「だからごめんって!」
「これは絶対に見られたらダメって分かってただろ!しかも本人たちに!」
甘い香りが空間を満たす、ドーナツを主に扱うカフェ。砂糖の匂いがふわりと漂うその場で男五人――
稔と高橋、そして校内トップの三人がテーブルを囲んでいる。場違いなほど穏やかな空気と、張り詰めた緊張が奇妙に混ざり合っていた。
「まあまあ、高橋くんは悪くないよ」
「俺たちが半ば強引に見たようなものだし」
「そうだな」
三人から、庇うような言葉が並ぶ。
整いすぎた顔立ちが並ぶその席で、稔と高橋だけが色の違う存在のように浮いていた。周囲の視線が、まるで「そこにいていいのか」と無言で問いかけてくるような気さえする。
「俺たちが高橋に頼んだんだよ」
「君たちの、堂々と“マル秘”って書いてあるノート。地味に目立つからねぇ」
「俺たちを見て、何か書いている様子だったこともあってな」
交換ノートは、そんなに目立たないつもりだった。だが、――大きな丸の中に「秘」の文字。周囲には「他言厳禁」「親展」。誰がどう見ても“見てはいけないもの”と主張しているそれは、逆に「見てください」と言っているようなものだった。
その矛盾を、村井が面白がるように指摘した。視線に気づいていた鳴谷と、純粋な好奇心で動いた木津。三人の興味が重なった瞬間、それはもう“事故”では済まない出来事になっていた。
――数日前。
放課後の図書室。高橋は、教科書やノートを机に広げたまま、ほんの少し席を外した。ただそれだけの、何気ない行動。
けれどその隙間から、覗いてしまったのだ。
教科書の間に挟まれた、あの“マル秘ノート”が。
図書委員の村井がそれを見つけた。その視線が止まった瞬間、引き寄せられるように、近くにいた二人も同じ一点を見る。
三人の視線が、ぴたりと揃う。火種に触れたみたいに、興味が一斉に灯った。
――そして、開かれた。
すべての始まりは、そこだった。
高橋は図書室に戻るなり、その光景を目撃した。自分の席で、当たり前のようにページをめくる三人。
「待って、それダメなやつ――!」
慌てて止めに入ったが、もう遅い。
ページはしっかり進んでいて、手遅れだった。完全に半分以上は読了済みの空気。
内容は、きっちり、しっかり、隅々まで把握済み。取り返しのつかないラインを、軽やかに踏み越えられていた。
そして、にこやかに木津と村井から告げられる。
「続き、気になるな」「もっと読ませてほしい」
拒否権など、最初から存在しないみたいに。
そんな中、何も言わずに鳴谷だけが最後までページを読み進めていた。
――結果。
数日間。交換日記、もとい観察記録は、見事に筒抜けだった。
「最悪だ……」
稔は、まるで世界の終わりを宣告されたかのような顔で頭を抱えた。実際には終わっていない。だが、精神的にはほぼ焼け野原だった。さっきまで青々としていたはずの日常が、今や黒焦げの炭と化している。なにせこれは――本来なら、ひっそりと地下で熟成させるはずだった“同志との密やかな楽しみ”である。誰にも見つからず、誰にも知られず、じっくりと味わうべき発酵食品のような時間だったのだ。それがどうだ。
完全に、日向に干された。しかも全開で。
稔は勢いよく床に正座した。その動きは、もはや反射だった。
謝罪ボタンを押されたロボットのように、迷いなく、綺麗なフォームで座り込む。
「この度は大変申し訳なく……」
口から出た言葉もまた、ほとんど自動再生に近かった。だが、土下座に移行しようと体が前に倒れかけた、その瞬間。
ぐいっ、と腕を掴まれる。
まるでリードを引かれた犬のように、稔の動きは強制停止した。
「虐めてるみたいだから、それはやめてくれ」
鳴谷の声は淡々としているのに、力だけはやたらと現実的だった。見た目から想像できる通り――いや、むしろ想像よりも一段階上の“ちゃんとした力”。逃げ場のない引力。
正座はあっさり崩され、バランスを失った稔の体は、そのまま前へと引き寄せられる。
――あ、これ、まずいやつだ。
そう思ったときにはもう遅く。
気づけば、稔は鳴谷の胸に飛び込んでいた。
衝突というほどではないが、確実に“距離ゼロ”のそれ。退路なしの至近距離。
鳴谷の胸は厚く、しっかりとしていた。中学時代に陸上部だったという話を、どこかで聞いたことがある。
布越しでも分かる引き締まった筋肉に触れ、稔の心臓は爆発しそうだった。
ドーナツの香りが染みついているのか、制服から甘い匂いがした。それほど近くに密着しているのだと気づき、稔の心臓はさらにうるさく鼓動した。最も推しとして崇めていた男が、こんなに近くにいるのだから仕方ない。
稔はそのとき気づく。きゅっと、鳴谷の腕が腰に回っていた。
まるで、このまま逃がさないと言うみたいに。
(まって、なにこれ……)
「っ……」
顔が、熱い。
じわじわと、耳の先から火がついたように熱が広がっていく。まるでポットのスイッチを入れられたみたいに、勝手に沸騰していく。
さっきまでの絶望も、羞恥も、怒りも――全部ごちゃ混ぜになって、頭の中でぐるぐると煮立っていた。
――公開処刑の上に、この距離は反則だ。しかもカフェの周囲客という観客付き。
(なんでこうなるんだよぉ……!)
心の中で叫ぶが、声にはならない。
状況は依然として最悪のままなのに、別の意味でさらに悪化している気さえした。
「これは絶対に見られたらダメって分かってただろ!しかも本人たちに!」
甘い香りが空間を満たす、ドーナツを主に扱うカフェ。砂糖の匂いがふわりと漂うその場で男五人――
稔と高橋、そして校内トップの三人がテーブルを囲んでいる。場違いなほど穏やかな空気と、張り詰めた緊張が奇妙に混ざり合っていた。
「まあまあ、高橋くんは悪くないよ」
「俺たちが半ば強引に見たようなものだし」
「そうだな」
三人から、庇うような言葉が並ぶ。
整いすぎた顔立ちが並ぶその席で、稔と高橋だけが色の違う存在のように浮いていた。周囲の視線が、まるで「そこにいていいのか」と無言で問いかけてくるような気さえする。
「俺たちが高橋に頼んだんだよ」
「君たちの、堂々と“マル秘”って書いてあるノート。地味に目立つからねぇ」
「俺たちを見て、何か書いている様子だったこともあってな」
交換ノートは、そんなに目立たないつもりだった。だが、――大きな丸の中に「秘」の文字。周囲には「他言厳禁」「親展」。誰がどう見ても“見てはいけないもの”と主張しているそれは、逆に「見てください」と言っているようなものだった。
その矛盾を、村井が面白がるように指摘した。視線に気づいていた鳴谷と、純粋な好奇心で動いた木津。三人の興味が重なった瞬間、それはもう“事故”では済まない出来事になっていた。
――数日前。
放課後の図書室。高橋は、教科書やノートを机に広げたまま、ほんの少し席を外した。ただそれだけの、何気ない行動。
けれどその隙間から、覗いてしまったのだ。
教科書の間に挟まれた、あの“マル秘ノート”が。
図書委員の村井がそれを見つけた。その視線が止まった瞬間、引き寄せられるように、近くにいた二人も同じ一点を見る。
三人の視線が、ぴたりと揃う。火種に触れたみたいに、興味が一斉に灯った。
――そして、開かれた。
すべての始まりは、そこだった。
高橋は図書室に戻るなり、その光景を目撃した。自分の席で、当たり前のようにページをめくる三人。
「待って、それダメなやつ――!」
慌てて止めに入ったが、もう遅い。
ページはしっかり進んでいて、手遅れだった。完全に半分以上は読了済みの空気。
内容は、きっちり、しっかり、隅々まで把握済み。取り返しのつかないラインを、軽やかに踏み越えられていた。
そして、にこやかに木津と村井から告げられる。
「続き、気になるな」「もっと読ませてほしい」
拒否権など、最初から存在しないみたいに。
そんな中、何も言わずに鳴谷だけが最後までページを読み進めていた。
――結果。
数日間。交換日記、もとい観察記録は、見事に筒抜けだった。
「最悪だ……」
稔は、まるで世界の終わりを宣告されたかのような顔で頭を抱えた。実際には終わっていない。だが、精神的にはほぼ焼け野原だった。さっきまで青々としていたはずの日常が、今や黒焦げの炭と化している。なにせこれは――本来なら、ひっそりと地下で熟成させるはずだった“同志との密やかな楽しみ”である。誰にも見つからず、誰にも知られず、じっくりと味わうべき発酵食品のような時間だったのだ。それがどうだ。
完全に、日向に干された。しかも全開で。
稔は勢いよく床に正座した。その動きは、もはや反射だった。
謝罪ボタンを押されたロボットのように、迷いなく、綺麗なフォームで座り込む。
「この度は大変申し訳なく……」
口から出た言葉もまた、ほとんど自動再生に近かった。だが、土下座に移行しようと体が前に倒れかけた、その瞬間。
ぐいっ、と腕を掴まれる。
まるでリードを引かれた犬のように、稔の動きは強制停止した。
「虐めてるみたいだから、それはやめてくれ」
鳴谷の声は淡々としているのに、力だけはやたらと現実的だった。見た目から想像できる通り――いや、むしろ想像よりも一段階上の“ちゃんとした力”。逃げ場のない引力。
正座はあっさり崩され、バランスを失った稔の体は、そのまま前へと引き寄せられる。
――あ、これ、まずいやつだ。
そう思ったときにはもう遅く。
気づけば、稔は鳴谷の胸に飛び込んでいた。
衝突というほどではないが、確実に“距離ゼロ”のそれ。退路なしの至近距離。
鳴谷の胸は厚く、しっかりとしていた。中学時代に陸上部だったという話を、どこかで聞いたことがある。
布越しでも分かる引き締まった筋肉に触れ、稔の心臓は爆発しそうだった。
ドーナツの香りが染みついているのか、制服から甘い匂いがした。それほど近くに密着しているのだと気づき、稔の心臓はさらにうるさく鼓動した。最も推しとして崇めていた男が、こんなに近くにいるのだから仕方ない。
稔はそのとき気づく。きゅっと、鳴谷の腕が腰に回っていた。
まるで、このまま逃がさないと言うみたいに。
(まって、なにこれ……)
「っ……」
顔が、熱い。
じわじわと、耳の先から火がついたように熱が広がっていく。まるでポットのスイッチを入れられたみたいに、勝手に沸騰していく。
さっきまでの絶望も、羞恥も、怒りも――全部ごちゃ混ぜになって、頭の中でぐるぐると煮立っていた。
――公開処刑の上に、この距離は反則だ。しかもカフェの周囲客という観客付き。
(なんでこうなるんだよぉ……!)
心の中で叫ぶが、声にはならない。
状況は依然として最悪のままなのに、別の意味でさらに悪化している気さえした。

