月下の華 〜冷酷で最強の執行官は、殺し屋の少女を独占する〜

 佳月はずっとわたしを監視している。本当にずっとだ。統制局の特務執行官という重要な任に就いているというのに、こんなところにずっといていいのだろうか。
 いや、敵対勢力が今は羅刹しかいないのだろう。だから、羅刹の動きを封じることさえできればいいのだ。
 その晩、朧さまはやって来た。やはり、本人が。
 羅刹には連帯責任のルールがある。部下がヘマをしたのなら、上司が責任を取りに来るのが暗黙の了解だ。
「来たな」
 即座に臨戦体制に入る佳月。わたしは獄中で平身低頭し、叫ぶ。
「朧さま。任を果たせぬ身に、もはや価値はございません。どうか……お手ずから、お裁きを」
 しかめ面をした朧さまは、すぐに右手の二本の指を立てる。佳月諸共、わたしを殺すつもりなのだろう。
「亜空間! 幽影結界!」
 見慣れた空間が出現する。行灯があちらこちらに設置してあり、中央の天井からカカシが吊り下げられている。反射的に影を隠すように壁際に動こうとするが、その必要がないことを思い出し、その場に佇んだ。
 朧さまの異能は少し特殊だ。選択した人物を亜空間に連れ込み、影踏みの遊戯を強制させる。朧さまが空間内にいるときは朧さまの真の影を踏むことで元の空間に戻ることができる。しかし、朧さまの影は偽物の可能性がある。偽物は時折震えるため、落ち着いて観察すれば見破ることができる。逆に、朧やカカシによって影を踏まれた場合、三秒間影に縫い付けられ、動きを止められてしまう。
 亜空間に引き摺り込むと同時に設定を理解させられるため、すぐに遊戯は始まる。
 佳月はというと、遊戯自体を楽しんでいるような顔をしている。朧さまは佳月を倒してからわたしを切るのだろう。すぐに佳月の影を踏むべく動き出していた。
「その少女に殺しを教えたのはお前か? 刺す直前に躊躇するとは、指導が足りないのではないか」
 佳月がバカにするように言う。
「笑止千万。我輩の教えを測るとは片腹痛い。ならば貴様が手本を見せてみせよ」
 顔を顰めたまま応戦する朧さま。
 ここで加勢してはならない。これはふたりの戦いなのだから。わたしは静かに見守るのみだ。
 佳月は一向に影を踏もうとする様子がない。
「貴様、なぜ!」
「すまないな。私はこうなることが数日前にはわかっていたのだ」
 一気に距離を詰めた朧さまを華麗に避け、佳月はクックと笑う。やはり笑った顔は残忍極まりない。
「私の異能は『領域支配』。そこの悲しき運命の少女には、六間以内の範囲を指定して使うと説明したが、それは嘘だ」
 わたしはハッとする。あらゆる戦闘シーンを切り抜けてきた直感が叫ぶ。朧さまが危ない!
「残念だな。我が異能に範囲制限はない。――故に、この亜空間も支配できる」
 頭で考える前に、体が勝手に動き出していた。佳月の影を踏もうとする。が、佳月がすぐに反応し、反対にわたしの影を踏んできた。影に縫い付けられ、動けなくなる。朧さまと戦闘訓練をした際に何度も経験した感覚。
 今度はカカシと朧さまが同時に佳月を狙って動く。だが、次の瞬間、佳月が腰に下げた剣を抜き、気づけば幽影結界は消え去っていた。
 ――亜空間ごと切った……? あり得ない。そんなこと、できるわけがない。
 元の牢獄に戻ってきて、どさりと床に落ちる。変わらず足に鎖がついている。
 だが、戦いは終わったわけではない。空間の移動のどさくさに紛れて、朧さまも剣を抜き、佳月に切りかかるが、領域支配によってすべて察知されてしまい、傷ひとつつけられない。
「お前はあの少女に何を教えた? 殺ししか能がないと言ったのはお前か?」
「そうだ。実際その通りだろう。姿を消す異能など、暗殺者として生きるために生まれて来たようなもの。それができぬのなら、生きている価値などない」
 佳月の姿がゆらりとゆらめいた気がした。否――本気を出し始めたのだ。その存在感に圧倒される。強すぎる。絶対に勝てない。そう感じさせるほどの威圧。
 朧さまは目的を即変更したのか、こちらに近づき、慣れた剣さばきで鎖を断ち切り、わたしの首に刃を向ける。
 わたしは安心した。ああ、これで価値のないわたしは生を終わらせることができる。役に立たなかった朧さまのお手を煩わせてしまった。でも、これでやっと――。
 目を瞑って身を委ねる。
 でも、いつまで経っても痛みが来ない。恐る恐る目を開けると、佳月が朧さまを止めている。剣と剣を交え、力で押している。
「その女に価値などない。ためらう刃などただの鈍らに過ぎぬ。どうせすぐに潰える出来損ないよ。――雫、せいぜい情に溺れ、仮初めの安寧でも味わうがよい」
 朧さまは表情を変えず、また二本の指を立てて亜空間へと消えていった。
「チッ、逃したか」
 佳月が悔しげに顔を歪める。
「どうして……どうして? もう死ねると思ったのに……!」
「言っただろう。そうはさせない。それにしても、あれがお前を育てたのか?」
「……」
 朧さまに拾われたときの記憶が蘇ってくる。孤児として食べ物に飢え、異能を使って金品を盗んでいたあの頃、救いの手を差し伸べてくれた朧さまは神様のように思えた。
「許せぬな。次こそは必ず捕え、二度と口を聞けぬよう唇を縫い合わせ、二度と印を結べないよう指を切ってやろう」
 残虐なことを吐く佳月。
「傷ついたか?」
「……? 怪我はしていません。そんなことより、早く殺してください」
 大きなため息をつかれ、困惑する。
「そういうことではない。生きる価値がないとああ何度も言われては、傷つくだろう」
 この人は一体全体何を言っているのだろうか?
 佳月の整った顔は、少し心配そうに歪んでいて、それが余計に困惑を助長する。なぜわたしを心配する? わたしは捕虜だというのに。
 理解ができない。それなのになぜか、佳月から目を逸らせなかった。