中宮は笑えなかった




「ここで降りるよ」
「え、ここで?」

 中宮君が通う高校の最寄りのバス停からバスに乗り、十分ほど揺られた今、その呼びかけでバスの停車ボタンを押した。
 バスがゆっくりと止まる。『一緒に山に入った時に崖から足を滑らせたんだ』と言っていた通り、到着したのは、“山道入り口”という隣の町とこちらの町を隔てる山の麓のバス停だった。
 バスは山の中まで入らないようで、俺たちが降りるとそのまま次のバス停へと出発する。このバス停はあまり利用客が居ないのか、随分と古びていて、ベンチなどのバスを待つ人の為のものは設置されていなかった。

「行こうか」

 そう言って中宮君が先に山に入っていく。山道入り口の名の通り、一本の道が山のずっと奥深くまで続いているようだった。一応整備されていて、車で通行することもできそうではある。が、バスが入らない訳だと納得の道幅である。大きかったら対向車とすれ違えないんじゃないかな……。

「この道って使ってる人居るのかな」

 迷いなく足を進める中宮君を追いかけるように俺も山に入ったけれど、進むにつれて景色や雰囲気からどんどん人の気配がなくなり、じわりと広がった不安が彼の背中に問いかけさせた。だって、使いやすくしようという気遣いのない道が、だんだんと削れて小さな崖のようになっていく右側の山肌が、用もないのに入るには危険な場所なのだと訴えてきているように感じたから。
 これって、このまま行って大丈夫?
 チラリと振り返った中宮君が、俺の質問に答える。

「以前はこの山を越えて隣町に向かうのが一番近かったから、通り道として重宝されていたんだ。でも平らな道が整備されてバスが通り始めると、そっちを利用するほうが楽だし早くなった。だからこの道は山に用がある人用、くらいの感覚でとっておかれてるんだよ」

 ……なるほど。だったらバス停の利用者が少ない感じにも、山道の整備が行き届いていない感じにも納得がいく。
 他にも使ってる人が居ると知って安心すると、急に山の景色の見え方が変わったから不思議なものだ。人の手を離れた場所が山の姿を取り戻しているってだけなのかも、と急に前向きに捉えられた。本来はコンクリートで綺麗に固められた道なんてものは存在しないのだから、今歩いてるこのゴツゴツした歩きにくい道が正しい在り方なんだよなと。

 どんどん山の奥へと上り坂を行く中宮君は本当にこの山に慣れているのだろう。突き出す木の根やゴロゴロ落ちてる大きな石に足を取られながらよたよたとその後ろを着いていく中で、俺はスニーカーで良かったと心底思った。対して、中宮君の足元は茶色のローファーだ。けれどそんなこと気にもせずに進んでいく彼に気概を感じて、それほどまでに兄弟に会いたいんだなと、そこに秘められた強い思いに胸を打つ。

「この山に、二人でよく来てたんだよな?」

 だから、息が上がっているけれど、訊ねる言葉を投げかけていた。この兄弟のことをもっと知りたいと思ったから。

「何しに来てたんだ?」
「生態観察……っていうのかな。植物とか昆虫とか、小動物とかの。子どもの頃から探検だって山に入ってたから結構庭感覚で、山の空気吸いに来たりもしてたよ」
「へー、仲良いんだな」
「良かったよ。僕は僕だけど、尊も僕の一部って感じだったから。その頃は兄弟仲が良いっていう感覚自体がなかったんだけど、でも今になって思えば仲良かったんだなって思う。こうしてよく一緒に居たからね」
「そっか、双子だとそんな感じなのかもな……生まれた時から居るんだもんな」
「同じ顔だしね。うちの親は特に同じにこだわってたから、常に同じ服に同じ髪型だったよ。父さんは仕事で忙しいし、名札無しで見分けついたの母さんだけだったと思う」

 そう言われて、あぁ、確かに、と思う。本当に幽霊の中宮がそのままここに居るって感じだから。

「……双子だからってそこまで似てない兄弟も居るのにな」
「そうなんだよ。だから僕らは互いのピースみたいなものだったのかなって思ってる。二人で一つというか、もともと一人の人間だったんじゃないかって」
「……そうなんだな」

 そうだとしたら、

「今、すごく寂しいな」

 仲の良い双子の兄弟の、悲しい現実。

「……会いたいよな」

 思いの強さを話すほどに感じるから、寂しさと悲しさも同じだけ俺の心に生まれる。そんなのは結局中宮兄弟の悲しみの小さな擬似体験でしかないけれど、それでも、それがどれだけ辛い別れだったのかは想像がつく。

「居るといいな、中宮……君の、お兄さん」
「ふふ、そうだね」

 言いづらそうにする俺を許すような微笑みを浮かべた中宮君は、また前を向いて歩き出す。それに俺も黙ってついて歩いていった。

 どんどん木々が重なり合い暗くなっていく山中には奥深くまでやってきたなという実感があって、いよいよ右手の山肌も立派に崖と呼べるほどに高くなっていた。
 恐る恐る崖の下を覗いてみると、木々の枝とその葉っぱ、地面から伸び放題の草やどこから生えているのかわからない蔦なんかに覆われて、落ちた先の地面なんてこれっぽっちも見えそうにない。それどころかどれくらい深いのかもわからない。もしあの葉の下に折れた木が隠されていたら、一発で串刺しなんてのもあり得る話だ。

「捜索したけど全部の木を切って葉をどかして探したわけじゃないんだよ。だって相手は男子高校生。倒れていたとしても流石に見えるでしょ?」

 下を覗く俺のそばに寄ってきた中宮君が急に声をかけてきて、思わず体が飛び上がり、驚いて落っこちるところだった。

「崖と呼べるけど、断崖絶壁というわけでもないし、本気を出せば降りられないこともない。けれどとても危険なことには変わりない。落ちたと聞いて、落ちた形跡はあるけれどその先に人が見当たらない場合、落ちた本人が動かせた体で助けを求めにその場を離れたと考えるよね? だから高校生の子どもが助けを求めに向かいそうだと思われる場所を、周辺くまなく探したんだよ。でも見つからなかった。じゃあ一体尊はどこへ行ったんだろう」
「…………」
「結局、誰も尊がその後どこへ行ったのか知る人は居ない。見つけられないまま、尊は死んだこととされた。けれど、君は見つけた。幽霊になった尊を。それはやっぱりあの時に尊は崖を落ちて死んだということ。でも肝心の尊本人は何も覚えていない。あの日のことはおろか、僕のことまでも。一体、尊に何があったんだろうね」
「……中宮が落ちた事故現場はここなの?」

 ぼんやり崖の下を眺めながら隣で語る中宮君に訊ねると、中宮君は道の先を指差したので、促されるままに目をやった。するともう少し先の崖の縁が欠けているのが、ここからでも目に入った。

「あそこが、そうってこと?」

 頷く中宮君と一緒に欠けた崖の縁に立つ。もう誰かが転がり落ちたせいで草木が曲がってるとか、そういう明らかに目で見える痕跡のようなものは見当たらなかった。確か去年の入学早々のこと、と言っていたから、一年は経っていることになるのだ、当然だろう。

「そういえば下に降りて探したって言ってたよな? よく降りられたな、こんなところ」
「ここからは流石に危ないから少し戻って降りられそうなところを探したんだ」
「そっか、それなら下を歩いて落ちたところまで行けるな。直後なら落ちた形跡ももっと残ってただろうし」
「そうなんだ。木が折れてたり草が潰れて道ができてたりして、それを頼りに向かったんだ。でもだいぶ時間がかかっちゃって、着いた時にはもう尊は居なくなってたけど」
「行き違いみたいになっちゃったのか……」
「そう。なんで動いたんだろうね、尊は。さっさと大人に連絡してここで見張っておけばよかった」

 そう言って、「僕は馬鹿だな」と、中宮君は小さく呟いた。

「いつもいつも、僕は尊に頼ってばかりだったから。だから間違えたんだと思う」
「間違えたって……そんなことないよ、声かけても返事なかったんだろ? こっからじゃ全然見えなかっただろうし、下まで降りて探しに行ったのはよく思いついたなって思うよ、俺は。でもそれで中宮君も怪我したりしなくて良かった」
「……そうかな」
「そうだよ。中宮もきっとそう思ったよ。もしかしたら自分が落ちた後の中宮君が大丈夫だったのか確認する為に、中宮の方からも探しに行ったのかもしれないよな。中宮君の声が聞こえなくなったから心配になって、そのまま今も探してるのかも」
「…………」

 突然、黙った中宮君がじっと俺を見た。突き刺さるような強さを感じるその視線は、何か俺の中にある真意を探られているような感じがして、冷や汗をかくような緊張感が生まれる。
 なんだろうと強張る俺に、中宮君はその答えになる問いを口にした。

「そうやって今尊が言ってるの?」

 それに俺は一瞬頭を白くさせてから、あ、そうだったと思い出す。ここには中宮を探しにきたのだと。ここになら居るかもしれないと、中宮に会いたい中宮君は、唯一中宮を見つけた俺を頼りにしているのだったと。

「いや、申し訳ないんだけど……中宮は居ないよ。折角ここまで案内してくれたのにごめん、」
「じゃあなんで尊が僕のことを探してるのかも、なんて思いついたの?」
「それは、俺が中宮の立場だったらって想像したってだけで、根拠があるとかではないんだけど……なんか、中宮が言うには幽霊がこの世に留まるのは、目的があるかららしいんだ。その目的が達成されると成仏する、みたいな感じで、だったら中宮にも目的があったはずだよなって、今の話聞いててふと繋がったというか……」
「じゃあきっと尊はまだ、成仏してない」

 はっきりとした口調で、俺の中の何かを見つめる中宮君が言い切る。慌てて俺はそれを訂正した。

「絶対とは言い切れないんだって。消えちゃってから見てないし、ここに来るまでも会ってないし」
「でもきっと尊には目的があると思う。記憶がないから思い出せないだけで、目的はきちんと心の中にある。そうじゃないと記憶がないのにこの世に留まってる理屈が通らない。感情が残る場所としてこの事故現場に居ないなら、尊自身の中にこことは関係のない別の目的が眠ってるってことになるんじゃないかな。それを達成するために記憶が重要で、記憶を探す手段として君に出会ったから君の前に現れるし、本当の目的は自覚していないから不安定で、その時の現状に引っ張られるように姿を突然消す、とか」
「!」

「そうなると、辻褄が合うと思わない?」と確認するように訊ねる中宮君の言葉に、俺は思わず丸く見開いていた目で、大きく一つ頷いた。

 ——すごい、本当だ。本当にその通りだ思う。

 記憶がないから感情がない。つまりそれは記憶が戻れば感情も戻るということ、ただ思い出せないだけってことだ。だから心の中に成仏できない理由としての目的も一緒に残っていて、知るために記憶を探しているし、死因を知りたがっている。
 記憶が最終目標じゃないのだ。なんで死んだのかわからないからここに居るんじゃなくて、自覚していない目的が達成されていないからここに居る。成仏する為にあいつは無意識のうちに目的を探してたんだ。
 そうなると成仏したんじゃないのに消えた理由も納得ができる。目的を自覚していなくて不安定だから、という言葉で説明すると、俺の、“話を聞いてもらえて満足し、達成したと勘違いしたけれど、本来の目的はまだ達成されていないから成仏はしていないはず”という仮説にもピッタリとハマる。
 そういうことだったんだ。だったらきっと中宮はまだ成仏していないし、居場所が見つからないまま今もどこかに存在しているはず。
 中宮に、また会える!

「辻褄、合うと思う! すごいな中宮君、俺には辿り着けなかった」

 中宮君にとっては見えないものの話なはずなのに。今日初めて知ったことなのに。それなのに、なんでそこまでわかるんだろう。これまで俺が話したことを聞いただけで、中宮君はそれを全部繋ぎ合わせて今、一つの答えに辿り着いたってこと?
 だったらすごい、本当にすごい!

「もしかして中宮君って、すごく頭がいい?」

 思わず口にしていた俺の問いに、中宮君はふっと小さく笑うと、「僕なんて全然。尊の方が頭良かったよ」と謙遜する。

「知らないことを知って、考えるのが好きなんだ。尊にも色々教えてもらってたよ。だからまた、尊と話したいんだ。なんでまだここに居るのか、あの時何を思ったのか、尊の口から聞きたい。僕の知らない尊の話を。尊の、あの日の記憶を」

 そう言って、また強い感情が込められた瞳を俺に向ける。

「それを知るには木内君の力が必要だ。僕には尊が見えないし、木内君は感情を想像して仮説を立てるのが上手いから。僕とは違う木内君の感じる、その目で見える世界をもっと知りたい」
「……俺の目で、見える世界」
「そう。僕には見えない世界とその常識が木内君の中にはあるから、木内君のことももっと知りたいと思う。今の僕には木内君の存在が必要だから、真実を知ることができるその時まで、僕に——僕たちに、協力してもらえないかな」

 ——その中宮君の提案に、俺は頷いた。

「もちろん、こちらこそ。一緒に頑張ろうな」

 心が、続いて目頭が、カッと熱くなるのを感じた。怒りで頭が熱くなるのと違う。これは感動だ。感動で、感激で、胸が熱く燃えていた。
 俺にこんな日が、来るなんて。

 中宮君が差し出した右手と握手を交わすと、そのまま来た道を戻り、下山した。帰りのバスの中で連絡先を交換して、また連絡する約束をしてから中宮君の高校の前のバス停で降りると、そこで中宮君と別れて俺は帰るために歩き出す。


『木内君は感情を想像して仮説を立てるのが上手いから』

 俺の妄想に近い想像に対して、そんな風に表してくれた人は初めてだった。
 
『僕には見えない世界とその常識が木内君の中にはあるから、木内君のことももっと知りたいと思う』

 違うものが見える俺のことを、こんな風に受け止めてくれる人が居るなんて。

 ——中宮兄弟の力になりたい。

 それが俺の新しい目標になった。