無華の花嫁

その日は早朝から、屋敷全体が異様な熱気と緊張感に包まれ、慌ただしかった。
廊下を行き交う足音は普段より速く、声は低く抑えられ、空気だけが妙に浮き立っている。
まるで「今日」という日が、屋敷の骨組みごと震えているみたいだった。

それも当然だろう。
今日の会食が、百合の今後——ひいては朝霞家が皇族の宮家に名を連ねるという、途方もない栄誉へ繋がる可能性を秘めているのだから。
この家の運命を決定づける日にすらなるのかもしれない。
……私だけが、その『運命』の輪から最初から外されている。

私は継母と百合、そして父に絶対に姿を見られないよう、存在を最小限に抑える。
肩をすぼめ、背を丸め、息さえ浅くする。
『これでもか』というほど念入りに床板の一枚一枚を磨き上げた。
磨けば磨くほど、板に映る自分の影が薄くなる気がして——それが少し、安心だった。

窓を拭き上げる。
外は凍えるような雪景色なのに、母屋の中は炭の香りがして、かすかに暖かい。
暖かい場所で働けることが、ありがたいとすら思う自分が、少し哀しい。

やがて食堂には、料理人が用意した見たこともない豪華な食材が、彩り豊かに並び始めた。
艶のある肉、照りを帯びた魚、宝石みたいな果物。
どれも、私の蔵での生活とは縁遠く、味を想像することすらできない。
空腹が、喉の奥で静かに唸る。

ほんの一瞬だけ視線を向けただけで、華やかに着飾った継母と、艶やかな『赤薔薇』の着物に身を包んだ百合の笑い声が耳に刺さった。

「あの眼ときたら。気味が悪いだけでなく、本当に卑しいこと」
「クスクス。お母様、本当のことだけど仕方ないですわ。あんな『無華』なんだもの」

父は、その会話が聞こえていても私に目線すら向けない。
まるで椅子の脚か、床の染みか——最初から『見えないもの』のように。
他の使用人たちの居心地の悪そうな気まずい空気だけが、肌にまとわりついた。

最後に玄関の掃き掃除を済ませ、早くこの息苦しい母屋から逃げ出そうとした、その時。

「待ちなさい。忘れ物よ」

継母の鋭い声が背中を刺す。
何を忘れたのだろう、と振り返った——次の瞬間。

バシャァ!

真冬の井戸水みたいに冷たい液体が、頭のてっぺんから容赦なく、全身を一気に伝って流れ落ちた。
息が止まる。皮膚が一斉に縮こまり、指先まで冷えが走った。

継母の手には、空になった優雅な花瓶が握られている。

……あぁ。花瓶の中の、生け花に使うはずの冷たい水をかけられたのか。
危なかった。驚きで思わず継母の顔を見上げてしまうところだった。
水を浴びせられたことよりも、この忌まわしい瞳を継母と合わせずに済んだことに、私は安堵する。
——それが、どれほど歪んだ感覚か、わかっているのに。

継母は、濡れて薄汚れた私を汚物を見るような目で蔑み、冷たく言い放つ。

「絶対に表に出てくるんじゃないわよ。
まあ、その濡れた雑巾みたいな服しか着るものがないでしょうから、
出てきたくても出てこれないでしょうけどね」
「……はい。失礼します」

短く返すと、一刻も早くその場から逃げるように玄関を出た。
外は朝から変わらず、すべてを覆い隠すように静かに降り続ける雪。
濡れた髪が凍え、頬が痛い。

……私のこの歪な瞳すら、この雪が真っ白に覆い隠してくれたらいいのに。

雪がしんしんと降る中、足もとがおぼつかない。
転ばないように白い息を吐き、身を縮めて、ゆっくりと——自分の居場所である蔵へ向かった。
濡れた着物が重く、歩くたびに雪に残る足跡が『ここにいる』と主張するようで、嫌になる。