二列目、窓側、君のとなり〜猫とノートと、君の声〜

部屋に戻っても、何も手につかなかった。

ベッドに腰を下ろして
ただ、自分の手を見つめる。

さっきまであった温もりが、
まだ残っている気がした。

「……なんで」

こぼれた声は、かすかに震えた。

思い出すのはーー

”「ごめん」”
”「…俺、…ダメなんだ」”

意味なんてわからない。

わかりたいのに、
考えれば考えるほど苦しくなる。

”「…もう…いい」”

そう言ったはずなのに。

胸の奥は、
ずっとざわついたままだった。

ーーーー

授業中も、全く集中できなかった。

振り返れば、朔がいる。
でも。
ー今日は一度も振り返らなかった。


「おい、紬!」

名前を呼ばれてはっとする。
低い声に、肩がびくっと揺れた。

顔を上げると、
玲央が立っていた。

「……なんだよ、その顔」

「…別に、なんでもない」

そう言って視線を逸らした。

これ以上、何も言いたくなかった。

「朔のことだろ!」

見透かしたような玲央の言葉に、
返す言葉もなかった。

「いいんだよ…もう」

吐き出すように続けた。

「わかんないし。朔が何考えてるのか……ほんとに」

投げるような言葉を玲央にぶつける。

「…は?」

玲央の声が少し強くなる。

「逃げんなよ!」

思わず顔を上げた。

「紬さ、このままでいいのか?」

真剣な玲央は、
目を逸らすことを許さない。

「駐車場のノートは、どうした?」

……ノート。
あの日からずっと止まったままだった。
黒白がいない今でもきっと。

「……っ」

言葉に詰まる。

「…読んだのか?」

ーーえ?
それって。

やっぱり、
ノートも玲央だったってこと?

黒白の事がわかった今も、ノートの事は怖くて聞けていなかった。

「…やっぱり、ノートも玲央だったの?」

一気に鼓動が速くなる。

玲央の答えを待っている数秒が、
ものすごく長く感じる。

玲央がゆっくりと口を開いた。

「途中で止まってると思ってるのか?」

「…行ってこいよ!」

それだけ言うと、
俺の肩にぽんっと手を置いて、自分の席に戻って行った。

どういう事なのかわからなかった。

でも。


ーー気づいたら、走り出していた。

駐車場。
ひび割れたアスファルト。
植え込みの端。

息を切らしながら、植え込みの端に置かれたままのノートを手に取った。

ページをめくる指先は、
今までで一番、震えていた。

止まったままの言葉。

《気持ちが、知りたい》

震える指でページをめくると、
そこには確かに、
見慣れた文字で返事が書かれていた。


【橘は、覚えていないかもしれない。
スポーツ大会の予行の日、体調悪かった俺を何でもない顔で助けた。橘を気にするようになったのは、あの日からだと思う。
助けてくれてありがとうなんて、言えなかった。
俺の方が先に落ちたみたいで。
見返してやろうと思ってた。

でも、気づいたら俺の方がお前の事ばっか見てた。
黒白に話しかけている橘を見つけた時、餌をあげたこともない俺がノートを書くべきではないとわかっていた。
でも、気付いたら黒白に会うのも楽しみになっていたんだ。

でも。
このまま隣にいたら、もっと手を伸ばしたくなってしまう。
そう思うと怖かった。
ずっと逃げていたのは、俺だった。

本当は、ずっと隣にいたかった。
背を向けて歩く橘を追いかけたかった。

俺は、橘紬が好きだ。ずっと前から。】


ぽたり、と涙が落ちた。

「……っ…なんで」

震える声で呟く。
涙は止まることなく溢れてくる。

ノートを握りしめた。

胸が痛くて、苦しかった。

今すぐ。

「…会いたい」

ぽつりと零れる。

ーーそして再び、学校に向かって走り出していた。

教室。
屋上。
廊下。

どこにもいない。

「はぁ……っ、は…っ」

空が薄暗くなり始めて、
校舎内にはもう、ほとんど誰もいなくなっていた。

「…学校には、…いない」

もし、このまま会えなければ…。
そう思うと胸がズキンっと傷んだ。

そして…

さっきまでノートを読んでいたいつもの駐車場が浮かぶ。

ここならまた会える気がした。

ーーそう思って再び、駐車場に向かった。

いつもの駐車場。
アスファルトの端。

祈るような気持ちで、顔をあげる。

……そこには。

この前と同じように、
見慣れた人影があった。

「朔!!」

朔が振り向くと同時に、
そのまま駆け抜ける。

勢いのまま、
朔の胸に飛び込んでいた。

「………っ!?」

突然の事に、
驚きを隠せない様子の朔。

でも、離さない。

「…たっ、橘…離せ」

あの時と同じだった。

それでも…

「…離さない」

ーーもう、後悔したくない。

腕に力を込める。

「ちょ……っ、離せって」

それでも離さない。

ーーもう決めたんだ。

「さっ、朔!俺……っ」

自分でも驚くくらいに、
声が震えている。

腕の中で、
一瞬だけ言葉を失った。

でも、
もう迷わなかった。

だって…

「俺…朔が好き」

声にしたと同時に…涙が溢れた。

「だからっ隣にいて欲しいんだよっ」

「勝手に決めて、離れんなよ…!」

涙と一緒に溢れる言葉。

朔は、固まったまま、
何も言わない。

ただ黙ってーーー

俺の背中に手を回した。
その腕は、
少しだけ震えてる気がした。

抱きしめ合う腕の中で、
ただ、朔の鼓動を感じていた。


どれくらい時間が経っただろう…
その腕の中で、
少しだけ顔を上げた。

朔の顔が、すぐ近くにある。
どうしてもその顔に触れたくて、
頬に軽く触れる。

驚いた朔の目。
でもーー
もう、止めたくなかった。

「……朔」

名前を呼ぶだけで、
胸がぎゅっと締め付けられて、
心臓の音がうるさい。

朔の目が、わずかに見開かれる。

…ずっと朔に触れたかった。

気付いたら、
もう止まらなかった。

そのまま。
そっと、唇を重ねた。

一瞬だけの、
触れるだけのキス。

でも。

それだけで、
全部が伝わる気がした。

「……っ」

離れた瞬間、
朔が息を呑む音が聞こえた。

信じられないものを見るみたいに、
俺を見ている。

でもーー

すぐにぐっと腕を引かれて、
今度はさっきよりも強く、
抱き寄せられた。

「……は、……マジかよ」

「……お前…ほんとに…」

少し掠れた声でそう言うと、
今度は朔から、
キスが落ちた。

さっきよりも、
少しだけ長く。

離れたあとも、
距離はそのままだった。

そしてーー

「……紬」

初めて呼ばれた名前。

一瞬、思考が止まった。

「……えっ、いま……」

顔が一気に熱くなる。

「……やっと言えた」

そう言ってふっと笑う朔。

その声は、
今まで聞いたどんな声よりも優しかった。

「ずっと呼びたかったんだよ」

「紬って」

心臓が、
壊れそうなくらいに鳴る。

「……っ、やめろよ……」

顔を逸らす。

でも、
口元が緩むのを止められない。

こんなの、
耐えられるわけない。

「…好きだ…紬」

ぽつりと落ちた声。

もう一度だけ、
ぎゅっと抱きしめた。

今度は、
離さないように。

ーーもう二度と。