チャイムが鳴り終わるより少し早く、ペンを置いて隣を見ると、朔はもう立ち上がっていた。
「じゃ、また明日な」
いつも通り、あっさり。
なんだか今日はいつもより、
たくさん目が合った気がした。
それだけで、胸がざわつく。
初めての感情に戸惑いながら、教室を出た。
向かう場所は決まってる。
早く黒白の所へ行きたくて、いつも以上に足早になる。
朔が気になって仕方ない気持ちを紛らわすみたいに。
いつもの、駐車場の端、
アスファルトのひび割れのそば。
しゃがむと、草むらが揺れた。
「いた」
今日もちゃんといる。
それだけで少し安心する。
気付けば警戒もしなくなっていて、こちらを見てる。
近付いても逃げないから、さらに距離が縮まる。
「機嫌いいの?」
指を伸ばしても、逃げない。
そっと背中に触れると、柔らかくてあったかい。
黒白が小さく目を細めているその仕草に、ふっと息が緩む。
この時間だけは、余計なことを考えない。
……はずだったのに。
なぜかまた頭の中で再生される、朔との距離。
猫ノートがいつもの場所に置かれていて、
ページをめくる。
昨日、自分が書いた文字。
《夕方、機嫌いい。》
《今日は少しだけ甘えた。》
黒白がまた、すり、と足元に寄ってきた。
まるで続きを催促するみたいに。
《触れたいけど、ダメかな》
確かにそう書かれていた。
自分が昨日、書いた文字の少し下。
……触れたい?
胸の奥が、きゅっと締まる。
一瞬、呼吸を忘れていた。
"触れたいけど、ダメかな"
頭の中で繰り返した。
"「そこ、違う」"
低い声と近すぎる距離。
ノート越しに伸びた指。
――触れたい?
なぜか、授業中の朔が浮かんできて、
ぶわっと顔が熱くなった。
「…ち、…違うし」
黒白は何も知らない顔で、また擦り寄る。
猫のことだよ、そう。
そう思おうとするほど、余計に離れない。
考えないようにするほど、言葉が胸に残る。
"触れたいけどダメかな"
顔も、声も、何も知らないはずなのに。
どうして、あの声が重なるんだろう。
夕方の風は少し冷たいのに、胸だけが熱い。
黒白をもう一度撫でる。
柔らかくてあったかい。
……触れたいって、こういうこと?
まだ、名前もつけられない。
でも確かに、
何かが胸の奥で静かに動き始めている。
