中宮君とはまた中宮君の高校の前で別れて、そのまま一人で家に帰っている途中のこと。もちろん例の街灯がある道を通っていたんだけど、街灯の下にまた人が立っていた。
——間違いない、中宮だ。
そうだとわかった瞬間、俺は駆け出していた。
「中宮! 大丈夫だったか?」
息を切らして目の前までやってきた俺に、中宮は一つも表情を動かさないまま「大丈夫だったよ」と、淡々と答える。うん、いつもの中宮だな。
「無事なら良かったよ、また居なくなるから。でもなんでここに居るんだ?」
「木内君は大丈夫だったかなと思ったから」
「俺も大丈夫、幽霊はお前が対処してくれたから」
「……うん」
記憶がないから感情が見つからないと言っていた通り、変わらず無表情の中宮だ。でもなんか今、どことなく空気が和らいだ感覚があった。表情に出ないからわかりづらいけど、中宮も本当に心配してくれていて、俺の返事に安心してくれたのかもしれない。
だって今中宮が言ったのは、俺の様子を見るためにわざわざここに出てきたってことだから。中宮はやっぱり、自分の意思で出てこれるんだ。
「中宮っていつも突然消えるし現れるけど、ここには決まって出てこれるんだな。やっぱり夜は行動しやすいとかあんの?」
「……どうだろう、僕にもわからない。でも最近は木内君を意識の中で強く感じるようになったんだ」
「俺を?」
「そう。僕の中で木内君といったらここだっていう感覚があるから、自然と夜のこの場所に出るのかも」
「じゃあ夜じゃなくても来ようと思えば来れるのか?」
「そこは幽霊の体質みたいなものに好き勝手されてるから絶対とは言えないけど、でも強く意識すれば割とどこでも行けると思うよ」
「てことはつまり、約束したのに来なかったのは強く意識してなかったからってことかよ」
「いや、それはなんかこれとはまた別で……ちょっと、よくわからない」
そう言って、ジッと黙ってしまった中宮はなんだか考え込んでしまったみたいで……やっぱり約束のこと結構気にしてたのかもと、チクリと罪悪感を抱いた。つい強めの言い方をしてしまった俺が悪い。
「あの、でもほら、団地には来てくれたよな? あれはほんと、まじで助かったよ」
「……あぁ、うん」
「てか、いつも中宮は危ない時に来てくれるよな、昼でも夜でもさ。来てくれなかったら今頃どうなってたかわからないし、本当にありがたいよ」
「そりゃあ、あんなに怖い怖い言ってるのが聞こえてきたらね……木内君の声は特によく聞こえるから」
「! マジで……?」
まさか、だからこんなに幽霊が寄ってくるのか?
やっぱり怖がることが一番幽霊に伝わるってこと? だから中宮君には寄ってこなかったってこと……?
そんなの俺、一生無理じゃん……!
「さっきも言った通り、木内君を意識の中で強く感じるようになったからね。だからすぐに聞こえてくるよ。結構気にかけてる。だって友達だし」
「……へ?」
「? 友達でしょ? 僕たち。だったら木内君のことを考えて、困ってる時は助けたいって思うのは当然だ。いつでも呼んでくれれば出て来れると思うよ。行ってあげたいと思ってるから」
「…………」
びっくりした。特に俺の声は幽霊に聞こえるって話なのかと思ったら、中宮本人の話だったから。まさか中宮の中で俺への関心がそこまで高くなっていたなんて。
これって昨日中宮に、俺はお前の友達だって、だから助けたいんだって伝えたことが、きちんと中宮の心に届いてたってことだよな? それの返事みたいなものだよな? もしそうだったら嬉しい。同じ感覚を共有できたみたいで。
でも嬉しいんだけど、なんかちょっと恥ずかしい……あれだ、気恥ずかしいってやつだこれ。
——だから、
「だったら約束通りに来いよな。それに団地でも中宮君が居るって言っただろ? もう少し待ってくれたら会えたのに。中宮君がまたお前に会えなくて残念そうにしてたぞ」
なんて、つい話をそらしてしまった。こんなにまっすぐに伝えられると照れくさくて仕方なかったから。
「そのせいで危うくもう一回中に戻る羽目になるところだったんだからな……次こそちゃんと会えるようお前も努力しろよ」
そして結局文句ばっかり言ってる……駄目だ、最悪だ。
「……うん」
そう、俺の言葉に頷く中宮の表情はいつもと変わらないけど、なんだか歯切れが悪い——いや、歯切れが悪いじゃないよな。俺今最悪なムーブかましてるもんな。
いやもうほんと、自分が情けない。怖がりなとこも含めてどんだけ情けないとこ中宮に見せれば気が済むんだろう!
「ごめん! えっと、責めてばっかになっちゃったけど、中宮君も別に怒ってるとかそういうんじゃないから。ごめんなその、俺がちょっと照れ臭かったせいでつい……」
「うん。それは別に全然良いんだけど、だけどちょっと、他にわかんないことがあって」
別に良いんかい!と頭の中で盛大に突っ込みつつ、「何?」となるべく優しく、穏やかな感じを出してさっきまでとは違う自分を演出する。
するとジッと黙って考え始めた中宮が、ふと俺へ目をやると、
「言葉にしていい?」
と確認を取ってきた。それに昨日の中宮とのやり取りを思い出して、悩み相談か?と、俺も姿勢を正して頷いた。
「さっき、階段から木内君と弟が下りてくるのが僕にもわかったんだ。でもその瞬間、体が逃げ出して」
「逃げ出した?」
「うん。拒否感?みたいな。話を聞いた時と同じ感覚だった。もしかしたら僕は弟に会いたくないのかも。だから自分の過去の話も受け入れられなかったのかなと思った」
「……弟のことも思い出すから?」
「かもしれないな、と。思い出したくない何かがあるのかもって木内君が言ったの思い出して、体が逃げ出すくらいの何かがあるんだとしたらそうなるのが納得だなって。だからいつまで経っても記憶が戻らないのかも」
「…………」
中宮が無意識のうちに会いたくないし思い出したくもないと感じるくらい、本当は中宮君と仲が悪い……中宮君を嫌ってる? それか中宮が嫌われて兄弟の仲が悪かった、とか。……だとしてもこんな、記憶をなくしていても弟に近づきたくないと無意識に感じるって、相当だぞ?
「そこまでくると、兄弟仲がどうとかの話じゃなくないか……?」
何があったのかも含めて全ての記憶を取り戻したいと願っている中宮の意思を上回る、今は思い出せない心の中に残された中宮の感情の強さ。
「中宮は、記憶がないけど感情は心にあるんだもんな? それが嫌だって叫んでるんなら、何かが絶対あるんだと思う」
「……僕の中に感情、あると思う?」
「? あるだろ。確かにずっと無表情だけど、最近ちょっとわかるぞ。心配してるなとか、安心してるなとか。言葉ではもちろんだけどこう、雰囲気とか、感じるかも」
「雰囲気……」
「まぁそういうもんだろ、俺たち友達だし。それよりもしかしてなんだけど、そうなると中宮君はまだ中宮について隠してることがある?って思うんだけど……何があったのか、きちんと中宮君に確認した方がいいのかもしれない」
そうだよな?と同意を得るつもりで中宮を見ると、中宮はぼんやりしていたのか、瞬きを何度か繰り返してから慌てたように頷いて、
「でも僕は弟に近づけない」
と、言った。大丈夫、わかってる。
「俺が聞くから大丈夫」
「でも、もしまた何かあった時、弟がそばに居たら木内君を助けられない」
「無いだろ。もう心霊スポットなんて行かないし。それでも何かあった時は中宮君を逃して一人になるよ。そしたら来てくれるだろ?」
「……うん。絶対行くよ」
じゃあ約束な!と、また俺たちの新しい約束を交わして、俺はまた中宮君に連絡した。すると次の週の月曜日、俺は中宮君の家に遊びに行くことになった。
「お帰りなさい、匠さん。匠さんのお友達も、いらっしゃいませ。嬉しいわ、お越しくださりありがとう」
「は、初めまして、木内肇です。お邪魔します……」
いつもの校門前で待ち合わせると、そのまま中宮君の家に連れていってもらうことになった。
外観通りの広い玄関だ。まず門から家まで遠かったのに、玄関のドアを開けたら俺の部屋ぐらい広いんだから。そこに品が良くて美しい中宮のお母様が出迎えてくれるんだから、ここはもう異世界である。
あまりの場違い感にお行儀よく定規で整えられたみたいな動きになりながら靴を揃えてスリッパを履くと、リビングへどうぞと、中宮のお母様が案内し始める。
「匠さんとのお話、たくさん伺いたいわ。お家にお友達を呼ぶなんて初めてのことだもの。木内君、とお呼びしても良いかしら」
「あ、はい。もちろんです」
「ありがとう。それで? 匠さんとはどのようにして知り合ったの? どんなお話をするの? 教えてくださる?」
「え? えっと、中宮君とのこと、ですか」
矢継ぎ早に投げかけられる質問にたじろぐ俺に、そのキラキラと輝かせたお母様の瞳は釘付けで、背中に重い期待がのしかかる。
この感じ、なんとなく団地での中宮君を彷彿とさせる。どことなく押しの強い感じもそう。てか待って。今話せってことだよな? リビングじゃなくて? リビングまでの場繋ぎってこと? てかそんなにリビング遠いの?
どうしよう! 学校も違うし知り合ったばっかだし、正直中宮のことを伏せるとどこまで話せるのかもわからない……!
中宮が亡くなってから精神的に病んでしまった、という以前の話を思い出しつつ、背中に大量の冷や汗をかきながら必死にエピソードトークを探していると、
「いいよ母さん。僕の部屋に行くから」
中宮君が、ニッコリ笑って助け舟を出してくれた。よかった。なんて心強い!
「でも、私もお話ししたいわ。久しぶりのお客様ですもの」
「僕のお客さんだよ。中宮君は僕と話しに来たんだ。それに母さんは長く人と話していると疲れるだろ?」
「大丈夫よ、少しだもの」
「母さん」
「でも匠さん、いつもお話ししてくれないし」
「だったら後で説明するよ。今はやめてくれないかな」
迷惑だ、という刺々しさを隠そうともしない中宮君と、寂しそうにする中宮のお母様を見て、
「あの、中宮君には普段から色々教えてもらっていて!」
思わず、割って入ってしまった。このまま悪くなっていく空気に耐えられなかったから。
すると当然二人の強い視線が一斉に集まって、一瞬で後悔しそうになったけど、そこをグッと持ち堪える。
「特に勉強を教えてもらうことが多いのですが、学校の勉強の他にも中宮君は考え方とか、知識の量もすごいなと思っていて。それでどんな家で育ったらそうなれるのかなって、中宮君のことをもっと教えてもらいたくて今日は遊びにきました」
「そうなの! それでどう? 今のところの印象は?」
「さすが中宮君の家!という感じで少し緊張しますが、とっても素敵だなと思います。中宮君のお母さんも優しくて綺麗だし、うちとは全然違うので中宮君の部屋も早く見てみたいです」
「あら、じゃあこんなところで引き留めたら悪いわ。匠さん、早く木内君をお部屋に案内して差し上げて」
「……うん。行こう、木内君」
そうして歩き出した中宮君の後を着いて行き、階段を上がった先にある一室に通された。そこが中宮君の部屋だった。
「ごめんね木内君。母さんが迷惑かけて」
「いや全然。何も迷惑じゃないよ」
「でも僕、木内君に勉強を教えたことなんてないよね? 嘘をつかせちゃったね」
「あはは、まぁ今度教えてくれれば嘘じゃなくなるだろ」
「実際に中宮君の方が頭が良いのは通ってる高校で証明されているわけだし」なんておどけた感じで答えると、中宮君が、「じゃあその時はまた学校の会議室でも借りようか」と、俺に合わせて控えめに笑う。
「うちだと母さんが鬱陶しいだろうから。ちょっと尊が死んでからうるさくてさ。友達なんて連れてこれないよ」
「まぁでもあんなもんだろ、喜んでる時の母親って。中宮君のことを心配してるし、大好きなんだよ」
「……まぁ、そうだね」
そうして、座りなよと促された二人がけのソファに腰を下ろすと、遠慮なく辺りを見回した。まるで一人暮らしの部屋みたいな一室は綺麗に整理整頓されていて、チリ一つ落ちていない。そこになんだか中宮君らしさを感じた。
そんな無遠慮な俺を咎めることなく中宮君は自分用にスツールを持ってきてそこに座ると、「で?」と、訊ねる。
「聞きたいことがあるんでしょ? なんでも答えるよ」
「あぁ……うん」
『中宮について聞きたいことがあるんだけど、どこかで時間もらえないかな』そう連絡をして返ってきたのが、『じゃあうちはどう?』だった。初めて話した時も会議室に通されたから、死体が見つかっていないこととか、親族しか知らない何かとか、中宮の話は他の人に知られちゃいけないことがあるのかもしれないと思って、その提案を快諾した。俺としても中宮が住んでいた家なら何かヒントが見つかるかもと思ったし。
例えば過去の中宮自身のこととか。話の中だけじゃ伝わらないことも、まだ話してもらっていないこともたくさんあるだろう。今日この機会に訊いて、見つけておかないと。
「中宮にさ、その、また会ったんだけど」
「良いなぁ木内君は、尊に会えて」
「それは本当にごめん……会わせてあげたいんだけど、上手くいかなくて。本人もそれで戸惑ってるみたいなんだ」
「……どういうこと?」
中宮君が身を乗り出して訊ねてくる。中宮の話になるといつもそうだから、どう見ても中宮君は中宮のこと嫌ってるようには見えないんだよな……。
「なんか、記憶を取り戻したいし中宮君と話したいと思ってるんだよ、本人も。でも体が言うこと聞かないんだって。どうしてもその、中宮君に近づけないし近づきたくないって、拒否する感覚に逆らえない、みたいな……それがどういうことなのか、思い出したくない何かがもしかしたらあるんじゃないかって、昨日気づいたんだって。だから中宮君に会えないあいつの代わりに、その思い出したくない何かの部分を俺が聞きに来たんだ」
「……なるほど。じゃあつまり、尊はここにも現れないってことだよね?」
「僕が居るから」と、真っ直ぐに俺を見て口にする中宮君に、申し訳ないけど頷いた。その通りだから。
「そっか……なら大丈夫かも」
「? 何が?」
「ちょっと見せたいものがあるんだ。着いてきて」
そう言って俺を連れて部屋を出る中宮君が向かったのは、隣の部屋。ノックもせずにドアを開けて二人で入っていくと、中宮君の部屋と同じような造りになっている。
「もしかしてこの部屋って……」
「そう。尊の部屋」
ただ、一点だけ違う部分があった。
「……標本?」
壁にかけられた額縁に、机の上に置かれた大きなガラスケース。その中にたくさんの虫がピンで止められている。
「尊は生き物が好きだったんだ。まずは虫や昆虫だった。あの山に入って捕まえて、始めは普通に飼ってたんだけど、ほら、生き物は皆死んでしまうでしょ? それが悲しくて標本にするようになったんだ」
「……そうなんだ」
子どもが作ったものとは思えない出来栄えだった。博物館で見たことがあるけれど、それと同じぐらいそのままの綺麗な姿で虫たちがケースの中に並んでいる。きちんと種類ごとに、大きさ順で整列して。
「綺麗だよね」と言う中宮君に、「うん」と返したけれど、そこにはつい迷いが混じってしまった。それを中宮君は鋭く察知する。
「もしかして虫が苦手?」
「……うん」
ていうか、正直嫌いまである。幼少期から山に入るような経験のない俺としては、虫は無闇に触ってはいけない危険で不気味な生き物、みたいなイメージが強い。気持ち悪くて怖い、みたいな。だからこうして綺麗に並べられた見本品みたいな状態でも、ただの死んだ虫が並べられてるだけに見えてしまうし、ついゾワっとして覗き込んだ体勢から一歩身を引いてしまう。
そんな俺の行動にふっと小さく笑うと中宮君は、「こんなに美しいのに」と撫でるようにその透明のケースに手を触れた。
「知ってる? 虫にも痛みを感知する部分があるらしいんだけど、同時にその痛みを抑制することもできるらしい。それってその瞬間の危機センサーの働きとしてシンプルかつ実用的な造りだよなって思う。食物連鎖の一番下の生き物ならではだなって。怪我がどれだけ深刻かよりも、この瞬間を生き延びるための最適解を出しながら生きてるんだよ。だから人間と違って痛みに苦しむ感情は必要なくて消せるようにしたんだ。感情に乱されずに取るべき行動が取れるのって、生き物としてとても美しいと思わない?」
「……痛いけど痛くないってこと?」
「痛いけど苦しまないってこと。まだはっきりと解明されてはないんだけどね。痛みで怪我した箇所と程度を知れるように人間もできてるけど、感情があるから痛みが強いほど苦しまないといけないし、苦しむ先に死が待ってるから、死は恐ろしいものだと感覚で生きる方を選択させるように作られてるんだと思う。それって虫たちとは生きるための方法として正反対だ。もし痛みに対する感情がなくなったら、その時の人間はどんな存在になってるんだろう。虫みたいにその瞬間を生きる美しい存在になってるのかな」
……正直、何を言ってるんだろうと思ってしまった。俺の理解が追いついてないんだと思う。けれどあまりにも目を輝かせて語るものだから、口はポツリと幼稚な感想をこぼしていた。
「中宮君も、虫が好きなんだね」
俺の言葉に中宮君が、ガラスケースからこちらに目を向ける。
「うん、好きだよ。尊のことを思い出すからね」
そう言って、次は本棚の分厚いファイルを取り出した。適当な場所で開いたそこには動物の写真が並んでいて、どうやら自分で撮った生き物のアルバムのようだった。
「虫の次は動物にハマってね。まずは同じで色々飼って、でも剥製なんて簡単に作れないから、写真を撮ってたよ。そこら辺からちょっと、人には言えない話になる」
アルバムから俺に視線を移す中宮君。
「誰も知らないし、誰にも言ってない。もちろん親にも。僕と尊しか知らない」
中宮君がジッと俺を見る。俺の覚悟を探るように。
「知ったらもう後には戻れないよ。どうする?」
その重たく鋭い空気が、俺を尻込みさせる。『もう後には戻れない』それはきっと、知る前には戻れない、ということ。知ってしまったらどうなるのだろう。
でも、それこそが中宮が思い出したくないものなのだとしたら、それを知る人間だから中宮君に会いたくないのだとしたら辻褄が合う。合うのだ。
「教えてくれ」
俺の返事に中宮君はニコリと笑った。「さすが木内君」と。



