小野寺稔は、根っからの腐男子である。
男同士の距離が少し近いだけで、「これは何かある」と勝手に関係性を組み立てて一人で盛り上がるタイプの人間だ。
高校二年生の秋間近。空気は冷え始めているというのに、稔の脳内だけは年中無休で熱を帯びている。
――今日も尊い。
もはや呼吸のように心の中で呟きながら、そっと視線を滑らせる。
その先にいるのは、同学年の男子生徒。今の稔の推したち。校内でも有名な、一軍男子の三人組だ。
三人が揃うだけで、その場の空気は変わる。
顔面偏差値、立ち位置、空気感。
ただ立っているだけで絵になる三人。
そして何より、この距離感が神である。
(いい距離すぎる……眼福、眼福)
肩が触れそうで触れない、けれど確実に他人よりは踏み込んでいる距離。遠慮のなさと無意識の信頼がにじみ出る、あの独特の空気。幼馴染という美味しい設定まであるとなれば、オタク的腐った思考で言うならば、勝利でしかない。
(あーっ!村井くんと鳴谷くんがくっついてる!木津くん拗ねてる!
おいしい‼はい勝利~‼結婚確定‼ ありがとうございます‼)
稔の脳内で、何かが確定する音がした。妄想は静かに、しかし確実に加速していく。
同士と交わしている交換日記には、すでに今日の観察結果を書き殴っていた。
『鳴谷くんと村井くんが何か約束してる。木津くん、割り込んでる。やなむら?こづむら?……どっちに転んでもおいしい!』
(でもなぁ……)
視線を巡らせながら、さらに思考を深める。
「木津くん受けも、ありなんだよなぁ……」
「俺がなんだって~?」
「それは~……って」
すぐ近くで、軽やかな声が弾けた。
反射的に応えそうになったその時、稔は凍りつく。
「え、ええ⁈」
声が裏返る。喉がうまく動かない。
勢いよく振り返ると、そこにはにこやかに笑う男子が立っていた。
太陽を切り取ったみたいな性格と髪。
近くにいるだけで周りまで明るくなる、陽キャのど真ん中。
木津武紀だ。
距離が近い。
いや、近いというレベルではない。
一歩下がろうとした背中がすぐ机にぶつかり、完全に逃げ道を塞がれる。
よく考えれば、顔まで妙に近い。
(待って、聞かれてた? 今の聞かれてた?)
脳内で警報が鳴り響く。
「タケ、急に話しかけたら驚くだろ」
木津より頭ひとつ背の高い男が、静かに言った。
感情を削ぎ落としたような佇まい。立っているだけで場の主導権を握る、静かな刃のような男。
鳴谷青史。
その視線が、ゆっくりと稔に向く。
さらに逃げ場を塞ぐような、重たい眼差し。
稔は妄想に夢中になりすぎて、背後を取られていたことに、まったく気づいていなかった。
(え、ちょっと待って、挟まれてない?)
左右を見れば、そこにも人影があった。
いつの間にか、退路はほとんど塞がれている。
一歩動けば、誰かにぶつかりそうな距離だ。
「なに? どうしたの?」
柔らかな声が、すぐ近くで降ってくる。
振り向けば、そこにはもう一人立っていた。
誰にでも優しく、完璧だと評される男子。
王子様のような笑みを浮かべる、美しい顔立ち。
村井瑞穂。
気づけば、彼はもう目の前にいた。
一歩踏み出されただけで、最後に残っていた逃げ道まで塞がれる。
(無理無理無理無理‼三方向から供給来てる‼)
その瞬間、稔の脳は静かに処理を放棄した。
思考が追いつかない。情報量が多すぎる。
「キャ……キャパオーバーです……」
口から出たのは、もはや自分でも意味の分からない言葉だった。
顔が熱い。耳まで熱い。心臓がうるさいほど暴れている。
まるで身体中の血液が、一斉に沸騰したみたいだった。
高校二年生、健康男子。
それなのに、供給過多で血圧が上がって倒れそうになる日が来るなんて、稔は思ってもみなかった。
思考も身体も、完全に限界だった。
ふらり、と体が傾く。
「おい、小野寺!」「どうした急に」「大丈夫?」
三人の声が重なる。ぼんやりとした意識の中で、稔は自分が支えられているのを感じた。
木津の腕。鳴谷の手。村井の視線。それを一気に体感して、興奮と冷静が戦争を起こす。
(推したちの中に僕がいるとか……解釈違いすぎる……)
三人は三人で完成された関係性だ。
胸の奥がきゅっと縮こまる。
完全にバグである。そこに、自分のようなモブが入り込んでいいはずがない。
起きろ稔!空気になれ!存在を消せ!倒れるなら床の一部になれ!
と、脳内が非常事態を叫んでいる。
「顔が赤いな」
「え?熱あるんじゃないか」
「風邪かなぁ?」
そんなことはお構いなしに、三人が覗き込んでくる。
(やめて……ほんとにやめて……)
距離が近い。
視線が近い。
温度も何もかもが――近い。
「大丈夫です!ご心配なく!」
稔は、推しからの刺激が強すぎて倒れそうになる自分を、オタクの根性でどうにか踏みとどまらせた。
「どうぞ三人で過ごしてください!俺は空気です!」
焦りと動揺と混乱とが混ざり合い、稔は余計な言葉を発した。
この場から早く消えなければ、と立ち去ろうとした時。
「ねえ、待って」
「俺たちと話、しよーぜ?」
鳴谷に無言で腕を掴まれて引き止められたと思ったら、村井が声をかけてきた。
続けて木津が口にしたその言葉に、稔の背筋がすっと冷えた。
まさか、三人を遠くから眺めていたことを気味悪がられ、咎められるのではないか。
……いや。それだけなら、まだいい。
――まさか。
三人を勝手にカップリングして妄想していたことまで、バレているのではないだろうか。
そうでなければ、この三人がこんな平凡なモブに声をかけてくる理由がない。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、背筋にさらに冷たいものが走った。
まるで突然、死刑執行を言い渡されたような気分だった。
(終わった)
稔の脳内で、何かが静かに終わった。
それは、たぶん人生だ。
静かというより、むしろ盛大に終わりかけている気もする。
……なのに。
腕を掴んでいる鳴谷の手は、不思議と強くも乱暴でもなかった。
逃がさないように、ただ静かにそこにあるだけ。
責めるような力でも、引き寄せるような力でもない。
その感触だけが、妙にはっきりと残った。
(……あれ? 怒って、ない? バレてない? 思い過ごし?)
ふと、そんな考えがよぎる。
もちろん確信なんてない。
ただの希望的観測かもしれない。
むしろ、オタクの都合のいい妄想かもしれない。
……とはいえ。
(ほんとすみません……)
稔は確信のないまま、とりあえず心の中で全力の謝罪を捧げた。
男同士の距離が少し近いだけで、「これは何かある」と勝手に関係性を組み立てて一人で盛り上がるタイプの人間だ。
高校二年生の秋間近。空気は冷え始めているというのに、稔の脳内だけは年中無休で熱を帯びている。
――今日も尊い。
もはや呼吸のように心の中で呟きながら、そっと視線を滑らせる。
その先にいるのは、同学年の男子生徒。今の稔の推したち。校内でも有名な、一軍男子の三人組だ。
三人が揃うだけで、その場の空気は変わる。
顔面偏差値、立ち位置、空気感。
ただ立っているだけで絵になる三人。
そして何より、この距離感が神である。
(いい距離すぎる……眼福、眼福)
肩が触れそうで触れない、けれど確実に他人よりは踏み込んでいる距離。遠慮のなさと無意識の信頼がにじみ出る、あの独特の空気。幼馴染という美味しい設定まであるとなれば、オタク的腐った思考で言うならば、勝利でしかない。
(あーっ!村井くんと鳴谷くんがくっついてる!木津くん拗ねてる!
おいしい‼はい勝利~‼結婚確定‼ ありがとうございます‼)
稔の脳内で、何かが確定する音がした。妄想は静かに、しかし確実に加速していく。
同士と交わしている交換日記には、すでに今日の観察結果を書き殴っていた。
『鳴谷くんと村井くんが何か約束してる。木津くん、割り込んでる。やなむら?こづむら?……どっちに転んでもおいしい!』
(でもなぁ……)
視線を巡らせながら、さらに思考を深める。
「木津くん受けも、ありなんだよなぁ……」
「俺がなんだって~?」
「それは~……って」
すぐ近くで、軽やかな声が弾けた。
反射的に応えそうになったその時、稔は凍りつく。
「え、ええ⁈」
声が裏返る。喉がうまく動かない。
勢いよく振り返ると、そこにはにこやかに笑う男子が立っていた。
太陽を切り取ったみたいな性格と髪。
近くにいるだけで周りまで明るくなる、陽キャのど真ん中。
木津武紀だ。
距離が近い。
いや、近いというレベルではない。
一歩下がろうとした背中がすぐ机にぶつかり、完全に逃げ道を塞がれる。
よく考えれば、顔まで妙に近い。
(待って、聞かれてた? 今の聞かれてた?)
脳内で警報が鳴り響く。
「タケ、急に話しかけたら驚くだろ」
木津より頭ひとつ背の高い男が、静かに言った。
感情を削ぎ落としたような佇まい。立っているだけで場の主導権を握る、静かな刃のような男。
鳴谷青史。
その視線が、ゆっくりと稔に向く。
さらに逃げ場を塞ぐような、重たい眼差し。
稔は妄想に夢中になりすぎて、背後を取られていたことに、まったく気づいていなかった。
(え、ちょっと待って、挟まれてない?)
左右を見れば、そこにも人影があった。
いつの間にか、退路はほとんど塞がれている。
一歩動けば、誰かにぶつかりそうな距離だ。
「なに? どうしたの?」
柔らかな声が、すぐ近くで降ってくる。
振り向けば、そこにはもう一人立っていた。
誰にでも優しく、完璧だと評される男子。
王子様のような笑みを浮かべる、美しい顔立ち。
村井瑞穂。
気づけば、彼はもう目の前にいた。
一歩踏み出されただけで、最後に残っていた逃げ道まで塞がれる。
(無理無理無理無理‼三方向から供給来てる‼)
その瞬間、稔の脳は静かに処理を放棄した。
思考が追いつかない。情報量が多すぎる。
「キャ……キャパオーバーです……」
口から出たのは、もはや自分でも意味の分からない言葉だった。
顔が熱い。耳まで熱い。心臓がうるさいほど暴れている。
まるで身体中の血液が、一斉に沸騰したみたいだった。
高校二年生、健康男子。
それなのに、供給過多で血圧が上がって倒れそうになる日が来るなんて、稔は思ってもみなかった。
思考も身体も、完全に限界だった。
ふらり、と体が傾く。
「おい、小野寺!」「どうした急に」「大丈夫?」
三人の声が重なる。ぼんやりとした意識の中で、稔は自分が支えられているのを感じた。
木津の腕。鳴谷の手。村井の視線。それを一気に体感して、興奮と冷静が戦争を起こす。
(推したちの中に僕がいるとか……解釈違いすぎる……)
三人は三人で完成された関係性だ。
胸の奥がきゅっと縮こまる。
完全にバグである。そこに、自分のようなモブが入り込んでいいはずがない。
起きろ稔!空気になれ!存在を消せ!倒れるなら床の一部になれ!
と、脳内が非常事態を叫んでいる。
「顔が赤いな」
「え?熱あるんじゃないか」
「風邪かなぁ?」
そんなことはお構いなしに、三人が覗き込んでくる。
(やめて……ほんとにやめて……)
距離が近い。
視線が近い。
温度も何もかもが――近い。
「大丈夫です!ご心配なく!」
稔は、推しからの刺激が強すぎて倒れそうになる自分を、オタクの根性でどうにか踏みとどまらせた。
「どうぞ三人で過ごしてください!俺は空気です!」
焦りと動揺と混乱とが混ざり合い、稔は余計な言葉を発した。
この場から早く消えなければ、と立ち去ろうとした時。
「ねえ、待って」
「俺たちと話、しよーぜ?」
鳴谷に無言で腕を掴まれて引き止められたと思ったら、村井が声をかけてきた。
続けて木津が口にしたその言葉に、稔の背筋がすっと冷えた。
まさか、三人を遠くから眺めていたことを気味悪がられ、咎められるのではないか。
……いや。それだけなら、まだいい。
――まさか。
三人を勝手にカップリングして妄想していたことまで、バレているのではないだろうか。
そうでなければ、この三人がこんな平凡なモブに声をかけてくる理由がない。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、背筋にさらに冷たいものが走った。
まるで突然、死刑執行を言い渡されたような気分だった。
(終わった)
稔の脳内で、何かが静かに終わった。
それは、たぶん人生だ。
静かというより、むしろ盛大に終わりかけている気もする。
……なのに。
腕を掴んでいる鳴谷の手は、不思議と強くも乱暴でもなかった。
逃がさないように、ただ静かにそこにあるだけ。
責めるような力でも、引き寄せるような力でもない。
その感触だけが、妙にはっきりと残った。
(……あれ? 怒って、ない? バレてない? 思い過ごし?)
ふと、そんな考えがよぎる。
もちろん確信なんてない。
ただの希望的観測かもしれない。
むしろ、オタクの都合のいい妄想かもしれない。
……とはいえ。
(ほんとすみません……)
稔は確信のないまま、とりあえず心の中で全力の謝罪を捧げた。

