月下の華 〜冷酷で最強の執行官は、殺し屋の少女を独占する〜

 その晩は、満月が煌々と輝いていた。
 瑞宸殿(ずいしんでん)へと向かう道は、そこに近づくにつれて豪華になっていく。途中、庭の大きな池の水面に月が反射してゆらめいていた。
 その明るさを利用し、帝の眠る瑞宸殿へと足を進める下級女官がひとり――それがわたしである。
 息を潜め、衣擦れにも意識を向け、ひたすら静かに前へ前へと進む。ただ淡々といつもと同じように。
 誤解のないよう、説明しておこう。決して、帝の寵愛を受けているわけではない。入内したばかりのわたしが、そのような名誉に預かるはずがない。
 わたしは、帝をこの手で刺殺するために、こうして後宮に潜り込んだのだ。
 羅刹(らせつ)という組織の一員であるわたしは、国家転覆を企てる長の計画を遂行する。なぜなら、それこそがわたしの生きる意味であり、価値だから――。
 ふと、直属の上司の言葉が聞こえてくる。
「お前は人を殺すために生まれてきた。その姿を消す異能は、暗殺のためのものだ。殺せ、我輩の命令の通りに殺せ。それがお前の唯一の価値なのだ」
 懐の刀に手を当て、その冷たさを感じ取る。計画を頭の中で復習する。
 わたしが帝を殺したのち、まだ齢四という幼い皇子を新たな帝に立て、羅刹の傀儡にして政権を乗っ取る、というのが計画の全貌だ。
 今日はその下見に来ている。
 瑞宸殿に辿り着く。部屋の前に見張りは二人。
 姿を消すことができても、気配を完全に消すのは難しい。息を潜め、足音を立てず、気取られないように進まねばならない。
 だが、もう慣れている。何度殺しをやってきたか、両手両足の指を使っても数え切れない。
 見張りは巻けた。
 御簾の隙間から瑞宸殿に入る。こういう動作もお手のものだ。
 帷の外側に、見張りがひとり。顔を見るのは初めてだが、その佇まいに誰だかすぐにわかった。
 ――草薙佳月(くさなぎかげつ)。表向きは存在しない、国家の重要機関「異能統制局」の特務執行官だ。
 齢二十一という若さにして統制局最強と謳われるその実力は、羅刹の中でもしばしば話題に上る。異能の詳細まではわからないが、防御中心の異能だとか。それに彼の剣術と体術を合わせることで、最強の異能力者と言われるまでになっていると聞く。
 冷酷無慈悲であり、非情とも言われている。任務は淡々と遂行し、表の世界の秩序と安寧のためならば、自らの手を汚すことも厭わない。いやまあ、わたしが言えたことではないが。
 ――この男が見張りとなると、少し気を引き締めなければ。
 統制局が出張ってきているということは、羅刹の計画は勘づかれているのだろうか。
 立ち止まって徹底的に気配を消し、敵をじっくりと観察する。その強さは、気配だけでも十分に伝わってくる。幹部が絶賛していたが、なるほど、眉目秀麗だ。見るものを射殺すような鋭い目つきに、普通の者ならば萎縮して動けなくなってしまうだろう。
 とはいえ、任務に支障はない。いつも通り、この刀でひと突きだ。流石にその音と血の匂いですぐに気取られはするだろうが、姿が見えない分、探されている間にさっさと逃げればいい。
 帷の隙間から内側に入る。一度も見たことがない殿上人のお顔を拝むのはなんだか不思議な心持ちだ。静かに寝入っている。
 数日後にまた参ります。そのときは、必ず――。
 心の内で呟き、下見を終える。何事もなかったかのように、先ほど通った道を戻った。満月は、先より少し西に傾いていた。