腐男子くんは三人の溺愛から逃げられない~推しカプ観察してたら本人たちにバレました~

 季節は春を迎え、稔たちは三年生になっていた。
春休み明けの始業式。桜は花びらを残し緑の葉を見せ始めている。
風に揺れる残り少ない桜の花びらが校庭を舞う放課後。木津と村井、鳴谷の三人は、教室で稔を待っていた。
稔はどうやら、新学期早々に進路相談か何かで担任に呼び出されているらしい。

 本を読みながら恋人を待つ鳴谷の姿は、相変わらず落ち着いている。しかし、今はその落ち着きにさらに余裕が加わったように見えた。長い片思いを経て稔と恋人同士になったのだから、その心の余裕も納得できる。
 木津と村井は諦めが悪く、今も稔を落とそうと躍起になっているのに、悠然と構える鳴谷の姿は、二人にとっては憎たらしいほどだった。

「じゃーん!懐かしいものを入手しましたぁ」

 暇を持て余した村井が楽しそうに、一冊の派手なノートを取り出す。表紙には大きく「マル秘」と書かれていた。
三人が稔を口説き始めるきっかけになった、あのノートだ。

「それ、どうしたんだよ?」

 木津は分かってはいるものの、一応聞くかという顔で村井を見る。

「その手の人から入手しました」
「高橋じゃねぇか」

 村井の言葉に、木津がすぐさまツッコミを入れる。このノートを持っているのは、稔か高橋しかあり得ない。
稔が潔く貸してくれるとは到底思えない。答えは一つ、間違いなく高橋から手に入れたのだ。

「懐かしいよねぇ。もう今は書いてないんだって」

 そう言いながら、村井はページをめくる。その内容を見たときの驚きと、高橋の“協力”で知った内容の興味深さを、三人は懐かしく思い返していた。

「お前が王子様だって」

 木津がノートを覗き込み、笑い出す。

「あはははは、俺、こんなに美化されてたんだった。稔くんやっぱりこの時、頭おかしいー」

 村井も声を出して笑った。整った顔立ちからは想像もつかない、少し歪んだ毒舌が混じる。
普段はこんな笑い方をしないのに、稔と関わるうちに腹を抱えて笑うことが増えた気がした。

「あ、待って、そういえば俺、抱かれる方みたいじゃん、青史とタケの二人に」
「あー、そうだった。そういう内容もあったな」

 当時、このノートを見た木津は「嘘だろ?」と目を丸くし、驚きを隠せなかった。
鳴谷も真面目な顔で首を横に振り、「いや無理だろ」と呟いていたのを思い出す。

「あ、ちなみに青史とたけの組み合わせもあったよね。タケが受けだって。あははははは」

 村井の笑い声が教室に響く。

「待て、もう読むのやめようぜ。想像も無理だから!」
「あははは、あー笑った」

 ページをめくりながら、二人は懐かしい稔の妄想を目にしていた。
あの日、このノートの内容を見た木津が、「こういう妄想をするってことは、小野寺は男もいけるってことだよな」と発言したのがきっかけとなり、稔の攻略は静かに、しかし確実に始まったのだった。
 紙が擦れる音が耳をくすぐり、教室に漂う懐かしさと笑い声が、当時の空気をそのまま呼び戻していた。

「懐かしいねぇ」

 村井は、あの日の興奮を思い出すように微笑んだ。
三人は、稔をどうやって口説くか、誰が落とせるかと半ばゲームのようになっていた。けれど、その目はどこか真剣で、冗談めかしながらも、一人ひとりの思いが本物だったのを思い出す。

「おい、やめろ」

 鳴谷が明らかに嫌そうな顔をする。

「なんでー?恋人が書いてたやつだよ?」

 村井のいたずら心を、鳴谷は瞬時に見抜いていた。
苛立ちが少し見えかけた鳴谷に気づくと、村井は仕方なくパタンとノートを閉じる。しかし、すぐにまたいたずらな笑みを浮かべた。

「そういえばさ、稔くん、結構モテるよね?」
「そうだよなぁ」

 木津も納得した様子で頷く。

「この前だって、他のクラスの男子が稔くんのこと好きになってたしね」

 稔は無自覚の人たらし。それは本人以外の誰もが知っていることだ。つい先日だって、悩める人に欲しい言葉をそのまま渡していたのを、二人は目にしていた。同性愛絶対反対と豪語していた男子生徒でさえ、稔なら信頼してしまうほどだった。惚れやすい性格の生徒なら、簡単に心を奪われてしまう。

「ああ、そういや最近増えたな、あれ」

 木津は遠回しに確認する。
稔と出会ってから、何度も目にした稔宛の手紙。どれも好意的で、週に何回か下駄箱で見かけるほどだった。それを木津は、稔が気づかないうちにいつも破り捨てていたのだ。
それが二年になって増え、最近になって更に増えていた。

「もう手紙じゃダメだって、直接声をかけようとする奴も増えたよね」

 村井は告白を試みる生徒を見つけては、あれこれ手を使い、諦めさせていた。
二人は完全に稔の番犬だ。
一方鳴谷も稔と付き合う前、他の生徒とのフラグをへし折るという意味では二人以上に手強かった。
鳴谷は木津と村井よりも(たち)が悪かったが、今は稔と結ばれたことで、行動は牽制に変わり、今は落ち着いている方だろう。
稔と付き合う前の鳴谷は大人しそうに見えて、一番怖い――そんな人間だった。

「稔くん、中学の時のいじめも、相手の好意から始まったって聞いたよ。相手が不器用すぎただけとか」
「どこ情報よそれ?」

 村井は、稔の過去を楽しげに語り、木津が情報源を気にした。

「その手の人から聞きました」
「高橋しかいねぇじゃねぇか」

 結局、情報源は高橋に行き着く。

 今でも稔は、いろんな人から密かに好意を抱かれている。恋人ができたという話が広まっていてもだ。
稔が鳴谷と付き合い始めたという話は、今ではすっかり学校中に知れ渡っている。
二人は隠すこともなく、堂々と並んで歩く同性カップルだ。
応援する声も、思ったより多い。
ここまで公にできているのは、鳴谷が稔と付き合う前から密かに地盤を固めてきた結果だろう。
付き合った後のことまで見据えて動いていたのだから、それは、並の執着ではない。

それでも、稔を諦めきれない者はまだいる。逆に、鳴谷を狙う生徒からは、稔に憎悪の視線が向けられることもあった。
その好意も悪意も、ほとんどを村井と木津の二人が排除してくれている。
だからこそ稔は、何も気にすることなく笑顔でいられる。鳴谷と平和に付き合えているのも、ほんの少し木津と村井のおかげだった。

それなのに、鳴谷は素知らぬ顔で稔の隣にいる。
その様子に苛立ちを覚えた村井は、少しくらいのいたずらなら許されるだろうと、時折鳴谷をいじっていた。

「そういえば、この前の稔くん、俺にこれくれたよ~」

 先日、村井は誕生日を迎えたばかりだ。
春休みに入る前のこと。村井は稔からプレゼントを受け取っていた。いや、正確には、ほとんど催促して手に入れたようなものだが。

村井は嬉しそうに、一本のシャーペンを見せつける。

「俺に合いそうな色だって」

 真っ白の本体に金色のクリップ。最近人気の、書きやすいと評判のシャーペンだ。

「稔が俺の誕生日にも、何か買ってくれるって言ってたな」

 木津も話に乗った。
 稔の恋人を目の前に、明らかに挑発してくる二人。

「そうか」

 鳴谷は短く返す。どんな情報も、選ばれた自分の存在を揺るがせはしない、と言わんばかりだ。

「そろそろ青史も誕生日だね」
「皆でお祝いだからな」
「稔くんと一緒にプレゼント選んであげるねぇ」

 鳴谷の誕生日は四月半ば。

「誕生日は二人で過ごす。あと、プレゼントはもう先に貰った」

 あっさりと言い返しながら、余裕を見せる鳴谷。
その自信が透けて見えるのが、村井には悔しくもあった。

ふと目を細めると、襟元からのぞく首筋に赤い痣が見える。
それはまるで、鳴谷の自信の証のようだった。

(わざと見せてるんじゃないのか……)

 そう疑いながらも、村井はぐっと堪える。
 朝、稔の首元にも同じような痣があったのを思い出す。
稔の首元がふと緩んだ瞬間に目に入り、まるで桜の花びらが肌に散ったように、いくつも浮かんでいた。
指摘すると、稔は顔を真っ赤にして慌てて隠していた。

――手が早すぎる。

 それだけで、春休みの間に二人がどこまで進んだのか、嫌でも理解できてしまった。
朝のそれ以来、村井は考えていた。
どうやって鳴谷を泣かせてやろうか、と。
だが、どれだけ突いても鳴谷は動じない。
むしろ村井の思惑など最初から見透かしているかのように、涼しい顔をしている。

まさか、この話題を逆手に取ってくるとは。
村井の笑顔が、ふっと引きつった。

「先に貰ったって、なんだよ」
「タケは聞かない方がいい」

 呑気に木津が口を挟むが、村井が素早く制止する。
木津は二人の首元の痣にはまったく気づいていない。もし気づいたら、きっと怒り狂うに違いない。村井は敢えて口を閉ざした。
 そのとき、教室の扉が開き、稔が戻ってきた。

「せいくん、ごめんね、待たせちゃった……って、あれ? 二人も待ってたの?」

 稔は鳴谷以外の二人がいることに、少し驚いた表情を見せる。

「みぃ、すまない。二人で帰る予定だったのに」
「ううん、大丈夫」

 砂糖が溶け出したかのように甘い空気が、瞬間的に教室を包む。
稔の幼少期の愛称。それを呼ぶことを許されているのは鳴谷だけ。稔もまた、鳴谷を愛称で呼ぶようになっていた。
 鳴谷は、ふわっと優しい笑みを浮かべている。あの、表情筋が死んでいるのではと言われてきた鳴谷がだ。
稔と付き合い始めてから、鳴谷はさまざまな表情を見せるようになっていた。すべては、稔のおかげだろう。
そしてその光景が、村井には尚更悔しく、苛立ちを募らせるのだった。

「あれ⁈ そのノート!」

 稔の目が、村井の手にある一冊のノートに釘付けになった。

「あ、その手の人から借りました」
「高橋ぃぃぃ!」

 稔の怒りの声が、一気に教室中に響き渡る。再び起きた同士の失態。
いや、裏切りかもしれない。
なお、その場に高橋の姿はない。

 ***

 春風に桜の花びらが舞う中、三人と稔はゆっくりと下校していた。
柔らかな日差しが背中を温め、街路樹の緑とピンクが交錯する並木道を歩く。
 いつもより早く帰れる始業式の今日。他校も始業式だったようで、街はまだ昼間だというのに、様々な制服姿の生徒が多く見受けられた。学校帰りに遊びに行くのだろう。店の看板を仲良く覗き込む生徒たちの姿が、あちこちにある。

「今日のデートは、ドーナツ屋行く予定だったんだ?そういえば、今日新作出るんだっけ?」
「そうだ。だからお前らは帰れ」

 村井は二人の邪魔をしようと下校に付き合っていたが、鳴谷にそう言われても特に気にする様子はなかった。それは木津も同様だった。

「顔に似合わず、ドーナツ好きだよな、青史って」

 木津は鳴谷の意外性を口にする。どう見てもコーヒーはブラック派、甘い物より苦いものを好みそうな見た目の鳴谷が、中学時代からずっと食べ続けているのがドーナツだ。

「みぃ……小野寺が好きだから食べてるんだ」

 鳴谷は、特別甘いものが好きなわけではない。稔との思い出の食べ物でもあるが、何よりドーナツを選ぶのは、稔の好物だからだ。

「同じものを食べることで、味覚を共有している気分になれるんだ」

 ――そう、鳴谷が語る。

「え、重っ」

 木津は思わず引いた表情を浮かべた。

「ナチュラルに気持ち悪い」

 村井も鳥肌を立て、思わず引いている様子だった。

「稔くん、青史が嫌になったら、いつでものりかえていいからね~」
「稔。俺はいつでも待ってるからな」

 春の陽射しに照らされる稔の顔に、二人の熱意と、少しの焦りが映る。
そんな変態とは別れて、自分と付き合った方がいい――二人は真剣にそう信じ、口説き始めたのだ。

「いやいや、僕はせいくんがいいから……」

 稔は困りながらも、穏やかな微笑みを浮かべる。

「一生かけて口説くからな」
「俺も、稔くんを諦めないよ」

 二人の手が稔に延びた。

「みぃに触るな。一生触るな」

 それを阻止するように、鳴谷が稔の肩を自分に寄せる。

 桜の花びらが舞う中、言葉と視線がぶつかる。
春の陽気も、花びらの舞う景色も、三人の熱量には敵わない。
どうやら稔は、恋人とその幼馴染たち――三人の溺愛からは逃れられないらしい。しかも、一生。