無華の花嫁

どんどん!

静寂を破って、蔵の重い扉を乱暴に叩く音が響いた。
私は反射的に身を固め、息を潜める。心臓が、肋の内側を叩くみたいに早い。

「開けなさい!」

継母の鋭い声。
その一言だけで全身が強張り、呼吸が浅くなる。
けれど、開けないという選択肢はない。
——開けなければ、もっと恐ろしいことになる。
想像するだけで喉の奥が焼け、胃の底がひやりと冷えた。

「ギィッ」

古びた扉が悲鳴のような音を立て、軋みながら開く。
そこには、着物の袖を鼻から口もとまで覆い隠し、私を心底見下すように睨みつける継母が立っていた。
私の匂いを嫌うのではない。
私という存在そのものが、汚らわしいのだと告げてくる仕草だ。

「相変わらず、蔵と同じように辛気臭い顔をしているわね」
「……ごめんなさい……」

私はなるべく目を合わせないように、深く伏せた視線のまま返す。
顔を上げ、この忌まわしい左右で色の違う瞳を見られようものなら、『気味の悪い眼をして』と、さらに酷い罵倒が降ってくる。

——それはもう、骨の髄まで染みついていた。

「これから出かけるわ。明日は大事なお客様がいらっしゃる。
屋敷中を徹底的に掃除しなさい。チリ一つ残すんじゃないわよ」

私の返事を待つことすらなく、継母は冷たく吐き捨てて歩き出す。
その隣には妹の百合の姿。
私とは正反対の、鮮やかな赤の帯と着物。豊かで艶やかな黒髪を靡かせ、継母と並んで遠ざかっていく。
二人は同じ屋敷にいるのに、まるで別の世界の人間に見えた。

継母たちが去った後、私は人目につかない場所——
使用人ですら避けるような隅を掃除しながら、母屋から漏れ聞こえる『明日の大事なお客様』の噂話に、耳を澄ませた。

「五条家の嫡男が……いらっしゃるらしいわよ」
「五条家って、あの宮家の……?」
「ええ。現在、唯一といえる『黒薔薇』の加護を持つ方だと聞いたわ」
「釣り合いが取れる『異能』の娘が見つからないって」

『華の加護』により発現する『異能』は多岐に渡る。
そして希少な『華』ほど、『異能』の力も強大になる。
だが強大すぎる力は、釣り合いの取れる相手と婚姻を結ばなければ、格下の『華』を持つ側に甚大な負担を強いる。
最悪の場合——その者は命を落とすこともある。

希少性の高い『華』同士の婚姻は、『華の加護』そのものを強める。
それはすなわち家の力に直結するため、『華族』にとって切っても切れない重要事だった。
愛ではなく、加護。運命ではなく、家。——そういう世界だ。

それでも、父の『薔薇』と亡き母の『牡丹』の間にすら、私のような『無華』が生まれてしまうことがある。
その『失敗』を繰り返さないためか、継母から生まれた『赤薔薇』の加護を持ち、強力な発火の『異能』を発現させた百合に対する父の期待は、文字通り絶大だった。

皇族に連なる宮家の話も、百合の縁談も。
『無華』である私とは、全く無縁の、遠い世界の出来事だ。

——でも。

もし五条家と百合の縁談が上手く纏まれば、百合は晴れてこの家を出ていく。
そうなれば……ほんの少しだけ、この息苦しい屋敷での暮らしが、息のしやすいものになるのではないか。

ありもしない、か細い希望。
それでも人は、希望がないと息ができない。

私はその小さな光を胸の奥に隠し、まるで自分だけが違う世界にいるように、感情を押し殺して淡々と掃除を続けた。
——明日が来ることだけを、ただ待ちながら。