明治あやかし黄昏座



 琥珀に呼ばれたような気がして、あさぎは重たい瞼を持ち上げた。指先に触れた髪飾りを手の中に握り直した。眩しくて目を細めたが、この明るさが炎によるものだと気が付いて、一気に意識が覚醒した。

「逃げなきゃ……!」
「ん、うう……」
 なだれ込むように一緒に倒れていた凪が、声を上げた。ゆっくりと瞼が開いて、視線があさぎを捉えた。

「凪!」
「ごめんなさい。わたしの、せいで。……あさぎは、動ける?」
「なんとかね」
「なら、早く逃げて。あさぎ一人なら、まだいけるわ」

 凪は玄関を指さした。確かに今なら走れば多少の火傷程度で抜けられるかもしれない。だが、凪は未だ起き上がるだけで精いっぱいだ。

「凪を置いてはいけない」
「混ざり子で、裏切り者、こんな者は放って行って」
「絶対に嫌!」

 凪を置いて一人で逃げるなんて、考えられない。あさぎは、凪の腕をもう一度自分の肩に回す。凪は腕を振りほどこうとするが、あさぎはぎゅっと掴んで離さない。煙がどんどん増えてきている。

「あさぎ、わたしはもういいのよ。蘭の家から捨てられたわたしに、価値なんてないわ」
「そんなことどうでもいい! 私が、凪と一緒にいるのが楽しいんだから、それでいいの」
 凪は弱々しいが、確かに笑顔を浮かべた。あさぎは、まだ重たい足を懸命に前に出す。

「皆と過ごす日々は楽しかった。芝居をしている時は、自分自身を認めてもらえたように思えたわ。芝居がない時も、花音と流行りの服の話をしたり、佐奈と一緒にお菓子を食べたり、あさぎの恋の話を聞いたり、本当に楽しかったわ。……友人なんて、一生出来ないと思っていたから、仮初でも嬉しかったわ」
「仮初なんかじゃないよ!」
 あさぎが、強い口調でそう言っても、凪はゆるゆると首を振った。

「……ああ、わたしは、どこで間違えたのかしら。あの占いにでも聞いてみれば良かったわ」
「占い?」
「花音がやってた、学校で流行っている占いよ。あれも楽しかったわ。何でも答えてくれるらしいわよ」

 凪が諦めを含んだ声音で、楽しかった時を思い返して微笑んでいる。確か、皆で不思議な形の置物を囲んで座っていた、あれだ。花音が試験の結果を占っていたのだった。

「後で、名前を聞いたのよ。確か、そう、『こっくりさん』だったわ」
 その名前が、あさぎの中に染み込んできた。ずっと呼ばれ続けていた、あの声と重なった。



 ――さん。――こっくりさん、こっくりさん



 頭の中にずっとあった霧のような雨が、さあっと消え去り、声がはっきりと聞こえた。ずっと、名前を呼ばれていたのだ。ふわふわと不安定に浮かんでいた体が、ようやく地面に着地した感覚だった。自分の手足が、声が、ようやく自分のものとして機能した。
 あさぎは、ようやく知り得た、何者かを口にした。

「私は、こっくりさん」

 あさぎを中心に風が巻き起こり、集まってくる。その勢いで凪が風の外に追い出された。あさぎは、風にすっぽりと覆われて、自分の内側から抑えきれないほどの強い熱が溢れ出した。そして、風が弾けた。その風で、辺りに漂っていた煙がはじき出された。

 あさぎの髪の間から銀色の狐の耳が天に向かってピンと立っていて、背後にはふさふさとした豊かな白銀の尻尾が揺れていた。あさぎは、解放感さえあるこの姿で、くるりとその場で回った。

「あさ、ぎ?」
「あっ、凪の手を離しちゃってた。ごめん、大丈夫?」
「それより、その姿……記憶を思い出したの?」
 凪の質問に、あさぎは首を振った。

「私は、こっくりさん。記憶を失ったんじゃなくて、あの天気雨の日、生まれた妖だった。思い出す記憶なんて、なかったんだ。ただ、自分が何者かが、抜け落ちてしまってただけ」

 こっくりさんは、去年西洋から渡ってきて、今年明治二十年に学生の間で流行り出したものだった。妖の一覧を見ても、地方の伝承を見ても、いないはずだ。古来から存在する妖は結婚し、子を成すことで何代にも渡って繁栄し、続いていくが、新しい妖は、無からその存在が生まれてくるのだ。

 聞いたことに何でも答えてくれるこっくりさんは、未来視が出来るわけではなく、見聞きしたものを全て記憶し、そこから答えを導き出す妖。見たもの聞いたものを全て記憶し、人に聞かれた時に、その答えを導き出す才が最も発揮される。それ自体があさぎの第六感だったのだ。