二列目、窓側、君のとなり〜猫とノートと、君の声〜

ーー放課後。
足は自然と、駄菓子屋へ向かっていた。

引き戸を開けると、
いつもの甘い匂いがふわっと広がる。

「いらっしゃい」
「今日は奥の部屋にいるよ」

おばあちゃんの優しい声。

「…おじゃまします」

奥の部屋で、丸くなっていた黒と白のかたまりが、ゆっくりと顔をあげた。

「黒白」

名前を呼ぶと、
小さく鳴きながら近寄ってくる。

足元に擦り寄る温もりに、思わず力が抜けた。

「…黒白は、いつもご機嫌だね」

頭を撫でると満足そうに喉を鳴らす。

「……黒白」

「俺、ちゃんと笑えてる?」

黒白は答えない。
いつもみたいに目を細めて、
気持ちよさそうにしている。


「…違うんだよな」

胸に空いたままの、何かが埋まらない。

ひび割れたアスファルト。
植え込みの影。
置きっぱなしのノート。

無意識に浮かぶ名前。

「……っ…」

ぎゅっと奥歯を噛んだ。

黒白の背中に額を預ける。

「……会いたい」

小さく呟いた声は、
自分でも驚くくらい弱かった。

黒白は何食わぬ顔で、
静かに喉を鳴らし続けている。

その背中をなぞるように撫でて、
ゆっくりと立ち上がった。

「…また、来るね」

駄菓子屋の外に出てすぐに、足を止めた。

ーー次に向かう場所なんて、ないはずなのに。

気付けば、足はあの場所へ向かっていた。

黒白はもういないし、
ノートだって、きっとあのまま。
来ないって、思ってたのに。

駐車場。
ひび割れたアスファルト。
植え込みの端。

見慣れた景色。
黒白がいない静けさ。

胸の奥がじわりと痛んだ。


ふうっと息を吐き、歩き出した瞬間。

視界の端に、人影が映った。

……え?

「……朔」

無意識に声を発していた。

朔もこっちを見ている。
同じように驚いた顔で。

時間が止まったみたいに、
しばらくその場から動けなかった。

風が、静かに吹き抜ける。

「……どうして、ここにいるの…」

絞り出すようにして、
やっと出た声は、
思っていたよりもずっと小さかった。

それでも、言葉は止まらなかった。

「どうして…俺たち、こうなっちゃったの」

わからない…

あんなに近くにいたのに、
どうして、
こんなに遠くなってしまったんだろう。

朔は、何も答えなかった。

ただ黙って、
視線を逸らして、少しだけ眉を寄せる。

そのまま、ゆっくりと背を向ける。

……朔!!

「まっ…待って」

声と同時に、手が伸びて、
朔の制服の袖を掴んでいた。

ーー看病してくれたあの時より、
ずっと強い力で。

触れた瞬間、
自分の鼓動がうるさいくらいに響いた。

「……離せ」

低い声。

「い…やだ」

離してしまったら、
もう本当に終わる気がした。

そのまま、時間が止まる。

振り払われると思った。

でもーー
朔の腕は、
そのまま動かない。


次の瞬間。

掴んでる腕をぐっと引かれる。
指先に、少しだけ力がこもる。

視界が揺れて、
気付けばーー
朔の腕の中にいた。

強く、抱きしめられている。

「……っ、さく……?」

予想もしていなかった距離。

背中に回された腕が、
苦しいくらいに強い。

でもーー
離してほしいなんて、思わなかった。

心臓が壊れそうなくらいに鳴り出す。

「…なんで」

耳元に低い声が落ちた。
掠れていて、どこか必死な声。

「なんで…そんな顔すんだよ」

その声は、
今まで聞いた事がないくらい、揺れていた。

背中に回った朔の腕の力が
さっきよりも優しくなった瞬間。

視線が絡まる。
まっすぐな朔の瞳から、
目を逸らせなくなる。

息が触れる距離まで、ゆっくりと顔が近づいてくる。

体が動かなくて、
時間が止まったように、
何も聞こえなくなる。

あと、ほんの少しで唇に触れそうな距離。

朔と。
このまま。

ーー嫌じゃない。

そう思った瞬間。

「……ごめん」

ふっと距離が離れた。
さっきまでの熱が、嘘のように引いていく。

「…俺、…ダメなんだ」

そう言って、
朔は腕を離した。

触れていた温もりが、一瞬で消えていく。

「…な…んでっ」

ぽつりとこぼれた声は、
自分でも驚くくらいに震えている。

喉が詰まるのに、言葉は止まらなかった。

だんだんと視界が滲んでいく。

「…なんで」

「…わかんないよ」

「朔が、何考えてるのか…全然、わかんない」

沈黙が落ちる。

朔は何も言わない。
それが、余計に苦しかった。

ぎゅっと唇を噛んで、
今度は俺が朔に背を向けた。

もう一度、名前を呼びたかった。
朔のことが好きって、伝えたかった。

でも。

これ以上近づいたら、
全部壊れてしまいそうで。

「……もう…いい」

歩き出していた。

足は震えているけど、
それでも、振り返ることは出来なかった。