清めの巫女は最強人柱に狂愛される



「雪乃、こちらだ」
帝城の正面から二頭立ての馬車に乗り、雪乃は柊と共に帝都の繁華街にやってきた。
穢れて以来、久門家の外には出たことがなく、また、柊の下に連れてこられたときは、そのあとに死しかないと思っていたため、家の外の景色などを眺める余裕もなかった。故に、目の前に現れた光景に、雪乃は目を輝かせた。
石造りの洋風建築には大きな硝子のショウウインドウに並ぶきらびやかな宝飾品が並び、入り口に明るい色瓦の庇を配したカフェーでは、文士や学帽、葡萄茶式部がテーブルを囲んで談笑している。煉瓦造りのビルにはハンチングの新聞記者が出入りし、本屋には彼らが書いた新聞と共にかわいらしい表紙の雑誌が並ぶ。他にも、キネマの前にはスタアのポスターが華々しく飾られたりしていた。
文化や情報、それに娯楽がひとところに集まった様子は、いつも義母や日桜里の楽しげな会話から漏れ聞こえてきたそれそのもので、まさか彼女たちが楽しんでいた場所に、自分がいるなど、夢ではないだろうかと思う。
そんな、帝都を凝縮した街中で、柊は馬車から降りる雪乃の手を取ると、そのまま目的の建物へと歩を進めた。見上げるほど大きな洋建築で、和洋の着飾った大人子供が吸い込まれていく。
雪乃の手を握ったままの柊もまた、扉をくぐり、堂々と建物の中に入っていった。その隣を、小さくなりながら彼に手を引かれたまま歩いている。
(みなさんが、こちらを見るわ……)
そう。周囲の人々がことごとく、雪乃たちの方を見る。柊を呆けて見る人が多いから、注目は柊が集めているのだろう。しかし、だからこそ雪乃は、彼が連れている人間として、失敗をしてはいけなかった。
いま雪乃は、柊に手を引かれているので、肌に黒ずみは出ていないはず。帝城でも、柊が穢れを喰ったあと一定時間は肌の色が白いまま保つまでに、身の内の穢れは減ってきている。だから手を握ってもらっている今は、絶対に周囲の人が忌避するような見目ではないはずだと思いたい。
(でも、だからこそ、柊さまから離れてはいけないのよね……)
手を握られるだけとはいえ、彼の手は大きくてあたたかくて、とてもやさしい温度なのだけど、とても恥ずかしい。緊張と焦りで顔が熱くなりそうな雪乃を、柊が振り返る。
「人の視線は気にするな。君は今この場にいる誰よりも美しいし、俺に傅かれるだけの存在であることを理解してほしい」
そう言って、彼はぐっと雪乃の腰を抱き寄せた。上体が柊の方に傾ぎ、半ば抱きしめられるような形になる。周囲の女性客たちが、きゃー! という甲高い悲鳴を上げる。
「柊さま……っ」
羞恥に小さく叫ぶように彼の名を呼ぶと、見せつけておけ、とほの昏い温度で柊が呟いた。そのとき雪乃の耳に、知った声の叫びが届く。
「雪乃!」
「お義姉さま!」
はっと声の方を振り向くと、そこには日桜里と光敏がいた。


「陛下も、こんなに優秀な私を小間使いにみたいに使うなんて、許せないわ。手足となって働くとは言ったけど、こんなこと誰でも出来るじゃない」
帝都で一番の品揃えを誇るデパートメントへ向かう日桜里は、隣を歩く光敏にぼやいた。光敏は笑いを浮かべて妹をいさめる。
「まあでも、陛下が私的な買い物を任せてくださるなど、信頼の証だろう? こうなったら陛下が膝を打って喜んでくださるような、香り高くうまい茶葉を買って帰るべきだよ。地道な積み重ねが、いつかきっと、僕たちが最高の祓い師として地位を得るための布石となる。お前は派手なことを好むから分からないかもしれないけど、出世というのはそういうものだ」
兄の諭しに、そうかもしれない、と日桜里は黙った。
兄が帝のお気に入りになったら、日桜里はあの剣士にさらに近づくことが出来る。兄の栄誉はそのまま日桜里の理想の婚姻と繋がる気がして、兄が帝に気に入られるよう、最高の茶葉を探さねばと思う。
「このデパートメントも久しぶりね。お義姉さまを売ってしまってから、はした金で清め水を買わなければならなくなって、久しく来れなかったもの。穢れのくせに、本当に役に立たないったら」
「そうだな、別に寄り道が禁止されているわけでもない。少し見物していくか」
そうしましょうよ、という日桜里と共に、光敏は建物の入り口を潜る。久しぶりの高級な空間に、日桜里共々心を満たされていた、そのとき。
きゃー! という女性客の悲鳴が聞こえた。声のした方を見ると、客たちの向こうに、背の高い男に抱かれた美しい少女がいた。男は少女に顔を寄せ、なにやら睦まじげな様子だ。しかし。
「雪乃……!」
光敏は驚いていた。あの顔かたちは、間違いなくあの醜かった雪乃である。だが、今の彼女は白磁のごとく真っ白な肌と、美しく大きな瞳をきらめかせており、さらには小さな唇はさくらんぼのように艶やかで、腰までの長い髪は絹のようになめらかな光沢を放っている。あの、醜くみすぼらしい雪乃はどこにもいなかった。
(穢れが……、祓われている……!?)
光敏は瞬時にそう悟った。
そうであれば、別に祓いの力を持たずとも、この美しい雪乃を誰かにみすみすやることはない。もともと彼女は懐柔してあり、恩もたくさん売ってきた。自分は今後、帝に引き立てられて躍進するのだから、雪乃にとって自分は最も良い相手だろう。
光敏はいつものやさしい笑みを浮かべ、一歩、雪乃に近づいた。
「雪乃」

「お義姉さま!」
日桜里は驚いていた。帝の隣に並び立っていた剣士が、いま目の前にいたからだ。しかしその腕に抱かれているのは、目を疑うが、間違いなくあの愚鈍な義姉だ。
なぜ、人柱に喰われたはずの義姉がここにいるのかは分からないが、彼女が日桜里の望む男性にしなだれかかっているのが、許せない。やはりあの女は根性が腐っている。女の風上にも置けない、と日桜里の怒りは瞬時に頂点まで沸騰する。
(その場所は、私のものよ!)
日桜里は目をつり上げ、一歩、前へ歩み出た。
「お義姉さま、その方から離れなさい!」


雪乃が振り返ると、そこには光敏と日桜里がいた。驚きに身を硬くすると、柊が彼女を守るように彼らと雪乃の間に立ち塞がった。剣呑な眼差しに、光敏が人の良い笑みを浮かべる。
「その娘は僕の大事な妹なのです。故あって家から連れ出されてしまったのを、必死で探しておりました。あなたが妹を保護してくださっていたのですか。お礼は改めて致しましょう。まずは妹を帰していただきたい」
一歩、歩み出れば、雪乃はこちらに向かって体を動かそうとするが、遮った男がそれを許さない。
「柊さま……?」
戸惑う雪乃の声が聞こえる。雪乃は、光敏の下に帰ってきたいのだ。
「雪乃、帰っておいで。お義兄さまが、お義父さまとお母さまを説き伏せよう。かわいい、僕の雪乃。分かるよね?」
恍惚とした表情で雪乃に訴えかける光敏に、しかし間に入った男が蔑視の眼差しを向ける。
「恐ろしいほどの、茶番だな。雪乃を醜い穢れと言い放ったお前に、雪乃の痛苦を慰められるとは、到底思えんが」
「雪乃を? 僕が?」
まるで分からない、という表情を浮かべる光敏の袖を、日桜里が引く。なんだい? と尋ねれば、日桜里は兄にぼそりと告げた。
「駄目よ、お兄さま。だってあの方は陛下のお側にいらっしゃった方だもの……。拝謁の時の会話を、聞いておられるわ……」
「なんだって?」
光敏には覚えがないが、この妹が自分を騙すとは思えない。二人の方を見れば、男に庇われた雪乃は、目を見開き、驚きの表情で光敏を見つめていた。
「お義兄さま……」
「雪乃! そんなお前のことをまるで知らない男の言うことを信じるのか! 僕はいつでもお前が辛くないように尽くしてきただろう!?」
必死の弁明も、雪乃には届かない。
だって、雪乃は知っているから。柊がいつも雪乃のために心を尽くしてくれてたことを。
雪乃に逃げる道を選ばせてくれた彼が雪乃の希望を打ち砕くのなら、それは真実、雪乃が抱いてはいけない希望なのだ。
「いいえ……、いいえ、お義兄さま。私は柊さまのおっしゃることを、信じます」
「雪乃! 口答えをするな!」
雪乃の言葉に、光敏がかっとなってその腕を掴みにかかる。しかし俊敏な動きで光敏の手を払いのけた柊は、そのまま光敏の腕を掴むと引き下ろし、だん! と床にその体を打ち付けた。
「うっ!」
「お前たちの非道な行いも、つぶさに視てきたぞ。雪乃の身に穢れを余分に溜め込ませてきたその悪行、もはや契約の域を超えている」
間近から見下ろす炯々と輝くその朱金の眼差しに、光敏がはっと驚愕する。
「穢れを視るその瞳の色……、まさか、人柱さま!?」
驚きと、おぞましいものに対する忌避が満ちた光敏の叫びに、日桜里も反応する。
「人柱さまですって!? 穢れを溜め込んだ人柱さまが、なぜこんなところにいるというの!?」
こちらは信じられない、という様子だが、問題はそれではない。
「う……」
柊は光敏を押さえつけたまま、低く唸った。はっと彼を見ると、口許に牙が生えてきている。
(っ!? 穢れが!?)
柊の牙を見たのは、あの石牢以来だ。自我をなくす状態まで追い詰められた柊を表すのがこの牙なのだとしたら、この場の気の乱れが穢れとなり、それを柊が取り込んだということだ。
柊の変化を間近で見た光敏が、口許を歪めて笑いながら叫ぶ。
「はっは! 人が抱えて生きていけない穢れを取り込むなどという、人間のなりをした化け物め! この国がいつまでも穢れから救われないのは、お前が、僕たち祓い師が祓った穢れを集めてまき散らしているからだろう!」
大きな声に、周囲の客がざわめく。気が悪くなり、柊の牙がぐんと鋭利に尖る。爪は長く鋭利になり、頭部に二本の角が生える。
「ば、ばけものだ!」
ひとりの客が悲鳴を上げると、その場が恐慌に飲み込まれる。怖れや忌避、憎悪などが周りの気を一気に悪くし、穢れとなり、柊はそれをその場で取り込んでいった。
「があっ!」
一気に穢れを取り込んだ柊が咆哮する。光敏は自我を手放すまいとする柊の手から、逃げ離れた。
異形と化した柊から逃げようと、混乱したフロアから我先にと一斉に客たちが入り口の方へと雪崩れをうつ。雪乃はその人々の濁流に呑まれた。
「きゃっ!」
「雪乃! うっ!」
柊の声が聞こえたが、人々の流れに逆らえずにどんどんフロアで苦しんでいる柊から遠ざかってしまう。なんとかして柊の元に戻って、せめて手を握るだけでもしないと、彼の苦しみが大きくなってしまう。
入り口の外に運び出されてしまった雪乃は、尚もなだれ出てくる客の向こうの柊を探そうとする。
「柊さま!」
人波の中、首を伸ばして彼を探すと、ぐっと腕を引かれた。
「こっちだ!」
「!?」
鼻の詰まったような声の人に、雪乃は腕を引かれて溢れる人の中から救出された。表通りには大勢の人が溢れている。騒ぎを聞きつけたのか、警察が出動してきたようだ。
(柊さまは……、柊さまはどうなってしまうの……)
警察にあの姿を見られて、果たして彼は無事でいられるだろうか。
そんな不安を抱えたまま、雪乃は建物と建物の間の路地に保護された。暗い影の中、腕を引いてくれた人を見上げる。鼻をつまんだその人は、鼻から手を離し、雪乃を振り返って目を細めて微笑えんだ。
「お義兄さま……」


日桜里は客の逃げ去ったフロアにいた。柊はその場で苦しみながら咆哮している。
「人柱さま、お目を覚まされてください。なぜ、義姉を喰わなかったのですか? 義姉はあなたさまが喰うべき穢れだったはずです。義姉が穢れを集める体質である限り、あなたさまとは相容れない。私のような……、そう、私のように陛下に取り立てられる祓い師こそ、国を守るあなたさまの隣に相応しいです!」
柊は、訴える日桜里に怒りと侮蔑の眼差しを向ける。喉から咆哮が漏れる中、嫌悪を総動員して彼女を威嚇する。
「なぜ、だと? 俺が久門家に持ちかけた契約の意味すら分からないお前が、雪乃と俺が相容れないなどと、よく言うな。俺の大切な雪乃に非道な扱いをしてきたその罪から、逃れられると思うなよ」
剣呑な光を眼に宿しながら、柊はその伸びた爪で日桜里の喉笛を掴んだ。
「ひっ!」
「俺の隣に相応しいとほざく口が、同じ口で異形の俺に悲鳴を上げているぞ」
ぎりぎりと、日桜里の首を締め上げる。そのとき、柊の耳に雪乃の悲鳴が聞こえた。



「お義兄さま、おやめください……!」
狭い路地で、雪乃は光敏に両手を頭の上につかみ上げられていた。鼻息の荒い光敏が、左手で雪乃の頬を撫でる。
「美しくなったね、雪乃……。お前は美しい娘だと思っていたよ。お義兄さまはお前にやさしかっただろう? お前のことが、大好きだからだ」
光敏の指が雪乃の顎を支え、己の頬で雪乃に頬ずりしてくる。
ぞわり、と肌に悪寒が走った。
「い……、や……」
恐怖にか細い声が漏れる。体をすり寄せ押しつけられて、身動きが出来ない。
体が震える。膝が崩れそうだ。なのにそれを許さず、光敏は己の膝を雪乃の膝の間に入れようとする。
「嫌です、止めてください、お義兄さま……っ。私は……」
その途端、ぱん! と頬をはたかれた。
「悪い子だね、お義兄さまに口答えなんかして。お義兄さまはお前をそんな風にしつけた覚えはないよ?」
色欲露わな眼差しで雪乃を見る光敏は、左の手で着物の襟を強引に引っ張った。首元にひやりと空気が触れ、光敏がそこに顔を埋める。おぞましい感触に、雪乃は恐怖に震え目をぎゅっと閉じた。
「い、や……っ……。……柊さま……っ!」
叫んだとき、突如光敏の顔が引っ込んだ。。
「ひっ!」
彼はおぞましいものを見るような目で雪乃を見ていた。胸から首にかけての痛みが戻ってきている。……穢れが浮き出てきたのだ。
「お……義兄、さ、ま……」
「け、穢れめ!」
そのとき一陣の風が吹いた。
だん! という大きな音と共に、雪乃は拘束から解放された。
「ぐう!」
くぐもった声がその場に響く。
体を戒める手や体がなくなったことで、恐怖で力の入らなくなっていた雪乃はその場にずるずるとへたり込む。
目の前では光敏が柊に組み敷かれており、背中に腕をねじり上げられ、身動きを封じられた彼が、背後の柊に向かって叫んでいた。
「お前のような鬼畜に雪乃は渡さない! 穢れを祓えば雪乃ほど僕が囲うに相応しい女はいない! お前だって、私欲のために雪乃に穢れを飲ませたくせに、僕と何が違うというのだ!」
「それでも、雪乃の意志を無視することは許さない。金で雇われただけのことをしていれば良かったものを、雪乃に痛苦を与え続け、意志を奪った罪は重いぞ」
柊はそう言うと、更に光敏の腕をねじり上げ、ぼきりという音をさせたあと、やってきた警官に彼を引き渡した。