終わらない今日を、君と選ぶ

「……なあ、琉惺」

授業の終わりを告げるチャイムが鳴った直後、久遠蒼依は隣を見た。
白いシャツにブレザー、いつもと変わらない格好の琉惺が、机に肘をついたまま天井を見ている。

「なに」

「さっきから、様子おかしい」

「……そう?」

「朝から」

琉惺は一瞬だけ視線を下げ、それから蒼依を見た。

「後で話すって言ったでしょ」

「それ、さっきも言った」

「……うん」

その「うん」が、やけに重かった。

教室を出る。
廊下は人で溢れていて、シャツの袖が何度も擦れる。

「次、移動だな」

蒼依が言うと、琉惺がぼそっと言った。

「……この角で、先生に呼び止められる」

「は?」

蒼依は思わず笑った。

「何それ。賭け?」

「……いいから」

半信半疑で角を曲がった瞬間。

「久遠、望月」

背後から声がした。

「ちょっといいか」

蒼依は足を止めた。

「……え」

振り返ると、担任が立っている。

「提出物、確認したい」

「……はい」

蒼依が返事をしながら琉惺を見ると、琉惺は何も言わず、ただ立っていた。

「……なあ」

確認が終わり、再び歩き出した時、蒼依は小声で言った。

「なんで分かったんだよ」

「……たまたま」

「いや、今のは」

「たまたま」

琉惺はそれ以上話そうとしなかった。

次の授業。
席に着いた瞬間、琉惺がまた言う。

「蒼依、ノート忘れてる」

「……は?」

蒼依は鞄を開けた。

「いや、入れた――」

ない。

「……マジか」

「昨日も忘れてた」

「……昨日?」

蒼依は顔を上げる。

「昨日?」

「……いや」

誤魔化すように、琉惺は前を向いた。

昼休み。

「購買行く?」

蒼依が言うと、琉惺は一瞬迷ってから頷いた。

「行く」

廊下を歩きながら、琉惺が小さく言う。

「……パン、残ってない」

「まだ何も見てないけど」

「……いいから」

購買前。
列の最後尾。

「すみません、もう終わり?」

購買の人が言う。

「ごめんね、今日は早かったの」

蒼依は無言で琉惺を見た。

「……お前さ」

「なに」

「今の、二回目だぞ」

「……なにが」

「分かりすぎ」

琉惺は視線を逸らす。

「偶然」

「偶然にしては続きすぎだ」

「……蒼依」

「なんだよ」

「俺のこと、信じて」

その言い方が、冗談じゃなかった。

「……は?」

蒼依は足を止める。

「どういう意味だよ」

「この後」

琉惺が廊下の先を見る。

「三組の前で、誰か転ぶ」

「……は?」

言い終わる前に、前方で声がした。

「うわっ」

生徒が足を滑らせ、派手に転ぶ。

「……」

蒼依は言葉を失った。

「なあ……」

喉が、乾く。

「冗談だよな」

「……だったらよかった」

「なんでそんなこと、分かるんだ」

琉惺はしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。

「……だって、昨日も見た」

「……昨日?」

蒼依の中で、何かが引っかかる。

「なあ、琉惺」

「なに」

「俺、今……」

言葉を探していると、琉惺が言った。

「『偶然が重なってるだけだろ』」

蒼依は息を止めた。

「……今、言おうとした」

「知ってる」

「なんで」

「昨日、そう言ったから」

「……」

蒼依は、はっきりと恐怖を覚えた。

「……いつからだ」

「朝から」

「朝から?」

「正確には……昨日から」

「意味分かんねえ」

蒼依は頭を掻く。

「今日、何日だ」

「……昨日と同じ」

「……は?」

「日付、変わってない」

「いや、それは」

蒼依はポケットからスマホを出す。

画面を見る。

「……」

「……な」

「……たまたまだろ」

「じゃあ」

琉惺は蒼依を見る。

「次、蒼依は右に曲がろうとする」

「……」

「でも、左に行く」

蒼依は、無意識に右に足を出しかけて、止まった。

「……」

左に曲がる。

数秒後。

「久遠」

別の教師に呼び止められる。

「……」

蒼依は、何も言えなくなった。

「……マジ、なのか」

「……うん」

「俺、今まで……」

「普通だった」

「……」

蒼依は息を吐く。

「他のやつには言うな」

「言わない」

「俺にだけ?」

「……蒼依にだけ」

一瞬の沈黙。

「……じゃあ」

蒼依は言った。

「二人で確かめる」

「……うん」

「放課後」

「うん」

「いつもと違うこと、する」

琉惺は、少しだけ安心した顔をした。

「……ありがとう」

「礼言われることじゃねえだろ」

教室に戻る。

世界は、何も変わらない顔をしている。

でも。

蒼依は確信していた。

――ズレてるのは、琉惺じゃない。

――この日だ。

チャイムが鳴る。

昨日と同じ音。

けれど、もう。

気づいたのは、俺一人じゃない。