二列目、窓側、君のとなり〜猫とノートと、君の声〜


席替えから一週間。
黒白に餌をやり、ノートに記録してそれからバイトに行くという日々がもう日課になっていた。

黒白に特に変わった様子はない。
ノートの相手が誰なのかはわからないまま、やり取りは淡々と続いていた。

そして、
一週間が経ってもまだ慣れる事が出来ない新しい席。

隣に座っているから、前を向いていても常に視界の端っこに朔がうつっている。
ノートを広げると、肘がぶつかりそうになる距離だし、

何故かいつも、気付けば隣を気にしている自分に戸惑っている。


ーー五限目、現代文


お昼の後ということもあって、眠気に耐えながら先生の声と黒板を交互に見ていた。隣の朔も少し眠そうにしている。

黒板を書き写そうとした時、
隣からの呼びかけにシャーペンの先が止まる。

「そこ、違う」

横を見ると、朔が俺のノートを指で軽く示している。

「“覚悟”じゃなくて“決意”」

授業中で声を抑えているから、
息がかかりそうなくらい近いし、
いつもよりさらに声が低い気がする。


「……あ」

急いで書き直す手元が少しだけ震えている事に、
気づかれたくない。

「あ、ありがとう」

「ちゃんと聞いてんじゃん」

「聞いてるし」

ぼそっとからかうように言う朔に、
拗ねたような言葉しか返せない。

本当は、
黒板よりも、隣の気配を気にしているのに。

「ふーん」

目を細めて笑う朔と、一瞬、目が合う。

逃げたいのに、逸らせない。

朔と目が合うと逸らせなくなるのは、
ーーなぜなんだろう。

「前のほう、どう?」

俺の心の声を知りもしない朔に、
唐突に投げかけられる。

「……どうって?」

「息できてる?」

俺が固まっている時、
いつも息が浅くなって止まったようになる事を知ってるみたいな言い方。

…そうか、見られてたんだ。

俺が当てられた時、いつも。


「…べ…別に」

自分でも逃げたい時に使う言葉だってわかってる。
けどまたこんな事しか言えない。

「別に、って便利だな」

朔が笑ってそう言った時、
先生の声が近づいてきて、思わず姿勢を正すと、
隣から低く囁くみたいな声。

「今のとこ、当てられそう」

「は、?ええ?」

「主人公の心情」

どくんっと心臓の音が急に大きくなる。

逃げるか、黙るか。

いつもなら、もう固まってる。

ーーそして、朔の読み通り

「橘、この場面どう思う?」

クラスからの視線が集まって来たのを感じて、
一瞬、空気が止まる。

でも、
なぜだろう……

今までよりも呼吸が浅くない。

隣に、優しいような暖かいような空気と気配がある。


「…あ、…ま、まだ、覚悟は決まってないと思いますっ」


声が、出た。

震えてない。

最後まで……言えた。

教室が無音になった数秒間が、やけに長く感じた。

先生が頷く。

「いい視点だな」


空気は重くならないし、
誰も笑わないし、ため息も聞こえなかった。


ちゃんと……できた。


「できんじゃん」

小さく笑いながら、目を細める朔。

胸の奥が、じわっと熱くなる。


少し遅れて、嬉しさみたいなものが広がった。

初めてちゃんと答えられた事、
それが、思ってたより嬉しい。


「…き、今日は…たまたまだよ」


嬉しかったなんて、言えるわけない。

紛れもなく朔が隣に居てくれたおかげだったのに、
ありがとうを言えなかった。


またひとつ朔の優しさに触れた気がして胸が熱くなった。


俺が本当に言いたかったのは、
強がりなんかじゃない。


"隣にいてくれてありがとう"

それを言ったら戻れなくなる気がして、逃げた。
でも、胸の奥の温度は消えなかった。