数日後。深夜の廃屋。
「小鈴、見てくれ。……おはぎが、朕の膝の上でヘソを天に向けて寝ている。これは……これは『完全勝利』ではないか?」
皇帝・李白は、およそ皇帝とは思えぬほど腰を低くし、膝の上の子猫を驚かせないよう石像のように固まっていた。
片手は空中で止まったまま。指先の震えだけが、抑えきれない喜びを暴露している。
「おめでとうございます、陛下。それは猫界における最高ランクの信頼の証、『ヘソ天』です。もはや陛下は、おはぎにとっての『動く温かいクッション』へと昇格されたのです」
「クッションか……。一国の主としてはいささか複雑だが、猫に認められるのであれば本望だ」
小鈴は皇帝の隣で、他の猫たちの毛並みを整えていた。
ブラシが毛を梳く音が、雨のように静かに続く。
猫たちは順番待ちの列を作り、わざと皇帝の足に尻尾を絡めては、高級餌をねだる顔をする。
二人の関係は『主従』というより、もはや『猫カフェの店長と、常連の太客』に近い。
猫たちはさながら、キャバ嬢のごとく皇帝に高級餌を強請る。
「……しかし陛下、一つ伺ってもよろしいですか?」
小鈴がブラシを動かしながら尋ねる。
「陛下が妃たちの元へ通われなくなったのは、巷では『女性嫌い』だの『去勢皇帝』だのと言われておりますが……本当のところはどうなのです?」
「去勢……っ。貴様、朕の前でなんという不敬な……」
皇帝は眉をひそめたが、膝の上のおはぎを見て溜息をつき、ぽつりと語り始めた。
「……あいつらは、猫を捨てたのだ」
「え?」
「以前、麗妃の元を訪れた際、彼女が飼っていた猫がいなくなっていた。問うてみれば、『大きくなって可愛くなくなったから、池に沈めさせた』と笑って答えおった」
小鈴の指が止まる。ブラシが毛の上でひとつ跳ね、猫が小さく身をすくめた。
「……信じられるか?昨夜まで喉を鳴らして甘えていた命を、ただの飾り物のように捨てたのだ」
皇帝の瞳に、底の冷えた軽蔑が宿る。
「その後、他の妃の元へ行っても同じだった。猫を飽きれば捨て、犬が吠えれば叩く。そんな女たちと、どうして愛を語り、子を成す気になれる?朕には、彼女たちが着飾った美しい皮を被った、血も涙もない化け物に見える」
小鈴は息を吸った。廃屋の湿り気が胸に残る。
皇帝が『冷徹』になったのは、彼自身が誰よりも優しく、繊細な心の持ち主だったからだ。
「……陛下。それは、陛下がまともすぎるからです。後宮という場所は、心を殺さねば生きられぬ場所。ですが、猫だけは嘘をつきませんものね」
「左様だ。猫は朕を皇帝としてではなく、ただの『パパ(仮)』として見てくれる……」
その、ほんわかとした空気が流れた瞬間。
「――あら、随分と楽しそうな『お茶会』ですこと」
廃屋の扉が、乱暴に蹴破られた。
冷たい外気が雪崩れ込み、蝋燭の火が大きく揺れる。猫たちの毛が一斉に逆立ち、ゴロゴロ音がぷつりと止んだ。
「なっ……!?」
李白が反射的に立ち上がろうとして、おはぎが驚いて「ギャッ」と鳴く。
入口に立っていたのは、松明を持った侍従たちを引き連れた麗妃だった。
扇の陰の笑みは、勝ち誇った刃の形をしている。
「陛下、こんな汚らわしい場所で、下賤な侍女と何をされているのかと思えば……。まあ、その毛むくじゃらの獣は何かしら?気持ち悪い」
麗妃の視線が、おはぎに向けられた。
その目は、まさに皇帝が言った通り『ゴミを見る目』だった。
「麗妃、貴様……。なぜここへ来た」
李白の声が、今まで聞いたこともないほど冷たく、鋭い刃のように響いた。
しかし、麗妃はそれに気づかない。
「陛下をお救いに来たのですわ。こんな侍女にたぶらかされ、獣の病をうつされては大変です。……さあ、そこの侍女を捕らえなさい!そして、その汚い獣たちはすべて叩き殺してしまいなさい!」
「待て!やめろ!」
皇帝が叫ぶが、侍従たちが一斉に踏み込んでくる。
土の床が鳴り、松明の油が焦げる匂いが濃くなる。
ひとりの侍従が、おはぎを掴み上げようと手を伸ばした。
「させません!」
小鈴が動いた。
床を滑るように踏み込み、猫を撫でるために鍛えられたしなやかな腕で、伸びた手をはね除ける。
指先ひとつで方向をずらし、猫に触れさせない。
「この子たちに指一本、触れさせない……っ!猫を愛でぬ者に、この楽園の敷居を跨ぐ資格はありません!」
「小鈴!」
皇帝の声が響く中、小鈴はおはぎを抱きしめ、鋭い目付きで麗妃を睨みつけた。
それは大人しい侍女が初めて見せた、命を守るための牙だった。
「な、なんですって……?この私に向かって、そんな無礼な口を……!」
麗妃の顔が怒りで歪む。
彼女にとって侍女は石ころだ。その石ころが噛みつくなど、世界の秩序が壊れるに等しい。
「ええ、無礼ついでに申し上げます。陛下があなた様のもとに通わなくなった理由、まだお気づきにならないのですか?」
小鈴は震える腕でおはぎを守り、言い放つ。
「命を慈しむ心のない方に、国母となる資格などありません。陛下が愛しておられるのは、美しいだけの飾り人形ではなく、共に命を尊ぶ心を持つ者なのです!」
「黙れ!黙りなさい!さあ、その薄汚い獣ごと、この女を捕らえなさい!」
侍従たちが一斉に小鈴へ飛びかかろうとした、その時。
「――そこまでにせよ」
その一言で、猫の鳴き声すら止んだ。
松明の火が揺れたまま固まったように見え、土の匂いが急に冷える。
侍従の足が床に張り付く。丽妃の笑みだけが、遅れて落ちた。
それは、今まで小鈴に見せていた『猫好きのパパ』の顔ではない。
真に国を統べる、龍の如き威圧感を纏った皇帝・李白の姿だった。
「陛下……!さあ、この無礼な侍女に罰を……」
「麗妃。貴様は先ほど、この猫を『汚い獣』と言ったな」
李白は一歩、また一歩と麗妃へ近づく。
その足取りは静かだが、踏みしめる土さえも凍りつきそうなほど冷徹だ。
「そして、朕の大事な『猫の師匠』……いや、侍女である小鈴に手を上げようとした」
「……えっ?大事な、何ですって?」
麗妃が呆然とする中、李白は彼女の目の前でぴたりと足を止めた。
「朕は、猫を捨てるような、情のねえ女と子供を作る気は毛頭ない。そんな女に国を任せれば、民もまた猫と同じように『飽きたから』と捨てられるのが目に見えているからだ」
「そ、そんな……!たかが猫一匹のために、私を……」
「たかが猫一匹ではない。命だ」
冷たく言い放つと、皇帝は控えていた近衛兵へ合図を送った。
兵の鎧が擦れる金属音が、判決のように響く。
「麗妃を廃位とする。今すぐこの後宮から追放し、実家へ送り返せ。二度と朕の前に、そして……猫たちの前に姿を見せるな」
「陛下ぁ!そんな、嘘でしょう!?嫌、嫌ですわぁああ!」
悲鳴が闇に引きずられて消える。
扉が再び閉まり、外の足音が遠ざかると、廃屋には静寂が戻った。
猫たちは恐る恐る鼻先を突き出し、やがて小さく鳴いて小鈴の足元に集まってくる。
嵐のあと。
小鈴は腰が抜けたようにその場に座り込んでいた。
腕の中では、おはぎが「にゃん?」と首を傾げている。
「……小鈴。怪我はないか」
「へ、陛下……。はい、大丈夫です。ですが、本当によろしかったのですか?麗妃様は有力な貴族の娘……」
「構わぬ。猫を守れぬ男に、国が守れるはずがないからな」
李白はそう言うと、ふっと表情を和らげた。
その視線は、宝石を見るように柔らかく、いつもの、小鈴だけが知っている『猫好きの青年』の顔だ。
そして彼は、ためらいを一度だけ挟み、小鈴の隣に腰を下ろした。
「小鈴」
そっと、手が伸びる。
皇帝の指が、小鈴の手の甲に触れ、確かめるように握った。
熱は意外に人間のそれで、震えも混じっている。
「お前は先ほど、朕が愛するのは『共に命を尊ぶ心を持つ者』だと言ったな」
「え、ええ……。まあ、勢いで言ってしまいましたが」
「その通りだ。朕は、お前がいい」
小鈴の心臓が跳ねた。猫のゴロゴロ音よりも激しく。
「猫を慈しみ、朕の『パパ(仮)』という情けない姿を見ても逃げ出さず、それどころか『石鹸になれ』と指導までしてくれる。そんな女は、世界中探してもお前しかいない」
「陛下……それ、褒めていらっしゃいますか?」
「最大級の賛辞だ」
李白は真面目な顔で言い切ってから、少しだけ視線を逸らし、続けた。
「後宮の隅で隠れて世話をするのはもう終わりだ。これからは朕の隣で、正妃として……いや、猫たちの『ママ』として、この国を共に支えてくれ」
小鈴は驚きで目を見開いた。
けれど李白の瞳は逃げない。照れくささはあるのに、逃げない。
その不器用さが可笑しくて、彼女はぷっと吹き出してしまった。
冷徹な皇帝の手が、わずかに震えていることに気が付いたのだ。
「……ふふっ。分かりました。ですが陛下、条件があります」
「なんだ?宝石か?それとも新しい宮殿か?」
「いいえ。後宮の全ての庭を、猫たちが自由にお昼寝できる『猫庭』に改築してください。あと、陛下の赤ちゃん言葉、これからは私の前だけでお願いしますね?」
李白の耳たぶが、また真っ赤になる。
それでも彼は、力強く頷いた。
「約束しよう。……大好きでちゅよ、小鈴」
「……陛下、今のは猫に対してですか?それとも私に対して……?」
「両方に決まっているだろう!」
月明かりの下、二人の笑い声と、猫たちの小さな鳴き声が重なった。
廃屋の湿った匂いさえ、少しだけ甘くなった気がした。
「小鈴、見てくれ。……おはぎが、朕の膝の上でヘソを天に向けて寝ている。これは……これは『完全勝利』ではないか?」
皇帝・李白は、およそ皇帝とは思えぬほど腰を低くし、膝の上の子猫を驚かせないよう石像のように固まっていた。
片手は空中で止まったまま。指先の震えだけが、抑えきれない喜びを暴露している。
「おめでとうございます、陛下。それは猫界における最高ランクの信頼の証、『ヘソ天』です。もはや陛下は、おはぎにとっての『動く温かいクッション』へと昇格されたのです」
「クッションか……。一国の主としてはいささか複雑だが、猫に認められるのであれば本望だ」
小鈴は皇帝の隣で、他の猫たちの毛並みを整えていた。
ブラシが毛を梳く音が、雨のように静かに続く。
猫たちは順番待ちの列を作り、わざと皇帝の足に尻尾を絡めては、高級餌をねだる顔をする。
二人の関係は『主従』というより、もはや『猫カフェの店長と、常連の太客』に近い。
猫たちはさながら、キャバ嬢のごとく皇帝に高級餌を強請る。
「……しかし陛下、一つ伺ってもよろしいですか?」
小鈴がブラシを動かしながら尋ねる。
「陛下が妃たちの元へ通われなくなったのは、巷では『女性嫌い』だの『去勢皇帝』だのと言われておりますが……本当のところはどうなのです?」
「去勢……っ。貴様、朕の前でなんという不敬な……」
皇帝は眉をひそめたが、膝の上のおはぎを見て溜息をつき、ぽつりと語り始めた。
「……あいつらは、猫を捨てたのだ」
「え?」
「以前、麗妃の元を訪れた際、彼女が飼っていた猫がいなくなっていた。問うてみれば、『大きくなって可愛くなくなったから、池に沈めさせた』と笑って答えおった」
小鈴の指が止まる。ブラシが毛の上でひとつ跳ね、猫が小さく身をすくめた。
「……信じられるか?昨夜まで喉を鳴らして甘えていた命を、ただの飾り物のように捨てたのだ」
皇帝の瞳に、底の冷えた軽蔑が宿る。
「その後、他の妃の元へ行っても同じだった。猫を飽きれば捨て、犬が吠えれば叩く。そんな女たちと、どうして愛を語り、子を成す気になれる?朕には、彼女たちが着飾った美しい皮を被った、血も涙もない化け物に見える」
小鈴は息を吸った。廃屋の湿り気が胸に残る。
皇帝が『冷徹』になったのは、彼自身が誰よりも優しく、繊細な心の持ち主だったからだ。
「……陛下。それは、陛下がまともすぎるからです。後宮という場所は、心を殺さねば生きられぬ場所。ですが、猫だけは嘘をつきませんものね」
「左様だ。猫は朕を皇帝としてではなく、ただの『パパ(仮)』として見てくれる……」
その、ほんわかとした空気が流れた瞬間。
「――あら、随分と楽しそうな『お茶会』ですこと」
廃屋の扉が、乱暴に蹴破られた。
冷たい外気が雪崩れ込み、蝋燭の火が大きく揺れる。猫たちの毛が一斉に逆立ち、ゴロゴロ音がぷつりと止んだ。
「なっ……!?」
李白が反射的に立ち上がろうとして、おはぎが驚いて「ギャッ」と鳴く。
入口に立っていたのは、松明を持った侍従たちを引き連れた麗妃だった。
扇の陰の笑みは、勝ち誇った刃の形をしている。
「陛下、こんな汚らわしい場所で、下賤な侍女と何をされているのかと思えば……。まあ、その毛むくじゃらの獣は何かしら?気持ち悪い」
麗妃の視線が、おはぎに向けられた。
その目は、まさに皇帝が言った通り『ゴミを見る目』だった。
「麗妃、貴様……。なぜここへ来た」
李白の声が、今まで聞いたこともないほど冷たく、鋭い刃のように響いた。
しかし、麗妃はそれに気づかない。
「陛下をお救いに来たのですわ。こんな侍女にたぶらかされ、獣の病をうつされては大変です。……さあ、そこの侍女を捕らえなさい!そして、その汚い獣たちはすべて叩き殺してしまいなさい!」
「待て!やめろ!」
皇帝が叫ぶが、侍従たちが一斉に踏み込んでくる。
土の床が鳴り、松明の油が焦げる匂いが濃くなる。
ひとりの侍従が、おはぎを掴み上げようと手を伸ばした。
「させません!」
小鈴が動いた。
床を滑るように踏み込み、猫を撫でるために鍛えられたしなやかな腕で、伸びた手をはね除ける。
指先ひとつで方向をずらし、猫に触れさせない。
「この子たちに指一本、触れさせない……っ!猫を愛でぬ者に、この楽園の敷居を跨ぐ資格はありません!」
「小鈴!」
皇帝の声が響く中、小鈴はおはぎを抱きしめ、鋭い目付きで麗妃を睨みつけた。
それは大人しい侍女が初めて見せた、命を守るための牙だった。
「な、なんですって……?この私に向かって、そんな無礼な口を……!」
麗妃の顔が怒りで歪む。
彼女にとって侍女は石ころだ。その石ころが噛みつくなど、世界の秩序が壊れるに等しい。
「ええ、無礼ついでに申し上げます。陛下があなた様のもとに通わなくなった理由、まだお気づきにならないのですか?」
小鈴は震える腕でおはぎを守り、言い放つ。
「命を慈しむ心のない方に、国母となる資格などありません。陛下が愛しておられるのは、美しいだけの飾り人形ではなく、共に命を尊ぶ心を持つ者なのです!」
「黙れ!黙りなさい!さあ、その薄汚い獣ごと、この女を捕らえなさい!」
侍従たちが一斉に小鈴へ飛びかかろうとした、その時。
「――そこまでにせよ」
その一言で、猫の鳴き声すら止んだ。
松明の火が揺れたまま固まったように見え、土の匂いが急に冷える。
侍従の足が床に張り付く。丽妃の笑みだけが、遅れて落ちた。
それは、今まで小鈴に見せていた『猫好きのパパ』の顔ではない。
真に国を統べる、龍の如き威圧感を纏った皇帝・李白の姿だった。
「陛下……!さあ、この無礼な侍女に罰を……」
「麗妃。貴様は先ほど、この猫を『汚い獣』と言ったな」
李白は一歩、また一歩と麗妃へ近づく。
その足取りは静かだが、踏みしめる土さえも凍りつきそうなほど冷徹だ。
「そして、朕の大事な『猫の師匠』……いや、侍女である小鈴に手を上げようとした」
「……えっ?大事な、何ですって?」
麗妃が呆然とする中、李白は彼女の目の前でぴたりと足を止めた。
「朕は、猫を捨てるような、情のねえ女と子供を作る気は毛頭ない。そんな女に国を任せれば、民もまた猫と同じように『飽きたから』と捨てられるのが目に見えているからだ」
「そ、そんな……!たかが猫一匹のために、私を……」
「たかが猫一匹ではない。命だ」
冷たく言い放つと、皇帝は控えていた近衛兵へ合図を送った。
兵の鎧が擦れる金属音が、判決のように響く。
「麗妃を廃位とする。今すぐこの後宮から追放し、実家へ送り返せ。二度と朕の前に、そして……猫たちの前に姿を見せるな」
「陛下ぁ!そんな、嘘でしょう!?嫌、嫌ですわぁああ!」
悲鳴が闇に引きずられて消える。
扉が再び閉まり、外の足音が遠ざかると、廃屋には静寂が戻った。
猫たちは恐る恐る鼻先を突き出し、やがて小さく鳴いて小鈴の足元に集まってくる。
嵐のあと。
小鈴は腰が抜けたようにその場に座り込んでいた。
腕の中では、おはぎが「にゃん?」と首を傾げている。
「……小鈴。怪我はないか」
「へ、陛下……。はい、大丈夫です。ですが、本当によろしかったのですか?麗妃様は有力な貴族の娘……」
「構わぬ。猫を守れぬ男に、国が守れるはずがないからな」
李白はそう言うと、ふっと表情を和らげた。
その視線は、宝石を見るように柔らかく、いつもの、小鈴だけが知っている『猫好きの青年』の顔だ。
そして彼は、ためらいを一度だけ挟み、小鈴の隣に腰を下ろした。
「小鈴」
そっと、手が伸びる。
皇帝の指が、小鈴の手の甲に触れ、確かめるように握った。
熱は意外に人間のそれで、震えも混じっている。
「お前は先ほど、朕が愛するのは『共に命を尊ぶ心を持つ者』だと言ったな」
「え、ええ……。まあ、勢いで言ってしまいましたが」
「その通りだ。朕は、お前がいい」
小鈴の心臓が跳ねた。猫のゴロゴロ音よりも激しく。
「猫を慈しみ、朕の『パパ(仮)』という情けない姿を見ても逃げ出さず、それどころか『石鹸になれ』と指導までしてくれる。そんな女は、世界中探してもお前しかいない」
「陛下……それ、褒めていらっしゃいますか?」
「最大級の賛辞だ」
李白は真面目な顔で言い切ってから、少しだけ視線を逸らし、続けた。
「後宮の隅で隠れて世話をするのはもう終わりだ。これからは朕の隣で、正妃として……いや、猫たちの『ママ』として、この国を共に支えてくれ」
小鈴は驚きで目を見開いた。
けれど李白の瞳は逃げない。照れくささはあるのに、逃げない。
その不器用さが可笑しくて、彼女はぷっと吹き出してしまった。
冷徹な皇帝の手が、わずかに震えていることに気が付いたのだ。
「……ふふっ。分かりました。ですが陛下、条件があります」
「なんだ?宝石か?それとも新しい宮殿か?」
「いいえ。後宮の全ての庭を、猫たちが自由にお昼寝できる『猫庭』に改築してください。あと、陛下の赤ちゃん言葉、これからは私の前だけでお願いしますね?」
李白の耳たぶが、また真っ赤になる。
それでも彼は、力強く頷いた。
「約束しよう。……大好きでちゅよ、小鈴」
「……陛下、今のは猫に対してですか?それとも私に対して……?」
「両方に決まっているだろう!」
月明かりの下、二人の笑い声と、猫たちの小さな鳴き声が重なった。
廃屋の湿った匂いさえ、少しだけ甘くなった気がした。


