入れになったんじゃん!」
「わかったじゃんけんにしよ、そこは!」
「いいよっ」

キャッキャと女子たちが盛り上がってる、真剣に玉入れで勝つ方法を話し合いながら笑ってる。玉入れなんて体育祭におけるオマケ競技ぐらいだと思ってたのに。

「僕らも決めよう!立ち位置決めといた方が投げやすいよね!」

そう思ってたのは俺だけだったのかな。
ううん、そうじゃなくて。それが言いたいんじゃなくて。

「玉入れ地味に得点高いから僕らもがんばろう!」

今、楽しいって思った。みんなで一生懸命するのって楽しいって思った。
高校入って初めての体育祭、俺もがんばろうって思った。

…でもやっぱり九重先輩は出ないのかな?

出ないって言ってたけど、というかこれ学校行事だし出ないでいいわけないんだけど。
どうして出ないかなんて、もう聞けない。

その理由は聞かなくてもきっと…

次会ったら、九重先輩と何を話したらいいんだろう?


****


借りた水筒を返そうと思って植物室の方へ向かった。昼休み中に行って戻って来るには早く行かないと間に合わないのに、思うように足が進まなくて吐く息も重かった。

「……。」

あの柾哉の言い方が、気になるんだよな。
柾哉は同じ部活だから思うことがあるのかもしれないけど、おかしいとかそんなの…まぁおかしな人といえばそうだけど、自由人だしめちゃくちゃだし授業サボって緑化に励んでるとかおかしな人だけど!

でも、知らないじゃん柾哉は。
九重先輩のこと何も知らないじゃん。

俺だって知らないけど、九重先輩はそんな人じゃないよ。

俺の知ってる九重先輩はそんな人じゃない、俺の知ってる九重先輩はー…

「九重!」

廊下の角を曲がろうとしてくるっと引き返した。
たぶん見られてない、男の人の声が聞こえて急いで隠れたから。
今のはたぶんそう、九重って他にいないと思う…あの九重先輩ぐらいしか。

「次の授業は体育だ、たまには出なさい」

音を立てないように息をひそめた。壁にぴったりくっついて、耳に全神経を集中させる。

「体育だけじゃなくて、他の授業だって出てないんだろう」

…たぶん先生?だよな、あんだけ自由にサボってるんだ注意されるよな普通に。いくら学校側から緑化委員の許可が出たとしても授業中にすることじゃないし、取り消されることだってありうるのに。

「…出たくないんで」

……。
先生にもそれ言うんだ、さすが九重先輩。

「……。」
「…。」
「…そんなんじゃ卒業出来ないぞ」

先生も他に言うことないんですか?
もっとありますよね、卒業出来ないってしかもそんな低めのテンションで。

「九重、もっと自分の人生のこと考えてみたらどうだ?」

だけど先生の方が不安そうだったから。声しか聞こえないのに不安でいっぱいだった、俺の心までもが。
弱々しい声で先生に相応しくない声は聞いているこっちにも伝わってくるから。

「このままじゃよくないだろう」

少しだけ覗きたくなった、九重先輩はどんな顔してるのかなって気になって見たくなった。でも踏み込んでいいのか、迷って。
このまま俺が聞いてもー…

「陸上部には戻らないのか?」

ドクンッ、と胸を打つ。重くて鈍い音がした。
覗き込もうとした体は息をのみ込んで動かなくなる、壁に背中をくっ付けたままガッチリ固まって動けなくなった。
植物室へ向かう廊下はあまり人が通らないから、しーんとしてよく聞こえるんだ。

「このままじゃよくないだろう」

先生の嘆いてるような声が、心もとなくて。

「部員たちも待ってるんだ、九重がいないと引き締まらなくて…」

見なくてもわかってしまう気がした、先生の表情は。

「今の九重に出来ることはある!だからっ」
「もう辞めたんで陸上は」

低くて重い九重先輩の声がしーんとした廊下を曇らせる。窓から見える空は暗くてもうすぐ雨が降りそうだった。

「退部届け出しましたよね?」

胸に刺さるみたいだった。俺に言ったわけじゃないのに、あまりに冷たい声が痛くて。

「九重、でもっ」
「退学でもいいんで」
「ちょっと待て九重!」
「なんかしといてください」
「九重…っ!」

足音が遠ざかっていく、ゆっくりと歩く足音が遠くなっていく。歩き方でわかるんだ、九重先輩の気配の感じない歩き方だって…

“もう走れないんだってさ”

ザァーっと一気に雨が降り出した。
バケツがひっくり返ったみたいな大粒の雨が窓にぶつかって音を出して、だけどそれに負けないぐらい俺の心臓はドクドクと震えていた。
息が苦しいどころじゃない、どんどん心臓の音が大きくなって支配される。雨の音が鬱陶しくて、頭がこれでもかってほどに押し潰されて痛みに襲われる。
力の抜けた手からはするっと水筒が落ちた。

―カコンッ

静かだった廊下に落ちた水筒は音を立てて、そのままコロコロコロと転がっていった。ハッとして水筒を追いかけて手を伸ばした。

「大丈夫?」

だけど俺より先に伸びた手に拾われた。

「…ありがとうございます」

はいっと水筒を手渡された、さっきまで九重先輩と話していた先生に。
こっそり聞いてたつもりだったのに、こんな風に見付かるとかちょっとばつが悪い。盗み聞ぎしてたのがバレた。
なんか適当に言って逃げるか、聞こえてませんよ顔でばっくれるか…

「あれ、それって…」
「はい?」

ぱちっと瞬きをした先生が水筒をもう一度見て、気になる様子で指をさした。

「九重のじゃない?」
「え…?」

だからつられて同じように水筒を見てしまって。

「あ、ほらここに名前書いてある」

くるっと先生がひっくり返した水筒の裏側には名前が書いてあった。
き、気付かなかった…こんなとこに名前があったんだ!
あんな感じなのにこうゆうとこ丁寧だから…っ

「やっぱりな、部活の時持ってきてるの見てたから」

……。
さっきの会話からしてなんとなくわかってた、部活の顧問の先生なんだろうなってこと。

「九重の友達?」
「いや、あの…」

友達、とは違うと思うけど。
じゃあなんだ?って言ったらそれもよくわからない。知り合い?くらいではあるか。

「友達だったら、九重に…言ってやってくれないかな」
「…何をですか?」
「部活もだし、授業もちゃんと出るようにって」
「……。」

先生のハの字にした眉が申し訳なさそうで、疲れた声が遠慮がちで。だけど俺が言ったところで何も変わらないと思うんだ。

「…そんなこと言われても困るよなぁ、先生がちゃんと言えって話だよなぁ~」
「あっ、いえ…っ」

ザーザーと降る雨が強くなって、外はすっかり真っ暗だった。そんな雨を見ながら先生がはぁっと息をついた。

「事故のこともあって、先生らも強く言えないんだ。本当だったら今頃は大会に出て、思うような結果が出せてたと…」

“九重先輩、超有名は短距離選手なんだぜ!”
グラウンドを走ってる九重先輩は思い浮かばない、めんどくさそうにしてる姿しか出て来ない…俺には。
どんな顔で走るんだろう、どんな顔で走ってたんだろう。

「あんなことがなかったらって考えると、可哀想に思えてなぁ」

今になって押し寄せるから、あの時言った九重先輩の言葉が。
どうしてそんなこと俺に言ったのか、あの表情を思い出してまた息が苦しくなる。

「部活はともかく、いい加減授業も真面目に出てくれないとな…本当に卒業も出来くなる」

“走れよ”
あれは九重先輩のどんな思いが詰まってたんだろうかって。
あのひと言に九重先輩の思いがどれだけ入ってたんだろうかって、そんなの考えなくても…っ

「あ、ちょっと!廊下はっ、廊下は走らないように!!」

激しくなる雨にズキズキと頭が痛んで本当だったら走っていられる状態じゃなかった。
それでも、先生の止める声を無視してまででも追いかけたかった。
今度は落とさないように水筒をぎゅっと握りしめて誰もいない廊下を駆け抜けた。まだ間に合うんじゃないかと思って、間に合わせたくて。

「九重先輩…っ!」

少しでも早く、呼び止めたかった。

「藍士」

はぁはぁと肩を上下にさせて大きく息をする、上手く立っていられずに下を向いて膝に手を置いて何度も深呼吸した。
ダメだ、ちょっと走っただけなのにしんどい…頭が潰れる、ガンガン響いて雨の音よりうるさくてやばい。

「何してんだ?お前走ったら…」
「すみませんでしたっ!」

だけどそんなの構っていられなくて叫んだ。
締め付けられる頭の痛みよりも、心のが痛くてたまらなかったから。

「俺何も知らなくて、知らないのにあんなこと言って…っ」

傷付けたと思った、だから謝りたかった。
本当はリレーとか短距離とか出たかったなんて、言うんじゃなかった。
だったら走れって、九重先輩は言ってたのに。
諦めて、もういいやと投げ出した俺を見て九重先輩はどう思ったかなって…九重先輩はいつも応援してくれてたのに。

「だからっ」
「なんで藍士が謝るわけ?」

重低音が廊下を牛耳るみたいに、ゾクッと体が震える。さっきまで上がっていた息と流れていた汗がサァーっと引いていく。

「え…?」

息をのんでドクンッと鈍痛がする心臓の音を聞きながらゆっくり顔を上げた、九重先輩の顔を見るのが怖くて。

「お前も可哀想とか思ってんの?」

ハッと目が開いた、鋭く睨みつける九重先輩の瞳に。
何度も見てきたと思ってた、もう見慣れてきたと思ってた、その瞳は鋭利な視線を放って。
何も言えなかった。追いかけることも出来なかった。
ぶらんと下に落ちた手はだた水筒を握りしめるだけだった。


****


あれから梅雨シーズン真っ只中の日々は雨続きで、安定しない気圧は毎日のように俺を悩ませた。
授業は受けられないし、時には学校も行けないし、でもこれは本当に気圧のせいなのかもわからないけど。頭痛はストレスから来るとも言うし、じゃあ何がそのストレスなんだって言えば…

「やばい、痛ぇ…」

薬を飲んでも効かなくて、眠りたいのに痛みのせいで眠れなくてベッドの上で悶えてた。
あたりまえのように今日も雨、行く気にもなれなかった学校は今日も休んだ。つーか何日休むんだ、休んでる場合かよ。

「……。」

ずっと会ってなかったら余計気まずくなんのかな、でも会いづらいから行きたくない。それがぐわんぐわん回って、また頭痛に襲われる…マジでいい加減にしてくれ、自分。

「薬、何時に飲んだっけ…?」

のそのそと起き上がって頭の上に置いてあったペットボトルを手に取った。
薬は机の上か、もう飲んでもいいんだっけ…と薬の入った袋を手にしようとして目に入ってきた。結局1回しか飲まなかったスーパーで買ったハーブティーが。

「忘れてたな、これ」

まだたくさん残ってた、別に味はおいしかったけど頭痛は治らないし飲むこと忘れてたっていうか…九重先輩が作ったハーブティーのがおいしかったから。
比べられて九重先輩は不服そうだったけど、確かに比べられたくないだろうなってぐらいおいしかったとは思う。
あれどうやって作ってるんだろ?
見る限り特に変わったことしてるような感じはしなかったけどな。
やっぱ何か特別なものでも入ってんのかな?
摘んで来た花そのままって感じだったし、まずは花を摘むところから…マネて出来るものだったりすんのかな?
…無理だ、今頭の中で九重先輩に睨まれた。

「…。」

ごくんっと薬を飲んでもう一度ベッドに潜った。
目をつぶると色々考えちゃって、それがすげぇ嫌なんだけど。浮かんできちゃって嫌なんだよ、あの日の九重先輩が。
あの()をした九重先輩が脳にこびりついてる。

…そんなつもりなかったのに。
全然そんなつもりはなくて、でも咄嗟に謝らなきゃって思った。
それが間違えだったんだろうなぁ、見透かされたんだきっと。

無理に目を閉じても眠れなくて、それどころかぎゅーっと潰されそうな痛みは強くなって、ひたすらに浮かんでくる九重先輩のことばかり考えて。
なんでこんなに九重先輩のことばっか考えなきゃいけないんだよ、どうしてこんなに気になって仕方ないんだ…っ

「ほんと嫌だ…」

さらにぐぐーっと布団の中へ潜った。
無理に視界を閉ざしたところでやめられないんだけど。
思い出しては思って、九重先輩のハーブティーを飲みたいなって。
どうやって作るのかな、聞いとけばよかった。
…教えてくれそうにないけど。

あれはたぶん、九重先輩にしか作れない。
九重先輩が作るからおいしくて、それはきっと九重先輩の気持ちが入ってるから。

九重先輩はどんな気持ちで作ってたのかな?
自分の作った花でハーブティーを入れてみたかったとか、あるのかな。
花を育てるとか好きじゃないと出来ないし、丁寧に水やりして草取りしてあれだけ精を出してやってる緑化委員なんだし…

「……。」

緑化委員はどうして始めたんだろ?
どんな思いで緑化委員を…
どうして緑化委員作ったんだろう、聞いておけばよかった。


****


今日は天気がよかった。
まぁだからと言って体調もいいとは限らないんだけど、でも昨日はよく寝たから朝は早く起きた。
早く起きれたからハーブティーでも入れてみようかなって、スーパーで買ったハーブティーだけど。市販のハーブティーはマグカップにお湯を入れるだけでいい、すぐに色が出て香りがたちこめる。

「…普通においしい」

おいしいんだよな、でもなんか違うって思うだけで。
何が違うとかもう考えたくないな、朝から。
キッチンで立ったままハーブティーを飲んで、まだマシな頭痛に少し安心して今日は久しぶりに学校へ行こうと思った。

「これ1個で結構飲めるんだよな、このままティーパック捨てるのはもったいない気が…」

持ってくかな、学校に。
だから、これを入れる水筒をー…

「あ」

手を伸ばして気付いた、まだ返してなかったことに。持ち帰って来てしまった黒色の水筒がぽつんと置いてあったから。
…使い古してるなぁって思ってたけど、九重先輩が陸上部で使ってたやつだったんだな。傷とか凹みがあって色がハゲてるとこもあるけど、ずっと使い続けてたんだ。
いつもこれを持って練習をしてたのかな、でももう使わないから俺に…

「……。」

ふと水筒を手に取った、まじまじと見ながら。
九重先輩って授業も出ないし、部活も出てないっぽいけど学校はちゃんと来てるんだよな?
毎日どこかしらで緑化委員してるし、それって俺よりえらいじゃん。俺なんて休んでばっかなのに。
俺より全然行く気あるじゃん、なんか知らないけどそうゆうとこ真面目なんだ九重先輩は。
だけど、それって本当は…


****


「九重先輩」

放課後、水筒を持って植物室を覗いた。きっと今日もいるだろうなって思ったから、ここには。

「……。」
「…あの、入ってもいいですか?」
「もういいのかよ」
「え?」
「ずっと休んでたんだろ」

もわんっとする植物室の中でジョウロで水やりをしていた、チラッと一瞬だけ俺の方を見て。
気付いてたんだ、俺が休んでたこと。

「あ、もう…大丈夫です結構休んだんで…」
「……。」

そろっと植物室の中へ入った。一歩踏み入れたらドキドキと心臓の音が大きくなってなぜだか緊張してた。

「あ、あの九重先輩…これ、ありがとうございました」

返しそびれてた水筒を差し出した。ずっと俺が持ってるわけにはいかないから、せめてこれは返しに来なくちゃって。

「!」

ついでにスーパーで買ったハーブティーを入れてみた、たぶんその重みに気付いた九重先輩が顔をしかめた。

「飲んでみてください、市販のハーブティーなんですけど」
「……。」
「あ、別に変なものは入ってませんよ!本当にただのティーパックで作ったやつです!」

だからどうぞ、と促して顔をしかめる九重先輩に一口飲んでもらう。だからって何かあるわけでもなくて、本当にそれだけだったんだけど…

「普通」
「普通に、おいしいですよね」

そうなんだ、何度も言うけど普通においしいハーブティーなんだ。だって売ってるやつだからね、おいしいに決まってるんだよ。
でも九重先輩が作るハーブティーはもっとおいしくて、香りとか味とか市販のものでは感じられないものがあって俺にも出来るのかなってちょっと調べてみたけど…たぶん作れないよ、だってフレッシュなハーブティーを楽しむにはちゃんと育てた花が必要なんだから。

「どうして九重先輩は緑化委員を作ったんですか?」

水筒をテーブルに置いた九重先輩は再びジョウロを持った。俺の方なんかちっとも見てなくてまた水やりを始める、見ているのは目の前の植木鉢に咲いた花だけで。
話しかけても見てもくれない、聞いてるのかもわからない。
…聞いても、俺には教えてくれないか。
聞いても何か出来るわけじゃないけどただ知りたかったんだ俺が、九重先輩のことを。

でも九重先輩が俺に話す気がないならー…
もうここには来るのをやめようって、九重先輩に背を向けた時だった。

「無性に綺麗だった」

消え入りそうな声が、耳に届いた。

「病院で絶望した日に見た花が」

胸が張り裂けるかと思った、そんな言葉を九重先輩から聞くなんて。
抑揚のない九重先輩の声に足を止めて振り返る、だけど手にはジョウロを持ったまま俺のことは見てなかった。

「誰か知らねぇけど置いてったんだよ、その花が綺麗で…」

丁寧に水やりをしながらゆっくり口を開いた。

「こんな綺麗に咲くのかって、むかついた」

寂しそうな瞳で花を見る、水をもらってイキイキした花を見て目を伏せるから。

「九重先ぱっ」
「別に間違ってたとか思ってねぇよ!」

俺の声を遮るように声を出して、ハッと目を大きくした。

「あの時はそうするしかなくて目の前であんなことが起きたから咄嗟に体が動いただけで…っ」

“助けようとしたんだってさ、小さい女の子を”

知らないことはたくさんある、俺の知らない九重先輩はたくさんいる。だけど困ってたら助けてくれることは知ってる。

「すぐに向かってくる車から離れるつもりだった、けど…間に合わなかった」

優しいんだよ、わかりずらいけど。

「自信があったのかもしれねぇけど、俺ならイケるって」

自分のことなんてお構いなしで誰かを助けちゃうぐらい、優しいんだ。

「それで今だ」

“事故で走れなくなったらしい”

俺だったら出来ないよ、そんなこと絶対出来ない。ただ見てるだけで何も出来ないと思う。
それは九重先輩だったから出来たことで。

「だから作った、緑化委員会」

横顔が憂いで、少しだけ眩しかった金色の髪が。

「あーゆう花?俺にも咲かせられんのかなって」

何が間違いで何が正解だなんてことない。
それに、九重先輩は誰のことも責めてなくて。

「むかついたからやってやろうかって思っただけだ」

虚しさとか悔しさを全部1人で抱え込んでたんだ。

「学校に無理言っても今の俺見たら意見する奴もいねぇし」
「……。」
「案外悪くねぇしな、花が咲くとテンション上がって」
「…それは知らなかったです」

強引で強気なとこは元からなんだ、そんなところも九重先輩で。それが九重先輩なんだって…

「それで、少しは忘れられる気がした」

鮮やかに咲いた花たちを見つめて、静かに息を吐いた。
そんな横顔が儚くて、俺までもが目を伏せたくなった。九重先輩のジョウロを持つ手に力が入ったのがわかったから、グッと何かを堪えるように一点を見つめたままゆっくり息をのみ込んだ。
九重先輩が本当は何を言いたかったのか、何が言えなかったのか俺にはわからないけど急にぼやっと曇りがかって、さっきまで見えていた九重先輩の横顔が見えなくなったから。つい、俯きたくなって。

ドキドキしていた心臓の音が痛みに変わる。

どれだけ聞いても何も出来なくて、何も言うことが出来ない。
それでも知りたかったのは、少しでもわかりたくて。
九重先輩の痛みをわかってあげたいって込み上げてくるからー…

「なんで藍士が泣くんだよ」

下を向けば流れて来ることは物理で、止めることなんか出来なかった。俺にはこんなことくらいしか出来なくて。

「藍士が泣くことじゃねぇよ」

いつもと変わらない声の九重先輩がより一層、胸を締め付ける気がした。
悲しいはずなのに、悔しいはずなのに、もう諦めてるみたいな九重先輩が。

「すみません…っ」

声にならない声でを振り絞る。
またなんで謝るんだって言われるかもしれないけど…でもあれは可哀想だなんて思ったんじゃない、ちゃんと伝えたかったからなんだ。

「俺の気持ちなんかわからないって言ってすみませんでした…っ」

好きなことをして過ごして、なんて自分勝手なんだと思って。なんて自由な人なんだと思ってた。

「わかんねぇよ、藍士の気持ちとか」
「俺もわかってませんでした、全然…」

“話せよ”
俺には聞いてくれてたのに、ちゃんと聞いてくれたのに俺は聞けなかった。

だって憧れてたから、いつだって自由な九重先輩に。
自由な九重先輩が羨ましかった、そんな風になりかった。
俺も九重先輩みたいになりたかったんだ。

「いいんだよ、誰かにわかってほしいとか思ってないし好き緑化委員をやってんだし」
「でもっ」
「もう誰も俺に期待してないから」
「…っ」

流れ続けていた涙が止まる、詰まって一滴も出て来なくなったみたいに。

「いっそのことおかしくなりかたかったよ、走ることを忘れられるなら」

温かい植物室で冷ややかに血の気が引いていく絶望の言葉に、言おうとしたことを飲み込むしか出来ななかった。
やっぱり出来ない、俺には何も出来ることがない。

どれだけわかろうとしても九重先輩には届かないー…

「でも悪くなかったな、字褒められんのも」

少し明るくなった声に顔を上げる、そこには微かに微笑む九重先輩がいて。
目が合った、俺を見てる九重先輩と。

「あんなの誰も見てないと思ったわ、まさか毎日見に来る奴がいるとはな」
「……。」

意識してなかったけど、気付いたらそこにいて。引き寄せられるように呼ばれてた、と思う。
それはひと目惚れだったから、字にひと目惚れなんてあるのかわからないけど。

「走らない俺にも価値があるんだと思った」

胸がきゅぅっと締め付けられて、笑ってるのに苦しいなんてあるんだって思えて。
今無理になんて笑ってほしくなかった、笑わないでほしかった、また涙がこぼれそうになるから。

「あります、絶対あります!いっぱい…っ」

何を言っても安っぽくて、俺の言うことに説得力なんかないのはわかってる。
だからなんで泣くんだよって、また笑われて俺の方が悔しくなっちゃって勝手なこと言う奴らも腫れ物扱いをする先生も自分のことを諦めた九重先輩にも。歯がゆい思いがふつふつと溢れて。

「九重先輩」

俺も何かしたいんだ、助けてもらったから。

「体育祭出ませんか?」

いつもがんばろうって思わせてくれるのは九重先輩だから。

「は?なんだよ急に」
「俺、玉入れ出るんです!」
「知ってる」
「号令担当なんです」
「なんだそれ」
「体育祭でもらった初めての役割です」

じゃんけんで勝ったから、俺がせーのっ!ていう係になった。みんなで声を合わせるための大事な役割を任されることになった。
大事なんだ、すごくこれは。

「俺ずっと恥ずかしくて、みんなみたいに走れないことが嫌だったんですけど…」

いつも見てるだけだったから、離れたところで走る姿を。俺には出来ないって後ろめたく思いながら。

「でも玉入れも立派な種目なんで!」
「……。」
「あ、何言ってるんだ?って思ってますよね!?わかってます、その顔は!だから何が言いたいかって言うと…っ」

リレーでも短距離でもない、なんなら玉入れは目立つ種目でもないオマケ競技かもしれない。だけど初めてだったから、俺の中でこんな風に楽しみに思ったのは。

「九重先輩も一緒にやりませんか?」

だから九重先輩も一緒に。
走れなくても出来ることはある、そう教えてくれたのは九重先輩なんで。全力でやればいいって、九重先輩が応援してくれたから。

今度は俺が応援出来たらー…

「だって緑化委員募集してたのって1人じゃ寂しかったからですよね?」

今の九重先輩に足りないのはきっと、少しの勇気だ。


****


本日晴天、気分はそれなり体調も…悪くない、いつもよりは。
梅雨続きの日々だったけど今日は青い空が広がって体育祭日和だ。

「……。」

絶賛落ち込み度はどん底だけど。
あれはよかったのか!?本当によかったのか…、九重先輩にあんなこと言って本当に…!?
絶対あれ怒ってたよな、怖さのあまり言い逃げしてしまった…睨みつけられるのが目に見えて。

「…でも出ないよな、たぶん」

だから会うこともない、怯えたとこで九重先輩はいないと思うから。それはそれで残念とか思っちゃってるけど。

「藍!」

頭を抱えそうになった俺の肩をがしっと柾哉が組んできた。今日の柾哉は見るからにやる気が溢れてる、めっちゃ大口開けて始まる前から上機嫌だ。まだ教室なのに。

「今日がんばろうな~~~~〜〜〜〜~~~!」
「長い、余韻長い」
「藍が体育祭出んのもひっさしぶりだし!」
「あぁ、それは、うん」

中学時代は全滅だったし、出る気もなかったな今思えば。

「今日はいーの?」

こつんっと人差し指をこめかみに当てた。頭痛のことを聞いてきたんだと思う。

「うん、たぶん…いい」
「自信なさげだなオイ」
「それは、…」

自分の意思でどうにかなるものじゃないから、って不安要素はある。気持ち次第なこともわかってるけど、その気持ちが考えれば考えるほどドツボにハマるっていうか…こうゆうとこがダメなとこだってわかってはいるんだけど。

「玉入れ応援するから!がんばれよ!!」
「あぁ、ありがと」

そうだ、今日はちゃんと出るって決めたんだ。最後まで体育祭出るんだ。

「俺も柾哉応援するよ」
「さんきゅ~~~~~~!」

応援だって体育祭の種目みたいなもん、だし。

「藍、早くグラウンド行こーぜ!」

でもやっぱり、少しだけ不安にはなる。
今日1日大丈夫かなとか、緊張で声出なかったらどうしようとか、九重先輩は何してるのかなー…って。

「……。」

思いながら覗き込んだ下駄箱に返したはずの黒色の水筒が入ってた。
もう何度見てる、使い古した水筒は裏側を見なくたってわかる九重先輩のものだ。
…来てるのか?あ、いや学校にはいつも来てるか!
でもこれは俺にってことだよな、だってこれは…
パカッと蓋を開ければスッキリした香りが広がって、紛れもなく九重先輩の作ったハーブティーだった。

「藍?どした?」
「あ、ううん!何でもない!」
「体育祭始まるぞ」
「行くよ、すぐ!」

ごくんっと一口飲めばスーッと軽くなる気がして、踏み出した一歩が軽やかで。

出るのかな?参加するのかな?

九重先輩も、一緒にー…

「がんばれ柾哉~~~!!!」

ほとんどが応援だから、基本クラスの応援席にいるのが俺の定位置。今までなら遠い保健室だったからだいぶ臨場感はある、だからこれでも全然いい方で。
これはこれで楽しい、と思う。
あと柾哉応援し甲斐あり過ぎる、ぶっちぎって100メートル走のゴール切った。リレーだけじゃないのか、出るの。

「お疲れ柾哉、すごかったね!圧倒的だったよ!」
「サンキュー!今日マジいい最高!!」

戻って来た柾哉が手を出したからパンッとハイタッチをした。
柾哉の活躍もあってそこそこ点数を稼いでいたうちのクラスは優勝も狙えそうだった。てか柾哉だけじゃなくて足の速い奴揃ってたんだな。
何気に運動部多いじゃん、気にしてなかったけど。

「藍、次だろ!」

そんでもって、次は玉入れ。

「がんばれよ!」

俺の番だ。

「うん、いってくる!」

柾哉に手を振って駆け出した。
入場門に並んだら、グラウンドに向かって軽く走って。カゴを囲んで位置に着いたら競技が始まる…んだけど、キョロキョロしてみてもいなかった。
学年順に並んでるから隣が2年生だと思うんだけど…九重先輩って何組だ?それも知らないな、でもどこにもいない気が…

「ピーッ」

笛が吹かれた、スタートの笛だ。
とりあえずは玉入れに集中しなきゃ、地味にポイント高いんだ玉入れは。
集めた玉を重ねるように積み上げて、みんなの準備が整ったら息を吸って、せーのっ!と声をかける。
たったこれだけ、ほんの少しだけど俺でも役に立ったかなって思える。

「せーのっ!」

ちょっと緊張するけど、グラウンドで叫んだことなんかないから。でも何度も声を出して、わーっと聞こえる声援を聞いて。
もう一度ピーッとなった笛の中、みんなで顔を見合わせてハイタッチをした。

「藍~~~!すげぇじゃん、俺らのクラス断トツ~~~!!」
「ありがと、練習した成果出た!」

玉入れが終わって入場門に帰ると次の競技に出る柾哉がスタンバってた、だから流れるようにハイタッチをして隣を通り過ぎた。
まだ種目は残ってるし、早く応援席に戻って応援を…

「よかったな」

しようと思って、戻ろうと思ったのに声が聞こえたから。

「九重先輩…!」

いると思ってなかった、どこにもいなかったから今日はいなんだって…

「いたんですか!」
「いた」

ジャージ姿の九重先輩が立ってた、ポケットに手を突っ込んで。

「いつからいたんですか!?」
「ずっと」
「いや、見付けられなかったですよ!」
「探してたのかよ」
「…っ」

…しまった、余計なこと言うんじゃなかった。フッて笑われたのが恥ずかしいし。

「体育祭は出ないって言ってたんでいないかと思いました」
「藍士が出ろって言ったんだろ」
「…何も出てなかったですけどね」

もう体育祭も後半の後半だ、残りの競技のが少ないぐらい。

「もう玉入れ終わりましたよ!」

だけど九重先輩が来てくれただけでもー…

「俺が出るのは玉入れじゃねぇから」
「え?」

よかったとか思っちゃったのに、九重先輩がもう一度フッと笑ったから。ポケットから取り出したハチマキをきゅっと巻いて不敵に笑って見せるから。

「これからだよ」

これから?これからって何だっけ?
柾哉も気合い入れてスタンバってたけど、何の種目だったっけー…

「それでは只今より最後の種目、紅白対抗騎馬戦を行います!」

グラウンド中にアナウンスが流れた。
本当の最後は部活対抗リレーだけど、これはポイントにならないからこれが実質最後の種目になって…

え、騎馬戦!?九重先輩、騎馬戦出るの!?

騎馬戦って結構激しいからそんなの九重先輩は出ないと思ってた。
もっとおとなしめの種目かなって、あんまり運動量なさそうな…あ、でも走れないってだけで運動出来ないわけじゃないのか。普通に体を動かすことは出来るから騎馬戦だって…え、でもさすがに騎馬はやらないよな?
騎馬は走ったり、激しくぶつかったり、それはやらなそう…てことは何?

まさか騎馬の上に乗る騎手―…!?

「出場者の入場です!」

うぉーっと野太い声と共に一気にグラウンドに駆けて行く騎馬たちの中でひときわ目立つキラッキラの金色の髪が飛び込んで来た。太陽の光に照らされてこの上なく眩しくて、目がくらみそうになる。
マジで騎手なんだ、想定外過ぎるだろ。あんなめんどくさいとか言ってた人が出る種目じゃないだろ、だって…

立ち向かってくる騎馬をガンガンなぎ倒してハチマキを取っていた。
元は陸上選手、運動神経はいいに決まってる。だからある意味足を得た九重先輩は無敵で先輩も後輩も関係なく立ち向かって、力づくでハチマキを取っていくから。

やばい!なんかわからんけどやばい!!

ただでさえ目立つ人なんだ、あの見た目で注目を浴びながら何本もハチマキを取り上げるから気付けばみんなが九重先輩を見てた。
あまりの歓声がすごさに体育祭最後の種目にふさわしい盛り上がりで、なぜか俺の心臓がバクバクしてたまらなかった。
あんな九重先輩初めて見た、あんなどこまでも立ち向かっていく九重先輩…

「ピーッ」

笛が鳴ったと同時九重先輩が手に持っていたハチマキを高く突き上げた。
数えなくてもわかる、勝ったのは一目瞭然だ。もはや1人勝ちなんじゃないかってぐらいすごくて、つい気持ちが高ぶっちゃって九重先輩の方に手を振ろうと…

「「「「「キャ~~~~~~~っ!」」」」」

上げかけた手がビクッとなって行き場を失った、女子たちの歓声に押されてなんならそっちを見てしまった。
キャーキャーと歓声が飛び交って、その視線はもちろん九重先輩を見てる。その瞳はきゅるきゅるして、あぁ恋する瞳ってこんな感じかぁーとか思っちゃったりして。

…そうだよな。
ちょっと近寄りがたいって思われてたけど、髪色に負けないぐらいキラキラした顔だって言われてたんだからな。こんなことがあったらこうなるよな。
しかも陸上部のエースだったんだから普通にモテるんじゃ…

あれ?これは俺余計なことしたかも?
これはただライバル増やしただけ…

「…ん?」

いや、ライバルってなんだよ!?
何言ってるんだ、俺っ!!?