* * *
門の向こうから町の気配が流れ込んでくる。湯気、香の匂い、人の声――ここには後宮も、玉座もない。
あるのは、自ら選び取った静かな暮らしだけ。官舎を出れば、すぐに町へと続く細道がある。
「今日は市まで行くの?」
「紙を買わないといけないからね」
それだけの会話で、珠児は満足そうに頷いた。
ここでは、誰も瑤華を“誰かの女”として見ない。ただの官吏で、ただの母親である。
「お嬢ちゃん、おおきくなったねぇ」
市では顔なじみの商人が声をかけてくる。仕事で使う紙を扱う文具屋に、珠児が赤子の頃から世話になっている薬種屋に、母子が日常的に立ち寄る駄菓子屋……。
どれも、瑤華と珠児の暮らしを支える大切な人々だ。
「ありがとうございます」
けれどそう言われるたび、瑤華は曖昧に笑って受け流すしかなかった。深く語れない事情があるのを彼らも知っているから、それ以上は関わらない。
知らないままでいられる距離感は心地よい。だが、正体を隠すべく市井で息子に女児の格好をさせていることに、瑤華はいつしか罪悪感を抱くようになっていた。
門の向こうから町の気配が流れ込んでくる。湯気、香の匂い、人の声――ここには後宮も、玉座もない。
あるのは、自ら選び取った静かな暮らしだけ。官舎を出れば、すぐに町へと続く細道がある。
「今日は市まで行くの?」
「紙を買わないといけないからね」
それだけの会話で、珠児は満足そうに頷いた。
ここでは、誰も瑤華を“誰かの女”として見ない。ただの官吏で、ただの母親である。
「お嬢ちゃん、おおきくなったねぇ」
市では顔なじみの商人が声をかけてくる。仕事で使う紙を扱う文具屋に、珠児が赤子の頃から世話になっている薬種屋に、母子が日常的に立ち寄る駄菓子屋……。
どれも、瑤華と珠児の暮らしを支える大切な人々だ。
「ありがとうございます」
けれどそう言われるたび、瑤華は曖昧に笑って受け流すしかなかった。深く語れない事情があるのを彼らも知っているから、それ以上は関わらない。
知らないままでいられる距離感は心地よい。だが、正体を隠すべく市井で息子に女児の格好をさせていることに、瑤華はいつしか罪悪感を抱くようになっていた。



