清めの巫女は最強人柱に狂愛される


帝城の地下深くへ下る石造りの階段を、雪乃は兵に連れられてやってきた。背後には父が付いてきている。
何段の階段を降りただろうか、かなり深くの階段を降りきったその先に、重たそうな金属造りの堅牢な扉が現れた。壁には小さな灯りが両脇に灯っており、しかしそれは扉の前を頼りなく照らすだけで、それがかえって不気味さを演出していていた。
ぴちょん、と天井からしずくがしたたり落ちる。足下を見れば小さな水たまりもあるし、勿論狭い空間なので空気もよどんでいるが、なにより気が悪い。この辺り一帯が穢れに侵されているのが、肌を刺す感覚で分かった。
(だって、人柱さまはこの国の穢れを一身に集めていらっしゃるのだもの……。このくらい気が悪くても、当然だわ……)
手枷をされた両手を俯いて見つめたまま、雪乃はそう考える。そして、その穢れと共に、雪乃はこれから喰われるのだ。
兵が、雪乃を扉の前に待たせたまま、背後について来ていた父に、小さな巾着を渡した。ちゃり、と小さな音がして、それが幾ばくかの金子であることが知れた。父はその中身を確かめると、深々と頭を下げて、もう用はない、とばかりにさっさと階段を戻っていった。
(私の命は、いくらか、家の足しにはなったのかしら……)
しかし、こんな穢れた体に値が付くとは思わなかった。帝都の穢れのいくらかはこの身に納めているから、その働き分、と言うことだろうか。
兵が金属の扉を重々しい音をさせて開ける。いざなわれてわずかに開いた隙間から中に入ると、驚くほど大きな空間だと分かった。
石を積み上げて作った高い天井と丸く作られている壁が、空間を円柱型に保っていた。壁には入り口に灯っていたよりも大きく豪華な洋燈が規則正しくいくつも灯っており、扉の中は扉の向こうとは違って明るく様子が明瞭に見える。はっと目に入った景色に、雪乃は思わず息を呑んだ。
(……っ!)
中の空間で目に飛び込んできたのは、壁に手を鎖で繋がれた、男の人だった。
彼は背当ての高い椅子に力なく腰掛けている。項垂れているため、長い髪が彼の顔を隠していて、様子はうかがえない。
椅子には豪奢な彫りが施されており、決して彼を粗末に扱っている様子ではない。だが、座った彼の手首には鎖が繋がれ、その先は石造りの壁に高い位置で固定されている。見れば足首にも鎖が繋がれ、その先には重たそうな鉄の玉が転がっていた。
「あれでは、あの方がおかわいそうです……!」
咄嗟に自分を連れてきた兵に向かって、雪乃は叫んだ。
いくらこの国の穢れを取り込んでくれる存在だからといって、……いや、だからこそ、そんな彼を丁重に扱うべきなのではないだろうか。雪乃はそんな気持ちで、兵に向かって叫んだのだ。
するとその言葉を聞いた兵が、口の端を片方上げた。
「かわいそう? おかしなことを言うね、君は。だって彼は人柱だ。この国のためにその身を犠牲にすべく定められた男なんだよ?」
その言葉は嘲笑にも聞こえた。それが雪乃に向かってなのか、彼に向かってなのか、どちらなのかは、分からなかったけれど。
「ですが、そんな大切なお役目を担っておられる方です……。もっと……、大事にして差し上げるべきでは……」
兵の言葉に、弱々しく雪乃は応えた。
雪乃なんかが取り込むくらいでは足りないほど、彼はこの国の穢れをその身に溜め込んでいるのだろう。だったら、彼は国の安寧に尽くしていることになり、その彼が手足に枷を付けられている、というのは、あまりにも役目に合わないのではないか。
そう思ったのだけど、兵はにやにやと雪乃を見るだけだ。そして雪乃の手首に着いた鎖を、ぐっと引く。
「彼に枷が着いている理由は、これから分かるよ。まあ、君は喰われてしまうのだから、それを知ったところで、どうにも出来ないだろうけどね」
そう言って兵は雪乃の鎖を引いて、人柱の方へ連れて行く。彼が、雪乃に溜まった穢れに反応したのか、があっ! と大きく口を開け、雪乃の首に喰らいつこうとして牙をむいた。
「……っ!」
がちゃん! と音がして、その体が雪乃に届く前に止まる。彼に架せられた手枷が、その動きをとどめたのだ。
彼は、雪乃に届かないとなると、鎖を引っ張って激しく暴れた。自我をなくしているというのは、本当なのだろう。
暴れる彼を、兵は持っていた剣の鞘で殴った。首を後ろから打たれて、彼がぐう、と項垂れる。
「ほら、分かっただろう? もはやこいつに自我はない。目の前に漂う穢れを喰うだけの、ただの獣だ」
だから、枷が着いているんだよ。兵は暗にそう言った。でも、雪乃が理解したのはそんなことではなかった。
(とても、苦しそう……)
それはそうだ。雪乃だって穢れを身に取り込むときに手指がずきずきと痛んだ。今、この空間に満ちた穢れをその身に取り込んでいるのだったら、彼は相当苦しいはず。
(私に、昔みたいな力があったら良かったのに……)
あの森の中で、ありがとうと言ってくれた男の人。
あの人にしたみたいに、いま、この人の穢れを祓うことが出来たら、良かったのに。
(でも、私の体は穢れているのだもの……。むしろ、この人を苦しめることしか、出来ないんだわ……)
命の最期に行うのが、人を苦しめることだなんて。
家族でさえ、雪乃がいなくなって気が晴れて、あまつさえいくらかの金子を得ることが出来たというのに。
(私は、本当に役に立たないのね……)
自分の命が、情けなくなる。
せめて、彼が苦にならないよう、おとなしく喰われてしまおう。
雪乃はそう思って、彼の少し前まで導いた兵の横を歩み進むと、彼の前に跪いた。驚いた兵が、戸惑った声を上げる。
「お、おい……」
しかし、兵に構わず、項垂れていた彼の顔を、仰ぎ見る。
(なんて、美しいかた……)
椅子に座り、項垂れていた姿勢では分からなかった、彼の相貌が目に入る。
長い前髪に隠されていた切れ長の瞳は、首を打たれて痛かったのか閉じられたままだが、まぶたを縁取るまつげは長く、鼻梁はすっと通り、引き結んだ唇は、うすい。
顎は小さく、顔全体の作りが、日桜里が好んで買う西洋の本に出てくる男性のようにまとまってる。
艶のある長い髪は、とても穢れに侵されてぼろぼろになっているとは思えない。雪乃の手指とは大違いだった。
自我をなくし、咆哮するだけの獣だと聞いて怖れていたけど、こんな美しい青年に喰われるのなら、本望だ。
(私の命の最期は、なんて恵まれたのかしら……)
そんな思いが溢れ、気付けば彼の膝に手かせの着いた手を乗せ、口を開いていた。
「抵抗いたしません。ひと思いに、喰らい尽くしてくださいませ」
それは、最期の希望だった。
彼をひたと見つめた雪乃の言葉に、青年がふうと目をひらく。
その美しい瞳の色に、雪乃は思わず息を呑み、吸い込まれた。
彼の瞳は、春の夕刻を思わせる美しい朱金色をしていた。
夕暮れの桃と朱が混じりあう、とても澄み切った西の空のような。
……美しすぎて、どくどくと胸さわぎがするくらいだ。
どれほど時間が経ったのだろう。それともほんの一瞬だったのか。彼はふう、と大きな息を吐き、それから低くて甘い声で囁いた。……口許の、牙が消えている。
「少し体が楽になった。ありがとう」
あり、がとう。
それは遙か昔、幼い頃に言われてから、ずっと雪乃の心を支えた言葉だった。
あのときから、もう一度誰かにありがとうと言ってもらえるように、生きたいと思ってきた。
光敏がありがとうと言ってくれるから、雪乃は彼のために頑張ろうと思ってきた。
光敏の側を離れてなお、その願いが叶うとは思わなかった。
ふるふると、体が震え、喉の奥が熱くなる。ぐっと堪えることが出来ず、その塊がせり上がってきて涙になる。
「……っ、…………」
ぽろぽろと。気付けば青年の目の前で泣いていた。
声を上げず、肩をふるわせ、何度も息を呑み。
それでもまなじりから零れるしずくは、あとからあとからあふれ出す。
これから喰われるのに、こんなに泣いてしまってはさぞかし喰いにくいだろう。そう思ってこぼれる涙を手で覆って隠すけれど、溢れるものは止まらなかった。
そんな雪乃に、甘い声が囁き落ちる。
「困ったな。そんなに泣かせるつもりでは、なかったんだが」
苦笑いを載せてそういう彼は、雪乃の額に、自分の額をこつんと付けた。
すると、穢れを取り込んで以来じくじくと痛んでいた額から、痛みが消える。
(え……?)
目をぱちりと瞬きさせて彼を見れば、穏やかに微笑えんで、少し喰った、と言う。それで分かった。彼が、雪乃の体に溜まっていた穢れを、『少し喰って』くれたのだ。だから、痛みが消えたのだ。
そういえば、と思う。
先ほど彼の膝に触れた手指の痛みも、消えている。もしかして。
「そうだ。君の手から、少し『喰った』」
何てことだろう。人柱さまは雪乃の体ごと穢れを喰うのではなく、雪乃の体から穢れを喰って取り除いてくれたのだ。
目の前が拓けてくる。
もし、彼に自分の体に溜め込んだ穢れを全部喰ってもらったら、もう一度光敏の役には立てないだろうか[まと1.1]。
その思いが、雪乃の表情を変えたようだ。人柱の彼が、それに気付いて面白そうな顔をした。
「生きる希望を見いだしたか。面白い。条件次第では、叶えてやる」
青年の言葉に、はあ~っと大きなため息が背後から聞こえた。振り向けば、雪乃の手枷の先を握っている兵が、まだそこにいた。
「あのね、柊。君、なにを考えたの」
「無為なるものを殺すこともあるまい、榊。この娘は生きる希望を持った。ならばそれを叶えてやってはどうだ」
人柱--柊というらしい――の言葉に、兵――こちらは榊というらしい――がもう一度はあ~っと盛大にため息を吐く。
「穢れをどうするかは、君に一任されている。君が管理できるなら、僕は何も言わない」
「そういうことだ。この件、俺がうまく収めよう」
「はいはい、うまくやってよね」
榊はそう言うと、雪乃と柊の枷を外した。柊が雪乃の手を取り、おいで、と微笑えむ。
「え……」
「とりあえず、こんなかび臭いところにいることもなかろう。この空気ではいくらいい茶を出してもまずくなる」
「仕方ないでしょ。君が暴れたら、ここ以外で、どうやって対処するの」
軽い調子で返すのは榊だ。それに対して柊は飄々と応じる。
「まあ、この娘がいればなんとかなるだろう。榊も分かると思うが」
「まあ、ねえ」
二人の間で、何かが共有された。しかしそれは雪乃には分からない。
疑問を顔に浮かべても、柊はやさしい笑みを返すだけ。
「まあ、とりあえず、今後しばらくのことを、話そうではないか」
そう言って雪乃は二人に連れられ、地下の牢を出た。