「お待たせ、木内君」
そう言って駆け足で俺の元までやって来た中宮君は息を整えると、キラキラした目を俺に向ける。
「で、尊はどこら辺に居る?」
キョロキョロと俺の周りを見やる中宮君。本当に、本当に申し訳ない……。
「ごめん、中宮君。あいつまた居なくなっちゃって……」
その瞬間、ピタッと動きを止めて俺を見た中宮君からキラキラとした期待の色がサッと消えていき、スッと昨日の通りの穏やかで一定な中宮君に戻る。
「居なくなった?」
「うん……その、昨日のことは連絡した通りなんだけど、その時最後に明日一緒に中宮君に会いに行く約束したら消えちゃって。約束したからもしかしたら現れるかなと思ったんだけど、結局朝からずっと見てなくて」
「昨日はどこで尊に会ったの?」
「近所のコンビニがある通りの、街灯のところ」
「じゃあまたそこに居る可能性はない?」
「俺もそう思ってここに来る前に見て来たんだけど、居なかった」
「そこ以外で思いつく場所ある?」
ジッと、中宮君の瞳が俺を見つめる。
思いつく場所と言われて浮かんだのは、通学路の途中にある例の信号だけど……もうあの女の子も居ないだろうし、あいつが一人でそこに立ってる場面がどうもしっくり来なかった。あの場所にはもう中宮を引きつける何かもないだろうし。
そもそも記憶がないから決まった居場所のない中宮が何でまた街灯に居たんだっけ。最初は俺が女の人の幽霊に襲われてる所にようやく見つけたみたいな感じであいつは現れたんだよな。俺を探してたって言って。それで次の日会った時は、また同じような時間に同じ場所に立ってたけど本人は時間が経ってることをわかってなくて、でも俺との約束は覚えてるから俺を探していて——あの夜、自分の意思であいつはあの場所に居た。そういえば、始めの時も。
「……もしかしたら、約束と夜かも?」
「約束と夜?」
そう、夜だ。初めて会った時は昼間だったけど、それは確か偶然出会っただけだったはず。俺に会おうと意識して中宮が動いたのはどちらも夜。
「中宮が、時間感覚とかが変になってるって言ってた。昨日会った時も、中宮からしたら瞬きの間の出来ごとだった、みたいな感じで、約束は覚えてても一日経ってるのには気づいてなかったんだ。だから不安定なせいで一時の感情に引っ張られて急に消えちゃうのと同じように、約束の為に自由に現れるには夜であることが必要になるルールがある、とか」
「でも、それだったら明日一緒に会いに行く約束はしないよね? 夜しか出てこれないなら矛盾してしまうから。てことは本人はまた無自覚ってこと?」
「そうなのかも。あいつは約束を雑に扱ったりしないタイプの人間っぽいし……。本人は約束通り来ようと思ってても、制御できない感覚のせいで自由に動けなくて今ここに来れてないってことになるなら、意識して出てくるには出てきやすい時間帯とかあるのかなって……それが夜なのかなって。ほら、幽霊って夜に出てくるイメージあるだろ?」
「……なるほど。夜の方が本人の自由意思で出てきやすいっていう考え方……」
ふむ、と顎に手を当てた中宮君が、「それで言うと、一つ。僕の中でもしかしてと思ってることがある」と、口にする。それに、「何?」と素直に訊ねると、中宮君は言った。
「心霊スポットとか、どうだろう」
「し、心霊スポット?」
なんで中宮に会うことと心霊スポットが繋がるんだと、俺の顔には理解できないと思い切り書かれていたのだろう。中宮君はうんと頷くと説明するために口を開いた。
「“幽霊に夜のイメージがあるということは、幽霊にとって出てきやすい時間帯が夜なのかもしれない”その考え方でいくと、“幽霊が出る場所だと言われる場所は、幽霊にとって出てきやすい場所なのかもしれない”ってことにもならないかな? しかも心霊スポットって大体、夜はもちろんだけど、昼間だって幽霊が出てきやすいイメージあるよね? つまりそこは特別、時間帯に縛られてないってことだ。そういう場所っていろんなものを引き寄せるって言うから、もしかしたら自由が制限されてる間の尊が知らないうちに引き寄せられてるってこともあるんじゃないかな」
「…………」
どうなんだろう。その場所で亡くなった人が現れてるってだけじゃなくて、周りの幽霊もそこに引き寄せられてる、みたいなこともあるのかな……でも、確かにそういう話はテレビか本かわかんないけど、どこかで聞いたことがある気もする。
もしかして、だから中宮は信号の女の子の時にも現れたのか? あの女の子の幽霊が道路を渡りたがってる感情に引き寄せられて、無自覚のうちに手伝うために現れてた、とか。それなら昼間なのにあそこに居た理由にもなるし、そういうことなら心霊スポットにも可能性はあるのかもしれない。
……行きたくないけど。
「……ここから近いのか?」
行くべきなのかと、少し心を傾けた俺の問いに、中宮君はニコリと笑った。
「割と近いよ。少し歩くけど」
近いなら中宮もひょっこり現れてる可能性はある……記憶がぼんやりしていて気付いてないだけで、突然消えた合間にそこを漂ってる、なんてことも……ある?
「じゃあ、少しだけ覗きに行ってみるか……」
本当は、すっごく行きたくないけど。
心で葛藤しつつ、やるべき方を選べた俺は偉いと思う。「じゃあ行こっか」と歩き出す中宮君に続いて、俺も仕方なく歩き出した。
——そんなところに探しに行く羽目になるなんて……それもこれも全部消えた中宮が悪い。次会った時に文句の一つや二つ言ってやらないと気が済まない。
心の中で何度も文句を言いつつ、大体三十分は歩いたと思う。学校や駅がある街中から外れて静かな住宅街までやってきていた。ここら辺から自転車で通学する友達も何人か居るくらい住民の多い地域だ。そこから更に山側へ近づく外れには、四角い団地の棟が並んでいる。どうやら俺たちはそこへ向かっているらしい。
二人で歩き出して街中を離れるにつれ、住宅街を離れるにつれ、段々と辺りが静まり返っていく。
「着いたよ、ここだ」
「…………」
中宮君の声かけには、正直、“でしょうね”といった感じだった。先ほどまでの新築が建つ辺りを通り過ぎた頃くらいから、おや?と感じていたのだ。あれれ?と。なんか重たくない?と。
やけに静かだなと気づいた時には、団地に住む人が少ないのかも、くらいに思っていた。年月の経過とともに新しく戸建ての地域に移り住んだのかも、と。けれどこの段々と濃くなる冷たくて重たい空気感……そしてついにガラリと変わった建物の雰囲気に、理解した。ここだ。この団地、特にこの棟がヤバい。中宮君の言っていた心霊スポットはここなのだ。
「本当に入るのか……?」
目の前にして、のんきにここまで来たことを完全に後悔していた。もう中宮なんてどうでもいい。約束を破った向こうが悪いんだから、ここで俺が頑張る必要はない。だってここ、絶対に出る。
「大丈夫。この棟だけ誰も住んでないから住人に迷惑をかけることもないよ」
「それって何も大丈夫じゃない……」
「大丈夫だって。昔はたくさん人が住んでたんだけど、段々心霊現象的なことが増えていって住人は別の棟に移動したり引っ越したりしていって、今は全室空き部屋らしい。でもちゃんと管理会社の管理の元ではあるから、ボロボロになって今にも崩れそうな場所があるとかじゃないよ。昨日の崖より危なくない」
「いやそういうことじゃなくて……」
グズる俺に、やれやれと中宮君が肩をすくめる。
「時間の無駄にもならないよ、ちゃんと調べてきたんだ。ここには霊道が通ってる部屋があるんだって」
「……霊道?」
「幽霊が通るから集まりやすい場所、みたいなものの総称らしい。建てられた時からあったんだろうね、結構この棟で起こった異変の事例もあったよ。住人が居ようが居まいが霊道を通る幽霊にとっちゃ関係ないだろうから、きっと今この瞬間も居ると思うし、異変も起こってるだろうね」
「…………」
言葉をなくした俺に納得したのだと受け取ったのか、中宮君は、ずらりと並んだポストの横の上階へつながる階段へ向き直ると言った。
「405号室だっていうから四階だね。行こうか」
そう言われて外観から見える四階を見上げた先、何かが見えたような気がした。
——無理だ。
「ごめん、行けない」
「え?」
「行かない。申し訳ないけど、中宮がこんなところに居ると思えないし、中宮が居たとしてもこんなところでは会いたくない。怖いんだ、本当にごめん」
「…………」
恥も外聞もなく告げた俺の言葉を、中宮君は黙って聞いていた。そして俺の様子をじっくりと観察すると、はぁ、と一つため息をつく。どうやら呆れられてしまったらしい。
「そう。じゃあ僕だけで行ってくるよ」
そして諦められてしまい、もうこんな臆病なやつは置いて行こうと決断されたみたいだった。
それでいい。それで全然俺的には構わないんだけど……でも、中宮君のことを考えるとそれはとってもまずい。
「いや、中宮君もやめた方がいい。ここは多分、普通にヤバい場所なんだと思う」
「そうなんだ? だったら余計に行かないと。ここまで来て何もしないで帰るなんて無駄なこと僕にはできないよ。何かあったら声かけるから、君はそこで待ってなよ」
「でも何かあったら本当に危ないから……本当に危ないんだよ、中宮君!」
けれど、臆病者で力にならない俺の説得なんて無視して、中宮君は階段を上がっていってしまった。踊り場を挟みながらぐるぐると回るように登っていく形のその階段は、外からも上ってる人の姿が踊り場に来ると見えるような造りになっている。情けないけれどどうしても入りたくない俺は、外側から中宮君がその階段を上がっていくのをずっと確認していた。
二階、三階と、フロアを確認することなく上がっていく中宮君はすぐに四階まで着くと、そのまま見えなくなった。フロア内に入って行ったからだ。
——そして、それから戻ってこない。
そろそろ顔を出すだろうという時間が経つのに、戻ってこない。
……どうしたんだろう。
一人で行ったところで見えないはずだ。少し確認したら戻ってくるだろうと思っていたんだけど、随分と時間がかかっている。それに物音すら聞こえてこないのだ。
幽霊に襲われた? 幽霊は感情の揺れでこっちに気づくって言ってたけど、でも中宮君は全然怖がってなかったし……あっ、そうか。こんなところに興味を持って入っていってるだけで幽霊側にもその感情がバレてるんだ。そうなるとむしろ自分から幽霊を呼んでるまであるんじゃないか? わざわざ会いに行ってるんだから——それって、すごく危険じゃない?
もし中宮君に幽霊が見えれば近づいてくる脅威から逃げるタイミングを窺うことができる。ここまでだっていう踏み込んじゃいけない境界線もわかる。でも、中宮君には見えないのだ。経験もない。どれだけ危ないことなのか、わかってない。
見えないのに会いに行ってる、興味があると好意的な感情を幽霊に対してダダ漏れにして。そんなの、襲ってくださいと言ってるようなものだ。
——中宮君が危ない!
なんで一人で行かせてしまったのだろうと物凄く後悔した。なんで止められなかったのかと。止めるべきだったんだ、例え中宮君に嫌われて冷たい態度を取られてしまったとしても。中宮君のやることを否定するべきだった。今更遅いけど、遅いかもしれないけど、でも、行かないと。だって幽霊が見えるのは俺しか居ない!
震える体に鞭を打ち、入り口へと一歩足を踏み込んだ。上に上がるために階段に近づくと、体中が悲鳴をあげるみたいな拒否感に襲われる。この先は危ないと、意識の前に感覚が行きたくないと叫んでいる。絶対に居るのだ、幽霊が。見えてないけど、絶対に居る。わかる、この体にのしかかる冷たく重たい雰囲気。その中心に踏み込むのは俺にとっては断崖絶壁へ飛び込む覚悟だった。
でもやるしかない——階段の一段目を上がった、その時だ。
「ここは危ないよ」
行き止まりにつんのめる距離感で、いきなり目の前に男が現れた。いきなりだ、本当にいきなり、突然、唐突に、人間にはできない現れ方で目の前に男が現れたのだ。
思わず叫びそうになった悲鳴を飲み込んで堪える。だって抑揚のないその声にも、さっきまで隣に居たその制服にも俺には見覚えがあったから。
そして、
「〜〜っ、心臓止まるだろうが!」
結局、飲み込んだ悲鳴の分、怒鳴りつけて手が出ていた。もうほとんど反射だった。だってすごく、物凄く怖かったから。
怖かったし、驚いたし、その分だけ物凄く安心したから。
「おまっ、お前、いい加減にしろよほんと! ほんとお前、ほんとお前〜〜っ!」
心臓がバクバクして今すぐにでも外に飛び出しそう。体中の血液が勢いよく巡って、つい、目頭が熱くなる。涙腺が緩む。が、グッと堪えて口を引き締める。頑張る。絶対泣きたくない。
「……そんなに怖かったの?」
「こ、怖いに決まってんだろ……っ!」
そして、「ごめんね。怖がりなんだね、木内君って」といつもの無表情で淡々と口にする中宮を、俺はもう一度殴った。「幽霊だから痛くないよ」とか言うこいつは本当にもう……! 痛くないのわかってるから殴ってるに決まってるだろ!と思いつつ、でも殴るのは良くないよなと、ようやくいつも通りの中宮のテンションに合わさるように荒れ狂った俺の感情が落ち着き出して、最後にはちゃんと、「ごめん、パニックだった」と謝ることができた。
「いいよ、さっきの僕もそうだったでしょ。で、なんでここに居るの?」
それはこっちのセリフだっての……。
「昨日約束しただろ、一緒に弟に会うって。お前が来ないから探しに来たんだよ」
「昨日? あぁ、また僕が消えたのか」
「そういうこと。で、お前が居そうな場所探そうってなってここに居る。こんなとこ絶対嫌だったんだけど、中宮君はどうしてもお前に会いたいみたいで探しに一人で入ってって……って、そう! 危ないんだよ! 急がないと! 戻ってこないんだ、中宮君が!」
「でもここなんか色々集まってる感じがある。木内君には危ないよ」
「わかってるけどっ、でも俺より幽霊が見えない中宮君の方が危ないと思うんだ。お前に、幽霊に会いたがってたから。そういうのわかるんだろ? 助けに行かないと!」
そして、こうしちゃいられないと階段を上がり始めると、中宮がぼうっと立ったままその場に残っているので、「おい、行くぞ!」と声をかける。
「怖くて仕方ないからついて来てくれ!」
情けない宣言である。けれどその声かけで中宮はハッと我に返ったように俺を見ると、「うん」と、いつもよりもどこか力強く頷いた。
階段を上がる。踊り場を挟みながら螺旋状に上がっていく階段は、先が見通せなくて怖い。死角を作るためにわざとこの構造になってるのでは?と思うくらいには俺にとってキツくて、二階まで来たけれどもうめげていた。だってイメージが湧き上がって仕方がない。
この曲がり角の先に急に人が行手を遮るように佇んでたら? 普通に立ってるだけじゃない、上からぶら下がってる可能性もある……それとも曲がり角から顔だけ出してこっちを見てるパターンもある? てか、それって前だけじゃなくて後ろも適応されるのでは……。
想像がついてしまった瞬間、振り返ることすら怖くなってしまった。どうしよう、どっちにも動けないし振り向きたくない。
「どうしたの木内君。行かないの?」
でも、ここでこうやって止まってるのも怖い!
「ごめん、ちょっと先に行ってくれないか」
「なんで? 一緒に行かないの?」
「い、行く。行くけど、怖いんだよ。その、ここから見えない曲がった先が怖い」
指さす先をチラリと見た中宮は、当然だけど真顔のまままた俺を見る。その表情が、それのどこが怖いのかと訊ねる顔に見えた。いつも通りの無表情なだけなのに。勝手に臆病で情けない奴だなと責められている気分になる。
でもいいんだ、もういい。こんなとこ怖いのは当たり前だし、俺は結局何度も経験してきたせいでこういう場面に敏感な怖がりなんだって理解したから、それなのにここに居るだけ成長を認めてやりたいくらいなんだから、情けない自分も受け入れようと思う。それに中宮は怖がってる俺の為についてきてくれてんだから、怖がってない俺の方がおかしいって思うはず。そういう理論で考えて人を馬鹿にしたりなんてしないやつなはず!
「だからその、申し訳ないんだけど、中宮は先に上がって曲がった先を確認してきて欲しい。それで大丈夫だったら教えてくれ、すぐ向かうから」
「わかった」
「いいか、一気に上まで行って俺を置いてくなよ。この一つの曲がり角ごとにだぞ」
「はいはい」
いつもの無表情のまま俺の必死さをわかってんだかわかってないんだかわからない気の抜けた返事をした中宮は、スッと俺の横を通り過ぎて上がっていく。中宮が見えなくなった瞬間から怖さがもう一段階上がった俺は、すぐに、本当にすぐに呼びかけた。
「どうだったー?」
「何もないよー」
返事はすぐに返ってきた。小走りで曲がり角を曲がるとそこに中宮は居なくて、どうやら先に次の曲がり角へ行ったらしい。置いてくなって言ったのに!
今が二階の踊り場だから、次が三階。
「中宮ー?」
「大丈夫だよー」
よし、三階まで来たぞ。次が三階の踊り場だ。
「行っていいかー?」
「いいよー」
踊り場についた! 次でもう目的の四階! 中宮はもう四階についてるはずだし、そこに中宮君も居るはず!
「もういいかー?」
「もういいよー」
……は?
それは、子どもの声だった。多分、男の子。
そう自覚した瞬間。
ドシャッ
背後で、音がした。
今居るのは三階の踊り場。振り返ると手摺のついた大人の肩ぐらいの高さの壁があり、壁より上は遮るもののない外の景色が広がっている。さっきまで俺が居た入り口側の景色だ。
……そういえば、こういう階段って窓とかないよな。手すりに足をかけたら乗り越えられる——、
「あ、落ちちゃった」
声がした。
さっきの男の子の声だ。
一体、どこから?
「ねぇ、落ちちゃったよ〜、ここだよ〜」
聞こえる。この向こう側だ、外から——下から?
今の位置からだと空と向かいの団地が見える。下は確かさっき居た入り口側だから雑草まみれの花壇と、ボロボロのベンチがある。そういえば小さな広場みたいになってたかもしれない。子どもが遊ベるような……さっきは、気づかなかったけど。
きっと昔はいろんな家族が住んでたんだ。だから子どももたくさん居た。
「見つけてよ〜、もうかくれんぼできないから迎えにきて〜」
つまり、隠れる場所を探して手すりによじ登った時に、窓のないそこから外側に落ちてしまった……?
ここは三階だ。子どもがここより上から落ちたなんて軽傷で済んだとは思えない……いや、済んでいないから今こうやってここに居るんだ。だって落ちた時に音がした。ドン、じゃなくてグシャッ、だった。あれは潰れた音。水音。
「痛いよ〜助けてよ〜」
縋るような声がする。
「落ちちゃった、ママに怒られる。どうしよう〜」
泣きながら反省する、声がする。
「見つけてよ〜、もう終わりにしようよ〜」
そう、切実に願う声がする。
さっきから誰に頼んでる? まだ続いてるかくれんぼの鬼に? 鬼って誰だ?
「——もういいかいって言ったのはお前だろ!」
「……あ、」
『もういいかー?』
声をかけたのは、俺だ。
『もういいよー』
俺がこの子をここに、呼び寄せてしまった……?
どっと汗がふき出し、暴れだす心臓が俺を責め立てる。お前のせいだ、早く行け、と。早く見つけて助けてやれ、と。
「一人ぼっちは嫌だよ〜……」
シクシク泣く声がして、罪悪感と気の毒に思う気持ちが溢れ出し、今男の子はどんな状況なのかと身を乗り出して下を覗き込もうとした、その瞬間、パッと目の前が真っ暗になった。どうやら手で目を覆われたらしい。
そして、
「やめときな」
声が聞こえた。中宮の声だ。
「中宮、」
「しー。探してるよ」
……探してる?
「何が?」
「見ないで。声も出さないで」
「早く〜。僕のこと、見えてるんだよね〜?」
あ、この子からかと気づいた瞬間、俺の心を読んだみたいに中宮が説明した。
「目が見えないんだよ、潰れたんだと思う。気づいてないんだ、全部に」
「全部って……」
「かくれんぼの途中だと思ってるし、死んだことにも気づいてない。即死だったんだろうね。誰かに見つけてもらわないとって気持ちだけが残ってる。気づけば理解すると思うから、僕が行ってくる」
「でも気づけばいいだけなら俺も一緒に、」
「シッ! 気づかれるって」
すると、ズル、ズル、と、何かが這う音がした。
さっきの中宮の説明から考えると——、
「本気になったらグチャグチャのまま来るよ。いいの?」
「っ!」
「まだ下に居る。僕が見つけてくるから大丈夫。きっと木内君には刺激が強すぎる」
そう言って、俺の顔から手が離れていったと思ったら、もう中宮の姿はそこになかった。
「中宮……?」
恐る恐る階段下へ向かって声をかけてみたけれど返事はなくて、代わりにピタリと這いずる音と俺を呼ぶ声が聞こえなくなっていることに気がついた。
どうしよう……これは解決したってことなのか?
中宮は俺が怖がりだから代わりに見つけてくる、みたいなラフな感じだったけど……本当に大丈夫なのかな、あいつ。
やっぱり俺も下に下りようかと悩んでいると、上の階から誰かが下りてくる足音が聞こえてきた。考えごとの最中だったから咄嗟に逃げ出す体制をとることができず、カチッと固まった体でその曲がり角から目を離せなくなる。
だんだん近づいてくるその音——そして現れたのは、
「え、中宮?」
制服姿の、先程までここに居た中宮だ。
なんで? 今下りていったはずなのに。
どうして上から?
「木内君……来たんだ」
「あぁ、中宮君!」
違った、人間の方の中宮君だ!
良かったと、心底ホッとした。もしかしたらさっきの下に下りていった中宮は偽物で、もっと違う何かに巻き込まれちゃってるのかも、なんて思ったから。
てことは中宮君も戻ってきたしこれで本当に解決だなと、安心して、さぁ帰ろうと中宮君に告げようとしたところで、また一つ気がついた。いつもとは違い、中宮君が怪訝そうにこちらを見ていることに。
一体どうしたんだろう……あ、もしかしたら中宮君の方でも何かあったのか? それで逃げてきたとか!
「大丈夫か? どこか痛いとか、何か変になってるとかない?」
「大丈夫だけど……木内君はなんでここに? あんなに嫌がってたのに」
「あぁ、うん、ごめんな、グズって一緒に入らなくて。結局どう見ても危ないから心配になって来たんだ」
「……そう」
そして相槌を打った中宮君は、ニコリと笑う。
「やっぱり木内君は良い人だね」
「……臆病に負けて一緒に来れなかったのにそう言ってくれる中宮君の方が良い人だよ。ほんとに二人は良い兄弟だよな、中宮にもまた助けられたし」
「尊が居たの?」
ハッとした。そうだった、中宮君に早く会わせてあげないと!
「今、中宮は他の幽霊の為に下に下りてったんだ、多分入り口の花壇の前ぐらいに居ると思う」
そう告げた途端、目を丸くした中宮君が下の階へ駆け出したのでその背中を追っていくと、その勢いのまま団地の外に飛び出した先には、入ってきた時のまま、寂れた景色が広がっているだけだった。
「居る?」
中宮君の言葉に、残念だけど、と横に首を振る。そこには中宮も、例の男の子らしき幽霊も見当たらなかった。
「そっか……こういう場所なら僕でも見られるかなと思ったんだけど」
「こういう場所?」
「心霊スポット。つまり霊感がなくても心霊体験ができる場所ってことでしょ? でも何もなかった」
「え、中宮君は一人で中に入った時何もなかったの?」
「なかったよ。例の部屋も見たんだ。他の部屋は閉まってたのに、鍵が開いてたから」
「そんなの完全に誘い込まれてるだろ……」
「そう思ったんだけど、でも何もなかった。僕の目からしたらただの空き部屋でしかなかったよ」
そして、「全部の部屋見たし、押し入れの中までくまなく探したんだけどね」なんてとんでもないことを言ってのける。
「信じられない……そんなことして本当に何もないことあるんだ」
「そういう感じなの? じゃあ中宮君の目から見たら違うかもしれないね」
「……まぁ、そうかもな」
こんなに危険な場所でそんなことしたら、きっと俺の場合、その部屋に閉じ込められて一生出られなくなってると思う……押し入れなんて絶対にヤバい。今だって階段を上ってただけでかくれんぼに参加させられてしまったわけだし。こんなことはもうこりごりだ。
思わず思い出し疲れをしていると、また中宮君がジッとこちらを見ていることに気がついた。今度はなんだ? なんだか目がキラキラしてる……?
「そこで提案なんだけど、結局ここで尊と別の幽霊に会えたのは君だけなわけだし、もう一度あの部屋も確認しておいたらどうかと思うんだ。だって怪しいよね? 何かの不手際であの部屋だけ鍵が開いてるなんてことありえないでしょ。きっと中に居るんだと思う、僕には見えなかったけど。だからもう一度一緒に行って、今度は君の目で例の部屋を見てくれないかな」
「は?! 嫌だよ!」
「でも今日はその目的で来てるわけだし、ね?」
「いや、中宮に会いに来たんだからもう居ないのに入る必要ないだろ!」
「……あー、そっか。もう尊は現れたけどどこかに行っちゃったんだっけ。そうだったね」
ちょっと強い言い方になっちゃったかなと思ったけど、「じゃあ仕方ないね」と中宮君が受け入れてくれてよかった。……本当に。だってまだ、今この瞬間も上からの視線を感じているから。
来た時よりもずっとはっきりと、今も四階からこちらを覗いている人が居るのを感じる。絶対に見ないようにしているし、絶対にこのまま帰るけど、俺たちが入ってくるのをずっと待ってるんだと思う。多分中宮君が部屋の話をしたせいだろう。押し入れの中に、本当は隠れていたのかも。
隠れてるってことはさっきの男の子と遊んでた子? わからない。また他の件で幽霊になった子なのかもしれないし、別に大人の可能性も——あぁ、深く考えたら駄目だ。また引き寄せてしまう。
どうやら団地から出られないようで追ってくることはなかったけれど、ずっとずっと見えなくなるまで突き刺さる視線を感じていた。
もう一生ここには近づかないと思う。



