明治あやかし黄昏座

「仲見世?」

 受付の掃除をしていたあさぎは、初めて聞く言葉に首を傾げた。琥珀はその反応を予想していたようで、すぐに詳しく教えてくれた。

「前に少しだけ話したことがあっただろう。浅草は、東京府の管轄になって一区から六区に分けられたと」
「うん。ここは六区で、芝居小屋が多い場所だって」
「そうだ。和菓子屋や土産物屋が多くあるのが、浅草寺近くの二区の仲見世だ。前に作業中に菓子を差し入れしたら、それが定番になってな。菓子を常備してるんだが、なくなってきたから、買いに行こうと思ってな」
 琥珀は一度言葉を切ると、説明の前に言ったことをもう一度口にした。

「一緒に仲見世に行かないか?」
「行きたい!」

 あさぎは即答した。菓子屋がたくさん並ぶところ、とても楽しそうだ。これまで、草子を読んだり、仕事を覚えたりと忙しくしていたため、黄昏座とその周辺のごく狭い範囲しか歩いたことがない。

「ああ、そうだ。絵草子屋もあるから、そこも見るか。今あるのは読み終わったんだろう?」
「うん。借りたものは全部。お菓子も絵草子も両方楽しみ」

 あさぎは、満面の笑みで頷いた。琥珀も、つられて嬉しそうな表情になった。そして、思い出したように、ああ、と言った。

「寧々さんに出掛けてくると言っておかないとな」
「さっき楽屋にいるの見たよ。私、言ってくるよ」
 あさぎは、言い終わるよりも前に、裏へ走っていった。



 先ほどまでと変わらず楽屋にいた寧々に、琥珀と出掛けてくることを伝えた。そのままくるりと背を向けて戻ろうとしたが、なぜか止められた。

「その恰好で行くん?」
「はい。そのつもりです、けど、駄目ですか」

 あさぎは、いつものように浅葱色の着物に袴を身に着けている。花音からいくつか着物を譲ってもらっていたが、自分の着物であるこれは落ち着くので、よく着ている。

「駄目やないけど、女学生に間違われるかもしれんよ。今はまだお昼やから、女学生は仲見世にはおらん時間帯や。どこの学校の者やって言われたら困るやろ?」
「た、確かに……」
「着物だけで着なおせばええけど、せっかくやし、あたしの着物貸したるよ。おいで」

 寧々は、楽屋に置いてある箪笥の中から、いくつか着物を取り出した。紅色に黄色い花が咲いたもの、朱色に扇が描かれているものなど、どれも鮮やかな小紋だ。

「あさぎちゃんには、赤色よりも、この桃色の方が似合いそうやね」
 いくつか着物をあさぎの胸元に当ててから、桃色に白い小さな花が咲き乱れている着物に決まったようだった。

「寧々さんの着物は、赤が多いですね」
「あの人が似合うて言うてくれた色やからなあ」
「あの人?」
「ほら、あさぎちゃん、こっち向いて」

 質問は流されてしまった。貸すだけでなく着付けもしてくれるとのことで、あさぎは寧々に任せて着せ替え人形のように腕をピンと伸ばして立った。

「はい、腕通してな」
「ありがとうございます。着物貸してもらって、着付けまで」
「ええんよ。せっかくのデイトやからなあ」
「デイト!?」

 あさぎは、驚いて思わず体を引いてしまった。結んでいる途中だった帯が乱れてしまい、寧々に帯ごと元の位置に戻された。

「だって琥珀と二人で出掛けるんやろ? デイトやよ」
「え、でも、お菓子の買い出しに行くだけで……」
「ほら、出来た。楽しんでおいでな」
 寧々に結び終わった帯をポンと叩かれた。笑顔で手を振られて見送られ、あさぎはぎこちなく、行ってきます、と返した。



 表玄関に戻ると、琥珀が中折れハットを被って受付に背中を預けて立っていた。待ちぼうけを食らっているのが、傍から見てもよく分かる。

 寧々にデイトなどと言われたから、妙に緊張してきた。お出掛け仕様でハットを被っている姿は新鮮だし、あさぎを待ってくれていると思うと、心臓がうるさくなってきた。深呼吸をして、落ち着かせてから琥珀に声を掛けた。

「琥珀。ごめん、お待たせ」
「寧々さんがなかなか捕まらなかったのか……と思ったけど、なるほど、着替えてきたのか」
「女学生に間違われるかもしれないからって。変かな?」
「いいや、よく似合ってる。可愛いな」

 琥珀は、何でもないことのようにそんなことを言った。せっかく落ち着けた心臓が跳ねあがった。棒立ちになっていると、先に歩き出した琥珀がこちらを振り返った。

「行かないのか?」
「行く! 待って」
 あさぎはハッと我に返って走って琥珀に追いついた。