君影草の涙〜君がため みそひともじ〜

伊織は自身の部屋にいた。あの一件以降、部屋を与えられ、宮中らしい華やかな生活を送っていた。なにやら、今日は君景が部屋を訪ねてくるらしい。君景は、皇子としての仕事が忙しいらしく、宮中でもすれ違う際に話す程度だった。呪いを解かねばならないが、先日の涙の様子をみるに、あまり人前で流したいものではないだろう。そう思い、会えても軽く話をするくらいしか出来ない。それでも君景は、伊織のことを愛おしそうに見つめる。冷酷な皇子は、どこへやら。宮中での生活に不便はないかと、聞いてくるのだった。
「入っても良いか?」
「お待ちしておりました。」
君景が伊織の部屋に入る。
「毎日大変そうですね。」
「あぁ。俺は戦で強ければいいとされていたが、そういうわけにもいかないからな。」
君孝は聡明な男だったと聞く。おそらく帝は、第一皇子だった君孝に国の仕事は任せ、戦に長けた君景はそれを支える武力を任せていたんだろう。それが第一皇子が亡くなったため、全てを君景が背負うことになったのだ。
「お疲れでしょう。部屋で休まなくていいのですか?」
「たとえ疲れていても伊織に会いたかったんだ。」
「私に?」
「俺は伊織のことを何も知らない。それに伊織も俺のことは国の噂程度にしか知らないだろう?お互い色々知りたいと思ってな。」
伊織はうなずいた。
「私も…君景様のこと、知りたいです。」
「あぁ。何でも話そう。」
伊織は、君景に様々なことを尋ねる。戦が強いと聞くがどのようにして強くなったのか、普段どのようにして時を過ごすのか…君孝との思い出について。君景は全てを包み隠さずに答えてくれた。
「兄上は優しい方だった。俺が口数が少なくても、隣で笑っていて…情深く、愛深く…冷静かと思えば、感情のままに動くこともあった。子どもの頃に母上からもらった菓子を俺にこっそり譲ってくれたこともあってな…」
君景の話を聞き、うなずく。自分の思い出を話す君景はまるで、その日の出来事を話す子どものようだった。君景は、たまに言葉を止め、伊織を見つめる。
「あ、お茶を持ってきますね。侍女に用意していただいてたのに出しそびれちゃってて…」
スッと伊織が立ち上がった。長く話してたため、急に立ち上がると少しよろけた。伊織の袖から、カラリと何かが落ちる。
「それは…物合わせの貝か?随分、装飾が剥げてしまっているようだが…」
君景が手を伸ばした。伊織はそれをサッと胸元にしまう。
「えぇ。幼少期に貴族の方から褒美にいただいたものでして。」
物合わせは貴族の遊びだ。おそらく気まぐれに、近くにいた子どもに歌を詠ませてみたところ、見事に詠んだため、与えたのだろう。
「子どもの頃に褒美で貰うほどであれば…伊織のそれは天賦の才だな。」
君景が言った。伊織の詠む歌は見事だ。教養では片付けられないほどに。伊織はにこりと笑った。

『我が歌に
勝りし人は
知るものの
想いしのぶや
我がつぶら螺』

(私の歌よりも優れた歌を詠む人がいることは、知っています。けれど、胸に忍ばせている想い。この私の想いはまさに、小さな螺、巻貝の奥のように誰にも分からないのです。)

―――謙虚に、歌の腕前は自分よりもっと上がいると認めつつ、目には見えないだろう自分が持ってる想いは誰にも負けてはいないと、強い想いを詠んだ歌だ。静かに燃える歌は空気を焦がすようだった。

そう詠んだ伊織の黒く美しい瞳は、何が潜んでいるか分からないような深い海のようだ。その海に惹かれるように君景が伊織の頬に触れる。
「やはり美しいな…」
伊織の歌に、瞳に、心揺れる感情が、君景に涙を流させる。君景自身でさえ、なぜその美しさに涙するのかが分からなかった。伊織が先日と同じように薄絹で涙を拭う。呪いの涙はじわりと染み込み、薄絹を黒くする。君景は、初めてのときのような抵抗はしなかった。その行動に甘えるように目を閉じ、身を委ねる。そこには冷酷な皇子はいない。ふわりと優しく流れる時間が、2人を包むのだった。

「長居したな。すまない。」
「いえ。また、なるべく早く来てください。」
最優先は呪いを解くこと。激務で疲れているのかと思っていたが、呪いがまわってきているようにも感じた。実際、涙を流した君景は少し顔色が良くなっている。
(臣下は何を考えているの…?本来なら呪いを解くために仕事もさせずに皇子に涙を流させるべきじゃないの?)
「伊織?」
「え?」
「何か気にかかることがあるのか?」
伊織を見つめる君景。伊織は居心地が少し悪くなった。
「宮中が嫌になったか?」
「まさか、そんな…」
不安そうに尋ねる君景。否定しようとすると、抱き寄せられた。
「それでも…それでも、俺は伊織が離せそうにない…。」
震える声で、乞うように言うものだから。伊織は、君景の背中に腕を伸ばし、背伸びをしながら髪を少し撫でた。サラリとした黒髪は烏の濡れ羽色。
「安心してください。私が、君景様の呪いを解いてみせますから。」
そう言って、君景を見つめた。君景は少し口を開き、閉じた。
「急にすまなかった。」
そう言い、部屋を出る。その姿を見届けてから、座った伊織は文机に置いた小包を見た。「また会いにくる。」君景はそう言い残し、かわいらしい菓子を伊織に渡していったのだった。

『君がため
解いてみせるは
我が身かな
黒が流れる
呪いとまこと』

―――そう、私のこれは君のため。全てを私が解くために。