官服の袖を軽くたくし上げ、文書に朱を入れる手は迷いがない。
戸部監察補佐として皇城に召されてからも、彼女の仕事ぶりは変わらなかった。変わったのは――立場だけだ。
白瑤華という名で仕えていた官吏は、いまや景朝皇帝の正妻としてかけがえのない存在となっている。
誰も、彼女を「身を引いた女」とは呼ばない。
後宮は解体されたも同然だったが、戦乱で行き場を失った妃たちは平穏な暮らしを受け入れていた。
瑤華は玄耀の隣で、同じ書を読み、同じ国を見る者として、今日も筆を握っている。
――追いかけたら逃げるだろう、なんて自分のことを正当化しているみたい。
「瑤華」
名を呼ばれて顔を上げると、珠児を抱いたままの玄耀が立っていた。息子を縁側に座らせ、彼は妻に柔らかな視線を向ける。
「そろそろ休め。朝議のあとから、ずっと机にくっついているではないか」
「もう少しで終わります」
「終わらせるのは、明日でいい」
有無を言わせぬ口調だったが、彼女の肩に羽織をかける玄耀の仕草はひどく丁寧だ。
「冷えるぞ」
短く告げられただけなのに、胸の奥が温かくなる。
――この人は、変わらない。



