豪奢な部屋に呆然とする。広い部屋は日桜里がうらやむくらいに美しく繊細な細工の調度で溢れていた。
真っ白なカーテン。足下は毛足の長いふかふかの絨毯。曲線を描く脚のついたチェストと、石造りの大きな暖炉。壁に掛かった大きな鏡は植物模様の装飾で縁取られている。大きなテーブルの天板はなめらかな光沢を湛え、ソファはふかふかのクッションに天鵞絨が貼ってある。
そのクッションに、雪乃は柊と並んで腰掛けており、向かいには榊が腰掛けていた。
目の前のテーブルには、香りの良い赤褐色の紅茶から湯気が立っており、これは先ほどこの部屋に恭しい所作で入ってきたエプロン姿の女性が持ってきたものだ。
柊と榊の二人に連れられてこの部屋に来る時は分からなかったが、エプロン姿の女性の所作で、この二人がもしかして貴人なのではないかという疑問を、雪乃は頭の中に浮かべていた。
いや、柊は国の穢れを一手に引き受けている存在なのだから、傅かれることも頷ける。しかし、だとしたら、その彼と対等にしゃべっている榊の存在も、疑問に思うべきだった。
そんなわけで、雪乃は二人と同席しているが、体をかちこちに固まらせて、その場にいた。
(わ、私は、とんでもない方々と、一緒にいるのでは……)
雪乃が動揺してそう思っていると、ふふっと榊から人好きする笑みがこぼれた。
「さて。まずは僕たちについて話さないといけないね。柊が人柱だってことは、父親から聞いてきたんだろう? 彼は君に溜め込んだ穢れを君ごと人柱に喰わせてくれと、頼んできたからね」
榊の言葉に、緊張のあまり声を発せずこくこくと頷く。榊の言葉に嘆息したのは、柊だ。
「まあ、あやつらが考えそうなことではあるよ。おおかた父親は、雪乃を大切にする気持ちなど、持ち合わせてはいなかったのだろうな。むごいことだ。父親にとっては実の娘だろうに」
眉間に皺を寄せて、両親に対して不満を述べる柊を、不思議な気持ちで見つめる。
「あの……、柊さまは、両親をご存じなのですか……?」
ふとした疑問に、柊が、ああ、と気付いたようだった。
「祓い師の一族のことは、全て知っている。彼らの行いは、全て俺に返ってくるからな」
苦い笑いを口の端に載せて、彼が言った。それだけで、祓い師の一族が祓う穢れは、全て柊が取り込むために集められているのだと分かる。
それが定められた役目といえ、国中の穢れをその一身に取り込まなければならない柊の辛さを、自分のことのように痛く思った。雪乃の体の痛みでは到底追いつかない、それは地獄のような痛苦だっただろう。
だから、彼は痛みに自我を忘れ、ああやって吠えてうなって暴れていたのだ。
(柊さまは、あんな風になるまで献身しておられるのに、私は……)
柊の行いを振り返れば、自分の浅ましい願望が恥ずかしくなる。雪乃は彼に苦痛を代わってもらって、大好きな義兄のために働きたいと思ったのだから。
(お義兄さまは、そんなことは望まれないわ……)
光敏はやさしい人だ。家では、人柱とは穢れを喰ってくれる存在としか認識されていなかったが、その人柱たる柊にもこんな普通の青年の一面があると知ったら、むやみに雪乃ごと穢れを祓うだけで済まそうとはしないだろう。きっと、もっと根本的な解決方法を考えてくれるはずだ。
雪乃がそう考えている間にも、榊の説明は続く。
「穢れとは精神の汚れ、つまり気の乱れのことだ。この国は神に見守られている。その国が穢れに侵されてはならないことは分かるね?」
片目をつむって、人差し指を口許に立てて説明する榊に、こくこくと頷く。
「だから、柊は国の穢れを負う責任を負っているんだ。……ということは、君の穢れも負う責任がある。これは柊に定められた責任だからね」
ひた、と雪乃の目を見つめた榊の言葉に、どくん、と心臓が鳴る。
(……ほんとうに……? 本当に、私は穢れから解放されるの……?)
一瞬、暗闇に光が差したように感じた。
(穢れから解放されたら、私は……)
穢れてさえいなければ、叶う夢がいろいろあった。
久門家の一員として祓い師として働くこと。頑張って働けば、父や義母に認めてもらえるかもしれない。雪乃が穢れていなければ、日桜里も女学校で嫌な噂を立てられることに怯えなくて済む。なにより、やさしくしてくれた光敏と一緒に働くことが出来るかも知れなかった。
光敏と、一緒に働く。
それはやさしくしてくれた光敏に、恩返しができるということだった。
求めて求めて、叶わなかった夢が、叶うかもしれない。その思いは雪乃の胸を、またたくまに高揚感でいっぱいにする。
「……、…………」
「そうだった。君は穢れが祓えたら、叶えたいことがあったのだな」
不意に、隣から柊の声が発された。穏やかで、雪乃を包み込むようなやさしさが含まれている。地下牢でも、彼は雪乃の表情を見て、雪乃に夢があることを読み取った。そんなに自分は分かりやすいだろうか、と恥ずかしく思うが、しかし、彼を頼って叶えられる夢かもしれないと思い、頷こうとした。
「…………っ」
でも。
すんでの所で、雪乃は思いとどまる。
柊は一度でも雪乃に「ありがとう」と言ってくれた。幼いあの頃からずっと渇望していた言葉をくれた彼に、余計な痛みは与えたくない。
雪乃は見つめてくる榊に対して静かに首を横に振った。そして、応える。
「柊さまには、感謝の念がございます。ですから、これ以上柊さまが苦しまれる方法は選べません」
雪乃の答えを聞いた柊は何か言いたそうだったが、それとは対照的に、榊は満足そうに微笑えんで、うん、と頷いた。そして柊の方を見る。
「さすが、君が見定めただけの子だよ。しかし柊。彼女にこう拒絶をされては、君も彼女の穢れを喰ってやることは出来ないだろう? 彼女とどう取引を結ぶ気?」
榊が面白そうに柊に問う。隣を仰ぐと、柊がやさしい眼差しで雪乃を見ていた。
「そうだな、では交換条件ではどうだ。俺は君の穢れを喰ってやる。その代わり、君は俺が喰った穢れを清めてくれ」
柊の言葉に、雪乃はきょとんと目を瞬かせた。
(穢れを、清める?)
どうやって?
雪乃は祓いの力もなくし、穢れた体で生きてきた。勿論清めの力もないし、そもそも久門家は神に仕える系譜ではない。
柊に返す言葉を選べず、どうしたら良いのかと彼を見つめていると、柊の左手が雪乃の右手を包んだ。
「? 気付いていなかったのか? 君は清めの巫女だろう? 現にこうして君に触れると、俺の体に溜め込んだ穢れが清められていく。先ほど体が楽になったと言ったのは、そういうことだ」
え。
(私、が? 清めの巫女?)
今度こそ柊の言うことに理解が追いつかずに、雪乃は呆けた。柊はその様子を見て、なるほど気付いていなかったのか、と理解したようだった。
「だが、人柱でない君が、穢れを取り込んで生きているなど、君が自分で自分を清めて生きてきた証拠だろう?」
更に告げられた言葉に、衝撃を受ける。
そういえば日桜里が言った。穢れを取り込んで生きているなど、化け物だ、と。
穢れを取り込んで生きていることの条件に人柱であることがあるのなら、人柱でない雪乃が生きているには、取り込んだ穢れを自浄しなければならない。そのからくりを、柊が話しているのだと分かった。
「で……、ですが、私は祓いの一族に生まれました。神職の家系ではありません……」
自分が清めの力を持つことが信じられず、そう言うと、榊が穏やかに微笑えんで口を開いた。
「君の母方の家系に巫女の流れが入っている。巫女の系譜には清めの才が稀に現れると聞いているよ」
榊は、父が帝城に雪乃を連れてくると知らせを入れてから、どんな人間が柊の目の前に現れるのかと調べたという。柊が雪乃に触れて理解した雪乃の体質について、榊は調査を持って理解をしたのだ。
だから、先ほどの会話になるわけか。
「だって、柊が喰って腹を壊すような人間が来たら、困るからね」
人柱がいなくては、国の穢れは溢れるばかりだ。人柱はそういう意味で、守られているらしい。
「だから、正気であれば、彼ほど地位の高い男はいないんだよ。僕だって、柊には逆らえない」
榊の言葉に、嫌な動悸が走る。
「あの……、失礼ですが、榊さまはどういった……」
彼の言葉である程度の察しは付くが、それだって真実であると思いたくない気持ちが、雪乃の中で渦巻いている。
なのに榊は全然そんなこと頓着せずに、僕? とにっこり笑って首を横にこてんとさせた。
「僕? 僕は帝と呼ばれているね。榊という名は、帝位に就いたものが代々使う名だよ」
全く邪気なく、榊が言うから、雪乃はこの場にいることを泣きたくなった。
(私は、なんという方々に囲まれてしまったのかしら……)
恐れ多くも国の頂である帝と、その彼すら逆らえないという人柱。
とんでもない人たちと会ってしまった、と雪乃は蒼白した。
「ちなみに、柊という名も、人柱に代々受け継がれてきた名だよ」
国の安寧を神に祈る榊。国を悪しき穢れから守る柊。そういう意味で、使われているのだという。
「だから、その俺を清めてくれる雪乃は、俺よりも地位が上だ」
そう言って、柊は恭しく雪乃の手の甲に口づけた。まるで日桜里が好んで読んでいた西洋の物語で王子が姫に求婚する場面のようである。
しかも、彼の湿った唇の感触が自分の黒ずんだ手の甲に触れていると思っただけで、全身の血が沸騰しそうなくらいに恥ずかしいのに、美しく長い髪の毛がさらりと柊の肩から落ち、余計に自分の手に柊の顔がごく近いことを視覚的に知らしめてくる。その上、あろうことか柊はその状態で視線を上げ、雪乃を見つめたのだ。
「……っ!」
ばくん! と心臓が大きな音をさせて破裂するかと思った。しかし手を振りほどくのはとても失礼だと思ったから、ぐっと堪える。
ぶるぶると羞恥を堪えていると、くっくっくっ、と榊が笑いをかみ殺しながら、柊に忠告した。
「柊、そのくらいで止めてあげなよ。雪乃はどうやら、生娘のようだ。君は意に反して女をたぶらかしてしまう見てくれなのだから、自分の性質(たち)は自覚しておいた方が良い」
そこまで言われると、柊は渋々と手から顔を離してくれた。
するりと握られていた手もほどかれて、ほっと安堵すると共に、やはり手の痛みが完全に消えていることに気付く。それに、黒ずんでいた肌もまるで少女の手のように綺麗な肌になっていた。
「雪乃の肌が元のきれいな白い肌になるよう、早く君の穢れを全て取り込んでしまいたいのだけどな」
不服そうに、柊がぼやく。だが、彼は雪乃の心情も理解してくれたようだった。
「しかし、やむを得ん。雪乃が嫌なら、徐々にといこう」
「え……。取り込むのは……、……その、……く、くち、……で?」
いやまさか、他に何かやりようはあるだろう。そう思って問いかけたのだが。
「これが一番効率が良いからな。人間の体で外部からものを取り込むに一番適した器官は口だから」
あああ。
頭を抱えたい、とはまさにこのことなのだろう。
しかしそれとは別に、雪乃自身が知らないところで、命を取り上げないでくれた柊を穢れの痛苦から解放出来るのであれば、それは雪乃自身が進んで行いたいと思う彼の望みだった。
だから。
「……分かりました……。いかようにもお受けいたします……」
苦悩の末、雪乃は絞り出すようにして、彼らの提示した条件に、是、と応えた。柊が頷いて、テーブルの上の紅茶をひとくち飲んだ。



