月下の華 〜冷酷で最強の執行官は、殺し屋の少女を独占する〜

 それから何日かは、帝が上級妃の元へと向かっていたようだった。もちろん、昼間もたまに下級女官として仕事を投げ出し、異能を使って帝の様子を観察していた。
 任務を遂行するためには、少しでも多くの情報を手に入れたほうがいいに決まっている。慎重に、丁寧に計画を進める。
 数日後の夜。計画を実行することに決めた。
 下見のときと同様、衣擦れに気を遣いながら瑞宸殿へと向かう。外の見張りはこの間と同じ、ふたり。十六のわたしでも体術で勝てそうな相手だ。すぐに御簾の内側に入る。
 やはり、佳月がいる。
 少し気を引き締めて、ゆっくりと近づく。
 よし、うまく佳月の目をすり抜けることができた。
 帷の内側で、小さな刀を握り締める。殺せば、わたしの価値は保たれる。わたしは生きていていい。
 刹那、ここ数日の出来事が脳裏に過ぎる。
(しずく)っていうのね! あたしは華乃(かの)。よろしくね!」
「もうこの後宮の道を覚えたの? 雫ってすごいのね!」
「ほら見て見て! 中級妃の朝霞さまよ。キャッ! こちらを見てくださったわ!」
 後宮は、陰謀渦巻く女の園。そう思っていた。でも、実際に入ってみたこの世界は、そんな闇に咲く妖艶な花などではなかった。
 あまりにも、普通の世界。わたしがこれまでいた場所とは、正反対の光の世界だった。
 ――この場所を、壊していいの?
 こんなこと、一度も考えたことがなかった。いつも、ただ首を掻き切って終わり。それだけのはずなのに。刀を持つ手が震える。
 早く、殺さなければ。
 心がグラグラと揺れるのが自分でもわかった。
 だから、気づかなかった。否、気づけなかった。
 いつの間にか、わたしの首筋には冷たい刃が当てられていた。息を呑む。だが、殺し屋としての勘が働いたのか、勝手に体が動き、刃を逃れるようにすり抜ける。
 後ろにいたのは、佳月だった。
 目が合う。――どうして、目が合った? わたしはまだ異能を解いていないのに。
「勝ち目がないことはわかっているだろう。異能を解け」
 ――しくじった。
 その瞬間、さまざまなことが頭を駆け巡った。計画は失敗。羅刹は警戒され、わたしを恨むだろう。口封じのために消しにくるはずだ。ああ、でも、後宮が壊れなくて、よかったのかも。殺せなかったわたしに価値はないのだから、もう関係ない。死ぬべきなんだ。
 観念して、異能を解く。目の前に端正な顔は、一瞬眉を顰め、わたしの手首を強引に掴んで外に引っ張り出した。ふたりの見張りは、侵入者であるわたしを見るとすぐに刀を抜いたが、佳月がそれを手で制する。話をつけ、しばらく席を外すよう言った。
 何をされるのだろうか。拷問? それなら、自害するまでだ。
「私はその目を知っている。過去幾度となく出会ってきた。――生きることを諦めた人間の目だ」
 何を言い出すのかと思えば――これは同情して情報を引き出す手だろうか。冷酷無慈悲と言われる男が、そのような駆け引きを……?
「どうしてためらった? その剣さばき、すでに何人も殺しているだろう?」
 質問の意図が分からず、困惑する。
 そんなの、わたしが聞きたい。これまで殺しに躊躇したことなどなかった。どうして、どうして今回だけ……?
 幼子の喉を断つときも、命乞いする母親の背を刺すときも、一切のためらいはなかった。
 だって、わたしの価値は殺しをするときだけ生まれるのだから。
 激情が湧き上がってくる。早く殺してほしい。こんなに価値のない人間を。