不眠の氷狼皇帝は、身代わり妃を手放せない

華国の後宮に、新しい『伝説』が定着して数ヶ月。
かつて『氷狼』と恐れられた皇帝李信の冷徹さは、今や特定の条件下でしか発動しなくなっていた。

その条件とは——『正妃茉莉花の身に何かが及ぶ時』である。

「……茉莉花、まだ終わらないのか?その茶会とやらは」

午後の陽だまりが差し込む庭園。
茉莉花が新しく入宮した大人しい妃たちと親睦を深めていると、背後から不機嫌そうな、けれど甘ったるい声が響いた。
公務を放り出してきたのであろう皇帝が、茉莉花の腰に遠慮なく腕を回し、首筋に鼻先を寄せる。

「陛下、はしたないですわ。皆様が見ていらっしゃいます」
「関係ない。……一時間も離れていたんだ、私の独占欲が暴走したらどうするつもりだ?」

……そんなの、嘘だってバレバレです……

茉莉花は苦笑しながらも、彼の手を優しく握り返した。
実際、李信の不眠症は茉莉花と一緒に眠ることで完治している。
今の彼は、単に茉莉花の香りがなくては落ち着かない『重度の依存症』になっているだけだ。

「わかりましたから。……皆様、今日はここまでにしましょうか」

他の妃たちが「お熱いことで……」と頬を染めて退散していくのを見届け、李信は満足げに茉莉花を抱き上げ、寝室へと運んでいく。

「……あ、陛下!まだ明るいですよ!」
「構わん。私の独占欲は、お前をどれだけ抱いても癒えないのだ」

天蓋付きの寝台に横たわると、李信は茉莉花の髪を一房手に取り、熱烈な口づけを落とした。
かつての鋭い眼差しは消え、そこにあるのは愛しくてたまらないという、溺れるような情愛の眼差しだ。

「唐家もなくなり、お前を縛るものは何もない。……だが、私の腕という檻からは、死ぬまで出さないと言っただろう?」
「ええ。……覚悟しています。こうして甘やかされるのも、案外悪くありませんから」

茉莉花が微笑んで彼の頬を撫でると、李信は「……狡いな、お前は」と呟き、深く唇を重ねた。

かつて『身代わり』として捨てられた少女は、今や華国の太陽となり、凍てついた皇帝の心を溶かしきってしまった。
これからも彼は、世界に対しては『氷狼』であり続け、彼女の前でだけは、甘い毒を強請る『愛の虜』であり続けるのだろう。

「愛している、茉莉花。……私の命が尽きるその瞬間まで、お前を離さない」

窓の外では、追放された者たちの末路など誰も知らないまま、ただ穏やかな風が吹いていた。
二人の間に流れるのは、永遠に続く、熱く、重く、そしてどこまでも甘い、溺愛の時間だけだった。