腐男子くんは三人の溺愛から逃げられない~推しカプ観察してたら本人たちにバレました~

 村井瑞穂は、小野寺稔のことが大嫌いだ。
幼い頃から当たり前のように隣にいた二人。その間に、ぽつりと入り込んできた異物のように思えたからだ。
幼馴染三人の並びの中で、自分の立ち位置を奪われてしまう気がして。胸の奥で、名前のつけられない苛立ちが小さく燻っていた。
小野寺稔という男子生徒の存在を知ったのは、一年生になってまだ数日しか経っていない頃だった。

「たけ? 髪染めたの?」

 いつも通りの昼休み。弁当を持って席に集まったとき、村井はようやくそれに気づいた。朝から、見慣れない明るい髪の男子が学校にいるとは思っていた。だが、それが誰なのか分からなかったのだ。
昼食の時間になって、ようやくその正体が分かった。木津だった。

「そう。ちょっと事情があって」

 どこか気まずそうに言いながら、木津は箸を割った。

「馬鹿が馬鹿に見えるようにする必要あるの?」
「ひっで!」

 すぐに返ってくる軽口。幼馴染だからこそ出せる、遠慮のない冗談だった。
木津と鳴谷が並び、三人で弁当を広げる昼休み。普段、クラスメイトに見せている「理想的に優しい村井瑞穂」の姿は、ここにはない。少しだけ冷めた口調で、村井は木津をじっと見た。

「そんな見た目にしなきゃいけない理由って、何なのさ」

 村井の言葉に、木津の箸がぴたりと止まった。

「あー……」

 困ったように頭をかき、視線を弁当に落とす。その頬が、ほんのり赤く染まっている。
その様子を見て、村井は内心で肩をすくめた。どうせ、くだらない理由だろう――そう高を括っていた。

「好きな人ができてさ……その子の好みに合わせてみました……」

 その瞬間、村井の手が止まった。
弁当の蓋を開けようとしていた指先が、空中でぴたりと固まる。
子供の頃から、木津がそんな話をしたことは一度もなかった。好きな人ができた――そんな色恋の言葉が、よりにもよって木津の口から出るとは思っていなかったのだ。

「本当? おめでとう。どんな子?」

 驚きのまま、反射的に祝福の言葉が口をついた。だが、続けた問いに対して、木津は急に気まずそうな顔をする。
視線が泳ぎ、箸で意味もなく弁当の隅をつつく。
話したくないのかもしれない。そう思ったが、村井の興味はもう消えなかった。
木津の好みなど、長い付き合いの自分も鳴谷も知らない。だからこそ、余計に気になった。

「あー……ひかないよな?」
「え? 何? そんな引くような子なの?」
「その子自体はいい子だよ! ただ……」

 木津はしばらく迷うように黙り込んだ。そして、小さく息を吐いてから言った。

「男なんだ」

「は?」

 思わず、声が漏れた。
自分から答えを引き出したくせに、村井の頭は真っ白になる。想像の外から投げ込まれた言葉に、思考が追いつかない。
弁当の蓋を持ったまま、村井はしばらく動けなかった。


「え? 待って、話についていけない」

 村井は頭を痛めたかのように額を手で覆った。

「やっぱり引くよな。ごめん。気持ち悪い話して」

 少し顔色を悪くする木津を見るに、話してしまった後悔と、村井の反応に戸惑っているのだろう。
血の気の引いたその顔を見て、村井は小さく息を吐いた。幼馴染の二人ならと打ち明けてくれたその勇気を、無下にはできなかった。

「いや、驚きはしたけど、引かないよ」

 そう告げると、木津は少し安堵の色を見せた。

「ね? 青史」

 元々口数の少ない青史に同意を求める。青史はどう思っているのだろう、と村井は気になった。

「……そうだな。たけ、安心しろ。俺の好きな人も男だ」

 鳴谷は、さらりと言った。
突然の二人のカミングアウトに、村井の頭は完全に追いつかなかった。

「え?! あの新聞配達に来てる人、男だったの?」

 村井は思わず驚きの声を上げた。
中学時代、好きな人はいないのかという話題になったことがある。木津と村井は「いない」と答えたが、鳴谷だけは「いる」と言っていた。
新聞配達に来ている子だという話だけで、性別までは知らなかったのだ。

どんな子なのかを調べようにも、木津と村井の家では新聞を購読していない。そのため配達員を見る機会もなく、年齢も何も分からない。きっと年上の女性だろう――そんな曖昧な想像だけが、二人の間でぽつぽつと飛び交っていた。

「ちょっと待って、頭の中が整理できない」

 村井は本当の意味で頭痛を覚え、痛む眉間を指で揉んだ。一度に詰め込まれた情報が、頭の中で絡まった糸のようにもつれている。

「とにかく、二人とも好きな人が男なんだね? 二人はゲイって訳だ」
「ゲイではないと思うぞ。他の男は無理だもんよ」

 木津は困ったように笑いながら、弁当の米粒を箸でつついた。

「そうだな」

 鳴谷は短く同意しただけだった。相変わらず表情は薄く、まるで天気の話でもしているような落ち着き方だ。

「まあ、どっちでもいいけど。どちらにせよ、世間の風は冷たい壁のある恋って訳だ。……とにかく、俺は二人を応援するよ」

 村井は大きく息を吐き、ようやく腹をくくったようにそう言った。呆れ半分、諦め半分――それでも幼馴染を突き放す気にはなれない。

「で、たけは……相手はどんな子なの? 同じ学校?」
「そう。同じ学校。C組の。別棟だからなかなか会わねぇけど」
「接点あったの?」
「入試の時に助けてもらった」

 木津は少し照れたように頬をかき、視線を弁当に落とした。

「え?その子だったの?」

 入試の日に誰かに助けてもらった――そんな話は前に聞いた覚えがある。村井の中で、ばらばらだった記憶がようやく一つに繋がった。

「名前は分かるんだ?」
「ああ、えっと……小野寺。小野寺稔って子」

 その時だった。
鳴谷の手が止まった。
箸の先が弁当箱の上で、ぴたりと動かなくなる。

「ダメだ」

 いつもなら自分から会話に入ってくることの少ない鳴谷が、低く言った。

「その子はダメだ」

 さっきまで静かな湖面のようだった目が、ふいに鋭さを帯びる。
真剣な眼差しで木津を見据える鳴谷が、そこにいた。
 誰がどんな相手と交友を持とうと、それは本人の自由だ。と、これまでそう言って、他人の人間関係には一切口を出さなかった男だ。
そんな鳴谷が、珍しくはっきりと「ダメだ」と言った。
 その場の空気が、わずかに張り詰める。
それは木津を心配しての言葉ではない。
向けられた視線の奥には、明らかに――その相手を他人に渡すつもりなどないという意思が滲んでいた。

「え……まさか新聞配達の子って……」

 こんな偶然あっていいのだろうか。

「マジかよ……」

 木津が小さく呟いた。
嫌でも分かる。二人の好きな相手が、同じ人物だということに――。

 それから村井は、小野寺稔という生徒を気にかけるようになった。
ちびで、地味で、目立たない。どこにでもいそうな、ごく普通の男子生徒だった。
どうしてあんな奴が、あの二人を惹きつけるのか。村井には理解できなかった。
木津も鳴谷も、気づけば稔のことばかり見ている。
三人で並んでいたはずの場所から、自分だけが少しずつ離れていくような気がした。
胸の奥に、重たいものが溜まっていく。
嫉妬というより、もっと濁った感情だった。
友達を取られる。居場所を奪われる。
自分だけが、置いていかれる。
そんな感覚だった。

 二年生になり、二人は稔と同じクラスになった。運命のいたずらのようだった。
そんなある日、一冊のノートを目にすることになる。
内容は、酷いものだった。
だが――それが二人に希望を与えてしまった。
小野寺稔が、同性愛に寛容であることが分かったからだ。
それから二人の視線は、以前よりもあからさまに稔を追うようになった。
その視線を見るたびに、村井の胸の奥で何かが濁る。
 三人でいたはずなのに。
 気づけば、自分だけが外にいる。

 そうだ。
 壊せばいい。

 小野寺稔を自分のものにして、二人が諦めた頃に――捨ててやろう。
そんな歪んだ考えが、静かに村井瑞穂の中で形を取り始めていた。

 ***

「ドーナツ好きなんだってね」

 放課後の帰り道。駅前の店から漂う甘い匂いの前で、村井は何気ない調子でそう言った。
稔が甘いもの――特にドーナツが好きだという話は、事前に他者から聞き出していた。だから今日、ここに誘った。
村井は、わざと稔に近づいていた。すべて、計画通りだった。
木津と鳴谷には、「気にしてるうちに好きになってた」――そんな嘘をついた。
自分が稔に好意を持っているように見せるためだ。

「何で知ってるんですか」

 驚いたように目を丸くする稔。

「その手の人に聞いたよ」

 わざと曖昧に言うと、稔は一瞬考え込み――すぐに顔を上げた。

「高橋ですね⁉」

 あまりに即答だった。
どうやら思ったことが、そのまま口に出る性格らしい。近づいてみて、村井はようやくそれに気づいた。
警戒心も、裏もない。
まっすぐすぎるくらい、単純な人間。
知れば知るほど、村井には分からなかった。
どうして、あの二人が――こんな奴を好きになるのか。
 稔は無邪気にドーナツを選んでいる。
その横顔を見ながら、村井の胸の奥だけが、ゆっくりと濁っていった。
自分は――
稔を好きになるどころか、知れば知るほど、嫌いになっていく。
むしろ、その感情は、少しずつ強くなっていた。

 ドーナツの甘い香りが、胸やけを起こしそうになる。
村井は甘いものが嫌いだった。けれど、最短で距離を縮めるためなら、この程度の我慢は必要だった。

「村井くん。これ」

 稔がチーズの入ったドーナツを差し出してきた。

「ん? 稔くん食べなよ」
「これ、甘くないんですよ! 村井くんでも食べられるかと!」

 村井はぴたりと動きを止めた。

「……何で、知って……?」
「え、村井くんの卵焼きしょっぱかったんで。あと、前もドーナツ食べなかったし」
「それだけで?」
「はい。あ、匂いも苦手ですよね? お店入ってから、よく鼻に手やってたので」
「……よく分かったね」

 顔には出していない自信はあった。だが、無意識の癖まで見抜かれていたことに、村井は小さく驚いた。

「やっぱり! 僕の好み優先してくれて、ありがとうございます!」

 そう言うと稔は、クリームたっぷりのドーナツを頬いっぱいに詰め込んだ。

「早く食べて、この店出ましょう!」

 必死に食べる姿は、どこか餌をためこむハムスターのようだ。

「ふっ……そんなに急がなくても大丈夫だよ」

 思わず笑いがこぼれる。少し――可愛いと思ってしまった。
ドーナツ屋を出た帰り道。

「村井くんは、僕のこと嫌いですよね」
「え?」
「二人を取られたくなくて、僕に近づいたんですよね?」

 村井は足を止めた。
どうしてバレた。演技は完璧なはずだった。

 稔は、どこか期待するような目でこちらを見ている。

(ああ、腐男子ってやつだったよな、こいつ)

「……そんなことないよ?」

 言っていることは当たっている。だが、稔の想像している意味とは違う。
きっとオタク特有の妄想で、そう思い込みたいだけなのだろう。
村井はいつもの笑顔を浮かべた。

「えー……」

 残念そうな声。

(単純だな)

 村井が内心でそう思った、そのときだった。

「あれ見ろよ」

 近くにいた男子生徒の声が耳に入った。

「気持ち悪ぃよな」

 視線は稔に向けられていた。学校ではすでに、鳴谷と木津の噂が広まっている。村井も、その仲間だと囁かれていた。軽蔑するような視線が向けられたその瞬間――

「あの二人、ラブラブしてません!?」

 突然、稔が声を張り上げた。
村井はぎょっとする。
(そうだ、こいつは思ったことをそのまま口に出すんだった)
 稔の大声で、周囲の視線が一斉に二人に集中する。男子生徒二人が耳打ちする距離にいることが、稔には妄想のごちそうになったらしい。もうこうなったら、彼らは完全に餌食だ。妄想ノートの中身を知る村井には、その光景が手に取るように分かった。

「し、してねぇわ!」

 返ってきた反応に稔は自分の声の大きさに気づき、ハッと両手で口を覆う。

「す、すみません……すごく仲がいいから、つい……」
「ついって何だ!」

 男子生徒が耐えきれずツッコミを入れると、稀に見る漫才が始まった。数分間、会話はコントのように転がり、周囲からくすくす笑いが漏れる。それに気づいた男子生徒たちの忍耐力は限界に達し、疲れた顔で「もうやめようぜ」と呟くと、さっさとその場を去った。

「わー……またやっちゃった」

 稔は反省しているようだったが、同じことを繰り返す未来は容易に想像できた。
村井は思わず我慢できずに声を上げた。

「あははははっ!」

 腹を抱えて笑う自分に、少し驚く。こんなふうに笑ったのは、いつぶりだろう。幼馴染以外の前では、初めてかもしれない。稔は、悪意なく悪意を持った生徒を制裁した――そんな光景が、村井の胸をすっと晴れやかにしたのだった。

「あ、村井くん」

 稔がぽつりと声をかける。

「その笑顔、村井くんって感じでいいですね」

 村井は一瞬、言葉を失った。
完璧な王子様。笑い方ひとつまで、周囲の理想に合わせて生きてきた。
自分を隠して、ずっと――。

なのに――

稔は何も気にせず、ただ自然にそう言った。
まるで、「本来の村井瑞穂」という男を、誰よりも正面から見てくれたみたいな、そんな気持ちになった。

その声、その表情――
まるで無邪気な光が、胸の奥の暗がりに差し込むようだった。
ぎゅっと固まっていた感情が、ふっと溶けていく。
心の奥で、何かが小さく跳ねる音が聞こえた気がした。

 ――これが、人を惹きつけるってやつか。

 周囲の雑音や男子生徒たちの声は、もう遠くでくすぐる風のようにしか感じられない。間抜けで、天然で、でも確かに誰かを幸せにする力を持つ――そんな存在。
村井は自分の胸の奥で、黒く淀んでいた感情がじわりと形を変えていくのを感じた。あの憎んでいた稔への思いが、今、この瞬間、少しずつ色を変え始めている――。
思わず口元が緩み、心の中で小さく笑う。

 ――ああ、この子が好かれる理由が、やっと少しわかった気がする。