キッチンに甘い匂いが広がっている。
熱もすっかり下がり、いつもより早起きをしてオーブンの前で、紬は腕を組んでいた。
焼き上がるのを待つ数分が、やけに長く感じる。
……なんで俺、こんなに張り切ってるんだろう。
繋いだ右手。
頭に触れた手。
”「もう…こんなに好きなんだ、俺」”
蘇ってきて、また胸が熱くなる。
小さく首を振った。
「こ…これは、看病してくれたお礼なんだからっ」
言いかけた時、
オーブンが「ピッ」と鳴った。
扉を開けると、甘い香りがふわっと広がる。
丸いクッキー。
その真ん中に、小さな肉球の形。
「……黒白」
思わず小さく笑った。
形を作る時、浮かんできたのは、
黒白の背中を撫でていた朔の手だった。
……ダメだ。
考えすぎると、顔が熱くなる。
「あっやばい、時間」
紬は慌ててクッキーを袋に詰めた。
ーー教室に入ると、すでに朔がいた。
二列目、窓側、 いつもの席。
鞄の中のクッキーが、やけに気になった。
……すぐ渡す?
いや。
やっぱりやめようか。
そもそもクッキー食べれるかな?
でも。
昨日のお礼、ちゃんと言いたいし…。
紬は何度も袋を出しかけて、引っ込めた。
「橘」
突然名前を呼ばれて、
びくっと肩が跳ねる。
「体調、もう大丈夫なのか」
昨日と同じ優しい声。
それだけで胸がいっぱいになる。
「……う、うん」
「まだ少し顔赤い」
朔に顔をじっと見つめられて、
ドキンと心臓が跳ねる。
…渡すなら、今しかない。
慌てて鞄の中から袋を取り出した。
「こ…これっ」
差し出す手が、少し震えた。
「何?」
朔は少し驚いた顔で眉を上げ、首を傾げた。
「き…昨日は、ありがとう」
透明な袋の中のクッキーを見て、
少し目を細めて微笑んだ。
「……猫?」
「そう!猫、今朝作ってみた」
「手作り?」
「……うん」
「へぇ」
「あっ甘いもの苦手…だったりする?」
「いや、俺甘いのすげーすき」
朔は袋を軽く持ち上げて、小さく笑った。
その笑い方が、いつもより少しだけ無邪気に見えて心臓がまた速くなる。
「じゃあ、ありがたくもらっとくな」
クッキーを鞄の中に大事そうにしまう朔を見て、こっそり息を吐いた。
……受け取ってくれた。
それだけで、胸がいっぱいになった。

