中宮は笑えなかった


「今度の体育祭の打ち上げどこにする? やるよね?」
「やるやる! 終わったらそのまま流れで行くよな」
「そしたら参加人数確認しないと」
「今連絡入れたよ。またカラオケでいっか、前回いい感じだったし」
「じゃあ一応同じカラオケの予定だって追記しとく」
「ありがとー」

 なんという役割分担と手際の良さ。さすがクラスの中心としてイベントごとを盛り上げてくれるグループの方々である。今度の体育祭の打ち上げまでしっかり予定を立ててくれているなんて。
 リアルタイムで今の話の内容が手元のスマホに届いたので、通知を眺めながら、俺はそっと画面の中で不参加を表明した。

「あ、早速不参加居る……木内(きうち)だ」
「あれ? 前回もだよね? ねぇ木内君、来ないの?」

 そして同じ教室内、配置的に、話し合うために集まった中心グループの隣の席に座っている俺は、そのまま画面内だけでなく現実でも回答を求められてしまうことになり、完全に答えるタイミングを失敗した。あとでにしとけばよかった……。

「あぁ、うん。やめとくわ」
「なんで? 体育祭のあと予定入ってた?」
「まぁ、ちょっと行けないかな……」
「そっか。前の集まりも来れなかったのに申し訳ない……木内君の予定にあわせようか?」

 わ、優しいな、吉野(よしの)さん。
 グループの中でも女子の学級委員を務めている吉野さんは明るさと優しさを持ち合わせた素晴らしい人だ。嬉しいしありがたいけれど、その気遣いに応えられない罪悪感でいっぱいになる。
 そうして、なんて答えようか悩んでいるうちに、

「おい、やめとけって。いいんだよ木内は。来ないほうがいい」

 思いやりからどうにか俺を参加させてくれようとする吉野さんを引き止めたのは、同じ中学だった高見(たかみ)。彼は吉野さんと同じく男子の学級委員を務めていて、人柄からも信頼のおける人物である。
「なんでそんなこと言うの?」と、普段の高見じゃ取らない態度に戸惑う吉野さんを納得させるために、「木内もわかってるから来ないんだよ。な? 木内」と、高見は俺に説明させようと話を振る。
 まだ高校に入ってからは隠し通せていた。——けれど、どうせバレるのも時間の問題だろう。だったら迷惑をかける前に伝えておいた方がいい。
 仕方ないと、俺も覚悟を決めた。

「俺、カラオケ行けないんだよ。ていうか、そういういろんな種類の人が集まるとこ結構ヤバくて」
「ヤバい? 体調悪くなるとか?」
「そう。幻覚が見え出してパニックになる。だから暴れ出す可能性が高くて行かないようにしてるんだ。同じ中学の奴は何度かその現場を見てるだろうからわかってるんだけど、高校ではまだ見せてなかったから」

 その瞬間、サッと今までの楽しく予定を立てていた空気感とか、気軽い感じで親しみを持ってくれていた吉野さんの雰囲気が霧散する。

「だからその、気を遣ってくれてありがとう。俺のことは誘ってくれなくて大丈夫なので」
「あ……うん」
 
 あーあ、完全に引かれてしまった。
 厨二病かよととられてのものなのか、本気で心配して不憫に思ってくれたからなのかはわからないけど、もういつものことなので、別にどちらでもいいやと吉野さんたちの方へ向けていた顔を前に向き直し、話はおしまいの雰囲気を作った。
 どうせ誰にもわかってもらえないんだからいい。今自分で言ったことが彼らの世界の中での俺を正しく表した表現なのだから。

 しばらくの間をおいて、「ちょっと頭がおかしい感じの人って有名だったんだよ」と、ヒソヒソ喋る高見の声が聞こえてきた。もちろん俺はそれに聞こえてない振りをして、そのあとに続いた「実際、本当におかしくなってた」という彼の言葉に、高見が言うんじゃ本当なんだろうと、神妙な空気を漂わせて吉野さんやその他のクラスに必要な人材の方々が受け入れているのを、俺も隣の席で肌で感じながら受け入れた。
 ガラリと担任の先生がドアを開けて教室に入ってきたことで隣の話し合いは解散したけれど、そこで生まれた妙な空気はそのままこの場所に残されたように漂っている。一呼吸で俺の肺に入り込んでくるその空気を俺は吸い慣れていたけれど、やっぱりいつも通りに胸が重たく苦しくなった。

 結局さ、同じものが見えて感じられないと同じ世界には生きられないんだと思う。
 俺はこの世界で同じものを見て感じてくれた人とまだ出会えたことがない。だから、自分がおかしい側だと認めるしかない。
 放課後になり帰り道を歩いている中で、今日はさっきのことがあったせいか、いつも以上にそんな孤独感が俺の頭を重たくさせた。
 こういう辛い気持ちの時ってなんで空が見えないんだろうな。足元ばっかり見て歩いてる気がする。ずっと、ずっとそうだ。俺の世界を理解できる存在なんてどこにも居ないのだと、顔を上げる気が起きないまま今日まで歩き続けている。

 するとふと、俯いた視線の先、歩行者用の信号が取り付けられた細いポールの足元に、花束が添えられているのが目に入った。
 それはちょうど、“とは言え家に着くまでには元気にならないと、また母さんを心配させちゃうな”と思い浮かんだ頃合いだった。添えられた花束のほかに可愛い洋服を着せられた人形やお菓子、ジュースなんかも一緒に置かれていて、あ、女の子だと頭をよぎる。小学校に入るか入ったばかりかくらいの女の子がここで、きっと交通事故で亡くなったのだとパッと頭に浮かんだ瞬間、右手に感触が生まれた。差し込まれたそれは嫌に冷たくて——あぁ、やってしまったのだと気がついた。
 ギギギッと、錆びてしまったような動きで感触のある自分の右手へ目を向けると、小さな女の子が俺の手を握ったまま俯いて立っていて、どっと心臓が大きく跳ね上がる。そしてその勢いのまま思い切り手を振り払うが、離れない。取れない。どれだけ振り回そうとその手は硬く握り込まれ、振り払うことができない。
 やった、やってしまったのだ。想像してしまったから、また幻覚が現れてしまった。
 いつもそうだった。嫌な想像が現実として現れる。パッと頭に浮かんだだけなのに、それがそのまま俺をその世界に引き摺り込んでいく。

「駄目だよ、ちゃんと手を繋がないと」

 子どもの声がした。俺の手を繋ぐこの子の声だ。

「手を繋がないといけないんだよ。だって危ないから」

 その途端、頭の中に見える、車が自分に飛び込んでくる映像。切り裂くような急ブレーキ音と女性の叫び声が響き渡り、その声をお母さんだと心が勝手に受け取った。

「じゃないと、わたしみたいになっちゃうよ」

 そう告げられると共に一層強く握り込まれた手が痛み、ハッと女の子へ意識を向けると、こちらを見上げるその子と目があった。ただ、潰れてひしゃげた顔はもう、正しい位置にそれを配置してなどいなかった。
 飛び出てぶら下がったそれと、押しつぶされたそれは両方、きちんと俺の方を向いている。何も言えずに固まる俺に、引きちぎれた口がそれを感じさせない滑らかな動きで次の言葉を紡いだ。

「だから、一緒に渡ってあげようね」

 そして握られたその手が強く引かれ、連れ出される。横断歩道の方へ向かって。
 その信号は赤色だった。手を剥がそうと必死に力を込めたけれど、氷のように冷たいそれはくっついてしまったように俺の右手から離れない。到底子どもの力とは思えない強さだ。
 横断歩道が目の前に迫っている。
 嘘だろ……今このまま渡るつもりか?
 そんなの無理だ!

「やめろ! 渡りたくないっ、止まれってば!」
「大丈夫。手を繋げば大丈夫。お母さんが言ってたよ」
「でも赤だ! よく見ろって、無理なんだよ! ほら、車が走ってる!」

 横断歩道が引かれた車道は車線が多く、この場所は特に車通りの多い箇所だった。信号無視なんてもってのほかだし、歩道の端に立つことだって危ないけれど、女の子にその訴えは届かない。

「手を繋げば大丈夫。だってお母さんはいつも言ってた、手を繋ぎなさいって」

 そう言って、立てるはずのない向きに折れた足をぶら下げながら、女の子は俺の手を引き歩みを止めない。逃げなくちゃ、止まらなきゃ、そう思って俺はめちゃくちゃに力を込めてあらがっていたけれど、

「だけど走って勝手に渡っちゃったから、わたしは失敗しちゃった。そしたらお母さんは怒りながら泣いてたし、とっても悲しんでた。わたしができなかったから。だから、もうわかったよって見せてあげないといけない」

 続いた女の子の話を聞いた瞬間、可哀想に、という思いが生まれ、無意識にふっと俺の抵抗する力を弱めた。そして一緒に渡ってあげたい気持ちへと不思議と心が傾いたその隙を、女の子は見逃さなかった。
 グッと手を引かれる力が更に強くなり、踏ん張る足がよろけると、まるで突き飛ばされるみたいに体が歩道から一歩外へ飛び出す。
 ——ヤバい、車が来てる……っ、止まれない!
 これから起こることが頭をよぎって息を飲み、跳ねられる衝撃に身構えてぎゅっと目を閉じた瞬間、ドンッと、何かにぶつかって体が止まった。
 ……あれ? 思った衝撃と違う。

「……信号、見えてる?」

 その声かけに目を開けると、目の前には制服姿の同い年ぐらいの男が立っていた。どうやら俺の体はその人にぶつかって止まったらしい。
 クラクションが鳴り響いて、慌てて車道へはみ出していた体を歩道に戻すと、左折の車がギリギリを通り過ぎていった。危ない……結構、いや本当に危なかった。

「あの、ありがとうございます」

 なんとか窮地を脱したことにほっとして目の前の彼に感謝を述べると、スッとその人は俺の右手を指差したので、いまだに冷たく握り込まれた右手へ目をやると、ぞっと全身の鳥肌が立った。だって女の子がものすごい形相で俺を睨んでいたから。

「なんでなの……また失敗しちゃった。——お前のせい」

 すると、ギリギリと締め上げるように握る手に力がこめられていき、痛みに思わずくぐもった声が出る。

「わたしはちゃんと言った。ちゃんと言ったのにできなかったのはお前のせい。お前のせい、わたしはいい子だから、わたしは渡れたのに!」

 強まる力に右手が悲鳴をあげた。このままでは折れてしまう。どうにかはがそうと力を込めて掻きむしっていると、

「じゃあ僕と渡ろう」

 制服姿のその人が、無表情に女の子を見つめるとそう提案した。その瞬間、女の子はすぐに俺の手を離れてその男の右手へ吸い付くようにくっ付くと、二人はそのまま当たり前のように目の前の横断歩道を渡り始めて——嘘だろと、俺は慌てて呼び止めた。

「や、やめろ!」

 だって信号はまだ赤だ。何台もスピードを緩めずに車が通っている最中だ。
 けれど見えていないのか、聞こえていないのか、足を止める素振りも、振り向く気配すらない。当然車通りの多い場所だ。また新たな車がそのままのスピードで横断歩道めがけてやってくるが、真っ直ぐに二人は歩き続ける。

「危ない!」

 もうぶつかる!と、思わずぎゅっと目を閉じて、起こってしまう最悪な出来ごとに心を備えた。
 ——が、何も聞こえてこない。想像した撥ねられる衝撃音も、急ブレーキ音も、悲痛な叫び声だって。

「……?」

 恐る恐る目を開くと、そこには何も変わらない信号が赤く光り、何も変わらない横断歩道が横たわるだけだった。
 するとちょうど信号が青に変わり、カッコーカッコーと青信号を知らせる音が鳴り響く。あの二人は?と、キョロキョロと辺りを見渡したけれど二人の姿はなく、隣を通り過ぎていく人の気配を感じて、そうか、幻覚が消えたのかと理解した。
 そうだ、そうだった。全ては幻覚。俺の中だけの出来ごとだったのだ。あの女の子と手を繋いだ瞬間からわかっていたことだったのに、またついのめり込んでしまっていた。何度も繰り返していることなのに……いや、仕方ないことなんだ。だってその時の俺からしたら全て現実なんだから。
 ……ん? だったらさっきのあの制服の人も、俺の幻覚だったってこと?

「……そんなことある?」

 だってこんなこと——幻覚の中で知らない人物に助けられるなんてこと、初めてだったから。

 俺にはいつも幻覚が見える。白昼夢、というものに近いらしい。怖い想像がそのまま現実になるみたいに、急に頭の中に浮かんで目の前で起こってしまう。
 暗い路地裏、薄汚れたカラオケボックス、寂れた廃墟、深夜の最終列車。定番の場所では定番の想像が安易についてしまい、人が多ければ多いほどイメージが湧いてくる。
 話の内容とか、生活感とか、生きた体温とか、嫌な感情とか、全てがそのためのパーツになってしまうのだ。人間は点が三つあるだけで顔に見えてしまうらしいから、多分俺はそういうパーツを集めて勝手に組み立てる本能が強いのかもしれない。そういう脳のバグなのかもと、受け取っている。
 だからあんな風に、自分で想像もしなかった俺を助けてくれる人間が現れる、なんてことは起こりようがないはずなんだけど……。

「ねぇ」
「!」

 急に後ろからかけられた声にびっくりして振り返ると、まさか、そこにはたった今考えていた最中のさっきの男が立っていた。
 え……え? さっき向こうに渡ってったんだよな? なんでここに?
 あ、俺の幻覚だから、考えてたからまた白昼夢に入っちゃったってこと?
 めちゃくちゃ焦ってる俺と正反対の冷静な顔をして、その男は言った。

「見えてるんだよね?」

 ……へ?

「な、何を?」
「僕を」

 ——僕を?

「そりゃあ、まぁ……えっと、そうですね」

 なんだ? おかしい、おかしい。こんなの初めてだ。こんな風に冷静に確認されることなんてなかったし、そもそもこんなに長く続くことなんてなかったのに。今まで走って逃げ切って終わることばかりだったから、ひと段落ついた幻覚が戻ってくることなんて、連続で白昼夢に入ることなんて、一度もなかったのに。
 現れたのは俺が考えてたからだとして……じゃあ、なんで今見えてるか確認されたんだろう。
 見える必要がある? 見えたら都合がいい、何か目的が?

「そしたら、次は僕の願いを聞いてくれる?」

 あ、これヤバいやつだ。

 ピンときた瞬間、迷うことなく最高速で俺は駆け出していた。
 今起こってることはいつもとは違うことだけど、でも今はいつもみたいにとにかく逃げなきゃならないと思った。
 だって真面目に関わってはいけないのだ。本当はさっきだってそうだった。小さな女の子だから、可哀想だから、なんて相手の事情を深く掘り下げたらいけなかったのに。考えるほど深みにはまるから、何が起こっているのか考えては駄目なのだ。だって思い浮かんだそれが幻覚として現れて、俺にとっての現実になってしまうから。

 幻覚の願いを聞くなんて、相手の存在をもっと掘り下げるなんて、絶対にしたらいけないことだ!

 そう心に決めると振り返ることなくひたすら走る。とにかく目一杯体が覚えている通学路を走り抜けて、ようやく家に辿り着くと、思い切り玄関の鍵を閉めた。
 大暴れする心臓を感じながら、ずりずりとその場にしゃがみ込み、ほっと一息つく。よかった、無事に帰って来れた。
 家は俺にとっての安全地帯だ。
 
「おかえりー。どうしたのそんな駆け込んできて」

 リビングから顔を覗かせる母さんに、「体育祭の練習」なんて答えておどけて笑ってみせる。
 母さんには心配をかけないようにしないといけなかった。俺がこんなだから幼い頃から母さんは色々な病院に俺を連れ歩いて、心が弱って、たくさん苦労をかけてしまったから。
 大丈夫。これは俺の精神面の話で丸くおさまることだ。俺の頭がおかしいってだけなんだから、自分のその気質に俺自身が上手く付き合っていければいいだけの話。それで全てが丸く収まり解決するんだから、今後、もう母さんに心配をかけるつもりはない。

「何かあったら言いなよ」

 不安げな母さんに、「言う言う。とりあえずなんか飲みたい」と、わざと甘えて麦茶を入れてもらった。