中宮は笑えなかった


 不意な攻撃に体が傾く中宮君を続けて中宮が蹴り飛ばす。
 自由になった俺はノロノロと体を起こすと、瞬きを繰り返すことしかできなかった。だって本当に、本物の中宮がそこに居たから。
 もうこんなところに居るはずがないのに。
 居てはいけないのに。
 来れないはずなのに。

「大丈夫?」

 そう言って俺の隣に寄り添った中宮にお礼を言おうとノロノロと視線をあげて、体が固まる。その顔は凍りついたように無表情で、ゾッと体の芯が冷たくなったから。
 ——怒ってる。怒ってるんだ、多分、すごく。
 そんな中宮を俺は初めて見た。

「なんで……」

 そんな顔をしてるの?
 中宮は今度こそ成仏しようとしていたはずだった。それなのに今、そんな顔をしてまでしてなんでこんなところに?

「お前、辛いんじゃないの……?」

 だってここには中宮君が居るじゃないか。受け入れたくないと拒否感に苛まれる過去があるじゃないか。そのせいで苦しんで、おかしくなった中宮を何度も見てきたのに。それなのに、お前は今ここに居る。
 なんでだって? そんなの決まってる。
 俺のせいだ。

「来なくていいんだよ……無理すんなよ。俺のことはもう大丈夫だって言っただろ」

 一人で逃げることもできない、結局助けられることになってしまったこの現状が、それを作ってしまった自分が、情けなくて仕方なかった。
 情けない。情けない。いつもそう、俺は何もできない。中宮に頼ってばっかりだ、無理をさせてる。やらなくて良いことを押し付けてる。嫌な思いをさせてる。だって中宮は笑えるようになったはずなのに、それなのに今こいつにこんなに怖い顔をさせてるのは、俺だ。

「早く行け! 辛いだろ? いいんだよ、行け!」
「……来なきゃ死んでたかもしれないのに、なんでそんなこと言うの」
「だってお前、わかってるだろ? あれは中宮君だ。お前が会うのを怖がってた相手なんだよ。無理するな、またおかしくなったらどうすんだ!」
「あぁ……まぁ、そうだね」

 けれど、中宮は緩く首を振ってみせた。そして、

「でも木内君が僕を僕にしてくれたから、だからもう何も怖くないんだ。何があっても何を知っても、今の僕は僕だから。だからもう大丈夫」

 そう言って、スッと痛みでうずくまる中宮君の方へ目を向けると、

「それに、ようやく会えたからかな。今全部思い出したよ。そうか……そうだった。そうだったね、君が僕の弟?」

 ふふっと声だけで小さく笑うと、中宮は中宮君の前まで行き、同じ目線でしゃがみ込んだ。

「僕が君の弟だ。ねぇ、尊」

 ……え?
 どういうことだ?と、頭の中が考え出す前に、冷たい目をした中宮が続きを語りだす。

「虫が好きなのも、動物が好きなのも、殺して気持ちよくなってたのも、全部君だ。それが僕にバレて、口封じに崖から突き落として、崖の下でまだ生きてた僕を殺したのは君。母さんと一緒に井戸に捨てたのも君。今、僕の大事な友達を殺そうとしてたのも……。ねぇ、もしかしてこんなこと何度もしてたの? やけに慣れてたけど。動物だけじゃなかった? 母さんはどこまで知ってるの?」
「…………」
「まぁ、そんなことはもうどっちでもいいや。そりゃあどれだけ自分のことだと木内君から聞いても納得できないし受け入れられないわけだよ。だって全部の思い出が僕じゃなくて君のものなんだから。僕はずっと君が怖かったよ、だって君の頭はおかしいんだから。しかも僕を殺した張本人だ。記憶がなくても体が拒絶するのもわかる。でも、なんで? なんで僕を殺した後、君は僕を名乗るようになったの? なんで自分の存在を消して、僕の人生を乗っ取ったの? 君、自分のこと大好きだったし、僕のことはバカにしてたよね?」
「…………」
「もしかしてそれが目的で僕を殺したの? そんなに僕の人生が欲しくなった? そんなの君のプライドが許さないんじゃないの? ねぇ、尊」
「…………」

 中宮君は黙っていた。そんな彼に、「あれ? 聞こえてる?」と、中宮が冷静に首を傾けた、その時だ。

「お前が僕の人生を壊したんだろ……」

 いつもより低い声が、唸るように言った。

「お前が見つけなきゃこんなことにならなかった。ただ命に興味があっただけなのに、誰にも迷惑なんてかけてないのに、それを非難して追い詰めたのはお前ら馬鹿どもだろ」

 俯いていた顔をあげると、中宮君は中宮をギッと睨みつける。

「家族総出で大騒ぎだ。僕の頭がおかしい? 僕が失敗作? 冗談じゃない。完璧だった僕の人生に泥を塗られた。もう僕の人生なんてなかったよ、終わってしまった、お前らのせいで。だから考えたんだよ、新しい人生をやり直す方法を。それで思い出したんだ、僕にはもう一人僕が居るんだって」

 そう言って、ニヤリと笑う中宮君の目はギラギラと光っていた。まるで過去の武勇伝を語る時のように。

「僕たちは何から何まで同じにされていた。頭のおかしい母親のせいで、僕たちの区別がつく人間は母親以外居なかった。だから僕がお前になっても誰にもわからないことに気がついたんだ。こんなことでもなかったら絶対に思いつきもしなかったよ、なんでこんなバカな足手纏いと同じ扱いされなきゃならないんだと思ってたから。でもようやく納得したんだ、そのための双子だったんだって。お前はいざという時のストックだったんだって」
「…………」

 中宮は、黙って中宮君の言葉を聞いていた。中宮君の、とんでもない言い分を、ただの無表情で。

「お前を殺したの、母さんは受け入れてたよ。それで僕がお前として生きるのも受け入れた。起こってしまったことは仕方ないし、僕が死んだことになる方が世間体もいいことに気づいたんだろうね。お互いちょうど良かったんだよ。それからは優秀な兄をなくした可哀想な弟として注目されて気持ち良かったな……そしたら周りが慰めるために言うんだ、死んだ後もきっと空から見ていてくれるって。家族が死んだ後ってそうなるもんなんだって。死んだ後も生きてるのなんて人間くらいだなって思ったら、そこから幽霊に興味が沸いたんだ。そんなところに木内君だもん、僕ってついてるなと思ったよ。いつも結局僕のために世界は回るんだ。双子で生まれてきたことだってそうだったんだから。意味わかる? もともと生まれる前から僕はそう決められていたってこと。上手くいくようにしかできてないんだよ」

 そして、あはははは!と、中宮君は大きな笑い声を上げると、俺を指さした。

「それはさ、僕の願いを叶えるために存在してる。だからお前は今ここに居る。わかる? 何か気持ち悪いこと言ってたけど、結局君たちは僕のために動かされただけなんだよ。だってほら、ここでお前が出てきたところで何になる? 僕を呪い殺す? でもここには時間になったら母さんが来る。その時死んだ僕と生きた木内君を見た母さんはどうするだろう。僕が何をしようとしていたかわかっていたとしても、唯一の息子を殺した人間を母さんは許さないと思うよ。あの人も頭がおかしいから。で、この状況からどうやって木内君を助けるの? 無理だよね? お前には無理だ、だってもう死んでるんだもん。僕のための存在でしかないんだもん。で? 今これを聞いてどう思った? 聞いてあげるよ、お前の言い分。恨み言も全部。だってお前は僕の可愛い弟の匠だ。僕の名前を使わせて、僕の人生を与えたのもお前が特別だからだよ。ほら、言ってみて。お前のこと大好きだから教えてよ。死んだ時、何を思ったの? 死んだ後はどうだった? 今ここで、何もできない哀れなお前は今、何を思ってる?」
「…………」

 中宮は黙っていた。ニコニコとご機嫌に語っていた中宮君はある程度中宮の返答を待っていたけれど、ドバドバと出ていたアドレナリンが切れたようにスンと冷たい顔をすると、

「もういいや」

 そう呟いて、「君はいつもそうだよね」とため息をつく。

「肝心なところで黙り込んで、見当違いなことばかり言う。その目が嫌いだったよ、ジッと探るように僕を観察する目が。気味が悪かった。表情なんて死ぬ前からないだろ、何を感情のある人間の振りをして。死んだ後の方が人間らしくしてんのなんてお前くらいじゃない?」

 そしてゆっくりと立ち上がり、中宮君は俺を見た。

「さて、僕は彼を殺さないと。もうストックは残ってないから失敗できないんだ。匠はそこで黙って見てなよ」

 そう言うと、一歩、一歩と歩き出す中宮君の目の前に、中宮は遮るように立ち塞がった。
 「何?」と鬱陶しそうにする中宮君に、中宮は言った。

「ありがとう、尊。君が殺してくれたおかげで僕は木内君に出会えたし、僕は僕になれたんだ」
「そう。どいてくれる?」
「それはできない。僕は木内君を君から守らないと。良い方法が思いついたんだ、君のおかげで」

 そう言って、中宮は中宮君の首に両手を回す。グッと力を込められたようで、中宮君が苦しそうに顔をしかめた。

「ハッ、いいの? 僕を殺しても木内君は助けられないよ。彼の先は地獄だ。母さんがどういう人間か知ってるだろう」
「大丈夫。この体は殺さないから母さんのもとに息子は帰ってくるよ。死ぬのは君だけ。君が教えてくれたんだろ、君は僕で、僕は君。お互いのストックだって」
「! おま、〜〜っ、」
「もともと一卵性の双子だし、僕として生きたこの体はきっと僕に馴染みやすいから。このあとの君が幽霊になるのかはわからないけど、この体とその先の人生はもう、僕のものだ」

 グッと更に力が込められた両手に限界だと叫ぶように暴れ始めた中宮君だったけれど、突然電池が切れたみたいにふっとその体から力が抜けたと思ったら、今度は中宮の体がその体の中に吸い込まれるように消えていく。

「!」

 完全に中宮が消えた瞬間、ガクンと膝をついたその体に俺は慌てて飛びついて、倒れないように支えた。頭を打ったら大変だと思ったから。

「…………」

 息はある。心臓は……動いてる。

「中宮……?」

 バチっと、俺の声かけで目を開くと、中宮?は飛び起きた。
 グルリと俺に顔を向けると、パチリと大きく瞬きを一つする。
 スッと息を吸う。胸が膨らみ、吐いた空気とともに元に戻った。

「……僕だ」

 その呟きは、中宮君の声だった。だけど、

「取り戻した。僕の体だ、木内君」

 そう言って興奮に目を輝かせるのは、中宮だ。
 中宮だと思った。

「これでもう大丈夫。一緒に帰ろう、突然居なくなったりしないから。これで僕は——僕たちはもう、同じ世界を生きていける」
「……うん」

 だからもう、何が起こったのかとか、中宮君はどうなったのかとか、そんなことはどうでもいいと思った。
 だって今告げられたその言葉は、俺にとってとても重く心に響いていたから。だってずっとそれが欲しかったんだから。
 ひとりぼっちの俺がずっと諦めていた、同じ世界を生きてくれる存在。この世界で同じものを見て感じてくれる、お互いを認め合えて、支え合える存在。
 そう。それが今の俺たちだ。君は、俺の友達。

「……これからまた、よろしくな」
「うん。木内君」

 思わずこぼれた俺の涙をその手で拭うと、「泣き虫だなぁ」と君はニコリと笑った。