「もう終わっちゃうのかー……」
毎年、文化祭の最後には夜会という軽音楽部や吹奏楽部、個人で予約した人たちが自分の歌を披露して幕を閉じる。今は夜会の序盤で、歌の上手いボーカルやギターの技術に長けた人がライブを終え、次のバンドの準備をしているその最中、隣の席に座っている梔子が寂しさ混じりに言葉を漏らす。
「…そうだね」
体育館すべての照明が消え、舞台にライトが向けられ、四人が注目される。制服ではなく、ラフな格好をした四人は全員お揃いのタオルを腕に巻いている。
暗転したかと思えば、ギターの音によって明かりが再度光を放ち、まるで花火のような描写を思い浮かべる。ドラムの音はその花火を打つための爆発音。夕日の落ちる今にぴったりな音が体育館中を刻むように鳴る。
「ありがとうございました!」
ボーカルの人の言葉で観客席からは一気に歓声が沸いた。その大きな盛り上がりの波は次の出場者まで続き、人気の曲では、歌っている人の声すら聞こえないくらい盛り上がりを見せ、曲によっては先生たちの方が気分を上げて声を上げて一緒に歌っていることも。
隣に座る梔子もそうだ。歌詞を口ずさんで笑みをこぼす。
「楽しいね! 浅葱‼」
歓声のなか、微かに聞こえた梔子の声が何だか優しくて
「そうだな!」
自然に言葉と喜びが露わになってしまう。
こんな時間がずっと長く、永遠に続いて欲しいな…。梔子の笑顔をこのまま見ていたい。
一瞬で夜会も後半戦を迎え、観客の熱狂も体育館の天井に届いてしまうほどだった。隣にいる梔子は目をキラキラさせながら舞台上に立つバンドに釘付けになっている。
そんな楽しい時間は一言で天と地がひっくり返った。
「どうしよ……。最後のバンドの二人がお休みしちゃって大幅に時間が空いちゃってる………」
「夜会の最後に花火を上げるのが恒例でしたよね。それまでどのくらい空いてますか?」
「ざっと、二時間いかないくらいだな」
「そんな………どうしましょう」
舞台袖から二人の生徒が歓声に混じって荒い声を上げる。その声に気づいたのは少数の先生と俺ら二人だけだった。
「どうしたんですか⁉」
慌ててその場にいる何人かに聞くと詳細を教えてくれた。
俺らに迷いは存在しなかった。
「「出ます!!」」
声の揃ったことに先生と生徒たちは唖然としていたがすぐさま正気を取り戻し、案じてくれた。俺らはすぐさま、用意されていた衣装を身にまとい、目を合わせ
「頑張ろう!」
「うん‼」
熱く輝いたスポットライトは、ピアノを演奏する梔子に注がれ、スムーズに音が降りていくかと思いきや、いくつもの音が同時に鳴ったそのつかの間、歓声に包まれ、乱れていた観客の全員が舞台に目を奪われる。その瞬間を俺は逃さなかった。
「夢を描いて、続くその彼方。僕らは歩み出す」
俺の歌声が体育館に響くなか、ピアノも負けじとリズムを刻んでいく。その数々の音には寂しさも希望も混じりては消える。まるであの人を追いかけ、前進するような…。
今歌っているのは俺が昔の配信で語った好きな曲。梔子、覚えてくれてたんだ…。その配信は視聴回数が少なく、すぐに消そうと決断した動画。そんなものを覚えている人はほぼいないだろうと思っていたが、梔子は……。
俺の顔は笑顔なのに、雫が零れ落ち、歌に感情が入り込む。やっぱり、梔子の奏でる音は感情をまとって、その一音一音が体育館中に響く。
時折奏でる重い音はその場の気持ちの落ち着きのなさを感じさせ、音が上がる時には気持ちが上昇し、何か希望を思わせる。そして、盛り上がるところの前の静寂は、皆の感情を引き付け、一つの核として作り上げる。そこから弾け出た感情は歓声や無言となって現れる。
「あの声って、浅雲じゃない⁉」
「それに梔子くんも‼」
歌う声や歓声に絡んでそんな声が聞こえてきた。
もう…隠すことはできないかもな。
そんなことを考えるが、目と目が合う梔子の笑顔に俺はそれでも歌い続けようと勇気をもらう。終わり際は寂しく途切れる様な音が余韻を残す。
歓声が反響するが、すぐに次の曲へと移る。その繰り返し……。
「「ありがとうございました‼」」
その言葉を締めくくりに俺らは同時に一礼する。長いようで短い二時間。
すると、外から「パーンッ」と破裂音が鳴り響く。体育館の窓から覗くと光の粒が落ちて散ってしまう。
「綺麗……」
見惚れる梔子からかすかな声が聞こえる。
「そうだな」
『これで今年度の学園祭を閉祭します』
スピーカーから余韻とともに聞こえる音で、皆の心がシャットダウンする。俺は空に散っていく花を見ながら、梔子の手にそっと触れる。微かに温かく、花火の光で赤くなった手で俺らは温度を共有し合った。許してくれた梔子の思いをゆっくりと噛み締める。
「梔子さん!」
「すみません‼ 配信者の浅雲ですか⁉」
花火が終わり、心が静寂に染まった時、観客のほとんどが俺らを目掛けて駆け出してくる。それを逃れるように梔子の寂しげな手をつかみ、二人でその場を立ち去る。背中から小さな微笑みの声が伝わる。後ろを覗くともう片方の手で口を隠して笑う可愛い梔子が視界の片隅に見えた。
「ど、どうした?」
慌てて振り向くと笑みを交えて
「なんでもないよ!」と元気よく言うものだから、つい首をかしげてしまう。
そんな短く戻ることのできない時間が好き。推しと話すのはずっと烏滸がましいものだと思っていたけど、あの告白を受け入れてくれたこと、一緒に笑い合ったこと、お泊りをしたこと、些細なことで俺は梔子に信用されていると身をもって感じることが多々あった。もう今は推しだからとか、尊いからとかは言わない。さっきの演奏のように俺らは遠い存在ではないんだ。近くでお互い手を取り合う。推しとしてではなく、彼氏として梔子が好きだ…。いや大好きだ‼
「……梔子」
「どうしたの?」
立ち止まった拍子に慌てて止まる梔子を背に、改めて顔を見合わせる。困惑で目が泳いでしまう梔子が可愛い。首を傾げる梔子が大好き。
「俺は、梔子を推しとして尊いじゃなくて、彼氏として好き。愛してる‼」
「…‼ 僕も愛してる‼」
まだらな星や流れていく星の下で俺らは優しく、いつも以上に強く抱きしめ合う。
「浅葱~」
文化祭の余韻が残った教室と会話の中に山吹の声が俺の机に届く。その騒がしい部屋に朝から梔子の姿はない。
「…梔子、休みとか珍しいね」
「…そうだな」
朝の時間に梔子に連絡を入れてみたが、昼休みである今、携帯を覗くが連絡は返ってきていない。もっと連絡を入れて気づいてもらいたいが、何か忙しいことがあるのではないか、迷惑になって嫌われるのではないか、と考えて一歩踏み出せないでいる。
「浅葱、そんな連絡先見てるなら、メッセージ打てばいいじゃん」
「……いや、やめとく」
俺は山吹の助言より恐れが勝ってしまい、携帯の画面を閉じた。午後の授業では二つとも教室で行われたため、頭の中が梔子のことでいっぱいになり、不安が募る。
やっぱり、心配だな…。だけど、連絡しすぎて梔子に嫌われてしまったら元も子もない。どうしたらいいのか……。
「…はぁ、そんな心配するならこれ持っていけ!」
放課後になって、梔子の分の連絡の紙を山吹から半ば強引に俺の前に差し出された。
山吹は続けて
「さっき、先生から貰った梔子の分の紙。本当は俺が行く約束だったけど、浅葱が行ってこい!」
「…いいのか? ありがとう」
荷物を鞄に押し込み、すぐさま教室を去っていく。
『浅葱:今から梔子の家に向かう!』
走りながら返信が来ていないか確認するが数秒、数分待っても画面が変わることはない。信号に引っかかると足踏みをして待ちきれない。いつも梔子と帰る道なのに、いつもと同じような、あっという間に時間が過ぎるとは、感じられず今は長い、長い時間が早く終わらないかと焦りを感じる。
「……着いた」
息が絶え絶えになって断続的に呼吸をする。静かに寂しさを感じさせるインターホンを鳴らす。
ピーンポーン
家の中から小さくこだまするベルの音が鳴り終わるなり、玄関の扉がゆっくりと開き、頭が小さく飛び出してきた。
「…浅葱? どうしたの?」
「梔子にプリントを持ってきた」
「…ありがとう」
微かに見える梔子の目元には赤くなって、擦った跡もくっきり残っている。気づいて、門を開けてくれた途端、すぐに梔子の目元に顔を寄せ、傷がないか目を当てる。
「どうした⁉ 目が赤い」
「……ううん、なんでもない」
「…なんかあった? 言いたくないなら言わなくて大丈夫だよ」
「………実はね、急遽決まったことなんだけど、もしかしたら僕、外国の学校に行くかもしれないの。ピアノの技術をもっと伸ばすべきだって親が話してて、僕は反対してるけど行く可能性もある…」
え、梔子が外国に? てことはもう会えないかもしれないのか? 会えたとしても年に数回とかなのか? それは嫌だ。もっと話していたい。もっと顔を見ていたい。もっと声を聞いていたい。どうせなら、梔子の奏でる音を俺だけが独占していたい…だけどそれは理想なだけ、現実を言えば俺以外も聞いていいから、俺の前でも曲を演奏してほしい…。
そんな俺の言葉は、きっと梔子の道を妨げるだろう。だから言うべきじゃないと思ってる。だけど、言わないと梔子は俺の元から離れて、どこか遠くへ行って、そこで俺よりもいい人と出会うかもしれない。どうしてもそれは嫌だ。俺のことだけ考えていてほしい。どうせなら行かないでほしい。
「…梔子、俺は……。外国に行かないでほしいって思ってる」
「そうだよね……! 今日の夜、もう一回親と話し合ってみる!」
思いを伝えて、俺たちは優しく抱きしめ合い、体温を共有し、思いが一体になる。
「…ごめんね、もう大丈夫! ありがとう」
「大好きだよ」
「僕も大好き!」
ギリギリ別れるまで手を繋いで別れを惜しむ。
夜中、お風呂から出て濡れた髪をタオルで軽く拭っていると、洗面台に置いておいた携帯が振動とともに光を発する。
『梔子:親と話しました。結果は……ダメだった。ドイツに行くことになっちゃって……』
『浅葱:そうか…』
今の俺には、そんな反応しかできず、どうしようもない自分に腹を立てる…。
もし俺がもっと有名になっていれば梔子と一緒に外国に…! というのもありだったのに。どうしたらいいんだ。俺がもっと行かないでほしいと願っていれば、梔子はとどまってくれたのだろうか…。でも才能をつぶすことは嫌だ。
自分への怒りの感情をコントロールするべく、自室に戻るとすぐに配信ボタンを押す。
『皆こん浅~! 浅雲だよ…。今日も元気に配信やっていこうー。と元気に言いたいんだけど、今日は少しだけテンションを落とすね』
配信の画面に映る俺のキャラは今の自分に比例して少し陰鬱な表情を浮かべているように見えた。皆も心配そうなコメントで
『大丈夫浅雲くん⁉ なんかあった?』
『てか、私の隣の学校に浅雲くんの声に似た人がいたって本当なの? 文化祭で披露したとか』
そんな主に二つの話題で俺のコメント欄は徐々にスクロールされる速度が速くなる。だが俺の頭の中は梔子のことでいっぱい。
すると、携帯に一件通知が届く。
『時ノ雫:浅雲さん。少しいいかな』
それは、配信者仲間で所属事務所の先輩からだった。配信では口を開いてどうにかこうにか話題を話し続け、片手間でやり取りする。
『浅葱:どうしましたか?』
『知っての通り、私たちが所属してる事務所は、日本とドイツの二つで区切られてるじゃん? そこで上の人達が考案してくれた企画があって、私らの実力を伸ばすためにも、ドイツの活動者とコラボやその地域に行って、生で一緒に会話するっていう動画を撮りたいらしい。あ、安心してね! ドイツで活動してるほとんどの人が日本が好きで、中には日本語がペラペラな人もいる! だから言語に関しては心配しないで欲しい。ただ、浅雲さんはまだ学生だって事務所から内密に教えてもらった。さすがに学生を無断でドイツに行かせることは事務所としてもできないからね。それで、どうかな? 最低限度の生活は保障するし、学校も援助される。だから生活は、今の状態と変わらない。昼間は学校、夜間は配信って感じ。ドイツの活動者ともコラボするし、私たち日本の活動者とも交流する。だから手助けは任せて! こう見えて私はドイツ語得意なので‼』
先輩の長々と綴られた文章には、俺の悩みを消してくれる単語が並んでいた。俺は配信が無言になるほどメッセージの送信に没頭した。
『浅葱:行かせてもらいます! 日にちは……』
気づけば、コメント欄には
『浅雲くん大丈夫? 体調でも悪いの?』
『急に無言になった』
気を遣った言葉ばかりだった。
『いや、大丈夫! 気持ちも取り戻せたし、配信少しだけ続けるね!』
そう言って配信の画面を閉じたのは大体一時間後。
でも本当に先輩や事務所には感謝している。まさか梔子と同じ国に行けるなんて思ってもみなかった。本当に嬉しい。離れ離れになるのは嫌だった。だけど、また一緒にいられる。好きな人の温もりを感じられる。
明日の朝に報告しよう!
満面の笑みのせいで頬が痛くなる感覚に襲われるが、それどころではない。嬉しい! 本当に、本当に嬉しい‼
「梔子!」
明日の朝になれば、ご飯も身支度もすべてが早く終わり、待ちきれない気持ちでいっぱいだった。すぐに家を出て、梔子の家まで直行。本人には伝え損ねたが、もう着いてしまったのだから直接謝ろう。
「…え、どうしたの⁉ 朝早いね」
「実はな! 俺もドイツに行くことになった‼」
「………え⁉ そうなの⁉」
「昨日のゲリラ配信見た?」
「…そりゃあ、推しの配信ですから? 何があろうと見逃しません!」
「静かな時間が流れていた時に事務所の先輩から連絡来て、それで…」
いっぱい話したいことがある! 梔子と一緒にいられること、梔子とたくさん話せること、梔子と……。
俺はもう待ちきれず、近くに来てくれた梔子に強くハグをしてしまう。
「大好きだよ梔子!」
「僕もだよ。大好き」
受け入れてくれるように、優しく背中を撫でてくれて、思わず涙が落ちていく……。
これで梔子と一緒なのか。また話せるのか…。
「「ありがとう」」
毎年、文化祭の最後には夜会という軽音楽部や吹奏楽部、個人で予約した人たちが自分の歌を披露して幕を閉じる。今は夜会の序盤で、歌の上手いボーカルやギターの技術に長けた人がライブを終え、次のバンドの準備をしているその最中、隣の席に座っている梔子が寂しさ混じりに言葉を漏らす。
「…そうだね」
体育館すべての照明が消え、舞台にライトが向けられ、四人が注目される。制服ではなく、ラフな格好をした四人は全員お揃いのタオルを腕に巻いている。
暗転したかと思えば、ギターの音によって明かりが再度光を放ち、まるで花火のような描写を思い浮かべる。ドラムの音はその花火を打つための爆発音。夕日の落ちる今にぴったりな音が体育館中を刻むように鳴る。
「ありがとうございました!」
ボーカルの人の言葉で観客席からは一気に歓声が沸いた。その大きな盛り上がりの波は次の出場者まで続き、人気の曲では、歌っている人の声すら聞こえないくらい盛り上がりを見せ、曲によっては先生たちの方が気分を上げて声を上げて一緒に歌っていることも。
隣に座る梔子もそうだ。歌詞を口ずさんで笑みをこぼす。
「楽しいね! 浅葱‼」
歓声のなか、微かに聞こえた梔子の声が何だか優しくて
「そうだな!」
自然に言葉と喜びが露わになってしまう。
こんな時間がずっと長く、永遠に続いて欲しいな…。梔子の笑顔をこのまま見ていたい。
一瞬で夜会も後半戦を迎え、観客の熱狂も体育館の天井に届いてしまうほどだった。隣にいる梔子は目をキラキラさせながら舞台上に立つバンドに釘付けになっている。
そんな楽しい時間は一言で天と地がひっくり返った。
「どうしよ……。最後のバンドの二人がお休みしちゃって大幅に時間が空いちゃってる………」
「夜会の最後に花火を上げるのが恒例でしたよね。それまでどのくらい空いてますか?」
「ざっと、二時間いかないくらいだな」
「そんな………どうしましょう」
舞台袖から二人の生徒が歓声に混じって荒い声を上げる。その声に気づいたのは少数の先生と俺ら二人だけだった。
「どうしたんですか⁉」
慌ててその場にいる何人かに聞くと詳細を教えてくれた。
俺らに迷いは存在しなかった。
「「出ます!!」」
声の揃ったことに先生と生徒たちは唖然としていたがすぐさま正気を取り戻し、案じてくれた。俺らはすぐさま、用意されていた衣装を身にまとい、目を合わせ
「頑張ろう!」
「うん‼」
熱く輝いたスポットライトは、ピアノを演奏する梔子に注がれ、スムーズに音が降りていくかと思いきや、いくつもの音が同時に鳴ったそのつかの間、歓声に包まれ、乱れていた観客の全員が舞台に目を奪われる。その瞬間を俺は逃さなかった。
「夢を描いて、続くその彼方。僕らは歩み出す」
俺の歌声が体育館に響くなか、ピアノも負けじとリズムを刻んでいく。その数々の音には寂しさも希望も混じりては消える。まるであの人を追いかけ、前進するような…。
今歌っているのは俺が昔の配信で語った好きな曲。梔子、覚えてくれてたんだ…。その配信は視聴回数が少なく、すぐに消そうと決断した動画。そんなものを覚えている人はほぼいないだろうと思っていたが、梔子は……。
俺の顔は笑顔なのに、雫が零れ落ち、歌に感情が入り込む。やっぱり、梔子の奏でる音は感情をまとって、その一音一音が体育館中に響く。
時折奏でる重い音はその場の気持ちの落ち着きのなさを感じさせ、音が上がる時には気持ちが上昇し、何か希望を思わせる。そして、盛り上がるところの前の静寂は、皆の感情を引き付け、一つの核として作り上げる。そこから弾け出た感情は歓声や無言となって現れる。
「あの声って、浅雲じゃない⁉」
「それに梔子くんも‼」
歌う声や歓声に絡んでそんな声が聞こえてきた。
もう…隠すことはできないかもな。
そんなことを考えるが、目と目が合う梔子の笑顔に俺はそれでも歌い続けようと勇気をもらう。終わり際は寂しく途切れる様な音が余韻を残す。
歓声が反響するが、すぐに次の曲へと移る。その繰り返し……。
「「ありがとうございました‼」」
その言葉を締めくくりに俺らは同時に一礼する。長いようで短い二時間。
すると、外から「パーンッ」と破裂音が鳴り響く。体育館の窓から覗くと光の粒が落ちて散ってしまう。
「綺麗……」
見惚れる梔子からかすかな声が聞こえる。
「そうだな」
『これで今年度の学園祭を閉祭します』
スピーカーから余韻とともに聞こえる音で、皆の心がシャットダウンする。俺は空に散っていく花を見ながら、梔子の手にそっと触れる。微かに温かく、花火の光で赤くなった手で俺らは温度を共有し合った。許してくれた梔子の思いをゆっくりと噛み締める。
「梔子さん!」
「すみません‼ 配信者の浅雲ですか⁉」
花火が終わり、心が静寂に染まった時、観客のほとんどが俺らを目掛けて駆け出してくる。それを逃れるように梔子の寂しげな手をつかみ、二人でその場を立ち去る。背中から小さな微笑みの声が伝わる。後ろを覗くともう片方の手で口を隠して笑う可愛い梔子が視界の片隅に見えた。
「ど、どうした?」
慌てて振り向くと笑みを交えて
「なんでもないよ!」と元気よく言うものだから、つい首をかしげてしまう。
そんな短く戻ることのできない時間が好き。推しと話すのはずっと烏滸がましいものだと思っていたけど、あの告白を受け入れてくれたこと、一緒に笑い合ったこと、お泊りをしたこと、些細なことで俺は梔子に信用されていると身をもって感じることが多々あった。もう今は推しだからとか、尊いからとかは言わない。さっきの演奏のように俺らは遠い存在ではないんだ。近くでお互い手を取り合う。推しとしてではなく、彼氏として梔子が好きだ…。いや大好きだ‼
「……梔子」
「どうしたの?」
立ち止まった拍子に慌てて止まる梔子を背に、改めて顔を見合わせる。困惑で目が泳いでしまう梔子が可愛い。首を傾げる梔子が大好き。
「俺は、梔子を推しとして尊いじゃなくて、彼氏として好き。愛してる‼」
「…‼ 僕も愛してる‼」
まだらな星や流れていく星の下で俺らは優しく、いつも以上に強く抱きしめ合う。
「浅葱~」
文化祭の余韻が残った教室と会話の中に山吹の声が俺の机に届く。その騒がしい部屋に朝から梔子の姿はない。
「…梔子、休みとか珍しいね」
「…そうだな」
朝の時間に梔子に連絡を入れてみたが、昼休みである今、携帯を覗くが連絡は返ってきていない。もっと連絡を入れて気づいてもらいたいが、何か忙しいことがあるのではないか、迷惑になって嫌われるのではないか、と考えて一歩踏み出せないでいる。
「浅葱、そんな連絡先見てるなら、メッセージ打てばいいじゃん」
「……いや、やめとく」
俺は山吹の助言より恐れが勝ってしまい、携帯の画面を閉じた。午後の授業では二つとも教室で行われたため、頭の中が梔子のことでいっぱいになり、不安が募る。
やっぱり、心配だな…。だけど、連絡しすぎて梔子に嫌われてしまったら元も子もない。どうしたらいいのか……。
「…はぁ、そんな心配するならこれ持っていけ!」
放課後になって、梔子の分の連絡の紙を山吹から半ば強引に俺の前に差し出された。
山吹は続けて
「さっき、先生から貰った梔子の分の紙。本当は俺が行く約束だったけど、浅葱が行ってこい!」
「…いいのか? ありがとう」
荷物を鞄に押し込み、すぐさま教室を去っていく。
『浅葱:今から梔子の家に向かう!』
走りながら返信が来ていないか確認するが数秒、数分待っても画面が変わることはない。信号に引っかかると足踏みをして待ちきれない。いつも梔子と帰る道なのに、いつもと同じような、あっという間に時間が過ぎるとは、感じられず今は長い、長い時間が早く終わらないかと焦りを感じる。
「……着いた」
息が絶え絶えになって断続的に呼吸をする。静かに寂しさを感じさせるインターホンを鳴らす。
ピーンポーン
家の中から小さくこだまするベルの音が鳴り終わるなり、玄関の扉がゆっくりと開き、頭が小さく飛び出してきた。
「…浅葱? どうしたの?」
「梔子にプリントを持ってきた」
「…ありがとう」
微かに見える梔子の目元には赤くなって、擦った跡もくっきり残っている。気づいて、門を開けてくれた途端、すぐに梔子の目元に顔を寄せ、傷がないか目を当てる。
「どうした⁉ 目が赤い」
「……ううん、なんでもない」
「…なんかあった? 言いたくないなら言わなくて大丈夫だよ」
「………実はね、急遽決まったことなんだけど、もしかしたら僕、外国の学校に行くかもしれないの。ピアノの技術をもっと伸ばすべきだって親が話してて、僕は反対してるけど行く可能性もある…」
え、梔子が外国に? てことはもう会えないかもしれないのか? 会えたとしても年に数回とかなのか? それは嫌だ。もっと話していたい。もっと顔を見ていたい。もっと声を聞いていたい。どうせなら、梔子の奏でる音を俺だけが独占していたい…だけどそれは理想なだけ、現実を言えば俺以外も聞いていいから、俺の前でも曲を演奏してほしい…。
そんな俺の言葉は、きっと梔子の道を妨げるだろう。だから言うべきじゃないと思ってる。だけど、言わないと梔子は俺の元から離れて、どこか遠くへ行って、そこで俺よりもいい人と出会うかもしれない。どうしてもそれは嫌だ。俺のことだけ考えていてほしい。どうせなら行かないでほしい。
「…梔子、俺は……。外国に行かないでほしいって思ってる」
「そうだよね……! 今日の夜、もう一回親と話し合ってみる!」
思いを伝えて、俺たちは優しく抱きしめ合い、体温を共有し、思いが一体になる。
「…ごめんね、もう大丈夫! ありがとう」
「大好きだよ」
「僕も大好き!」
ギリギリ別れるまで手を繋いで別れを惜しむ。
夜中、お風呂から出て濡れた髪をタオルで軽く拭っていると、洗面台に置いておいた携帯が振動とともに光を発する。
『梔子:親と話しました。結果は……ダメだった。ドイツに行くことになっちゃって……』
『浅葱:そうか…』
今の俺には、そんな反応しかできず、どうしようもない自分に腹を立てる…。
もし俺がもっと有名になっていれば梔子と一緒に外国に…! というのもありだったのに。どうしたらいいんだ。俺がもっと行かないでほしいと願っていれば、梔子はとどまってくれたのだろうか…。でも才能をつぶすことは嫌だ。
自分への怒りの感情をコントロールするべく、自室に戻るとすぐに配信ボタンを押す。
『皆こん浅~! 浅雲だよ…。今日も元気に配信やっていこうー。と元気に言いたいんだけど、今日は少しだけテンションを落とすね』
配信の画面に映る俺のキャラは今の自分に比例して少し陰鬱な表情を浮かべているように見えた。皆も心配そうなコメントで
『大丈夫浅雲くん⁉ なんかあった?』
『てか、私の隣の学校に浅雲くんの声に似た人がいたって本当なの? 文化祭で披露したとか』
そんな主に二つの話題で俺のコメント欄は徐々にスクロールされる速度が速くなる。だが俺の頭の中は梔子のことでいっぱい。
すると、携帯に一件通知が届く。
『時ノ雫:浅雲さん。少しいいかな』
それは、配信者仲間で所属事務所の先輩からだった。配信では口を開いてどうにかこうにか話題を話し続け、片手間でやり取りする。
『浅葱:どうしましたか?』
『知っての通り、私たちが所属してる事務所は、日本とドイツの二つで区切られてるじゃん? そこで上の人達が考案してくれた企画があって、私らの実力を伸ばすためにも、ドイツの活動者とコラボやその地域に行って、生で一緒に会話するっていう動画を撮りたいらしい。あ、安心してね! ドイツで活動してるほとんどの人が日本が好きで、中には日本語がペラペラな人もいる! だから言語に関しては心配しないで欲しい。ただ、浅雲さんはまだ学生だって事務所から内密に教えてもらった。さすがに学生を無断でドイツに行かせることは事務所としてもできないからね。それで、どうかな? 最低限度の生活は保障するし、学校も援助される。だから生活は、今の状態と変わらない。昼間は学校、夜間は配信って感じ。ドイツの活動者ともコラボするし、私たち日本の活動者とも交流する。だから手助けは任せて! こう見えて私はドイツ語得意なので‼』
先輩の長々と綴られた文章には、俺の悩みを消してくれる単語が並んでいた。俺は配信が無言になるほどメッセージの送信に没頭した。
『浅葱:行かせてもらいます! 日にちは……』
気づけば、コメント欄には
『浅雲くん大丈夫? 体調でも悪いの?』
『急に無言になった』
気を遣った言葉ばかりだった。
『いや、大丈夫! 気持ちも取り戻せたし、配信少しだけ続けるね!』
そう言って配信の画面を閉じたのは大体一時間後。
でも本当に先輩や事務所には感謝している。まさか梔子と同じ国に行けるなんて思ってもみなかった。本当に嬉しい。離れ離れになるのは嫌だった。だけど、また一緒にいられる。好きな人の温もりを感じられる。
明日の朝に報告しよう!
満面の笑みのせいで頬が痛くなる感覚に襲われるが、それどころではない。嬉しい! 本当に、本当に嬉しい‼
「梔子!」
明日の朝になれば、ご飯も身支度もすべてが早く終わり、待ちきれない気持ちでいっぱいだった。すぐに家を出て、梔子の家まで直行。本人には伝え損ねたが、もう着いてしまったのだから直接謝ろう。
「…え、どうしたの⁉ 朝早いね」
「実はな! 俺もドイツに行くことになった‼」
「………え⁉ そうなの⁉」
「昨日のゲリラ配信見た?」
「…そりゃあ、推しの配信ですから? 何があろうと見逃しません!」
「静かな時間が流れていた時に事務所の先輩から連絡来て、それで…」
いっぱい話したいことがある! 梔子と一緒にいられること、梔子とたくさん話せること、梔子と……。
俺はもう待ちきれず、近くに来てくれた梔子に強くハグをしてしまう。
「大好きだよ梔子!」
「僕もだよ。大好き」
受け入れてくれるように、優しく背中を撫でてくれて、思わず涙が落ちていく……。
これで梔子と一緒なのか。また話せるのか…。
「「ありがとう」」
