二列目、窓側、君のとなり〜猫とノートと、君の声〜

***

────
《◯月◯日 18:05
完食。今日は少し距離が近い。》

《◯月◯日 16:30
食欲あり。水も減ってたから足した。》

《◯月◯日 18:22
毛並み、前よりつやある気がする。》

────

世間話もない、黒白の事だけのそんなやり取りが、あの日からしばらく続いていた。

字の勢い、迷いのなさ、
必要なことしか書かない潔さ。

ページが増えるたび、
“誰か”の存在が確かになっていった。

黒白に会うのはもちろん、ノートを読むのも楽しみになっていた。

「橘、ここどう思う?」

先生の声だけが淡々と流れているいつもと変わらない教室で、名前を呼ばれてはっとして顔を上げた。

今日も、やっぱり来た。
と同時に喉が締まる。

「……」

言葉が出なくて、
空気が重くなり始めたとき。

「この主人公、結局まだ覚悟決めてないですよね」

はっきりした声に、自然と顔を上げると、朔。

以前と同じ構図なのに、今日は朔が一瞬だけこちらを見た気がした。

あのときも、俺が固まった直後だった。

”逃げてるだけだと思いますけどね”
その言葉が、蘇ってくる。

「なるほど、いい視点だ」

今日も先生が頷くと、教室の空気が一瞬で軽くなった。

偶然かもしれない。
……でも
また、朔に助けられたのかもしれない。

***

授業が終わるといつも、人の波が一斉に教室の外へ向かう。
その流れに紛れようとしたとき背後から聞き覚えのある声に呼ばれて足を止めた。

「橘」

振り返った先には……朔?

「…な、…何」

驚きすぎて声が少しだけ掠れた俺を、気にする様子もなく朔は続けた。

「先生に当てられんの嫌なら、前に座っとけば」

「……は?」

「特にあの先生、後ろの方の席のやつを当てる事多いから、前のやつに頼んで席代わってもらうとかさ」

これは……アドバイスしてくれてるのか?

この前も、今日も、
タイミングが良すぎる。

「…も…しかして、さっきの」

「ん?」

「……かばってくれた?」

聞いてから少し後悔して、思わず俯いた。

「空気重いの嫌なだけ」

朔はそう言って目を細めた。

ああ、そうか。
朔はそういう人だ。

教室の空気を動かせる側の人間。
……俺とは違う。

「……そっか」

それでもなぜか、胸の奥に暖かいものが残った。

「ありがとう」

小さく言って顔を上げた瞬間、初めて朔と目が合った。

光を受けた瞳の色が思ってたより柔らかくて、視線を逸らせない。
でもすぐに朔の方から逸らされてしまった。

「……ちゃんと喋れんじゃん」

俺の心を見透かしてるみたいな声に、熱が一気に顔に集まるのがわかって、再び俯いた。

「…べ…別に」

「前、座るかどうかは好きにすれば」

心臓がうるさくて、朔の背中が遠ざかったあとも、しばらく立ち尽くしたままうごけなかった。

***

植え込みの横で、今日も黒白は丸くなっていた。

────

《◯月◯日 18:18
今日は少し寒そう。丸くなってる。》

────

書き終えてページをめくるとそこには、既に見慣れた字があった。

────
《昼より元気。
寒い日は無理に動かさないほうがいい。》
────

いつも通り、だと思った。
でも……
最後に《あんたも。》と記されていた。

「……あんたも?」

寒い日は無理に動くなってこと?

字は荒くないのに、
どこか強くて、迷いなく断定する感じ。

”空気重いの嫌なだけ”
”ちゃんと喋れんじゃん”
──またあの声と重なった。

ノートを閉じると黒白が、こちらをじっと見ていた。

教室で真正面から視線を向けられた時の鼓動がまた蘇ってきた。

ノートのページをめくるときの胸の高鳴りと、
朔に名前を呼ばれたときの鼓動は、
どこか似ていて、廊下の空気まで思い出す。

黒白が小さく喉を鳴らした後、俺もゆっくり息を吐いた。