君のつづる文字に、恋をした

 唯は、突然生まれた距離に戸惑っていた。
七音からの告白から、一週間。
あの日、七音は早退し、その直後、まるで示し合わせたかのようなタイミングで席替えが行われた。
離れてしまった席の距離は、思っていた以上に遠かった。
人の輪の中心で笑う七音は、自分とは違う世界にいるように感じられ、挨拶一つ交わすことすらためらわれる、手の届かない存在に変わっていた。
唯は教室の中で、ただそこにいるだけの存在になっていた。
いつも笑顔で「おはよう」と声をかけてくれた、あのまっすぐな光は、もう自分には向けられていない。
 七音と目が合っても、すぐに逸らされる。話しかければ、逃げるように視線を外される。避けられていることは、言葉にされなくてもはっきりと分かった。

 唯は、そっとシール帳を取り出した。
七音がくれたシールで埋め尽くされたページを、静かに見つめる。
隣の席だった頃の時間が、そこに閉じ込められているようだった。
このシール帳を選んでくれたのも七音で、ページの隙間を見つけては「ここ空いてる」と笑いながら貼ってくれたのも、すべて七音だった。
唯よりも、楽しそうに嬉しそうに、ページを埋めていたのを思い出す。まるで唯の気持ちを埋めるかのように。
思い出が、そこに詰まっていた。
 距離ができてしまったことの寂しさが、唯の胸に広がっていく。
交換日記を失い、そして今度は七音との距離まで失った。
自分を満たしてくれていたものが、少しずつ手の届かない場所へ離れていき、胸の奥がぽっかり空く感覚に、唯は静かに孤独に包まれていった。

「おい、七音!お前、彼女できたんだって?」

 男子の声が教室に響き、空気が一瞬でざわめいた。

「え……?」

 唯の口から、思わず小さな声がこぼれる。
どうして、そんな話が出るのか。一週間前、自分に「好きだ」と言ったばかりなのに。
あのとき、確かに唇が触れたのに。
こんな短い間に、別の誰かを好きになるなんて、そんなはずがない。
そう思いたいのに、胸の奥が、ゆっくりと冷えていく。
 きっと、ただの噂だ。
七音は、いつもの軽い調子で否定するはずだ。
唯は、そう信じていた。
そう思う一方で、胸の奥が落ち着かなくなる。

「何でお前が知ってんだよ」

 七音の口から零れたのは、否定ではなかった。
視界の色が、わずかに薄くなる。

 嘘だ――。
唯は、血の気が引くような思いで七音を見る。表情を隠そうとする余裕も、もう残っていなかった。
目が合う。けれど七音は、すぐに視線を外した。

「俺だってな、そろそろ身を固めるんだよ」
「おいおい、結婚でもすんのか」

 男子たちの笑い声が上がる。女子たちは、残念そうに顔を見合わせていた。

「三年の先輩だってな。あの校内一の美人。自分から自慢して歩いてるぞ」
「マジかよ!あの人を落とすなんて、さすが七音じゃん」
「そりゃ仕方ないわ」

 好き勝手な声が、あちこちから重なる。

「昨日な、帰りに呼び出されてさ。それで、そういうことになった」

 七音は軽い調子でそう言い、ピースサインを作ってみせた。
否定してくれると思っていた。それなのに、聞こえてくるのは彼女が出来たことを認める言葉ばかりだった。

 ――どうして。
胸の奥で、何かが強く軋む。
唯は、気づけば立ち上がっていた。祝福の空気に満ちた教室に、一秒もいられなかった。

「あれ? 中川どうしたんだ? もう授業始まるってのに」
「トイレじゃね?」

 教室を出る背後から、ふいにそんな声が届いた。

「そういや、あいつ、ゲイらしいな」
「え? マジ? どこ情報?」
「あいつに告白された男子がいるってさ」
「マジかよ。冗談はいいけど、ガチは正直ひくよな」
「だよなぁ。相手も気持ち悪ぃってキレて終わったらしいけど」

 ざわめきに紛れるような、小さな噂話。
その会話を、七音は逃がさなかった。

「おい」

 その会話を遮る低い声が落ちた。

「それ、だれが言ってたんだ」

 七音の表情は、これまでだれも見たことがないほど鋭く、静かな怒りを宿していた。