明治あやかし黄昏座



 年が明けて、本番当日となった。

 本番前に、外の空気を吸おうと思って玄関から出た。頬に触れる空気が冷たくて、思わず体を震わせる。ふと視線を動かすと琥珀がいた。同じように本番前に外の風に当たりにきたのだろう。寒いが、よく晴れていて心地がいい。

「あれ、雨?」

 空は晴れているのに、はらはらと雨が降っている。あさぎが生まれたあの日のようだ。あさぎは、玄関に置いてあった傘を手に取って、琥珀のもとへと駆け寄っていく。

「濡れちゃうよ」
「あさぎ、これは」
「小道具じゃない、ちゃんとした傘だよ。凪には怒られないよ」
 琥珀はあさぎの手から傘を受け取ると、二人の間に持って肩を並べた。二人は並んであの日のことを思い出していた。

「あの日も、天気雨だったね」
「そうだな。天気雨は、狐の嫁入り、ともいうらしいな」
「そうなんだ。狐……。ちょっと親近感沸くね」

 琥珀の視線が、あさぎの手の甲に注がれていることに気が付いた。そんなところまで、再現しなくていいのに、と思っていたが、そうではないようだ。

「琥珀?」
「ああ、いや、あさぎは、自分が狐だと分かってからも黄昏の苗字を使っているな、と思っただけだ」

 あさぎは、花紋がはっきりとしてからも、山吹とは名乗らず、黄昏を使い続けていた。黄昏の方がしっくり来るし、凪とお揃いなことも気に入っている。だが、一番の理由は別にある。

「山吹は取っておくの」
「取っておく?」
「うん。琥珀がお嫁にもらってくれた時に、ね」

 琥珀の顔を見ると、言えなさそうだったから、前を向いて雨を見たまま答えた。ちらりと肩越しに琥珀の顔を見てみたら、目を見開いて固まっていた。その顔が面白くて、あさぎは笑ってしまう。

「ふふっ」
「こら、笑うな」
「だって、琥珀の顔が面白くて」
「くそっ」
 琥珀は悔しそうに言葉を吐いたかと思うと、あさぎの腰に手を回してぐっと引き寄せた。

「わっ」
「さっきの言葉、やっぱりなし、とか言うなよ?」
「もちろん」

 平然と返したが、顔が近くて体も密着していて、心臓がうるさくて鳴りやまない。まともに顔を見られなくて、そわそわしていたら、耳元で琥珀が小さく微笑む声がした。あさぎの反応を見て楽しんでいたらしい。お互い様といえばそうだが、やはり悔しい。

「もう、琥珀!」
「なんだ?」
 さらに顔を近づけてくる。手のひらで押し返そうと奮闘する。

「ちょっと! 二人とも何してるのよ、もう始まるわよ!」

 玄関先から、凪の声が勢いよく飛んできた。二人は弾かれるように急いで芝居小屋の中に走って戻った。結局、また凪に怒られてしまった。

 開演の時間になり、舞台袖に行くと、花音と雪音に衣装を濡らして、と怒られてしまった。佐奈と寧々には、落ち着いて頑張れ、と励まされた。
 あさぎは、大きく深呼吸をした。

 今日の芝居の口上は凪が担当だ。凪が幕の前をゆったりと歩く。

『昼と夜の狭間、黄昏時にだけ語られる物語。あやかしものがたり。さあ、本日も幕が上がります。――狐ものがたり』

 黄昏座の芝居の幕が上がる。

「よし、いってきます」

 観客の待つ、そして琥珀の待つ舞台へと、あさぎは駆け出した。


~了~