「本日は、わざわざご足労くださり光栄の至りにございます、五条殿下」
伯爵が、上擦った緊張の声で杯を掲げる。
その隣で、妻らしい女が柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
彼女からは伯爵より薄いが、確かに『赤薔薇』の気配が立つ。
先ほど感じたものと同じ、濃密な『華』の匂いだ。
「朝霞殿。こちらこそ、このようなもてなしに感謝する」
「五条殿下のような方が、うちの娘にお目を留めてくださるだなんて……」
恩着せがましい言葉に促されるように、一人の娘が満を持した様子で一歩前に出た。
歳相応のあどけなさを残した顔立ち。
年頃の娘らしい華やぎと、それを過剰に誇示しようとするぎこちなさが同居している。
「伯爵令嬢、百合と申します。お目にかかれて、恐れ多くも嬉しゅうございます」
丁寧に頭を下げる所作は、一応の教育を受けていることを示していた。
だが、隠しきれない大きな期待と、既に未来を掴んだと確信する、じわりとした欲の色——
皇族の妻となる未来を、彼女は当然の権利のように思い描いているのだろう。
微かに息を吸い、手袋の内側で指を一度だけ握り締めた。
——こちらが求めているのは、夢ではない。釣り合いだ。
そして、その釣り合いが外れたときに失われるのは、相手の命だ。
「遠路、ご足労いただき恐縮です。五条殿下のご評判は、常日頃お伺いしております」
「恐れ入ります」
当たり障りのない社交辞令を返しながら、杯を唇に運んだ。
酒の質は悪くない。香りも澄んでいる。
——だが、注ぐ伯爵の手が細かく震えている。
その落ち着かなさが、杯より先に喉を渇かせた。
内心の焦りと切迫が、布越しに滲んで見える。
「百合は、幼い頃より『華』に恵まれておりまして」
「ええ、『赤薔薇』の『華』でございますの。きっと殿下のお力になれると思っております」
伯爵、妻、そして百合。
三人の口から次々と、美辞麗句が並ぶ。隙を見せぬよう取り繕われた言葉の列。
そこへ「裁縫が得意でして」「お琴を少々嗜んでおりますわ」と、淑やかな飾りが重ねられる。
だが、どれも耳触りのよい装飾に過ぎないことは、少し話せばすぐにわかった。
目の前にあるのは、娘そのものではなく、『娘という商品』の説明書だ。
……上辺だけを、必死に。過剰なほど磨き上げた——そんな印象。
彼らを責める気はない。
これまで会ってきたどこの令嬢も、さして変わらない。
華やぎ、礼節、控えめな才。
そして最後に必ず、『殿下のお力に』と来る。
その言葉の裏にあるのは、同情ではなく計算だ。
必要最低限の問いだけを投げる。
「『異能』の制御はいかがですか」
核心に触れた瞬間、目の前の娘はぱっと顔を輝かせる。
待っていた質問だと言わんばかりに。
「はい。『異能』を顕現させた頃から、決して周りを焼かぬよう、常に細心の注意を払って参りましたわ。
屋敷を焦がすようなことは一度もございませんの」
「それは結構」
模範解答。
表面だけ見れば、欠点のない返し。
こちらからも、当たり障りのない微笑を返す。
——それなのに。
胸の奥の違和感は、一向に消えないままだった。
伯爵が、上擦った緊張の声で杯を掲げる。
その隣で、妻らしい女が柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
彼女からは伯爵より薄いが、確かに『赤薔薇』の気配が立つ。
先ほど感じたものと同じ、濃密な『華』の匂いだ。
「朝霞殿。こちらこそ、このようなもてなしに感謝する」
「五条殿下のような方が、うちの娘にお目を留めてくださるだなんて……」
恩着せがましい言葉に促されるように、一人の娘が満を持した様子で一歩前に出た。
歳相応のあどけなさを残した顔立ち。
年頃の娘らしい華やぎと、それを過剰に誇示しようとするぎこちなさが同居している。
「伯爵令嬢、百合と申します。お目にかかれて、恐れ多くも嬉しゅうございます」
丁寧に頭を下げる所作は、一応の教育を受けていることを示していた。
だが、隠しきれない大きな期待と、既に未来を掴んだと確信する、じわりとした欲の色——
皇族の妻となる未来を、彼女は当然の権利のように思い描いているのだろう。
微かに息を吸い、手袋の内側で指を一度だけ握り締めた。
——こちらが求めているのは、夢ではない。釣り合いだ。
そして、その釣り合いが外れたときに失われるのは、相手の命だ。
「遠路、ご足労いただき恐縮です。五条殿下のご評判は、常日頃お伺いしております」
「恐れ入ります」
当たり障りのない社交辞令を返しながら、杯を唇に運んだ。
酒の質は悪くない。香りも澄んでいる。
——だが、注ぐ伯爵の手が細かく震えている。
その落ち着かなさが、杯より先に喉を渇かせた。
内心の焦りと切迫が、布越しに滲んで見える。
「百合は、幼い頃より『華』に恵まれておりまして」
「ええ、『赤薔薇』の『華』でございますの。きっと殿下のお力になれると思っております」
伯爵、妻、そして百合。
三人の口から次々と、美辞麗句が並ぶ。隙を見せぬよう取り繕われた言葉の列。
そこへ「裁縫が得意でして」「お琴を少々嗜んでおりますわ」と、淑やかな飾りが重ねられる。
だが、どれも耳触りのよい装飾に過ぎないことは、少し話せばすぐにわかった。
目の前にあるのは、娘そのものではなく、『娘という商品』の説明書だ。
……上辺だけを、必死に。過剰なほど磨き上げた——そんな印象。
彼らを責める気はない。
これまで会ってきたどこの令嬢も、さして変わらない。
華やぎ、礼節、控えめな才。
そして最後に必ず、『殿下のお力に』と来る。
その言葉の裏にあるのは、同情ではなく計算だ。
必要最低限の問いだけを投げる。
「『異能』の制御はいかがですか」
核心に触れた瞬間、目の前の娘はぱっと顔を輝かせる。
待っていた質問だと言わんばかりに。
「はい。『異能』を顕現させた頃から、決して周りを焼かぬよう、常に細心の注意を払って参りましたわ。
屋敷を焦がすようなことは一度もございませんの」
「それは結構」
模範解答。
表面だけ見れば、欠点のない返し。
こちらからも、当たり障りのない微笑を返す。
——それなのに。
胸の奥の違和感は、一向に消えないままだった。
