ひと目惚れってよく聞くけど、字に対してもあるのかな。
『緑化委員募集中』の文字があまりにキレイで、つい立ち止まってしまった。
誰が書いたんだろ、これ…緑化委員募集中のポスターだからやっぱ緑化委員かな?
つーかうちって緑化委員あったんだ、それも知らなかった。
気圧が大きく低下する日が少なくて助かる5月、今日は頭が軽くて気分もよかった。これなら久しぶりに体を動かせるんじゃないかなーって、ちょっと浮かれてた。
「藍おせぇーよ、何してんだよ~!」
由木藍士、ギリッギリ170センチある身長にセーフと思いながら過ごす高校1年生。
教室に戻って来ると教室には男子しかいかなかった。
「あ、ちょっとトイっ」
「保健室?」
「違うから、トイレ行ってただけだし」
「お馴染みの保健室かと思った」
「お馴染みじゃねぇよ!」
こっちは津野柾哉、小学校からの友達でいわゆる幼馴染ってやつ。
茶髪に襟足を遊ばせた見た目といつでもどこでもでかい声はクラスでもまぁ目立つ存在で、あと俺より10センチぐらい背が高くて羨ましい。
「今から体育だけど、藍はどーすんの?」
「今日は出るよ」
「え、珍しいじゃん」
「たまには出とかないと単位やばいから」
一応、ちゃんと出とかないと単位取れなくて留年も困るから。なんか調子いいしイケそうな気がするし、珍しく。
そう、珍しく。
「今日の体育外だって、来月の体育祭の出場種目決めだってさ~!」
「タイム順に決めるんだっけ?」
「ガチだよなー、好きなので~とかじゃなくてタイム計って決めるとか」
「柾哉は得意そうでいいじゃん」
小学校の頃からだいたいリレーの選手に選ばれてた記憶しかない、しかもアンカー。
それをいつも見てたっけな、グラウンドの端っこで。
「つーか藍だって別に遅くねぇじゃん」
まぁ遅くはないんだけど、めっちゃ早いかと言えばそこまでなわけでもないけどちょっと早いくらいな?
だけど、みんなの記憶には何一つ残ってないと思う。
「いっつも休みだから本番は見たことねぇけど」
「……。」
ただそれを発揮する場がなかっただけで。
体育祭の開催は気圧の変化が大きい6月が多くて毎年それどころじゃない、なんなら練習の時は調子よくても本番最悪だなんてよくあることだから。
「頭痛も大変だな~」
はぁっと柾哉が息を吐きながら制服を脱ぎ始めた。
カーテンの閉められた教室でジャージに着替える、次のチャイムが鳴る前に早くグラウンドに行かないと。
「…高校に入ってからはだいぶいいから」
机の隣に掛けたトートバッグからジャージを取り出して制服のボタンを外した。
ジャージに着替えるのは久しぶりだけどそれでも中学の頃と比べたらマシだし、今日は頭が軽くて走れそうな気がするし。
だから、高校の体育祭こそは…と思ってる。出るなんてすっごい低い目標だけど、俺にしては総合優勝するぐらい高い目標なんだよ。
でもリレーの選手とかは緊張するから100メートルとかそんな感じの、何かに出られたらいっかな。
「騎馬戦が1番盛り上がるらしいぞ!」
ジャージに着替えたら教室を出てグラウンドに向かった。
「あとは綱引きとか棒倒しとか障害物リレーとかもあるって~、楽しそうじゃね!?」
「結構種目あるんだなー」
なんて柾哉のやる気話を聞きながら階段を下りて中庭を抜ける渡り廊下を通る、ここの通り抜けないと下駄箱までたどり着けないから。
だからグラウンドまでちょっと距離あるけど、今日は天気もいいし気分もいいし風を感じながら歩くのも悪くないし。
ちょっと空でも覗こうかなって、屋根の下から顔を出した。
あ、眩しいー…
キラッと光る金色が目を刺すようで。
ん、何?
これは太陽の光じゃなくて、太陽の光が反射した…
なんだ?
キラキラ光る金色に目がくらんで、目を閉じー…っ
―ビシャァァァッ
「……。」
は?
咄嗟に目を閉じた、すごい勢いでホースの水が飛んで来たから。
いやいや、待て。
これはどうゆう状況?
ボタボタと体中から水が滴ってるんだけど…
「藍!大丈夫か!?何してんだよ!?」
「いや、何してんだよっていうか…俺のせい?これ」
冷たい、中庭の蛇口に温水なんて設定ないからただただ冷たくて。でもそれ以上にびっくりしてた、突然降りかかって来た水に。
バッと顔を上げて水の飛んで来た方を見た。
誰がこんなことしたんだよ!って、つい目に力が入っちゃったんだけどそれ以上に強い目力が返って来た。
め、目つきがやばい…めちゃくちゃ睨まれてる、絶対悪いのはそっちなのに!
太陽の光が反射してキラキラ光る金髪が際立つ、耳にはピアス、煩わしそうな鋭い瞳、おまけにだらっとした制服は校則破りまくりの…
あ、この人知ってるかも!金髪以上にキラキラした顔してるって噂されてる、確か2年の…っ
「悪い」
ものすごい低音にまた何も言えなかった、しかも全く悪びれてない表情で。
「悪い」
2回言わなくても聞こえてるし、そんな怖い目つきで言われてもちっとも伝わらないし。
ギロッと睨まれて何も答えられなかった。
かと思えばフイッと視線を変えてまたホースで水を出し始めた。
え、待ってそれだけ?謝ればいいってわけでもなくない?こっちは水浸しなのに、このままって…
「藍、大丈夫か?」
柾哉もビビっちゃって俺の方しか見てない。
だってあの人みんなが知ってるし、それなりに有名人だから知ってるんだよ。
金髪以上にキラキラした顔してるけど、やってることもだいぶ派手な問題児だってー…!
「藍、とりあえず保健室行った方がよくね!?着替えた方がいいって!」
「あ、うん…そうだよね」
「ジャージの替えとかあるか!?」
「…ない」
頭の上から被ったせいでたらたらとまだ水が落ちて来る。顔を伝う水が鬱陶しい、どんどんジャージから染みて体まで濡れて気持ち悪い。
は、これ何?何かの罰ゲーム??
マジで最悪なんだけど、これどーしてくれんの?
****
「貸出用のジャージ貸すから着替えて」
洗濯済みのジャージを渡された、保健の南野先生に。
あんなびしょびしょじゃ体育なんて無理で、保健室で着替えを貸してもらった。
さすがに授業始まって柾哉を付き合わせるのは悪いかと思って先に行ってもらったけど、なんか嫌な予感がしてるんだよな…なんかその、なんていうか。
「由木くん、何してたの?そんなに頭から水被って」
「いや、何してたわけでもないんですけど」
「ちゃんとタオルで拭きなよ!あ、今ドライヤー持ってくるから!」
たぶん20代後半ぐらいの南野先生は真っ黒な長い髪をひとつに束ねていつも白衣を着てる女の先生で。
「ここのドライヤー、マイナスイオン搭載だから髪の毛サラサラになるよ!」
「…ありがとうございます」
「会議でどうしてもほしいって議題にあげたの、由木くんが第一利用者!これで校長先生説得した甲斐あった~!」
「…よかったです、それは」
めちゃくちゃフレンドリーに話しかけてくれる。友達かって言うぐらい、気さくに。
それもどうしてかと言えば…
「今日はもう保健室来ないかと思ったよ」
誰よりここへ来ているからで。
来るつもりはなかったんですけどね、てゆーかできたら来たくなかったんですけどね。
カーテンの仕切りの中、はぁっと重いタメ息をつきながら濡れたジャージを脱いで体を拭いた。
ホースからの水の勢いはすごくて、水分を含んだジャージはずしっと重かった。借りたジャージに袖を通して、ふぅっとまた息を吐いて。
…やっぱ、なんかあれだ。さっきまでよかったのに、水を被ったせいかな?なんか頭がおかしい気がする。
もう日中は20度近くなる5月、だけど水を被ったままの髪の毛が濡れた状態では寒いほどじゃないけど不快感が残って。
「由木くん着替えた?」
「あ、はい!もう着替え…っ」
シャッとカーテンを開けた、タオルを肩にかけて髪の毛を拭きながらカーテンの中から…
ーズキンッ
え、今の何?カーテンから出ようと一歩、歩いた瞬間なんか頭が…?
「由木くん?」
次の瞬間にはぎゅーっと頭が締め付けられて、クラッと重たい頭が揺れた。
あ、やばい。これはもうそうだ。
この感じ、絶対そうだ…!
「由木くん、大丈夫!?」
ずずーっとその場にしゃがみ込んだ、頭を抑えながら。とんっでもなく頭が重い、やばい、えぐい。
「由木くん、大丈夫?立てる?」
すぐに南野先生が駆け寄って来てくれて、手を借りて立ち上がってすぐそばにあったベッドに腰掛けた。
「大丈夫です、ちょっと…ふらっとして」
今日は朝から調子よかったのに。なんならいつもより軽くて、今日は爽快に過ごせそうと思ってたのに。
「水に濡れたのがよくなかったんじゃないかなぁ」
南野先生に言われなくても間違いなく、それ。
確実にそれ、そのせいでー…!
「体育は休んだ方がいいね」
1週間ぶりに出られるかと思ったのに、あのせいだろ絶対…っ!!
「じゃあ保健室利用カード書いてっ」
「いいです」
南野先生が机の引き出しから取り出そうとしたのを食い気味に止めるように立ち上がった。
「大丈夫なんで」
すぅっと息を吸って深呼吸をする、まだ乾き切ってなかった髪の毛をタオルで拭いた。まだ授業始まって10分くらい、全然間に合うと思うから。
「無理するのはよくないよ、体調悪い時はちゃんと休んだ方がいいから」
「大丈夫です、見学するんで」
せめて。あたりまえに走る気にはなれてないけど、せめて。
ここにいますよアピールぐらいはしとこうかなって、情けないけど。
「あ、ドライヤー借ります」
だから髪の毛を乾かしたらグラウンドへ向かおうかなって、どっか日陰でみんなが走る姿を見ていようかなーって…
「……。」
思ったけど、グラウンドへ向かう足取りは重かった。そもそも頭が重いし、そのせいでやる気ねぇし。
でも、ずっと保健室にいるのも嫌で。
「…はぁ」
あの空気感苦手なんだよな、真っ白な部屋に真っ白な白衣を着た南野先生と薬品の匂いがして。学校なのに学校を感じない、いかにも病んでる人が行く場って感じが…
そう思うのは自分のせいだけど。昔から保健室通いしてるから勝手にそんな風に思っちゃうんだろうけど。
…あーぁ、どうしよ。グラウンドにも行きたくないし、保健室にも戻りたくないな。
立ち止まって窓を眺める、ここからじゃまだグラウンドは遠くて見えるのは温室ハウスぐらい。
あれってどこの部がやってるやつだろ?温室だから園芸部…?
「おい」
数十分前に聞いた聞き覚えのある低音にビクッと肩が揺れた。
え、その声はまだ怒ってる?いや、怒りたいのはこっちだろ!わざわざ俺のこと探しに来たの?
急な緊張感に恐る恐る顔を向ける、やっぱ保健室にいればよかったー…
「避けろよ」
……は?避けろって何、さっきの水かけられた話?
「あれくらい避けれただろ」
避けれるかよっ
そっちはホースだっただろ、蛇口ひねったらダイレクトで飛んでくるんだよ!俺が避けるんじゃなくて、そっちがかけないようにするのが普通だろーが!
つーかあんたのせいで…っ
「…すみませんでした」
いろいろ言いたいことはあったけど、飲み込んだ。
これを言った後のが怖くて、だってすでに目つきが怖い。もうできたら話したくない、早く通り過ぎたい。
てゆーかこの人なんでここにいるの?授業中だと思うんだけど、何してんのマジで。
すぅーっと静かに通って、さっさとここから離れよう。
「どこ行くんだ?」
「…グラウンドです」
「何しに?」
「体育の見学です」
何、この事務的な会話。強制的に答えさせられてるのも嫌なんだけど。
「なんで?」
「…そーゆうルールなんで」
至極当然のことで、体育を欠席する場合はそれ相応の理由がない限り見学するのは授業におけるルールだから。それをそんな怪訝そうな顔で言われても。
「めんどせぇ」
……。
ズキッ、じゃなくてイラッとした。吐き捨てられた言葉に、俺まで眉間にしわを寄せてしまった。
「…本当なら、出るつもりだったんですけど」
何度も言うけど、今日は調子がよかった。だから見学じゃなくて走れたんだよ。
「でも水を被ったせいで出られなくなったんですよ、頭が痛くなって」
どっかの誰かさんのせいでよかった体調が悪くなったから、ぎゅーっと締め付けられる頭が重くて仕方ない。
下を向いて歯を食いしばるようにぐっと手に力を入れて握りしめた。
こんなこと言ったってしょうがないけど悔しくて、そんなかったるそうな顔で言われるのはすごく悔しかった。
「そんなことかよ」
…!
あ、やばいかもしれない。
カチッとスイッチがはいるみたいに、頭を掻きながらはぁっと吐いた息が無性に苛立った。
「俺にとっては大事なことだったんで…!」
止められなくて叫んだ、廊下中に響くくらい。こんな大声で叫んだのは高校に入って初めてだ。
なぜか泣きそうだった。
こんなとこで泣きたくないのに、こんな奴の前で泣きたくないのに…っ
「大事だったんです…っ」
昔から運動は出来なかった。苦手じゃなくて、運動をすることが出来なかった。
放課に走り回るみんなをただ見て、放課後みんながサッカーしてるのを見ながら帰って、体育祭に盛り上がるみんなを見守って…諦めるのは簡単だった。
どーでもいいって顔をするのだって出来た、出来たけど…やっぱりみんなと同じことがしたいんだよ。俺だってその輪の中に入りたい。
それってそんなにおかしなこと?
みんなが普通にしてることが出来ない自分が悔しいー…
「…っ」
強い力でぎゅーっと押し込めれるみたいに頭が痛む、もう抗えなくて声も出ない。痛みがどんどん激しくなって頭を抑えた。
慣れない声出したからだ、自分で自分の大きな声に反応して頭がー…っ
「おい…!」
フッと消えた、痛みの中の意識が。
****
ー…、……。
…。
ずーんっと重い痛みで、目を開けた。
重過ぎて動けない、動いたら痛みが走るんじゃないかと思うと急には…
てか、ここどこ?
黒目だけを動かして辺りをキョロキョロしてみたけど保健室じゃない、俺が保健室以外で寝てる状態って他にどこがあんの?
なんか葉っぱの匂いがするし、普段こんな香り嗅いだことないけど薬品の匂いよりは全然マシ…
「おい」
「わっ」
ぬんっと頭の上に現れた鋭い目つきにびっくりして床に転げ落ちた。
痛い、全身打ったし。てゆーかベンチに寝かされてたのかよ、どーりで寝心地悪い…じゃなくて!
「すみません…!」
状況は全く掴めてないけど第一声口から飛び出た、謝っとかなきゃいけない気がして。
あわてて体を起こしてもう一度確認した。
ここはどこだ?植物がたくさん栽培されて、むわっと熱い気もするここは…ビニールの中?あ、もしかしてここ温室ハウス!?初めて入った、ガーデンベンチにテーブルまであって外から見ただけじゃこんなにおしゃれな空間になってるとは思わなかった。
…けど、1番の問題はなぜ“この人”がいるってこと。
俺のことなんかお構いなしになんかカチャカチャやってるし、何をカチャカチャやってるんだろ?よくわかんないけど。
もう関わらないと思ってたのに、関わりたくないって思ってたのに。
金髪以上にキラキラした顔してるけど、やってることもだいぶ派手な問題児だって言われてる九重爽先輩にー…!
くるっと顔だけこっちを向いた九重先輩が睨むように見てきた、その視線には条件反射でビクッと震えて。
な、なんだ?何を言われるんだ…?
あ、もしかして何かされる!?
そもそもどうして俺がここにいるのかわからない、これって今拉致されてるってことなんじゃ…っ
「おい」
わっ、やばいっ
「…っ」
ロックオンされたみたいな目に声も出なくて、逃げるにも落ちた床に座ったまま立ち上がれない。
どうしよう、どうしたら…?このままじゃ…っ
ぎゅっと目をつぶる、本当に怖い時ってこんなことしか出来ないなんて…
「飲めよ」
「え!?」
「ハーブティー」
「………はい?」
ふわっと香って来た爽やかな香りに目を開けた。ぱちくりする俺の前にティーカップを差し出してた。
ハーブティー?なんでハーブティー…
「いらねぇのか?」
「い、いります!飲みます!!」
ギンッと睨まれて思わず頷いてしまった。どんな命令かわかんないけどそう答えるしかなくて、でもそれ以上にいい香りがしてた。
九重先輩に言われるがままイスに座る、テーブルの上に置かれた透明のティーポットの中には紫色の花が沈んでいた。
スッとソーサー付きのティーカップを前に出されて、んっと顎で飲めよと指示される。
「…い、いただきます」
ビクビクしながらカップを手に取った。
尋常じゃなくドキドキしてるんだけど、これって本当に飲んでいいやつ?マジでいいの?変な汗が出るし、てゆーか頭がズキズキしてるし…
ずっと頭痛が止まらなくて、目が覚めてからもずっと憂鬱で仕方ないのに九重先輩とハーブティーなんか飲んでる場合じゃ…
「!」
ごくんっと一口飲んだ、その瞬間ふわーっと爽やかで心地いい香りが体の中に浸透して清々しい気分になるみたいで。
うまっ、普通にうまいんだけど。ハーブティーって初めて飲んだけどこんな感じなんだ…香りが強いイメージだったけど変に強いんじゃなくて華やかっていうか本当ふわーって感じの。え、普通に二口目も飲みたくなる…
と、カップを口につけようかと思ったら九重先輩にじーっと見られてるのに気付いてピタッと手が止まってしまった。
しまった、呑気に飲んでる場合じゃなかった。今俺は九重先輩に拉致られて…
ん?でも最後に記憶にあるのはグラウンドに向かう廊下で、そこで頭が痛くなってそこからは…?
「鎮静作用、鎮痛作用、血管拡張作用がある」
足を組んで前に座る九重先輩がティーカップに入ったハーブティーを飲んだ、ふぅっと静かに息を吐いて。
鎮静作用…?あとは、えっと…つらつらつらっと説明されたけどイマイチわからなくて。
それが何?今何の話を俺にしてるんだ…?
「ハーブティーには」
九重先輩が俺の方を見たから目が合った。その瞳はやっぱり力強くて、ドキッとしてしまった。
「頭痛に効く」
頭痛に効く?これが頭痛に?でも、なんでそれを俺に…
九重先輩が二口目のハーブティーを飲む、温室の中はすっかりハーブの香りが立ち込めていた。
怖いと恐れてたけど、あまりにやさしい味のするハーブティーは心をすーっと沁みて。
「…ここまで運んでくれたんですか?」
もしかしてこれは拉致られたんじゃない?拉致られたんじゃなくて…
「あぁ」
助けてくれた?のか。
急に倒れた俺をここまで運んで…いや、そこは保健室だろと思ったけど。
なんで温室ハウス?どうしてこんなとこに…
「あの、ここって…」
「植物室」
「温室ハウスじゃっ」
「植物室」
「…。」
それはどっちでもいいんだけど、みんな温室ハウスって呼んでるし。
「どうして、ここに…俺を」
「ついで」
何の?何のついでだよ、全然会話が出来ないよくわからん人過ぎるんだけど。
「…植物室ってこんなにたくさん花が咲いてるんですね」
もう理由を聞くのは諦めて二口目のハーブティーを飲んだ、さっきよりも怖くないって思ったから。
テキトーにその辺の花の話して話題変えようかなって。
にしても知らなかったな、外から見ると生い茂ってるだけに見えてこんなに鮮やかな花があるとか。
「育てた」
「え、育てたって…?」
思わず聞き返してしまった、こんな風貌の九重先輩からは想像出来ない一言だったから。
「園芸部なんですか?」
「ない」
「え?」
「ねぇーよ、園芸部は!」
「すみません…っ」
はぁーっと長めの息を吐いてハーブティーのごくんっと飲み干した。
怒られたし!いや、俺もそんな部活あったかなって思ったけどそれぐらいしか思い付かなかったんだよ!他に“植物室”を使ってる理由とか…
「緑化委員」
りょ、緑化委員…!?
高速でパチパチと瞬きした、わかりやすく目を見開いて。
「緑化委員やってるんですか!?」
そんな感じで委員会とかやってるんだ!って驚いたけど、それよりも何よりも最初に浮かんで来たのはあのポスターで。
「緑化委員募集中のポスター見たんですけど!」
気持ちがはやって止められず、大きな声で聞いてしまった。
「あの字書いたの誰ですか…!?」
ずっと気になってた、あの文字を書いた人が。
絶対真面目で繊細な、凛とした人なんだろうなってー…
「俺」
「え?」
「俺」
「え、あの…」
「だから俺!」
「すみませんっ」
え?えぇーーーーー…っ!?
とはさすがに叫べなくて、でも心の中では大絶叫だった。
は、マジで?あのキレイで美しさしか感じなかったあれを!?
嘘だ、そんなの信じられない!だってすごく…っ
「俺が作った緑化委員だから」
ん?俺が作った…?
そーいえば今思い出したけど入学した時の委員会一覧で見た覚えはない、緑化委員なんてなかった。
「あの、他に人は…?」
「俺だけ」
「あ、ですよね部活みたいに何人以上いればみたいなのないですよね委員会ですもんね…」
じゃあなおさらなんだけど…
「委員会って作ってもっ」
「許可は取ってある」
みなまで言うと言わんばかりにピラッと緑化委員設立許可書を見せてくれた、確かに校長先生の印鑑も押してあるし認められてるっぽい。
じゃあいいのか、まぁ学校にとってはいいことな感じするしいのか…いや、どうなんだ?話せば話すほどわからん人なんだけど、確かに噂通りやってることは派手だと思った。
「あの、じゃあこれも…?」
コポコポと空になったティーカップに二杯目のハーブティーを注いでいた。沈んだ紫色の花はよく見る茶色く乾燥したものじゃなかったから。
「作った」
「…すごいですね」
「難しくない」
「でもすごいです」
作ろうって発想が、そのキラキラの金色の頭の中にあるとは。
だってすごくおいしくて、飲みやすくて、気付いたら全部飲み干してた。
「飲むか、もう一杯」
「あ、ありがとうございます…」
見た目は派手だし目つきは怖いし、声は低くて喋りにくいけど…こんなやさしいハーブティー作れるんだってなんか不思議な気持ちになる。
しかもこんな鮮やかな花たちに囲まれて、でもどんな花より目立ってるけど九重先輩は。
―キーンコーンカーンコーン…
遠くの方から聞こえたチャイムにハッとした、温室ハウスの中はチャイムが聞こえにくいらしい。
「あ、体育!」
の、見学に行くはずだった。
「もう終わるだろ」
「……。」
授業まるっと植物室に…
すっかり忘れてたし、ハーブティー飲んでたら全部忘れてた。でもずっと九重先輩も、なんなら俺と違って保健室で休んでたわけでもないし。
「…次の授業受けないんですか?」
「めんどくせぇ」
即答だった、しかもめっちゃだるそうな顔してる。
「受けたくねぇ」
……。
ケッ、と吐き捨てたその態度にやっぱりイラッとはした。
なんなんだろこの人、本当によくわからない。
じゃあなんで高校来てんの?勉強するためじゃないのかよ…!
「俺は真面目に授業受けたいんで!」
ダンッとテーブルを叩きながら立ち上がった。
九重先輩に向かって、負けじと吐き捨てた。
グビーッと残りのハーブティーを飲み干して植物室から出て行く、ちょっとだけ振り返って。
「でも、助けていただいてありがとうございました!」
これは、ちゃんと言っておこうと思って。これは事実だし、助かったし。
スタスタと走らないように早歩きで教室に戻った、次の数学の授業までには戻りたいしー…
「数学のノートいる?」
「…いる、ありがと」
と、思ったら数学の授業も終わってたらしい。
てっきりあのチャイムは体育が終わったと思ってたけど、その次の数学も終わってたのか…
てことは2時間もあそこにいたのか!?マジかよっ
柾哉が貸してくれたノートをペラペラめくる、これを写させてもらって…
柾哉の字は個性的過ぎるんだよな、ありがたいけど毎回貸してくれてありがたいけど。
「つーかもう帰ったかと思ってたわ」
「え?」
「体育5限目だったし、もう帰ってるかなって」
あ、もう授業が終わりってことは掃除して帰るだけか。
午後の授業休んだらもう一度教室に戻る気力がないからつい早退しがちで。
「でもそんなスッキリしてんのレアキャラじゃん!」
……え?
ふと気付いた、柾哉の言ったレアキャラの意味はよくわかんなかったけどそれは確かにそうだった。
頭が重くない、って。いつもだったら一度起きた頭痛は1日中治らなくて、もう諦めて帰るのに今は軽くて痛みもない。むしろ気分がいい。
“頭痛に効く”
もしかして、あのハーブティー…?
「あ、そーいやぁ体育祭の選手決めは次だって!先生が体調不良で休みだったわ!」
「そうなんだ」
『緑化委員募集中』の文字があまりにキレイで、つい立ち止まってしまった。
誰が書いたんだろ、これ…緑化委員募集中のポスターだからやっぱ緑化委員かな?
つーかうちって緑化委員あったんだ、それも知らなかった。
気圧が大きく低下する日が少なくて助かる5月、今日は頭が軽くて気分もよかった。これなら久しぶりに体を動かせるんじゃないかなーって、ちょっと浮かれてた。
「藍おせぇーよ、何してんだよ~!」
由木藍士、ギリッギリ170センチある身長にセーフと思いながら過ごす高校1年生。
教室に戻って来ると教室には男子しかいかなかった。
「あ、ちょっとトイっ」
「保健室?」
「違うから、トイレ行ってただけだし」
「お馴染みの保健室かと思った」
「お馴染みじゃねぇよ!」
こっちは津野柾哉、小学校からの友達でいわゆる幼馴染ってやつ。
茶髪に襟足を遊ばせた見た目といつでもどこでもでかい声はクラスでもまぁ目立つ存在で、あと俺より10センチぐらい背が高くて羨ましい。
「今から体育だけど、藍はどーすんの?」
「今日は出るよ」
「え、珍しいじゃん」
「たまには出とかないと単位やばいから」
一応、ちゃんと出とかないと単位取れなくて留年も困るから。なんか調子いいしイケそうな気がするし、珍しく。
そう、珍しく。
「今日の体育外だって、来月の体育祭の出場種目決めだってさ~!」
「タイム順に決めるんだっけ?」
「ガチだよなー、好きなので~とかじゃなくてタイム計って決めるとか」
「柾哉は得意そうでいいじゃん」
小学校の頃からだいたいリレーの選手に選ばれてた記憶しかない、しかもアンカー。
それをいつも見てたっけな、グラウンドの端っこで。
「つーか藍だって別に遅くねぇじゃん」
まぁ遅くはないんだけど、めっちゃ早いかと言えばそこまでなわけでもないけどちょっと早いくらいな?
だけど、みんなの記憶には何一つ残ってないと思う。
「いっつも休みだから本番は見たことねぇけど」
「……。」
ただそれを発揮する場がなかっただけで。
体育祭の開催は気圧の変化が大きい6月が多くて毎年それどころじゃない、なんなら練習の時は調子よくても本番最悪だなんてよくあることだから。
「頭痛も大変だな~」
はぁっと柾哉が息を吐きながら制服を脱ぎ始めた。
カーテンの閉められた教室でジャージに着替える、次のチャイムが鳴る前に早くグラウンドに行かないと。
「…高校に入ってからはだいぶいいから」
机の隣に掛けたトートバッグからジャージを取り出して制服のボタンを外した。
ジャージに着替えるのは久しぶりだけどそれでも中学の頃と比べたらマシだし、今日は頭が軽くて走れそうな気がするし。
だから、高校の体育祭こそは…と思ってる。出るなんてすっごい低い目標だけど、俺にしては総合優勝するぐらい高い目標なんだよ。
でもリレーの選手とかは緊張するから100メートルとかそんな感じの、何かに出られたらいっかな。
「騎馬戦が1番盛り上がるらしいぞ!」
ジャージに着替えたら教室を出てグラウンドに向かった。
「あとは綱引きとか棒倒しとか障害物リレーとかもあるって~、楽しそうじゃね!?」
「結構種目あるんだなー」
なんて柾哉のやる気話を聞きながら階段を下りて中庭を抜ける渡り廊下を通る、ここの通り抜けないと下駄箱までたどり着けないから。
だからグラウンドまでちょっと距離あるけど、今日は天気もいいし気分もいいし風を感じながら歩くのも悪くないし。
ちょっと空でも覗こうかなって、屋根の下から顔を出した。
あ、眩しいー…
キラッと光る金色が目を刺すようで。
ん、何?
これは太陽の光じゃなくて、太陽の光が反射した…
なんだ?
キラキラ光る金色に目がくらんで、目を閉じー…っ
―ビシャァァァッ
「……。」
は?
咄嗟に目を閉じた、すごい勢いでホースの水が飛んで来たから。
いやいや、待て。
これはどうゆう状況?
ボタボタと体中から水が滴ってるんだけど…
「藍!大丈夫か!?何してんだよ!?」
「いや、何してんだよっていうか…俺のせい?これ」
冷たい、中庭の蛇口に温水なんて設定ないからただただ冷たくて。でもそれ以上にびっくりしてた、突然降りかかって来た水に。
バッと顔を上げて水の飛んで来た方を見た。
誰がこんなことしたんだよ!って、つい目に力が入っちゃったんだけどそれ以上に強い目力が返って来た。
め、目つきがやばい…めちゃくちゃ睨まれてる、絶対悪いのはそっちなのに!
太陽の光が反射してキラキラ光る金髪が際立つ、耳にはピアス、煩わしそうな鋭い瞳、おまけにだらっとした制服は校則破りまくりの…
あ、この人知ってるかも!金髪以上にキラキラした顔してるって噂されてる、確か2年の…っ
「悪い」
ものすごい低音にまた何も言えなかった、しかも全く悪びれてない表情で。
「悪い」
2回言わなくても聞こえてるし、そんな怖い目つきで言われてもちっとも伝わらないし。
ギロッと睨まれて何も答えられなかった。
かと思えばフイッと視線を変えてまたホースで水を出し始めた。
え、待ってそれだけ?謝ればいいってわけでもなくない?こっちは水浸しなのに、このままって…
「藍、大丈夫か?」
柾哉もビビっちゃって俺の方しか見てない。
だってあの人みんなが知ってるし、それなりに有名人だから知ってるんだよ。
金髪以上にキラキラした顔してるけど、やってることもだいぶ派手な問題児だってー…!
「藍、とりあえず保健室行った方がよくね!?着替えた方がいいって!」
「あ、うん…そうだよね」
「ジャージの替えとかあるか!?」
「…ない」
頭の上から被ったせいでたらたらとまだ水が落ちて来る。顔を伝う水が鬱陶しい、どんどんジャージから染みて体まで濡れて気持ち悪い。
は、これ何?何かの罰ゲーム??
マジで最悪なんだけど、これどーしてくれんの?
****
「貸出用のジャージ貸すから着替えて」
洗濯済みのジャージを渡された、保健の南野先生に。
あんなびしょびしょじゃ体育なんて無理で、保健室で着替えを貸してもらった。
さすがに授業始まって柾哉を付き合わせるのは悪いかと思って先に行ってもらったけど、なんか嫌な予感がしてるんだよな…なんかその、なんていうか。
「由木くん、何してたの?そんなに頭から水被って」
「いや、何してたわけでもないんですけど」
「ちゃんとタオルで拭きなよ!あ、今ドライヤー持ってくるから!」
たぶん20代後半ぐらいの南野先生は真っ黒な長い髪をひとつに束ねていつも白衣を着てる女の先生で。
「ここのドライヤー、マイナスイオン搭載だから髪の毛サラサラになるよ!」
「…ありがとうございます」
「会議でどうしてもほしいって議題にあげたの、由木くんが第一利用者!これで校長先生説得した甲斐あった~!」
「…よかったです、それは」
めちゃくちゃフレンドリーに話しかけてくれる。友達かって言うぐらい、気さくに。
それもどうしてかと言えば…
「今日はもう保健室来ないかと思ったよ」
誰よりここへ来ているからで。
来るつもりはなかったんですけどね、てゆーかできたら来たくなかったんですけどね。
カーテンの仕切りの中、はぁっと重いタメ息をつきながら濡れたジャージを脱いで体を拭いた。
ホースからの水の勢いはすごくて、水分を含んだジャージはずしっと重かった。借りたジャージに袖を通して、ふぅっとまた息を吐いて。
…やっぱ、なんかあれだ。さっきまでよかったのに、水を被ったせいかな?なんか頭がおかしい気がする。
もう日中は20度近くなる5月、だけど水を被ったままの髪の毛が濡れた状態では寒いほどじゃないけど不快感が残って。
「由木くん着替えた?」
「あ、はい!もう着替え…っ」
シャッとカーテンを開けた、タオルを肩にかけて髪の毛を拭きながらカーテンの中から…
ーズキンッ
え、今の何?カーテンから出ようと一歩、歩いた瞬間なんか頭が…?
「由木くん?」
次の瞬間にはぎゅーっと頭が締め付けられて、クラッと重たい頭が揺れた。
あ、やばい。これはもうそうだ。
この感じ、絶対そうだ…!
「由木くん、大丈夫!?」
ずずーっとその場にしゃがみ込んだ、頭を抑えながら。とんっでもなく頭が重い、やばい、えぐい。
「由木くん、大丈夫?立てる?」
すぐに南野先生が駆け寄って来てくれて、手を借りて立ち上がってすぐそばにあったベッドに腰掛けた。
「大丈夫です、ちょっと…ふらっとして」
今日は朝から調子よかったのに。なんならいつもより軽くて、今日は爽快に過ごせそうと思ってたのに。
「水に濡れたのがよくなかったんじゃないかなぁ」
南野先生に言われなくても間違いなく、それ。
確実にそれ、そのせいでー…!
「体育は休んだ方がいいね」
1週間ぶりに出られるかと思ったのに、あのせいだろ絶対…っ!!
「じゃあ保健室利用カード書いてっ」
「いいです」
南野先生が机の引き出しから取り出そうとしたのを食い気味に止めるように立ち上がった。
「大丈夫なんで」
すぅっと息を吸って深呼吸をする、まだ乾き切ってなかった髪の毛をタオルで拭いた。まだ授業始まって10分くらい、全然間に合うと思うから。
「無理するのはよくないよ、体調悪い時はちゃんと休んだ方がいいから」
「大丈夫です、見学するんで」
せめて。あたりまえに走る気にはなれてないけど、せめて。
ここにいますよアピールぐらいはしとこうかなって、情けないけど。
「あ、ドライヤー借ります」
だから髪の毛を乾かしたらグラウンドへ向かおうかなって、どっか日陰でみんなが走る姿を見ていようかなーって…
「……。」
思ったけど、グラウンドへ向かう足取りは重かった。そもそも頭が重いし、そのせいでやる気ねぇし。
でも、ずっと保健室にいるのも嫌で。
「…はぁ」
あの空気感苦手なんだよな、真っ白な部屋に真っ白な白衣を着た南野先生と薬品の匂いがして。学校なのに学校を感じない、いかにも病んでる人が行く場って感じが…
そう思うのは自分のせいだけど。昔から保健室通いしてるから勝手にそんな風に思っちゃうんだろうけど。
…あーぁ、どうしよ。グラウンドにも行きたくないし、保健室にも戻りたくないな。
立ち止まって窓を眺める、ここからじゃまだグラウンドは遠くて見えるのは温室ハウスぐらい。
あれってどこの部がやってるやつだろ?温室だから園芸部…?
「おい」
数十分前に聞いた聞き覚えのある低音にビクッと肩が揺れた。
え、その声はまだ怒ってる?いや、怒りたいのはこっちだろ!わざわざ俺のこと探しに来たの?
急な緊張感に恐る恐る顔を向ける、やっぱ保健室にいればよかったー…
「避けろよ」
……は?避けろって何、さっきの水かけられた話?
「あれくらい避けれただろ」
避けれるかよっ
そっちはホースだっただろ、蛇口ひねったらダイレクトで飛んでくるんだよ!俺が避けるんじゃなくて、そっちがかけないようにするのが普通だろーが!
つーかあんたのせいで…っ
「…すみませんでした」
いろいろ言いたいことはあったけど、飲み込んだ。
これを言った後のが怖くて、だってすでに目つきが怖い。もうできたら話したくない、早く通り過ぎたい。
てゆーかこの人なんでここにいるの?授業中だと思うんだけど、何してんのマジで。
すぅーっと静かに通って、さっさとここから離れよう。
「どこ行くんだ?」
「…グラウンドです」
「何しに?」
「体育の見学です」
何、この事務的な会話。強制的に答えさせられてるのも嫌なんだけど。
「なんで?」
「…そーゆうルールなんで」
至極当然のことで、体育を欠席する場合はそれ相応の理由がない限り見学するのは授業におけるルールだから。それをそんな怪訝そうな顔で言われても。
「めんどせぇ」
……。
ズキッ、じゃなくてイラッとした。吐き捨てられた言葉に、俺まで眉間にしわを寄せてしまった。
「…本当なら、出るつもりだったんですけど」
何度も言うけど、今日は調子がよかった。だから見学じゃなくて走れたんだよ。
「でも水を被ったせいで出られなくなったんですよ、頭が痛くなって」
どっかの誰かさんのせいでよかった体調が悪くなったから、ぎゅーっと締め付けられる頭が重くて仕方ない。
下を向いて歯を食いしばるようにぐっと手に力を入れて握りしめた。
こんなこと言ったってしょうがないけど悔しくて、そんなかったるそうな顔で言われるのはすごく悔しかった。
「そんなことかよ」
…!
あ、やばいかもしれない。
カチッとスイッチがはいるみたいに、頭を掻きながらはぁっと吐いた息が無性に苛立った。
「俺にとっては大事なことだったんで…!」
止められなくて叫んだ、廊下中に響くくらい。こんな大声で叫んだのは高校に入って初めてだ。
なぜか泣きそうだった。
こんなとこで泣きたくないのに、こんな奴の前で泣きたくないのに…っ
「大事だったんです…っ」
昔から運動は出来なかった。苦手じゃなくて、運動をすることが出来なかった。
放課に走り回るみんなをただ見て、放課後みんながサッカーしてるのを見ながら帰って、体育祭に盛り上がるみんなを見守って…諦めるのは簡単だった。
どーでもいいって顔をするのだって出来た、出来たけど…やっぱりみんなと同じことがしたいんだよ。俺だってその輪の中に入りたい。
それってそんなにおかしなこと?
みんなが普通にしてることが出来ない自分が悔しいー…
「…っ」
強い力でぎゅーっと押し込めれるみたいに頭が痛む、もう抗えなくて声も出ない。痛みがどんどん激しくなって頭を抑えた。
慣れない声出したからだ、自分で自分の大きな声に反応して頭がー…っ
「おい…!」
フッと消えた、痛みの中の意識が。
****
ー…、……。
…。
ずーんっと重い痛みで、目を開けた。
重過ぎて動けない、動いたら痛みが走るんじゃないかと思うと急には…
てか、ここどこ?
黒目だけを動かして辺りをキョロキョロしてみたけど保健室じゃない、俺が保健室以外で寝てる状態って他にどこがあんの?
なんか葉っぱの匂いがするし、普段こんな香り嗅いだことないけど薬品の匂いよりは全然マシ…
「おい」
「わっ」
ぬんっと頭の上に現れた鋭い目つきにびっくりして床に転げ落ちた。
痛い、全身打ったし。てゆーかベンチに寝かされてたのかよ、どーりで寝心地悪い…じゃなくて!
「すみません…!」
状況は全く掴めてないけど第一声口から飛び出た、謝っとかなきゃいけない気がして。
あわてて体を起こしてもう一度確認した。
ここはどこだ?植物がたくさん栽培されて、むわっと熱い気もするここは…ビニールの中?あ、もしかしてここ温室ハウス!?初めて入った、ガーデンベンチにテーブルまであって外から見ただけじゃこんなにおしゃれな空間になってるとは思わなかった。
…けど、1番の問題はなぜ“この人”がいるってこと。
俺のことなんかお構いなしになんかカチャカチャやってるし、何をカチャカチャやってるんだろ?よくわかんないけど。
もう関わらないと思ってたのに、関わりたくないって思ってたのに。
金髪以上にキラキラした顔してるけど、やってることもだいぶ派手な問題児だって言われてる九重爽先輩にー…!
くるっと顔だけこっちを向いた九重先輩が睨むように見てきた、その視線には条件反射でビクッと震えて。
な、なんだ?何を言われるんだ…?
あ、もしかして何かされる!?
そもそもどうして俺がここにいるのかわからない、これって今拉致されてるってことなんじゃ…っ
「おい」
わっ、やばいっ
「…っ」
ロックオンされたみたいな目に声も出なくて、逃げるにも落ちた床に座ったまま立ち上がれない。
どうしよう、どうしたら…?このままじゃ…っ
ぎゅっと目をつぶる、本当に怖い時ってこんなことしか出来ないなんて…
「飲めよ」
「え!?」
「ハーブティー」
「………はい?」
ふわっと香って来た爽やかな香りに目を開けた。ぱちくりする俺の前にティーカップを差し出してた。
ハーブティー?なんでハーブティー…
「いらねぇのか?」
「い、いります!飲みます!!」
ギンッと睨まれて思わず頷いてしまった。どんな命令かわかんないけどそう答えるしかなくて、でもそれ以上にいい香りがしてた。
九重先輩に言われるがままイスに座る、テーブルの上に置かれた透明のティーポットの中には紫色の花が沈んでいた。
スッとソーサー付きのティーカップを前に出されて、んっと顎で飲めよと指示される。
「…い、いただきます」
ビクビクしながらカップを手に取った。
尋常じゃなくドキドキしてるんだけど、これって本当に飲んでいいやつ?マジでいいの?変な汗が出るし、てゆーか頭がズキズキしてるし…
ずっと頭痛が止まらなくて、目が覚めてからもずっと憂鬱で仕方ないのに九重先輩とハーブティーなんか飲んでる場合じゃ…
「!」
ごくんっと一口飲んだ、その瞬間ふわーっと爽やかで心地いい香りが体の中に浸透して清々しい気分になるみたいで。
うまっ、普通にうまいんだけど。ハーブティーって初めて飲んだけどこんな感じなんだ…香りが強いイメージだったけど変に強いんじゃなくて華やかっていうか本当ふわーって感じの。え、普通に二口目も飲みたくなる…
と、カップを口につけようかと思ったら九重先輩にじーっと見られてるのに気付いてピタッと手が止まってしまった。
しまった、呑気に飲んでる場合じゃなかった。今俺は九重先輩に拉致られて…
ん?でも最後に記憶にあるのはグラウンドに向かう廊下で、そこで頭が痛くなってそこからは…?
「鎮静作用、鎮痛作用、血管拡張作用がある」
足を組んで前に座る九重先輩がティーカップに入ったハーブティーを飲んだ、ふぅっと静かに息を吐いて。
鎮静作用…?あとは、えっと…つらつらつらっと説明されたけどイマイチわからなくて。
それが何?今何の話を俺にしてるんだ…?
「ハーブティーには」
九重先輩が俺の方を見たから目が合った。その瞳はやっぱり力強くて、ドキッとしてしまった。
「頭痛に効く」
頭痛に効く?これが頭痛に?でも、なんでそれを俺に…
九重先輩が二口目のハーブティーを飲む、温室の中はすっかりハーブの香りが立ち込めていた。
怖いと恐れてたけど、あまりにやさしい味のするハーブティーは心をすーっと沁みて。
「…ここまで運んでくれたんですか?」
もしかしてこれは拉致られたんじゃない?拉致られたんじゃなくて…
「あぁ」
助けてくれた?のか。
急に倒れた俺をここまで運んで…いや、そこは保健室だろと思ったけど。
なんで温室ハウス?どうしてこんなとこに…
「あの、ここって…」
「植物室」
「温室ハウスじゃっ」
「植物室」
「…。」
それはどっちでもいいんだけど、みんな温室ハウスって呼んでるし。
「どうして、ここに…俺を」
「ついで」
何の?何のついでだよ、全然会話が出来ないよくわからん人過ぎるんだけど。
「…植物室ってこんなにたくさん花が咲いてるんですね」
もう理由を聞くのは諦めて二口目のハーブティーを飲んだ、さっきよりも怖くないって思ったから。
テキトーにその辺の花の話して話題変えようかなって。
にしても知らなかったな、外から見ると生い茂ってるだけに見えてこんなに鮮やかな花があるとか。
「育てた」
「え、育てたって…?」
思わず聞き返してしまった、こんな風貌の九重先輩からは想像出来ない一言だったから。
「園芸部なんですか?」
「ない」
「え?」
「ねぇーよ、園芸部は!」
「すみません…っ」
はぁーっと長めの息を吐いてハーブティーのごくんっと飲み干した。
怒られたし!いや、俺もそんな部活あったかなって思ったけどそれぐらいしか思い付かなかったんだよ!他に“植物室”を使ってる理由とか…
「緑化委員」
りょ、緑化委員…!?
高速でパチパチと瞬きした、わかりやすく目を見開いて。
「緑化委員やってるんですか!?」
そんな感じで委員会とかやってるんだ!って驚いたけど、それよりも何よりも最初に浮かんで来たのはあのポスターで。
「緑化委員募集中のポスター見たんですけど!」
気持ちがはやって止められず、大きな声で聞いてしまった。
「あの字書いたの誰ですか…!?」
ずっと気になってた、あの文字を書いた人が。
絶対真面目で繊細な、凛とした人なんだろうなってー…
「俺」
「え?」
「俺」
「え、あの…」
「だから俺!」
「すみませんっ」
え?えぇーーーーー…っ!?
とはさすがに叫べなくて、でも心の中では大絶叫だった。
は、マジで?あのキレイで美しさしか感じなかったあれを!?
嘘だ、そんなの信じられない!だってすごく…っ
「俺が作った緑化委員だから」
ん?俺が作った…?
そーいえば今思い出したけど入学した時の委員会一覧で見た覚えはない、緑化委員なんてなかった。
「あの、他に人は…?」
「俺だけ」
「あ、ですよね部活みたいに何人以上いればみたいなのないですよね委員会ですもんね…」
じゃあなおさらなんだけど…
「委員会って作ってもっ」
「許可は取ってある」
みなまで言うと言わんばかりにピラッと緑化委員設立許可書を見せてくれた、確かに校長先生の印鑑も押してあるし認められてるっぽい。
じゃあいいのか、まぁ学校にとってはいいことな感じするしいのか…いや、どうなんだ?話せば話すほどわからん人なんだけど、確かに噂通りやってることは派手だと思った。
「あの、じゃあこれも…?」
コポコポと空になったティーカップに二杯目のハーブティーを注いでいた。沈んだ紫色の花はよく見る茶色く乾燥したものじゃなかったから。
「作った」
「…すごいですね」
「難しくない」
「でもすごいです」
作ろうって発想が、そのキラキラの金色の頭の中にあるとは。
だってすごくおいしくて、飲みやすくて、気付いたら全部飲み干してた。
「飲むか、もう一杯」
「あ、ありがとうございます…」
見た目は派手だし目つきは怖いし、声は低くて喋りにくいけど…こんなやさしいハーブティー作れるんだってなんか不思議な気持ちになる。
しかもこんな鮮やかな花たちに囲まれて、でもどんな花より目立ってるけど九重先輩は。
―キーンコーンカーンコーン…
遠くの方から聞こえたチャイムにハッとした、温室ハウスの中はチャイムが聞こえにくいらしい。
「あ、体育!」
の、見学に行くはずだった。
「もう終わるだろ」
「……。」
授業まるっと植物室に…
すっかり忘れてたし、ハーブティー飲んでたら全部忘れてた。でもずっと九重先輩も、なんなら俺と違って保健室で休んでたわけでもないし。
「…次の授業受けないんですか?」
「めんどくせぇ」
即答だった、しかもめっちゃだるそうな顔してる。
「受けたくねぇ」
……。
ケッ、と吐き捨てたその態度にやっぱりイラッとはした。
なんなんだろこの人、本当によくわからない。
じゃあなんで高校来てんの?勉強するためじゃないのかよ…!
「俺は真面目に授業受けたいんで!」
ダンッとテーブルを叩きながら立ち上がった。
九重先輩に向かって、負けじと吐き捨てた。
グビーッと残りのハーブティーを飲み干して植物室から出て行く、ちょっとだけ振り返って。
「でも、助けていただいてありがとうございました!」
これは、ちゃんと言っておこうと思って。これは事実だし、助かったし。
スタスタと走らないように早歩きで教室に戻った、次の数学の授業までには戻りたいしー…
「数学のノートいる?」
「…いる、ありがと」
と、思ったら数学の授業も終わってたらしい。
てっきりあのチャイムは体育が終わったと思ってたけど、その次の数学も終わってたのか…
てことは2時間もあそこにいたのか!?マジかよっ
柾哉が貸してくれたノートをペラペラめくる、これを写させてもらって…
柾哉の字は個性的過ぎるんだよな、ありがたいけど毎回貸してくれてありがたいけど。
「つーかもう帰ったかと思ってたわ」
「え?」
「体育5限目だったし、もう帰ってるかなって」
あ、もう授業が終わりってことは掃除して帰るだけか。
午後の授業休んだらもう一度教室に戻る気力がないからつい早退しがちで。
「でもそんなスッキリしてんのレアキャラじゃん!」
……え?
ふと気付いた、柾哉の言ったレアキャラの意味はよくわかんなかったけどそれは確かにそうだった。
頭が重くない、って。いつもだったら一度起きた頭痛は1日中治らなくて、もう諦めて帰るのに今は軽くて痛みもない。むしろ気分がいい。
“頭痛に効く”
もしかして、あのハーブティー…?
「あ、そーいやぁ体育祭の選手決めは次だって!先生が体調不良で休みだったわ!」
「そうなんだ」



