球技大会の打ち上げという名目の、選定イベントが始まった。
甘いドーナツの香りが漂う店内。ほかのファミレスやカフェ、カラオケ店は、今日の球技大会の打ち上げで、それぞれ仲のいい生徒たちに占拠されているらしい。どこもかしこも、さぞかし騒がしいことだろう。
その点、この店は意外なほど生徒が少ない。落ち着いて話をするには、実に都合のいい場所だった。……もっとも、いま行われている話し合いが「落ち着いたもの」かどうかは、また別の問題である。
「誰が好きか、答えてもらおうか」
鳴谷が、逃げ道をふさぐようにそう告げた。
それに続けて木津が、逃げても無駄だの、今ここで決めてもらうだのと、遠慮なく答えを迫ってくる。
「俺たち、ずっと好きだったんだから」
という村井の言葉に、――最近まで嫌いだって言ってましたよね?という至極まっとうなツッコミが頭に浮かぶ。
しかし、それを口に出すことができない。
普段の稔なら、考えるより先に言葉が飛び出すはずなのに。それすらできないほど、目の前の状況はあまりにも混乱していた。
いっそ「三人で付き合ってください!」とでも言えたら楽なのだろうが、三人の視線はあまりにも真剣で、しかも無駄に甘い。さすがの稔も、オタク心を発揮できる空気ではないと悟っていた。
「そもそも、鳴谷くんとはあまり接点が……」
恐る恐るそう口にした瞬間、村井と木津がハッとした顔をする。
「……確かに」
学校を休んでいたせいで、稔を順番に口説くという約束は守られていない。
つまり――鳴谷だけ、明らかに不利なのである。
「俺と付き合うのか」
「そうじゃないでしょ!」
鳴谷の一言に、村井がすかさずツッコミを入れた。
「でも俺は、試合に勝ったら付き合うって約束した!」
「それは一方的な約束だったんでしょ!」
木津の子どものような言い分に、村井がまたもやツッコミを入れる。
どうやらこの三人の中では、村井がツッコミ役に回るのが一番しっくりくるらしい。
「まあ、確かに不利だよね。じゃあ、三日間くらい青史に譲るよ」
村井が軽い調子でそう言うと、「えー……俺、約束したのに」と、木津が不満そうに口を尖らせる。
「たけは黙ってて!」
即座に村井がぴしゃりと遮った。
今のところ、一番有利なのは木津かもしれない――と、村井は内心で考えていた。この三人の中で、稔がほんの少しだけ肩の力を抜いて接している相手がいるとすれば、それは木津だ。
だからこそ村井は、三日という期限を設けることを提案した。時間を与えることで、稔が木津を選ぶ流れをいったん外すつもりだったのである。
三日程度なら、積極的に動くタイプでもない鳴谷に、稔が落ちる可能性も高くないだろう。少なくとも、今この場で決着がつくよりはずっとましだ。
そんな計算のもとに出された提案だった。
「ね? 稔くん」
村井がにこやかに視線を向ける。
「待ってください! なんでそうなるんですか?!」
当然のように、稔は慌てて抗議した。
稔は、村井に対してだけ敬語で話す。
一軍男子とモブ男子という立ち位置こそあれ、特別な上下関係があるわけでもないのに、だ。
理由は単純だった。――顔が良すぎて緊張するのである。
実際、村井の顔面偏差値はかなり高い。近くで見れば見るほど、その破壊力は増す。
「もぉ、稔くんはいつになったら、タメ口になってくれるのかなぁ?」
そう言いながら、村井はずいっと顔を近づけた。
すると稔の顔は、目の前の皿に乗っているいちごジャムのドーナツよりも、ずっと鮮やかな赤色へと変わっていく。
顔が近い!近すぎます!
と騒ぎ出す稔の反応は、見ている側からすると実に面白い。
「ほんと、稔くん俺の顔好きだね?」
村井が、からかうように言う。
それは、残りの二人に向けた小さな宣戦布告だった。
稔の好みが自分であると、さりげなく示している。
「はい! 好きです!」
稔は勢いよく答えた。
ほとんど誘導尋問のような流れである。だが稔は、そういう駆け引きに弱い。
思ったことを、考えるより先に口に出してしまう。そういう性格なのだ。
村井はそれを、きちんと理解したうえで言葉を選んでいた。
「この顔は、稔くんにあげるからね。そうだなぁ、身体もあげちゃうよ」
「へ?!」
その瞬間。
ピシャッ、と雷鳴でも落ちたかのように、空気が一気に張りつめた。
「お、俺だって稔に全部あげるわ!」
焦った木津が慌てて声を張り上げる。
しかし鳴谷は、眉間に皺を寄せたまま何も言わなかった。黙っているだけなのに、その沈黙は妙に重い。
場の空気が、じわりと固まりかけた――そのときだった。
「あれ? 先輩! 木津先輩!」
不意に、明るい声が四人の席に飛び込んできた。
まるで空を舞う鷹の鳴き声のように、妙に張りがあって凛々しい声だった。
声の主は、そのままこちらへ駆け寄ってくる。同じ制服を着た男子生徒だった。
木津を先輩と呼んだということは、おそらく一年生だろう。
背は高く、肩幅も広い。いかにも運動部らしい、無駄のない体格をしている。
「ここで打ち上げしてたんですね!」
「げっ……」
その姿を見た途端、木津が露骨な声を漏らした。
それは、普段の木津からはなかなか聞けない種類の嫌悪の声だった。
「知り合い?」
村井が首を傾げる。
「覚えてないか? 中学のサッカー部の後輩だよ」
「あー……」
村井は少し考えてから、あっさり首を振った。
「サッカー部いっぱいいるから覚えてないや」
記憶力のいい村井にしては、珍しい反応だった。
「先輩! 今日の試合すごかったです!やっぱり木津先輩はすごい!」
大きな身体に似合わず、後輩はまるで犬のように尻尾を振っているかのような様子だった。素直すぎるくらいの尊敬のまなざしが、木津へ向けられている。
「お……おう……」
しかし、その視線を受けている木津の笑顔は、なぜか引きつっていた。
そんな木津を見るのも、なかなか珍しい。
稔は、その後輩をぼんやりと眺めながら、どんな人物なのだろうと考えていた。
――そのときだった。
「あ……」
後輩の視線が、稔へ向く。
そして次の瞬間。
「ああ、こいつ。噂のビッチ野郎ですね」
その言葉は、驚くほどはっきりしていた。
鋭く、迷いなく。そしてまっすぐに。
憎悪と敵意が、稔へ向けられているのがはっきりと分かった。
甘いドーナツの香りが漂う店内。ほかのファミレスやカフェ、カラオケ店は、今日の球技大会の打ち上げで、それぞれ仲のいい生徒たちに占拠されているらしい。どこもかしこも、さぞかし騒がしいことだろう。
その点、この店は意外なほど生徒が少ない。落ち着いて話をするには、実に都合のいい場所だった。……もっとも、いま行われている話し合いが「落ち着いたもの」かどうかは、また別の問題である。
「誰が好きか、答えてもらおうか」
鳴谷が、逃げ道をふさぐようにそう告げた。
それに続けて木津が、逃げても無駄だの、今ここで決めてもらうだのと、遠慮なく答えを迫ってくる。
「俺たち、ずっと好きだったんだから」
という村井の言葉に、――最近まで嫌いだって言ってましたよね?という至極まっとうなツッコミが頭に浮かぶ。
しかし、それを口に出すことができない。
普段の稔なら、考えるより先に言葉が飛び出すはずなのに。それすらできないほど、目の前の状況はあまりにも混乱していた。
いっそ「三人で付き合ってください!」とでも言えたら楽なのだろうが、三人の視線はあまりにも真剣で、しかも無駄に甘い。さすがの稔も、オタク心を発揮できる空気ではないと悟っていた。
「そもそも、鳴谷くんとはあまり接点が……」
恐る恐るそう口にした瞬間、村井と木津がハッとした顔をする。
「……確かに」
学校を休んでいたせいで、稔を順番に口説くという約束は守られていない。
つまり――鳴谷だけ、明らかに不利なのである。
「俺と付き合うのか」
「そうじゃないでしょ!」
鳴谷の一言に、村井がすかさずツッコミを入れた。
「でも俺は、試合に勝ったら付き合うって約束した!」
「それは一方的な約束だったんでしょ!」
木津の子どものような言い分に、村井がまたもやツッコミを入れる。
どうやらこの三人の中では、村井がツッコミ役に回るのが一番しっくりくるらしい。
「まあ、確かに不利だよね。じゃあ、三日間くらい青史に譲るよ」
村井が軽い調子でそう言うと、「えー……俺、約束したのに」と、木津が不満そうに口を尖らせる。
「たけは黙ってて!」
即座に村井がぴしゃりと遮った。
今のところ、一番有利なのは木津かもしれない――と、村井は内心で考えていた。この三人の中で、稔がほんの少しだけ肩の力を抜いて接している相手がいるとすれば、それは木津だ。
だからこそ村井は、三日という期限を設けることを提案した。時間を与えることで、稔が木津を選ぶ流れをいったん外すつもりだったのである。
三日程度なら、積極的に動くタイプでもない鳴谷に、稔が落ちる可能性も高くないだろう。少なくとも、今この場で決着がつくよりはずっとましだ。
そんな計算のもとに出された提案だった。
「ね? 稔くん」
村井がにこやかに視線を向ける。
「待ってください! なんでそうなるんですか?!」
当然のように、稔は慌てて抗議した。
稔は、村井に対してだけ敬語で話す。
一軍男子とモブ男子という立ち位置こそあれ、特別な上下関係があるわけでもないのに、だ。
理由は単純だった。――顔が良すぎて緊張するのである。
実際、村井の顔面偏差値はかなり高い。近くで見れば見るほど、その破壊力は増す。
「もぉ、稔くんはいつになったら、タメ口になってくれるのかなぁ?」
そう言いながら、村井はずいっと顔を近づけた。
すると稔の顔は、目の前の皿に乗っているいちごジャムのドーナツよりも、ずっと鮮やかな赤色へと変わっていく。
顔が近い!近すぎます!
と騒ぎ出す稔の反応は、見ている側からすると実に面白い。
「ほんと、稔くん俺の顔好きだね?」
村井が、からかうように言う。
それは、残りの二人に向けた小さな宣戦布告だった。
稔の好みが自分であると、さりげなく示している。
「はい! 好きです!」
稔は勢いよく答えた。
ほとんど誘導尋問のような流れである。だが稔は、そういう駆け引きに弱い。
思ったことを、考えるより先に口に出してしまう。そういう性格なのだ。
村井はそれを、きちんと理解したうえで言葉を選んでいた。
「この顔は、稔くんにあげるからね。そうだなぁ、身体もあげちゃうよ」
「へ?!」
その瞬間。
ピシャッ、と雷鳴でも落ちたかのように、空気が一気に張りつめた。
「お、俺だって稔に全部あげるわ!」
焦った木津が慌てて声を張り上げる。
しかし鳴谷は、眉間に皺を寄せたまま何も言わなかった。黙っているだけなのに、その沈黙は妙に重い。
場の空気が、じわりと固まりかけた――そのときだった。
「あれ? 先輩! 木津先輩!」
不意に、明るい声が四人の席に飛び込んできた。
まるで空を舞う鷹の鳴き声のように、妙に張りがあって凛々しい声だった。
声の主は、そのままこちらへ駆け寄ってくる。同じ制服を着た男子生徒だった。
木津を先輩と呼んだということは、おそらく一年生だろう。
背は高く、肩幅も広い。いかにも運動部らしい、無駄のない体格をしている。
「ここで打ち上げしてたんですね!」
「げっ……」
その姿を見た途端、木津が露骨な声を漏らした。
それは、普段の木津からはなかなか聞けない種類の嫌悪の声だった。
「知り合い?」
村井が首を傾げる。
「覚えてないか? 中学のサッカー部の後輩だよ」
「あー……」
村井は少し考えてから、あっさり首を振った。
「サッカー部いっぱいいるから覚えてないや」
記憶力のいい村井にしては、珍しい反応だった。
「先輩! 今日の試合すごかったです!やっぱり木津先輩はすごい!」
大きな身体に似合わず、後輩はまるで犬のように尻尾を振っているかのような様子だった。素直すぎるくらいの尊敬のまなざしが、木津へ向けられている。
「お……おう……」
しかし、その視線を受けている木津の笑顔は、なぜか引きつっていた。
そんな木津を見るのも、なかなか珍しい。
稔は、その後輩をぼんやりと眺めながら、どんな人物なのだろうと考えていた。
――そのときだった。
「あ……」
後輩の視線が、稔へ向く。
そして次の瞬間。
「ああ、こいつ。噂のビッチ野郎ですね」
その言葉は、驚くほどはっきりしていた。
鋭く、迷いなく。そしてまっすぐに。
憎悪と敵意が、稔へ向けられているのがはっきりと分かった。

