翌日も、当たり前のように佳月がわたしを監視していた。いつまで経っても死ぬことができないのが、苦痛で仕方がない。
監視対象だというのに、それなりにいい食事を出してくれるし、布団も上質なものだ。羅刹の環境も孤児として生きていた時代より何百倍もマシだったが、それ以上にいい環境。
それが余計、わたしの心を蝕む。いつもと異なる世界にいると自覚するたび、任務に失敗したことを痛感してしまうから。
「また苦しんでいるな。お前は生きることの何にそんなに怯えているのだ」
「何度も説明しています! わたしは殺し屋として生まれてきた人間。殺しができなければ価値はないのです」
「何度も説明しているのはこちらのほうだ。殺し屋として生まれてきた人間などこの世に誰ひとりとしていない」
「いいえ、います。わたしです」
また大きなため息をつかれる。美しい顔でため息をつかれると、こんなにも戸惑うのだと、初めて知った。
――何を考えているのだろう? 敵に絆されているのか、わたしは。
「お前のその異能は、殺しのためのものではない。いや、そもそも異能そのものに善悪などないのだ。使い方次第で善にも悪にもなる。それが異能だ」
何を言われても、心は動かない。説得なんてされない。わたしは羅刹として生き、羅刹として死ぬのだ。
「そもそも、姿を消す異能など他に使い道はいくらでもあるだろう」
「そうだとしても、最も向いているのは暗殺です」
「その前提からして、間違っている。それは鴉羽の洗脳に過ぎない。悪いが、鴉羽は頭の回転が遅いようだからな。私のほうがまだ考えることは得意だ」
朧さまを貶され、怒りが芽生える。しかし、怒りとは不都合なもの。判断を鈍らせる。深呼吸して心を落ち着ける。
「敵陣に潜入して情報を盗ることも、見えない証人として取引を目撃することも、敵に気取られずに要人を護衛することも、そして、暗殺を未然に防ぐこともできるだろう」
一気に押し寄せてきた情報に、頭が混乱する。
この異能が殺し以外にも使える……?
いや、間違っている。そんなの嘘だ。朧さまが言っていることが間違っているわけがないのだから。
「雫、というのだったな。――お前、異能統制局に入れ」
ぐらり。心が傾くのが自分でもわかった。当たり前だが、佳月には気づかれたことだろう。
「……でも、わたしはこれまで何人も殺してきた。その道でしか生きられないから。もう数え切れないほど罪を重ねてしまっています」
「これから償えばいいだろう」
佳月は静かに言った。威圧感もなければ、残忍に笑うこともなかった。
――どうして、そんなに優しい顔をするの?
「今からする話は独り言だがな――」
佳月はそう言って、話し始めた。
「私は昔、ある組織で暗殺者として生きていた。もう何年も前の話だ。少年であれば、警戒はされにくい。潜入も容易かったのだ。それはもう、数え切れないほど殺した。何十人とな」
彼の表情からは何も読み取れない。
「罪の意識もなかった。善悪の判断がつく前に殺しを始めたからな。そして、そんな私を哀れんだ人間が現れた」
「それが異能統制局の前局長だ。彼は私を庇って殺されたのだ。死ぬ直前、私に向かって彼が言った言葉を、私はいつまで経っても忘れることができない。ずっとその言葉に囚われたままなのだ」
「『死ぬな。逃げるな。――生きろ。ただひたすらに生きるのだ。そうしてお前はその手で奪った命の数だけ、人を守り続けろ』彼はそう言ってこときれた」
聞くまいとしても、勝手に佳月の言葉が耳に入ってきて、頭の中に像を結ぶ。彼の言う元局長が、想像上でわたしに向かって同じ言葉を語りかける。
「それから私は、統制局への入団を志願した。この国の秩序を守り、悪を裁き、無意味に命が消えないように、守るために。私が非情な処刑人と言われるまで仕事に命を賭けるのは、すべてこの国を守るため。善を保つためだ」
目の前の男の、固い意志が感じ取れる。草薙佳月という男は、噂に違わず冷酷だが、噂とは異なって無慈悲ではないのだ。そう言語化できて初めて、ここ数日の彼の発言に納得がいく。
――そうだ。この男はずっと、善のために。羅刹に使われてきたわたしを殺さずに救うために――。
「雫。私はお前に同じ言葉を送りたい。死んで逃げようとするな。生き延びて、――私と共に過去の罪を償わないか」
微かに見えていただけの、一生掴むことはないと思っていた小さな光が、徐々に近づいてくる。罪悪感もある。でも、その光に手を伸ばしてみたくなった。
「……それは命令ですか」
「違う。言ったろう、独り言だと」
佳月はやはり優しい顔をしている。
「…………」
「返事はすぐでなくていい。だが、これだけは言える。お前はあのとき帝を殺すのを躊躇った。それは、お前が壊したくないと望んだからだ。生きたいと願ったからだ。紛れもない、自分の意志でな」
足場がグラグラと揺れているみたいだった。わたしは本当に、この人の言葉を信じていいのだろうか……?
監視対象だというのに、それなりにいい食事を出してくれるし、布団も上質なものだ。羅刹の環境も孤児として生きていた時代より何百倍もマシだったが、それ以上にいい環境。
それが余計、わたしの心を蝕む。いつもと異なる世界にいると自覚するたび、任務に失敗したことを痛感してしまうから。
「また苦しんでいるな。お前は生きることの何にそんなに怯えているのだ」
「何度も説明しています! わたしは殺し屋として生まれてきた人間。殺しができなければ価値はないのです」
「何度も説明しているのはこちらのほうだ。殺し屋として生まれてきた人間などこの世に誰ひとりとしていない」
「いいえ、います。わたしです」
また大きなため息をつかれる。美しい顔でため息をつかれると、こんなにも戸惑うのだと、初めて知った。
――何を考えているのだろう? 敵に絆されているのか、わたしは。
「お前のその異能は、殺しのためのものではない。いや、そもそも異能そのものに善悪などないのだ。使い方次第で善にも悪にもなる。それが異能だ」
何を言われても、心は動かない。説得なんてされない。わたしは羅刹として生き、羅刹として死ぬのだ。
「そもそも、姿を消す異能など他に使い道はいくらでもあるだろう」
「そうだとしても、最も向いているのは暗殺です」
「その前提からして、間違っている。それは鴉羽の洗脳に過ぎない。悪いが、鴉羽は頭の回転が遅いようだからな。私のほうがまだ考えることは得意だ」
朧さまを貶され、怒りが芽生える。しかし、怒りとは不都合なもの。判断を鈍らせる。深呼吸して心を落ち着ける。
「敵陣に潜入して情報を盗ることも、見えない証人として取引を目撃することも、敵に気取られずに要人を護衛することも、そして、暗殺を未然に防ぐこともできるだろう」
一気に押し寄せてきた情報に、頭が混乱する。
この異能が殺し以外にも使える……?
いや、間違っている。そんなの嘘だ。朧さまが言っていることが間違っているわけがないのだから。
「雫、というのだったな。――お前、異能統制局に入れ」
ぐらり。心が傾くのが自分でもわかった。当たり前だが、佳月には気づかれたことだろう。
「……でも、わたしはこれまで何人も殺してきた。その道でしか生きられないから。もう数え切れないほど罪を重ねてしまっています」
「これから償えばいいだろう」
佳月は静かに言った。威圧感もなければ、残忍に笑うこともなかった。
――どうして、そんなに優しい顔をするの?
「今からする話は独り言だがな――」
佳月はそう言って、話し始めた。
「私は昔、ある組織で暗殺者として生きていた。もう何年も前の話だ。少年であれば、警戒はされにくい。潜入も容易かったのだ。それはもう、数え切れないほど殺した。何十人とな」
彼の表情からは何も読み取れない。
「罪の意識もなかった。善悪の判断がつく前に殺しを始めたからな。そして、そんな私を哀れんだ人間が現れた」
「それが異能統制局の前局長だ。彼は私を庇って殺されたのだ。死ぬ直前、私に向かって彼が言った言葉を、私はいつまで経っても忘れることができない。ずっとその言葉に囚われたままなのだ」
「『死ぬな。逃げるな。――生きろ。ただひたすらに生きるのだ。そうしてお前はその手で奪った命の数だけ、人を守り続けろ』彼はそう言ってこときれた」
聞くまいとしても、勝手に佳月の言葉が耳に入ってきて、頭の中に像を結ぶ。彼の言う元局長が、想像上でわたしに向かって同じ言葉を語りかける。
「それから私は、統制局への入団を志願した。この国の秩序を守り、悪を裁き、無意味に命が消えないように、守るために。私が非情な処刑人と言われるまで仕事に命を賭けるのは、すべてこの国を守るため。善を保つためだ」
目の前の男の、固い意志が感じ取れる。草薙佳月という男は、噂に違わず冷酷だが、噂とは異なって無慈悲ではないのだ。そう言語化できて初めて、ここ数日の彼の発言に納得がいく。
――そうだ。この男はずっと、善のために。羅刹に使われてきたわたしを殺さずに救うために――。
「雫。私はお前に同じ言葉を送りたい。死んで逃げようとするな。生き延びて、――私と共に過去の罪を償わないか」
微かに見えていただけの、一生掴むことはないと思っていた小さな光が、徐々に近づいてくる。罪悪感もある。でも、その光に手を伸ばしてみたくなった。
「……それは命令ですか」
「違う。言ったろう、独り言だと」
佳月はやはり優しい顔をしている。
「…………」
「返事はすぐでなくていい。だが、これだけは言える。お前はあのとき帝を殺すのを躊躇った。それは、お前が壊したくないと望んだからだ。生きたいと願ったからだ。紛れもない、自分の意志でな」
足場がグラグラと揺れているみたいだった。わたしは本当に、この人の言葉を信じていいのだろうか……?



