「今日から体育祭の練習だってよ~!」
「…そーだな」
「よかったじゃん、今年は藍も出れそうで」
「…そーだな」
「気にすんな、玉入れも立派な競技だよ!」
「…。」
別に玉入れを否定するつもりなんかないけど、中学校の時は玉入れですらやってないし。柾哉は無事クラス対抗リレー選手に選ばれてご機嫌だし。
つーかそんなことより…
「梅雨の時期は気圧が下がりやすくなるからね」
2時間目までどうにか授業を受けてたけど3時間目からはフラフラになりながら保健室へやって来た。
すっかり梅雨に突入した6月、毎年この時期はとにっかく体調が悪い。
柾哉は体育祭の練習に燃えてたけど、そもそも今日は雨だ体育祭の練習の練習は出来ない。
でも今の俺には授業も受けられない…マジでしんどい。
「自律神経のバランスを乱すから、頭痛も増えると思うからあんまり無理はしないようにね」
「…はい」
南野先生の簡単な問診を受けてベッドにもぐった。
昼休みまで寝るかなぁ、寝たところでよくなるとは思えないけどちょっとはマシになるか薬も飲んだし。
でも最近1つわかったことがある。
こんなにしんどい頭痛も、あのハーブティーを飲むと頭がスッキリして痛みが治るってこと。
今までこんなことなかった、一体あれはどんなハーブティーなんだろう?
九重先輩の作るハーブティーってやつは。
なんとか午後の授業を乗り切った放課後、黒の水筒を持って植物室へ向かった。いるかわかんなかったけど。
というか委員会って毎日やるもんじゃないよな、みんな部活があるわけだから他の委員会はたまにしかやってるイメージないけど緑化委員は…
「……。」
やってた。
温室ハウスの外から見てもわかった、ジョウロで丁寧にひとつひとつの植木鉢に水をやってた。
何度見ても似合わない、あの金髪ヤンキーの水やりは。
しっかり目で見ながら、なんなら見つめるみたいに花たちを確認してる。少し俯いた表情はここからだとよく見えないけど仕草でわかる、花が好きなんだなーって。
あのとげとげしい九重先輩が穏やかに見えるから。
やっぱ花は人を癒すって本当なのかな?
花見とかそうゆう感じだよな、桜を見て癒されるみたいな…あれは単に理由をつけて大人たちが酒を飲みたいだけか?合法に昼間っから酒が飲める理由…
「おい」
ビクッと体が震える、突然低い声に呼びかけられて。
ついぼぉーっと考え込んじゃってた、温室ハウス…じゃなくて植物室のドアの前で。
「…お、お疲れ様です」
いきなりドアを開けられたからびっくりしてどもっちゃったし。
「あ、あのこれ…水筒、洗ってきたんで」
ぺこっと頭を下げて持って来た水筒を差し出した。両手でどうぞ、と手を伸ばして。
「ありがとうございました」
これはちゃんと返しに来ないとなって、借りたものは返さないとそれは。
でもここから先は考えてなくて、このまま帰ろうかどうか。
用は済んだし、もう他に言うことはないんだけど…
九重先輩と話したくて。いや、話してくれるかはわかんないけど話したいなって思って…気になったから九重先輩の作るハーブティーが。
「座れ」
「…はい」
あ、九重先輩もそんな気はあるっぽい。
命令口調なのは気になるけど気持ち的には前向きっぽい、たぶん。
九重先輩のあとをついて中に入って、手入れされた花たちを見ながらイスに座った。
テーブルの上には透明なティーポットが置いてあってすでに何かしらのハーブが入っていた。
これがハーブティー…になるやつ?思ってより普通に葉っぱっていうか花まんまだ。
「九重先輩、これ…っ」
今からお湯入れるんですか?って聞こうと思ったら、ちょうどケトルでお湯沸かしてた。しかも地べたで、コンセントがそこしかないからなんだろうけどそこはがさつなんだ…こんなティーポットちゃんとしてるのに。ヤンキー座りでお湯が沸くの待たないでほしい。
しばらくして沸いたケトルを九重先輩が持って来た。ティーポットの中にお湯を注いでいくと中に入ったハーブがくるくる回り出したから気になってじっと見てしまった。
「3分」
「え?」
「……。」
「あ、待つってことですか?」
3分でいいんだ、もっと待つのかと思った。ティーパックでもそれぐらい待つけど、生のハーブでもそうなんだ…待て、普通に九重先輩を理解している自分がいる。会話が成り立っている。
で、九重先輩はスマホ開いて時間見てるし。真面目なんだかそうじゃないんだか本当にわかんねぇーな。
「出来た」
「ありがとうございます」
3分蒸したハーブティーがカップに注がれた。
香り高いってこうゆう時に使うのかなってくらいすぅーっと鼻に抜けてくスッキリした香りがする。
もっと花の色が出るのかと思ったけど案外出ないんだな、味はティーパックのやつより葉っぱ感が強いかな…でもそれがスカッとしていい、かも。
「おいしいです」
不思議なんだよな、どんな薬より効く気がして。
チラッと九重先輩の方を見ればふっと笑ってるのも、なんか不思議なんだよなぁ~…
ずっと睨まれてしかなかったから、違和感だ。
…褒められて嬉しいのかな?って思ったり。
「緑化委員って毎日活動してるんですか?」
「あぁ」
「何するんですか?」
「水やり、草取り、植え付け、お茶会他」
「…お茶会って言うんですか、この時間って」
思ったよりすることあった、どこの委員会もそんな活動してないしたぶんこんなに活動してるのは緑化委員会だけ。
しかも九重先輩1人で…
「九重先輩は部活は何してるんですか?」
「……。」
「うちの学校は部活必須ですよね?」
「…。」
無視かぃ。さっきはふって笑ってたのに。
こくんとハーブティーを飲む九重先輩は全然俺の方を見ていない。
なんで?急に会話したくなくなった??
「…もうすぐ体育祭ですね」
「……。」
たぶん何言っても無視られるかなって思ったけど、緑化委員のことしか喋らないのかとも思ったけど。無言で飲み続けるのもあれだし、世間話的感覚で話しかけてみた。
「九重先輩は何の種目に出るんですか?」
「…出ない」
あ、返事返って来た。
「めんどくせぇ」
ケッと吐かれたけど。
うん、わかってた。そうんだろうな~って気はしてた。一応聞いてみようかなって思っただけだし。
「藍士は?」
「え、俺ですか?俺は…」
ハーブティーを飲み干した九重先輩はふぅっと息を吐いてカップを置いた。二杯目のハーブティーを注ぐためにポットを手に取って注ぎ始める。
「玉入れです」
「フッ」
「…。」
鼻で笑われたんだけど。
ちょっとハーブティーこぼしたじゃん、笑ったからこぼしたじゃん。
「玉入れだって立派な種目なんで!」
「……。」
「玉入れだってメンバー揃わないと出られないんです!」
「…。」
ニヤニヤ笑ってハーブティーの香り楽しんでる、マジでイラッとするな…
わかってるよ、玉入れなんてオマケ競技だって運動苦手な人がする競技だってことぐらい。
「…そりゃ俺だってリレーとか100メートル走とか出たいですよ!」
カップを置いた、ぎゅっと取っ手の部分を掴んで。
「みんなの声援受けて走るとかそーゆうのやってみたいですけど、俺には無理なんで…」
いつも邪魔をするから、大事な時こそ邪魔をして結局上手いかない。
そんなのの繰り返しなんだ、わかってるよ。
それでもがんばりたいって、そう思ったから出場テストだって走ったんだけど…
「でもしょうがないじゃないですか諦めるしかないんですよ」
どうしたって人には出来ないことがあるから。
「走れないんで…っ」
だったらもう、仕方ない。
あんな恥ずかしい思いもしたくないし。
「走れよ」
なのに、ずんっと胸に来るような低音が心なく響くから。
「いや、だから走れないんですよ!」
「走ってた」
「見てましたよね!?」
「見てた」
「だったら…っ」
カップから視線を上げると九重先輩と目が合った。その瞳は鋭く刺すみたいに俺を見てた。
「…っ」
ゾクッと体が震えて、これ以上は何も言えなかった。
じっと俺を見てるから、刺すような視線は離してくれるようにも思えなくて。
なんで九重先輩にそんなこと言われなきゃいけないんだろう?
九重先輩にそんな目で見られる意味もわかんない、だって九重先輩は…出ないんですよね?めんどくさいんですよね?
そんなこと言う九重先輩には言われたくないんですけど。
別に俺がどんな競技に出ようと俺の勝手だし、九重先輩に関係ないのに。
****
「あ、これとかどうかな?いや、でも…」
学校帰り、地元のスーパーに寄ってみた。
ハーブティーって今までよくわかんなかったけど、普通にスーパーで買えるらしいことがわかった。
ローズヒップティーとかペパーミントとか、なんとなく名前は聞いたことがあるしティーパックで売ってるなら家でも簡単に飲めるよなって。
ハーブティーを飲むと頭痛が治る、と思う。
九重先輩が言ってた通りそんな作用があるんだとしたら、もしかして市販のやつでもイケるんじゃなかなって…
「九重先輩が何使ってるかわかんないんだよな~…」
出来たら同じのがいいなぁって思ったんだけど。
ハーブティーとしか言ってなかったし、何の花を使ってるのか…確か紫の小っちゃい花だったとは思うんだけど、花の名前詳しくないし飲んでも全然わかんなくて。聞けないし、こんなこと。
「……。」
陳列された箱の前にしゃがみ込んでう~んっと手の取っては悩んだ。悩み過ぎて頭が痛くなるかと思った。
とりあえず1番売れてるぽいやつにするか、売れてるってことはなんか効果ありそうだしこれで。
明日は雨は降らないけど曇りだって言ってた。曇りの日も気圧に敏感に反応して間違いなく体調を崩すから、これで少しでもよくなれば…
と思いながら、朝から買ったハーブティーを飲んでみた。
「…何の効果もねぇーじゃん」
変わりなく今日も絶不調だった、ぎゅーっと絞られてる頭が痛過ぎる。
普通に買ったやつじゃ意味ないのか?
九重先輩が作ったハーブティーじゃないと…もしかして他になんか入ってる?やばいもんでも入ってんじゃないの?ありえる…
「…うぅ゛」
曇りでも体育は外らしい。グラウンドをみんなが走ってるのを見てた、保健室の窓から。
遠くて誰が誰とかわかんないけど、バトン渡しの練習してたりスタートダッシュの練習してたりして体育祭前って感じだなーって。
「……はぁ」
勝手にタメ息が出る。頭が痛いからとか体調が悪いからじゃなくて、マジで本当にショックで。
何度思い返してもショック過ぎる、本当にマジであんな…っ
走れないとは思わなかった…!!
「…もっと練習しようかな」
そしたらなんか変わったかな?
少しでも走れたのかな…走ったとこで変わんなかったかな?
思い出しては顔を覆いたくなる羞恥心に襲われて、もはや体育祭にも出たくなくなってきた。
そりゃこんなの諦めたくなるだろ、なのに九重先輩があんなこと言うから…っ
「気圧最悪だよ…っ」
とにかく誰かこの気圧をどうにかしてくれ、どんどん気が滅入っていくよ。
「由木くん」
シャッとカーテンが開いた、南野先生がのぞき込むように顔を出した。寝転がるのも億劫で隣にあったイスに座りながらベッドの上に顔を伏せていた俺を見る。
「寝てた方がいいんじゃない?」
「…はい」
寝るか、寝てもあんま変わらない気もするけど。こんな日は薬も効かないんだよな。
****
「おっ、藍大丈夫かぁ~??」
「あぁ、…うん」
「大丈夫じゃなさそ~~~!帰る感じ?」
「んー…」
今日は保健室に行ったり行かなかったりで1日が終わった。もうホームルームも終わったし、あと帰るだけだし。
だからいつもなら普通に帰るだけなんだけど。
「今日玉入れの練習あるぞ」
「…あぁ」
玉入れだって大事な体育祭種目!
リレーや短距離長距離と同じように練習がある、今日はその数少ない練習日で1年から3年まで一緒に練習をするから。
…いや、玉入れに練習が必要なのかは定かではないけど。あれに練習とか、まぁでも玉入れだって大事な種目だしそれは。
「でも玉入れに練習とかどっちでもいいよな~!」
「……。」
玉入れに出ない柾哉に言われるとちょっとあれだったけど。
だけど玉入れなんて運みたいなものだし、それに…今は玉入れさえ出来る気分でもない。柾哉と喋ってるのも精一杯で、上を向いて球を投げるなんて行為、想像しただけでも頭が痛い。もう十分痛いのに。
これは無理だな、やめよう。やっぱり今日は帰って…
「藍士」
聞き覚えのある低い声に呼ばれた。
振り返ると廊下の窓からこっちを睨みつけるような視線を飛ばして…
めっちゃ怖いんだけど、何!?俺、何かしたっけ!?
「九重先輩…っ!」
というか俺だけじゃない、クラス中がビクッとしてみんな一瞬言葉を失ってた。それぐらい研ぎ澄まされてるから、九重先輩の視線は。
「な、なんですか?どうかしましたか…?」
あわてて廊下に出た。
みんなにじろじろ見られてたら落ち着かないから、せめて窓から離れてほしくて誘い出すように呼んで九重先輩の前に立った。
頭が締め付けられる、九重先輩の鋭い目つきによってさらに頭がぎゅーって絞られてく。
もしかして昨日のこと怒ってる?俺がつい言い返しちゃったの怒って…っ
「これ」
「すみま…っ」
何を言われても謝ろうと思ったから先に言葉が出てしまった。でも目の前に差し出された黒色の水筒に開けた口が開いたまま止まる。
これは前にもらったことのある、九重先輩の水筒?
「やる」
んっと押し付けられるように差し出された。
「えっと、これは…」
「わかれよ」
「…はい」
だからそれを聞きたかったんじゃないっての、俺が聞きたいのはこの中身が何かじゃなくてなんで今これを持ってきてくれたかで…っ
「練習」
……。
いい加減単語で会話しようとするのやめてもらえますか?それでわかってしまう自分が嫌なんですけど。
「…玉入れですけど」
「立派な種目だって言ったのは藍士だ」
そこはちゃんと会話するんですね。
言いましたよ、言いましたけどね?
玉入れの練習とか、別にしてもしなくてもどっちでも…そんな玉入れなのに。
気圧の低い日は頭痛がひどいこと、わかってて持ってきてくれたんですか?
「ありがとうございます」
わからないけど、胸がぽわってして。
真っ直ぐ見る九重先輩の視線が見てられなくて。
優しいのか優しくないのか、本当にわからない人だよ。
だって口癖にみたいにめんどくせぇってよく言うけど、こうやって作ってくる方がめんどくさくない?
「昨日…、ティーパック買ってみたんです」
きゅっと両手で水筒を握りしめたらほんのり温かった。
「でも全然効果なくて、やっぱり九重先輩のハーブティーとは違いますね…」
「……。」
何も返って来ないなと思って少しだけ上を見たらすっごい眉間にしわ寄せてた。気に入らなかったらしい、今の言動は。
「…すみません」
だから結局謝ることになったけど、このほんのり温かい水筒がすとんっと心を落ち着かせるから。玉入れもがんばろうかなって、立派な種目だし。
いつもそう思わせてくれるのは九重先輩な気がする。
これを飲んで、がんばろうってー…
****
「あ~っ、藍!大丈夫だったか!?」
水筒を受け取って教室に戻ったら目をかっぴらいだ柾哉が身振り手振り呼んできた。
クラス中をビビらせた九重先輩だからな、柾哉も気になったんだろうな。
「全然大丈夫、ちょっと話しただけだし」
「本当か!?本当に何もされてないか!?」
「されてないよ」
「だって九重先輩ってこないだ水かけてきたー…!」
あ、そーいえばそんなことあったなぁってふと思い出した。もうすっかり前みたいな気がしてた。
「そう、あれキッカケでちょっと喋るようになったんだけど」
「そんなキッカケあるかよ!嫌がらせだろあんなの!」
「いや、あれは嫌がらせじゃなくて…」
緑化委員の仕事だから、って言おうと思ったんだけど柾哉の顔は本気だったから。怯えた瞳の中に、不快感をあらわにしてた。
「脅されてないか!?やべぇこと巻き込まれてたりしてないか!?」
俺の肩に両手を置いてぐわんぐわんとゆすってくる。
それはやめてくれ、頭に響くんだよ。
「つーか何もらってきたんだよ!それ大丈夫なやつなのかよ!?」
「大じょっ、…大丈夫だから」
なんならせっかくこのおかげでスッキリしたのにまたぶり返すから、これ以上はと思って柾哉の手を払ってふぅーっと大きく深呼吸をした。
「あ、悪い!力入った!」
「いや…」
でもそれだけ必死になる柾哉のことは気になった。
あの派手な金髪に負けないぐらい派手なことしてるって噂は俺でも知ってたくらい有名な九重先輩だけど、柾哉がそこまで言うことなのかって。
それにそのおどおどした様子は俺を心配してるだけじゃない、柾哉にも思うようなことがあるみたいだった。
それはどうゆう意味なんだ?
「大丈夫ならいい!」
他にあるのか、まだ俺が知らないことが。
俺が知らない九重先輩のことが…
「…何かあった?」
無性に胸騒ぎがした。
ただ聞いただけなのに、ドクドクと心臓が動き出したから。
柾哉が険しい表情を見せて話始めた、ふぅっと重く息を吐く。
「九重先輩、ずっと部活来てないからさ」
え、部活…?
毎日緑化委員してるぐらいだから行ってないとは思ってた。
部活のことは聞いても教えてくれなかったし、めんどくさいから言わないんだと思ってたけどもしかして…
「陸上部なんだよ、俺とおんなじ」
柾哉がはぁっと息を吐いてイスに座った。
クラスメイトたちは部活や体育祭の練習に行って教室には俺と柾哉だけ、俺は座る気になれなくてその場に立ったまま話を聞いていた。
「九重先輩、超有名は短距離選手なんだぜ!中学ん時は今みたいに金髪でもなかったしピアスもしてなかったけど超目立ってた!」
あのキラキラの髪が九重先輩で、そうじゃない九重先輩は想像できない。
「いくつも賞取ってたし、高校入ってからも新記録出して将来有望って言われてるぐらいすごい選手で!超カッコよくて俺も憧れてたんだけど…」
そうなんだ、九重先輩はそんな人だったのか。
部活のことは自分には関係ないと思って気にしたことがなかったから、そんな人がいることも知らなかった。
「でも俺が高校入ってから九重先輩が走ってるとこ1回も見たことないんだよな~」
「…九重先輩、部活来ないから?」
「まぁそれもあるけど~…」
ふぅーっと息を吐いて天井を見上げた。何か思い返すみたいに、じっと見たまま。
「もう走れないんだってさ」
しんっとした教室は嫌に声がこだまする。
「事故で走れなくなったらしい」
ずんっと鉛が落ちて来たみたいに胸が苦しくなった。
そんなの想像してなかった、あの九重先輩からは想像出来なかった。
「走れなく、なったって…そんなやばい事故だったのか…?」
「俺も詳しくはわかんねぇけど、車に飛び込んでったらしいよ」
「飛び込んでったってなんで!?」
つい声が大きくなってしまった。気持ちが追いつかなくて、生暖かい教室は息苦しくたまらない。
どうしてそんなことー…っ!?
「助けようとしたんだってさ、小さい女の子を」
…っ、声が詰まって何も出て来なかった。
息が出来なくなったかと思うくらい、ズキズキと頭が痛み出して足に力を入れて立っていることに必死だった。
「だからずっと部活来てないんだよ」
そんなこと全然知らなかったから。
「籍はまだ一応あるけど、でも走れないんだったらきついよな~…」
何も答えてくれなかったから。
「で、おかしくなって緑化委員始めたって言われてる」
「は?なんだよ、それ…」
「そんで金髪になったしさ」
「そんなの…っ」
柾哉のその言い方には俺の方が眉間にしわを寄せた。そんな疎ましそうな言い方、それはすごく引っかかる。
「藍も見ただろ?水かけられて散々だったじゃん」
「だからあれはっ」
「あの嫌がらせはないよな~」
「違うって!」
ズキンッと頭が揺れた。声を出した反動で痛みが強くなる、きょとんっとした柾谷の前ではぁはぁと肩で息をした。
「なんで藍がムキになってんだよ」
「それは…っ」
でもハッキリ言えないんだけど。
「そんな風に言うのはなんか…」
目を伏せて、ぎゅっと水筒を握りしめることしか…グーっと力を入れて握りしめることしか出来なかった。だって俺は…
「でもそんだけ思い詰めてたってことだろ?」
部活のことは聞いても教えてくれなかった、でもそれはめんどくさいからじゃない。
「走りたいのに走れないってキチーし、しかも自分のせいってわけでもねぇーじゃん」
言えなかったんだ、言いたくなかったんだ。
話すことが出来ないぐらい、九重先輩が抱えたものは大きくて。
俺は九重先輩のことを何も知らなかった。
「…そーだな」
「よかったじゃん、今年は藍も出れそうで」
「…そーだな」
「気にすんな、玉入れも立派な競技だよ!」
「…。」
別に玉入れを否定するつもりなんかないけど、中学校の時は玉入れですらやってないし。柾哉は無事クラス対抗リレー選手に選ばれてご機嫌だし。
つーかそんなことより…
「梅雨の時期は気圧が下がりやすくなるからね」
2時間目までどうにか授業を受けてたけど3時間目からはフラフラになりながら保健室へやって来た。
すっかり梅雨に突入した6月、毎年この時期はとにっかく体調が悪い。
柾哉は体育祭の練習に燃えてたけど、そもそも今日は雨だ体育祭の練習の練習は出来ない。
でも今の俺には授業も受けられない…マジでしんどい。
「自律神経のバランスを乱すから、頭痛も増えると思うからあんまり無理はしないようにね」
「…はい」
南野先生の簡単な問診を受けてベッドにもぐった。
昼休みまで寝るかなぁ、寝たところでよくなるとは思えないけどちょっとはマシになるか薬も飲んだし。
でも最近1つわかったことがある。
こんなにしんどい頭痛も、あのハーブティーを飲むと頭がスッキリして痛みが治るってこと。
今までこんなことなかった、一体あれはどんなハーブティーなんだろう?
九重先輩の作るハーブティーってやつは。
なんとか午後の授業を乗り切った放課後、黒の水筒を持って植物室へ向かった。いるかわかんなかったけど。
というか委員会って毎日やるもんじゃないよな、みんな部活があるわけだから他の委員会はたまにしかやってるイメージないけど緑化委員は…
「……。」
やってた。
温室ハウスの外から見てもわかった、ジョウロで丁寧にひとつひとつの植木鉢に水をやってた。
何度見ても似合わない、あの金髪ヤンキーの水やりは。
しっかり目で見ながら、なんなら見つめるみたいに花たちを確認してる。少し俯いた表情はここからだとよく見えないけど仕草でわかる、花が好きなんだなーって。
あのとげとげしい九重先輩が穏やかに見えるから。
やっぱ花は人を癒すって本当なのかな?
花見とかそうゆう感じだよな、桜を見て癒されるみたいな…あれは単に理由をつけて大人たちが酒を飲みたいだけか?合法に昼間っから酒が飲める理由…
「おい」
ビクッと体が震える、突然低い声に呼びかけられて。
ついぼぉーっと考え込んじゃってた、温室ハウス…じゃなくて植物室のドアの前で。
「…お、お疲れ様です」
いきなりドアを開けられたからびっくりしてどもっちゃったし。
「あ、あのこれ…水筒、洗ってきたんで」
ぺこっと頭を下げて持って来た水筒を差し出した。両手でどうぞ、と手を伸ばして。
「ありがとうございました」
これはちゃんと返しに来ないとなって、借りたものは返さないとそれは。
でもここから先は考えてなくて、このまま帰ろうかどうか。
用は済んだし、もう他に言うことはないんだけど…
九重先輩と話したくて。いや、話してくれるかはわかんないけど話したいなって思って…気になったから九重先輩の作るハーブティーが。
「座れ」
「…はい」
あ、九重先輩もそんな気はあるっぽい。
命令口調なのは気になるけど気持ち的には前向きっぽい、たぶん。
九重先輩のあとをついて中に入って、手入れされた花たちを見ながらイスに座った。
テーブルの上には透明なティーポットが置いてあってすでに何かしらのハーブが入っていた。
これがハーブティー…になるやつ?思ってより普通に葉っぱっていうか花まんまだ。
「九重先輩、これ…っ」
今からお湯入れるんですか?って聞こうと思ったら、ちょうどケトルでお湯沸かしてた。しかも地べたで、コンセントがそこしかないからなんだろうけどそこはがさつなんだ…こんなティーポットちゃんとしてるのに。ヤンキー座りでお湯が沸くの待たないでほしい。
しばらくして沸いたケトルを九重先輩が持って来た。ティーポットの中にお湯を注いでいくと中に入ったハーブがくるくる回り出したから気になってじっと見てしまった。
「3分」
「え?」
「……。」
「あ、待つってことですか?」
3分でいいんだ、もっと待つのかと思った。ティーパックでもそれぐらい待つけど、生のハーブでもそうなんだ…待て、普通に九重先輩を理解している自分がいる。会話が成り立っている。
で、九重先輩はスマホ開いて時間見てるし。真面目なんだかそうじゃないんだか本当にわかんねぇーな。
「出来た」
「ありがとうございます」
3分蒸したハーブティーがカップに注がれた。
香り高いってこうゆう時に使うのかなってくらいすぅーっと鼻に抜けてくスッキリした香りがする。
もっと花の色が出るのかと思ったけど案外出ないんだな、味はティーパックのやつより葉っぱ感が強いかな…でもそれがスカッとしていい、かも。
「おいしいです」
不思議なんだよな、どんな薬より効く気がして。
チラッと九重先輩の方を見ればふっと笑ってるのも、なんか不思議なんだよなぁ~…
ずっと睨まれてしかなかったから、違和感だ。
…褒められて嬉しいのかな?って思ったり。
「緑化委員って毎日活動してるんですか?」
「あぁ」
「何するんですか?」
「水やり、草取り、植え付け、お茶会他」
「…お茶会って言うんですか、この時間って」
思ったよりすることあった、どこの委員会もそんな活動してないしたぶんこんなに活動してるのは緑化委員会だけ。
しかも九重先輩1人で…
「九重先輩は部活は何してるんですか?」
「……。」
「うちの学校は部活必須ですよね?」
「…。」
無視かぃ。さっきはふって笑ってたのに。
こくんとハーブティーを飲む九重先輩は全然俺の方を見ていない。
なんで?急に会話したくなくなった??
「…もうすぐ体育祭ですね」
「……。」
たぶん何言っても無視られるかなって思ったけど、緑化委員のことしか喋らないのかとも思ったけど。無言で飲み続けるのもあれだし、世間話的感覚で話しかけてみた。
「九重先輩は何の種目に出るんですか?」
「…出ない」
あ、返事返って来た。
「めんどくせぇ」
ケッと吐かれたけど。
うん、わかってた。そうんだろうな~って気はしてた。一応聞いてみようかなって思っただけだし。
「藍士は?」
「え、俺ですか?俺は…」
ハーブティーを飲み干した九重先輩はふぅっと息を吐いてカップを置いた。二杯目のハーブティーを注ぐためにポットを手に取って注ぎ始める。
「玉入れです」
「フッ」
「…。」
鼻で笑われたんだけど。
ちょっとハーブティーこぼしたじゃん、笑ったからこぼしたじゃん。
「玉入れだって立派な種目なんで!」
「……。」
「玉入れだってメンバー揃わないと出られないんです!」
「…。」
ニヤニヤ笑ってハーブティーの香り楽しんでる、マジでイラッとするな…
わかってるよ、玉入れなんてオマケ競技だって運動苦手な人がする競技だってことぐらい。
「…そりゃ俺だってリレーとか100メートル走とか出たいですよ!」
カップを置いた、ぎゅっと取っ手の部分を掴んで。
「みんなの声援受けて走るとかそーゆうのやってみたいですけど、俺には無理なんで…」
いつも邪魔をするから、大事な時こそ邪魔をして結局上手いかない。
そんなのの繰り返しなんだ、わかってるよ。
それでもがんばりたいって、そう思ったから出場テストだって走ったんだけど…
「でもしょうがないじゃないですか諦めるしかないんですよ」
どうしたって人には出来ないことがあるから。
「走れないんで…っ」
だったらもう、仕方ない。
あんな恥ずかしい思いもしたくないし。
「走れよ」
なのに、ずんっと胸に来るような低音が心なく響くから。
「いや、だから走れないんですよ!」
「走ってた」
「見てましたよね!?」
「見てた」
「だったら…っ」
カップから視線を上げると九重先輩と目が合った。その瞳は鋭く刺すみたいに俺を見てた。
「…っ」
ゾクッと体が震えて、これ以上は何も言えなかった。
じっと俺を見てるから、刺すような視線は離してくれるようにも思えなくて。
なんで九重先輩にそんなこと言われなきゃいけないんだろう?
九重先輩にそんな目で見られる意味もわかんない、だって九重先輩は…出ないんですよね?めんどくさいんですよね?
そんなこと言う九重先輩には言われたくないんですけど。
別に俺がどんな競技に出ようと俺の勝手だし、九重先輩に関係ないのに。
****
「あ、これとかどうかな?いや、でも…」
学校帰り、地元のスーパーに寄ってみた。
ハーブティーって今までよくわかんなかったけど、普通にスーパーで買えるらしいことがわかった。
ローズヒップティーとかペパーミントとか、なんとなく名前は聞いたことがあるしティーパックで売ってるなら家でも簡単に飲めるよなって。
ハーブティーを飲むと頭痛が治る、と思う。
九重先輩が言ってた通りそんな作用があるんだとしたら、もしかして市販のやつでもイケるんじゃなかなって…
「九重先輩が何使ってるかわかんないんだよな~…」
出来たら同じのがいいなぁって思ったんだけど。
ハーブティーとしか言ってなかったし、何の花を使ってるのか…確か紫の小っちゃい花だったとは思うんだけど、花の名前詳しくないし飲んでも全然わかんなくて。聞けないし、こんなこと。
「……。」
陳列された箱の前にしゃがみ込んでう~んっと手の取っては悩んだ。悩み過ぎて頭が痛くなるかと思った。
とりあえず1番売れてるぽいやつにするか、売れてるってことはなんか効果ありそうだしこれで。
明日は雨は降らないけど曇りだって言ってた。曇りの日も気圧に敏感に反応して間違いなく体調を崩すから、これで少しでもよくなれば…
と思いながら、朝から買ったハーブティーを飲んでみた。
「…何の効果もねぇーじゃん」
変わりなく今日も絶不調だった、ぎゅーっと絞られてる頭が痛過ぎる。
普通に買ったやつじゃ意味ないのか?
九重先輩が作ったハーブティーじゃないと…もしかして他になんか入ってる?やばいもんでも入ってんじゃないの?ありえる…
「…うぅ゛」
曇りでも体育は外らしい。グラウンドをみんなが走ってるのを見てた、保健室の窓から。
遠くて誰が誰とかわかんないけど、バトン渡しの練習してたりスタートダッシュの練習してたりして体育祭前って感じだなーって。
「……はぁ」
勝手にタメ息が出る。頭が痛いからとか体調が悪いからじゃなくて、マジで本当にショックで。
何度思い返してもショック過ぎる、本当にマジであんな…っ
走れないとは思わなかった…!!
「…もっと練習しようかな」
そしたらなんか変わったかな?
少しでも走れたのかな…走ったとこで変わんなかったかな?
思い出しては顔を覆いたくなる羞恥心に襲われて、もはや体育祭にも出たくなくなってきた。
そりゃこんなの諦めたくなるだろ、なのに九重先輩があんなこと言うから…っ
「気圧最悪だよ…っ」
とにかく誰かこの気圧をどうにかしてくれ、どんどん気が滅入っていくよ。
「由木くん」
シャッとカーテンが開いた、南野先生がのぞき込むように顔を出した。寝転がるのも億劫で隣にあったイスに座りながらベッドの上に顔を伏せていた俺を見る。
「寝てた方がいいんじゃない?」
「…はい」
寝るか、寝てもあんま変わらない気もするけど。こんな日は薬も効かないんだよな。
****
「おっ、藍大丈夫かぁ~??」
「あぁ、…うん」
「大丈夫じゃなさそ~~~!帰る感じ?」
「んー…」
今日は保健室に行ったり行かなかったりで1日が終わった。もうホームルームも終わったし、あと帰るだけだし。
だからいつもなら普通に帰るだけなんだけど。
「今日玉入れの練習あるぞ」
「…あぁ」
玉入れだって大事な体育祭種目!
リレーや短距離長距離と同じように練習がある、今日はその数少ない練習日で1年から3年まで一緒に練習をするから。
…いや、玉入れに練習が必要なのかは定かではないけど。あれに練習とか、まぁでも玉入れだって大事な種目だしそれは。
「でも玉入れに練習とかどっちでもいいよな~!」
「……。」
玉入れに出ない柾哉に言われるとちょっとあれだったけど。
だけど玉入れなんて運みたいなものだし、それに…今は玉入れさえ出来る気分でもない。柾哉と喋ってるのも精一杯で、上を向いて球を投げるなんて行為、想像しただけでも頭が痛い。もう十分痛いのに。
これは無理だな、やめよう。やっぱり今日は帰って…
「藍士」
聞き覚えのある低い声に呼ばれた。
振り返ると廊下の窓からこっちを睨みつけるような視線を飛ばして…
めっちゃ怖いんだけど、何!?俺、何かしたっけ!?
「九重先輩…っ!」
というか俺だけじゃない、クラス中がビクッとしてみんな一瞬言葉を失ってた。それぐらい研ぎ澄まされてるから、九重先輩の視線は。
「な、なんですか?どうかしましたか…?」
あわてて廊下に出た。
みんなにじろじろ見られてたら落ち着かないから、せめて窓から離れてほしくて誘い出すように呼んで九重先輩の前に立った。
頭が締め付けられる、九重先輩の鋭い目つきによってさらに頭がぎゅーって絞られてく。
もしかして昨日のこと怒ってる?俺がつい言い返しちゃったの怒って…っ
「これ」
「すみま…っ」
何を言われても謝ろうと思ったから先に言葉が出てしまった。でも目の前に差し出された黒色の水筒に開けた口が開いたまま止まる。
これは前にもらったことのある、九重先輩の水筒?
「やる」
んっと押し付けられるように差し出された。
「えっと、これは…」
「わかれよ」
「…はい」
だからそれを聞きたかったんじゃないっての、俺が聞きたいのはこの中身が何かじゃなくてなんで今これを持ってきてくれたかで…っ
「練習」
……。
いい加減単語で会話しようとするのやめてもらえますか?それでわかってしまう自分が嫌なんですけど。
「…玉入れですけど」
「立派な種目だって言ったのは藍士だ」
そこはちゃんと会話するんですね。
言いましたよ、言いましたけどね?
玉入れの練習とか、別にしてもしなくてもどっちでも…そんな玉入れなのに。
気圧の低い日は頭痛がひどいこと、わかってて持ってきてくれたんですか?
「ありがとうございます」
わからないけど、胸がぽわってして。
真っ直ぐ見る九重先輩の視線が見てられなくて。
優しいのか優しくないのか、本当にわからない人だよ。
だって口癖にみたいにめんどくせぇってよく言うけど、こうやって作ってくる方がめんどくさくない?
「昨日…、ティーパック買ってみたんです」
きゅっと両手で水筒を握りしめたらほんのり温かった。
「でも全然効果なくて、やっぱり九重先輩のハーブティーとは違いますね…」
「……。」
何も返って来ないなと思って少しだけ上を見たらすっごい眉間にしわ寄せてた。気に入らなかったらしい、今の言動は。
「…すみません」
だから結局謝ることになったけど、このほんのり温かい水筒がすとんっと心を落ち着かせるから。玉入れもがんばろうかなって、立派な種目だし。
いつもそう思わせてくれるのは九重先輩な気がする。
これを飲んで、がんばろうってー…
****
「あ~っ、藍!大丈夫だったか!?」
水筒を受け取って教室に戻ったら目をかっぴらいだ柾哉が身振り手振り呼んできた。
クラス中をビビらせた九重先輩だからな、柾哉も気になったんだろうな。
「全然大丈夫、ちょっと話しただけだし」
「本当か!?本当に何もされてないか!?」
「されてないよ」
「だって九重先輩ってこないだ水かけてきたー…!」
あ、そーいえばそんなことあったなぁってふと思い出した。もうすっかり前みたいな気がしてた。
「そう、あれキッカケでちょっと喋るようになったんだけど」
「そんなキッカケあるかよ!嫌がらせだろあんなの!」
「いや、あれは嫌がらせじゃなくて…」
緑化委員の仕事だから、って言おうと思ったんだけど柾哉の顔は本気だったから。怯えた瞳の中に、不快感をあらわにしてた。
「脅されてないか!?やべぇこと巻き込まれてたりしてないか!?」
俺の肩に両手を置いてぐわんぐわんとゆすってくる。
それはやめてくれ、頭に響くんだよ。
「つーか何もらってきたんだよ!それ大丈夫なやつなのかよ!?」
「大じょっ、…大丈夫だから」
なんならせっかくこのおかげでスッキリしたのにまたぶり返すから、これ以上はと思って柾哉の手を払ってふぅーっと大きく深呼吸をした。
「あ、悪い!力入った!」
「いや…」
でもそれだけ必死になる柾哉のことは気になった。
あの派手な金髪に負けないぐらい派手なことしてるって噂は俺でも知ってたくらい有名な九重先輩だけど、柾哉がそこまで言うことなのかって。
それにそのおどおどした様子は俺を心配してるだけじゃない、柾哉にも思うようなことがあるみたいだった。
それはどうゆう意味なんだ?
「大丈夫ならいい!」
他にあるのか、まだ俺が知らないことが。
俺が知らない九重先輩のことが…
「…何かあった?」
無性に胸騒ぎがした。
ただ聞いただけなのに、ドクドクと心臓が動き出したから。
柾哉が険しい表情を見せて話始めた、ふぅっと重く息を吐く。
「九重先輩、ずっと部活来てないからさ」
え、部活…?
毎日緑化委員してるぐらいだから行ってないとは思ってた。
部活のことは聞いても教えてくれなかったし、めんどくさいから言わないんだと思ってたけどもしかして…
「陸上部なんだよ、俺とおんなじ」
柾哉がはぁっと息を吐いてイスに座った。
クラスメイトたちは部活や体育祭の練習に行って教室には俺と柾哉だけ、俺は座る気になれなくてその場に立ったまま話を聞いていた。
「九重先輩、超有名は短距離選手なんだぜ!中学ん時は今みたいに金髪でもなかったしピアスもしてなかったけど超目立ってた!」
あのキラキラの髪が九重先輩で、そうじゃない九重先輩は想像できない。
「いくつも賞取ってたし、高校入ってからも新記録出して将来有望って言われてるぐらいすごい選手で!超カッコよくて俺も憧れてたんだけど…」
そうなんだ、九重先輩はそんな人だったのか。
部活のことは自分には関係ないと思って気にしたことがなかったから、そんな人がいることも知らなかった。
「でも俺が高校入ってから九重先輩が走ってるとこ1回も見たことないんだよな~」
「…九重先輩、部活来ないから?」
「まぁそれもあるけど~…」
ふぅーっと息を吐いて天井を見上げた。何か思い返すみたいに、じっと見たまま。
「もう走れないんだってさ」
しんっとした教室は嫌に声がこだまする。
「事故で走れなくなったらしい」
ずんっと鉛が落ちて来たみたいに胸が苦しくなった。
そんなの想像してなかった、あの九重先輩からは想像出来なかった。
「走れなく、なったって…そんなやばい事故だったのか…?」
「俺も詳しくはわかんねぇけど、車に飛び込んでったらしいよ」
「飛び込んでったってなんで!?」
つい声が大きくなってしまった。気持ちが追いつかなくて、生暖かい教室は息苦しくたまらない。
どうしてそんなことー…っ!?
「助けようとしたんだってさ、小さい女の子を」
…っ、声が詰まって何も出て来なかった。
息が出来なくなったかと思うくらい、ズキズキと頭が痛み出して足に力を入れて立っていることに必死だった。
「だからずっと部活来てないんだよ」
そんなこと全然知らなかったから。
「籍はまだ一応あるけど、でも走れないんだったらきついよな~…」
何も答えてくれなかったから。
「で、おかしくなって緑化委員始めたって言われてる」
「は?なんだよ、それ…」
「そんで金髪になったしさ」
「そんなの…っ」
柾哉のその言い方には俺の方が眉間にしわを寄せた。そんな疎ましそうな言い方、それはすごく引っかかる。
「藍も見ただろ?水かけられて散々だったじゃん」
「だからあれはっ」
「あの嫌がらせはないよな~」
「違うって!」
ズキンッと頭が揺れた。声を出した反動で痛みが強くなる、きょとんっとした柾谷の前ではぁはぁと肩で息をした。
「なんで藍がムキになってんだよ」
「それは…っ」
でもハッキリ言えないんだけど。
「そんな風に言うのはなんか…」
目を伏せて、ぎゅっと水筒を握りしめることしか…グーっと力を入れて握りしめることしか出来なかった。だって俺は…
「でもそんだけ思い詰めてたってことだろ?」
部活のことは聞いても教えてくれなかった、でもそれはめんどくさいからじゃない。
「走りたいのに走れないってキチーし、しかも自分のせいってわけでもねぇーじゃん」
言えなかったんだ、言いたくなかったんだ。
話すことが出来ないぐらい、九重先輩が抱えたものは大きくて。
俺は九重先輩のことを何も知らなかった。



