腐男子くんは三人の溺愛から逃げられない~推しカプ観察してたら本人たちにバレました~

 すっかり葉を落とした校庭の木々が、冬を待つように静かに立っている。乾いた風が吹き抜け、灰色がかった空はどこか寂しい。まるで世界が、ひとつ季節を終えたかのようだった。
制服だけでは、少し寒い。
暖房の入っていない教室はひんやりとしていて、生徒たちは自然と肩をすくめていた。吐く息が白くなるほどではないが、窓際から入り込む冷たい空気が足元に溜まっている。
それでも教室の中は騒がしかった。段ボールを運ぶ音、テープを引きちぎる音、笑い声。
生徒たちは忙しそうに、けれどどこか楽しそうに、明日の準備に追われている。
 今日は授業がない。文化祭は、いよいよ明日に迫っていた。

「稔くん、見てみて~」

 隣のクラスの村井が、衣装の裾を揺らしながら稔のところへ駆け寄ってくる。
白い生地に、金の装飾。肩章や刺繍が光を受けてきらりと輝く。
侯爵――いや、むしろ王子様と呼ぶほうが似合うだろう。その衣装は、村井の整った顔立ちにぴったりだった。
きっとコスプレ喫茶の衣装なのだろう。張り切って作った女子生徒たちの、満足そうな顔が目に浮かぶようだった。

「わぁ!すごく似合うね!」

 稔がそう言うと、村井はパッと表情を明るくする。けれど、すぐに少しだけ引っかかったような顔をした。
 稔らしくない。いつもなら、もっと大げさに騒ぐはずだった。変なことを口走ったり、顔を真っ赤にして大騒ぎしたり。そんなオーバーな反応を見せるのが、いつもの稔だ。
けれど、今の稔は違った。
どこか冷静で、妙に落ち着いている。

「おー瑞穂。完全に王子様じゃねぇか」

 近くで作業していた木津が村井を見るなり、からかうように声を上げた。
ジャージ姿で、いかにも動きやすそうな格好をしている木津。その隣に立つ豪華な衣装の村井。
正反対の格好をした二人は、まるで別の世界の住人のようだった。こういうギャップは、きっと稔の妄想の得意分野だろう。
――だが。そんな姿を見ても、稔は何一つ感情が動かないようだった。
あまりの大人しさに、木津ですら眉をひそめる。

「おーい小野寺ぁ。こっち手伝ってくれ~」

 遠くからクラスメイトの声が飛んできた。
準備を進めるため、それぞれ分担された役割がある。きっと、その手伝いを頼まれたのだろう。

「分かったー」

 稔はそう答えると、トコトコと小動物のような足取りで、呼ばれた方へ向かっていった。

「ねぇ、なんか最近、稔くん元気なくない?」
「それ、俺も思った」

 稔の後ろ姿を見送りながら、村井と木津が小さく声を交わす。
ここ数日、稔の反応はどこか薄かった。体調を崩して休んだこともあり、最初はまだ本調子ではないのだろうと思っていた。
けれど――どうも、様子がおかしい。

「ね?青史。なんか稔くん元気ないよね?」

 後ろで使わなくなった段ボールを畳んでいた鳴谷に、村井が声を掛けた。

「そうだな」

 鳴谷は短く答えただけで、また段ボールを解体し、丁寧に折り畳んでいく。
無駄のない動き。淡々とした作業。
その姿はどこか機械的にも見えたが――同時に、いかにも鳴谷らしい姿でもあった。
 廊下の向こうから、金槌の音が響いてくる。どこかのクラスが看板を打ち付けているのだろう。教室の中でも、段ボールを引きずる音やガムテープを引き裂く音が途切れず続いていた。

「そういえば青史、稔との時間作れないままだったな」

 村井がふと思い出したように言った。
ここ数日、稔は文化祭の準備に追われていた。三人と過ごす時間も自然と減っている。
担当が違うのだから仕方ない。それでも、稔はほとんど自分のクラスメイトたちと過ごしていた。
日頃の新聞配達で鍛えられた体力のせいか、意外にも作業要員として重宝されているらしい。業間休みや昼休み。その合間にも、男女関係なく声を掛けられていた。
稔も断ればいいものを、頼まれると何でも引き受けてしまう。気が付けば、休む暇すらなくしているようだった。

「文化祭、誰と回るか聞いてないしさ。交代で回ろうって頼んでみる?」

 窓際で村井が言う。外では枯れ葉が風に転がり、校庭の端をさらさらと流れていった。

「そうだな」

 木津が気楽に答える。
そんな二人に、鳴谷が短く言った。

「俺はいい」

 その言葉に、二人の手がぴたりと止まる。

「え?なんで?」

 村井が目を丸くする。続いて木津も固まり、鳴谷へと視線を向けた。
けれど鳴谷は、ただもう一度言った。

「俺はいい」
「ちょっと、なんでそんなに断るのさ?」

 心底理解できないという顔で村井が問い返す。
 鳴谷は畳み終えた段ボールを重ね、きっちりと端を揃える。そして紐を取り出し、手際よく巻き付けていく。
鳴谷は一度、静かに息を吐いた。

「振られたんだ」
「……あー、そうですか――って、え?」

 村井の思考が一瞬止まる。

「は? お前いつ告ったんだよ⁉」

 木津が思わず声を上げた。
三人はこれまで、好きになってもらうための行動こそ取ってきたが、答えを求めるような真面目な告白はほとんどしてこなかった。
だからこそ――「振られた」という言葉の重さが、二人の胸に落ちてくる。
 村井と木津は言葉を失ったまま、目の前の鳴谷を見る。
その間も鳴谷は、何事もないかのように段ボールをまとめ続けていた。
ぎち、と紐が軋む音がする。
重ねられた段ボールの量を見れば、束ねる力の強さが伝わってきた。

「朝、少し配達を手伝ったんだ。二回くらいだが。 その時だ」

 紐を引きながら、鳴谷が言う。

「……そうだったんだ」

 村井が小さく呟く。
 三人の中で、一番長く稔を想っていたのは鳴谷だった。
その鳴谷が、玉砕した。その事実は、二人にとっても思っていた以上に重かった。
 ぎゅっ、と紐が結ばれる音がもう一度響く。身を引き締めろと言わんばかりに、教室のざわめきの中でも、妙にはっきりと耳に残る音だった。
ライバルが一人減った――そう言えば、確かにそうなのかもしれない。
けれど、喜べるような気持ちには到底なれなかった。二人は、どう声を掛ければいいのか分からない。

「青史、稔との時間……あまりなかったからじゃねぇかな」
「そうかもね……。もう一回チャンス貰うとか?」

 二人の不器用な励ましだった。

「時間が長かろうが短かろうが、小野寺が決めたことだ」

 そう言って、鳴谷は束ねた段ボールを抱え上げた。

「捨ててくる」

 それだけ告げて、何事もないかのように教室を出ていく。
けれど――その背中には、どこか空洞のような虚無が漂っていた。

 文化祭前の教室は、相変わらず騒がしい。笑い声も、作業の音も絶えない。
その賑わいの中で、鳴谷の静かな背中だけが、やけに目立って見えた。
平気なふりをしているだけだと――気づけてしまうくらいには。

***

「稔、結局どうなったの?」

 文化祭準備の合間を縫って、高橋が声を掛けてきた。
教室の中では、まだ装飾の準備が続いている。紙花を貼る音、段ボールを引きずる音、誰かの笑い声。ざわざわと落ち着かない空気が漂っていた。
その喧騒の中で、高橋の声だけが妙にはっきり耳に届く。
 あの三人との関係に、稔がどう決着をつけたのか。それが気になっているのだろう。
ガザリ、と装飾用のボードが擦れる音が鳴る。

 どうなったかと言えば。
鳴谷の告白は断った。けれど、残りの二人とはまだきちんと話せていない。
断るつもりでいるのは確かだ。それでも、どうしてもタイミングが掴めずにいた。

「鳴谷くんは断ったよ」

 稔が答える。

「ほか二人は? もしかしてどっちかと付き合うの?」
「それはないよ……」
「じゃあ早くしなよ。もう明日が文化祭だよ」

 高橋の言葉が、妙に胸に引っかかった。
早く。早く。そう急かされているようで、余計に落ち着かない。

「わかってるよ! どうしてそんなに急かすのさ!」

 思わず声が荒くなる。
その瞬間、教室の空気が止まった。
近くで作業していた生徒たちが、何事かと振り向く。

「ちょっと来て」

 稔は高橋の腕を掴んだ。
半ば引きずるようにして教室を出る。
廊下に出ても、校内は相変わらず騒がしかった。文化祭前日。どの教室も準備に追われている。
 笑い声。工具の音。誰かが走る足音。
静かな場所を探すなら、学校裏しかない。階段を降り、そのまま中履きのまま外へ出る。
ゴミ捨て場に近いそこは、完全に人気がないわけではない。それでも、教室の中で話すよりはずっとましだった。
 
 空はよく晴れていた。青く高い空が広がっていて、日向は思ったより暖かい。けれど校舎の影に入るこの場所は、空気がひやりとしていた。コンクリートの壁が冷気を溜め込み、表とは違う静けさが広がっている。
さっきまでの校内の騒がしさが、遠くの音のように聞こえる。

「ちょっと何さ!」

 高橋が腕を振りほどきながら声を荒げた。
突然連れ出されたことに、明らかに苛立っている。
けれど稔の方も、もう抑えきれなかった。
自分の気持ちも知らないくせに。一方的に急かしてくる高橋の態度に、限界を感じていた。

「何さって、こっちのセリフだよ!」

 稔が言い返す。喧嘩腰の口調だった。

「どうしてそんなに僕と三人のことに干渉するわけ?もしかして高橋、あの三人の誰かが好きなの? 村井くんとか?」
「は? 違うし!」

 高橋が即座に否定する。

「稔の行動があまりにも軽率だから、心配してるだけだよ!」

 そして、少し強い声で続けた。

「稔、どんな噂流されてるか知ってる? 聞かせられるようないい話なんて、一つもないよ!」

 高橋との喧嘩は、これが初めてではない。
けれど――ここで引き下がったらいけない。そう思えた。

「そんなの、どうでもいいよ!」

 言葉が、勢いよく飛び出す。
自分の悪い噂なんて、今に始まったことじゃない。
中学の頃から、ずっとそうだった。周囲にどう思われているかなんて、考え始めたらきりがない。そんな現実から目を逸らすために、稔はずっと妄想に逃げ込んできたのだから。
――そして。
それを、出来なくしたのは、高橋だと言っても、過言ではなかった。

「高橋のせいで、俺、妄想できなくなったんだからな!」

 思わず声が強くなる。冷たい空気の中で、その声だけがやけに鋭く響いた。

「は?どういうこと?」

 高橋が眉をひそめる。校舎の影に入ったこの場所は風の通り道で、制服の袖がぱたぱたと揺れていた。

「三人をもてあそんでるみたいに言われて、気持ちがぐじゃぐじゃなんだ!」

 言葉にするほど、胸の奥に溜め込んでいた感情が溢れ出してくる。自分でも整理しきれない思いが、喉元まで押し上げてきていた。

「自分が最低だってのは分かったよ? けどさ、なんで高橋に色々言われなきゃないのさ!」

 足元に落ちていた赤い紅葉が、風に煽られてころりと転がる。
まるで今の自分の感情を、どこかで嘲笑っているかのようだった。
 稔の声はまだ荒い。
頬を打つ冷たい風さえ、今はほとんど感じていなかった。今の稔に、冷静さは残っていない。
足元に散る紅葉のように、怒りに染まった赤い感情が胸の奥で燃えていた。

「悪かったよ」

 高橋がぽつりと口を開く。

「稔が決めることだろうけど、俺が見ていたくないってだけで急かして」

 どこか不貞腐れたような声だった。
その言葉を聞いた瞬間、稔の胸の奥で張り詰めていたものが、ふっと緩むのが分かった。

「僕もごめん。怒鳴ったりして」

 さっきまでの勢いが嘘のように、声が落ち着いていく。
遠くで文化祭準備の音が聞こえる。金槌の音や笑い声が、校舎を回り込んで小さく届いていた。
さっきまで自分たちがいた教室の賑わいが、遠い世界の出来事のように思える。

「妄想できなくなったって本当?」

 高橋は恐れているかのように稔に問う。

「うん。妄想するようになった理由、高橋も知ってるだろ?」

 冷たい風がまた吹く。校庭から飛ばされてきた枯れ葉が、コンクリートの地面を擦っていった。
高橋は黙って頷く。
中学時代の稔を、誰よりも近くで見てきたのは高橋だ。どうして稔が妄想に逃げるようになったのかも、全部知っている。

「俺が変なこと言ったから」
「ううん」

 稔は首を振った。

「確かになって納得したし。友達にそう思われてるってことは、相当なんだって反省もしたよ……」

 ふと空を見上げる。雲一つない青空が広がっていた。日陰の空気は冷たい。さっきまで燃えていた怒りが、少しずつ冷めていく気がした。

「三人はね、きっと錯覚してるんだよね」

 稔がぽつりと言う。

「僕、なんか三人が誤解するような出会い方や行動取ってたみたいだし」

 高橋が言う。

「稔は誰にでも分け隔てなく優しいからねぇ」

 風がまた吹く。枯れ葉が二人の足元を横切っていった。

「だからこそ、悪意だって向けられるんだし」
「なにそれ」

 稔は顔をしかめた。

「ほら、誰だって完全な善意はないってどこかで思うじゃん?」

 高橋は壁にもたれながら言った。

「優しくされてもさ、どこかで何か見返り求められてる気がしたり、お礼しなきゃって責任感持っちゃって……なかなか優しさを百パーセントで受け取れないっていうかさ」

 高橋が少しだけ笑う。

「多分三人はさ、稔の純粋な、下心のない優しさに惹かれたんじゃないかな」
「うーん……」

 稔は腕を組みながら唸った。

「三人の好意は否定しちゃいけないとは思うけどさ、やっぱりケリはつけないと。恋人じゃなくても友達になればいいんだし」
「友達になれるのかな」

 稔の声が、少し弱くなる。
遠くから文化祭準備の歓声が聞こえてきた。

「断ったら距離置かれそうで……鳴谷くんみたいに」
「鳴谷くんとは話す機会あったんだ?」
「うん。新聞の配達、ちょっとだけ手伝ってくれたんだけど、その時……。それでね、断った後、寂しくなったりもして……そう思う自分が最低なんじゃないかって思ったりしてる。けど、自分が誰かとくっつくなんて想像できないし」

 そう言ってから、稔は少し視線を落とした。
 その言葉を聞いて、高橋は何かを考え込む。
しばらく黙ったあと、ふと何かを思いついたように口を開いた。

「あのさ、稔! 想像できないのってさ、自分に置き換えちゃったからじゃない?」
「え?」
「木津くんと村井くん、鳴谷くん。それぞれ自分とのカップリング考えてみて」
「えぇ? やだよー」
「いいから」

 稔はしぶしぶ妄想を始めた。
木津と自分。村井と自分。けれど、どちらも想像がうまくできない。しっくりこないというより――あり得ない、と思ってしまう。
そして最後に、鳴谷と自分。不器用に微笑む鳴谷の顔が浮かぶ。
その瞬間だった。
ぶわっと熱が広がった。
顔が一気に赤くなる。まるで全身が沸騰したかのように熱い。

「え? ちょっと、今誰で何を妄想した⁈」

 そのあまりにも分かりやすい反応を見て、高橋は確信した。
妄想ができなくなったのは、今までの妄想の中に自分が入り込んだからだ。
自分に好意を寄せている相手で妄想する。それが難しくなっただけのこと。
けれど、その中で誰かに好意を持っているというのは思いがけない収穫だった。

「ね、稔。あそこに男子生徒いるだろ?」

 高橋は少し先の教室の窓を指差す。
隣のクラスの窓から身を乗り出し、友人に声をかけている男子生徒がいた。

「ほら、あの二人」

 高橋はにやりと笑う。

「あの二人、どっちが受けかな?」
「そんなの、あっちでしょ。可愛い系が受け!」

 稔はいかにも小柄な男子生徒を即座に指差した。

「きっとあれは遅襲い受けタイプだね……って、あっ」

 その瞬間だった。
妄想が――できた。
目の前の状況から、自然に物語が広がっていく。次々と妄想が流れ込んでくる。

「稔! きっと三人で妄想しようとしてたから出来なくなってたんだよ!」

 高橋の言葉を聞いた瞬間、稔は喜びを抑えきれないように抱きついた。
 妄想ができる。それだけで、自分を取り戻したような気がした。

「高橋ぃ~! 僕、妄想できたぁぁぁ」

 安心した途端、涙が溢れてきた。
稔は不安だったのだ。昔の自分に戻るような気がして。自分が自分じゃなくなるような気がして。
流したそれは、安堵の涙だった。

「小野寺?」

 ゴミ捨てに来ていた鳴谷が、涙を流す稔に気づいて声をかけた。
驚いたような、そして心配そうな表情。

「どうした?」

 そう言って手が伸びてくる。
鳴谷の手は冷たいはずなのに、触れられたところだけ熱を帯びる。
ぶわっと稔の顔が赤くなった。
泣き顔と赤面が混ざり、忙しい表情になる。
その様子を見て、高橋はまた何かを悟ったような顔をした。

「ちょっと喧嘩しちゃって」

 高橋がそう言うと、鳴谷は眉間に皺を寄せ、高橋を睨んだ。
距離を置かれたとは言っていたが、どうやら好意がなくなったわけではないらしい。

「あー、やっと見つけた。ここにいたのか」
「え? ちょっと稔くん泣いてる? 大丈夫?」

 なかなか戻らない稔を心配したのか、ジャージ姿の木津と、制服に着替えた村井が駆け寄ってくる。

「うん、大丈夫」

 三人が揃った。想像ができなくなっていた三人が。
こんなタイミングで集まるなんて、出来すぎている気さえした。
この好意を断れば、きっと距離はできる。
けれど――距離ができれば、稔は稔らしくいられるのかもしれない。
そう思った。

「あのね、僕ね……」

 稔は小さく息を吸う。胸の奥で揺れている迷いを、押さえ込むように。

「村井くんとも木津くんとも付き合えない。三人とも、ごめんね」

 そう言って、はっきりと伝えた。