◇13-1【鳳凰完成、ついに翼を広げる】
明治26年(1893年)5月6日、夜明け前。
まだ万国博覧会の喧騒が始まる前の、静寂に包まれたウデッド・アイランド。
朝靄(あさもや)の中に、日本のパビリオン「鳳凰殿」が、荘厳な影として浮かび上がっていた。
その屋根の上では、数人の宮大工たちが、最後の一つの部材を、慎重に、そして敬虔な手つきで吊り上げている。
それは、この建物の名を決定づける、黄金に輝く一対の鳳凰像の片割れだった。
現場の全ての人間が、呼吸を忘れてその光景を見守っている。
桐島文子、大野健吾、市駒、市乃、そして日本の職人たち全員。
屋根の上の中心に立つ、建築家・久留正道。
その寡黙な顔には、これまでの苦労と、そして生涯の仕事を成し遂げんとする、職人の誇りが刻まれている。
彼は、自らの手で、ゆっくりと鳳凰像を定位置へと導いていく。
そして――。 コンと乾いた、しかし澄み切った音が、夜明け前の静寂に響いた。
最後の鳳凰像が、寸分の狂いもなく、大棟(おおむね)の両端に見事に収まり、鳳凰殿が完成したのだった。
「……入ったぞ!」
誰かが叫んだ。 地上で見ていた職人たちの中から「おお…」という、低い唸りのような歓声が上がった。
互いに肩を叩き合い、薄汚れた手ぬぐいを目元に押し当てる者もいる。
久留は、しばらくの間、自らが完成させた鳳凰殿の屋根に立ち、朝日が昇り始める東の空を、じっと見つめていた。
やがて、昇ってきた太陽の最初の光が、二羽の鳳凰の翼を照らし、まばゆい黄金の輝きを放つ。
それは、まるで長い眠りから覚めた鳳凰が、今まさにこのシカゴの空へと、力強く羽ばたこうとしているかのようだった。
久留は、ゆっくりと地上へ視線を落とした。
そこには、泥だらけの靴で立ち尽くし、眩しそうに鳳凰を見上げている、桐島文子の姿があった。
久留は、屋根の上から、桐島に向かって、無言で拳を突き上げた。
それは「俺の仕事は終わった。あとは、お前の番だ」という、無言の合図だった。
桐島もまた、視界を滲ませながら、久留に向かって深く、深く頷き返した。
あのスープの夜に交わした「契約」が、今、確かな「信頼」へと変わった瞬間だった。
言葉はいらなかった。
黄金に輝く鳳凰の下、職人の魂と広報官の覚悟が、ようやく本当に一つになったのだった。
◇13-2【万博を彩った日本の星、鳳凰殿の輝き】
明治26年(1893年)5月中旬、シカゴ万国博覧会は空前の賑わいを見せていた。
開幕当初こそ建設の遅れが心配されたものの、桐島文子の機転による「建築記録」報道が大きな話題を呼び、その未完成の姿すら「創造の物語」として多くの人々の関心を集めた。そして完成してからは、その人気は爆発的なものとなった。
連日、鳳凰殿には、途切れることのない長蛇の列ができている。
その日の昼下がり、桐島文子は、鳳凰殿の縁側から、その光景を感慨深く眺めていた。
開幕当初の息詰まるような状況が、嘘のようだ。
彼女の機転による「建築記録」報道、そして起死回生の一手であった「鳳凰殿特別懇話会」の成功。
それらが大きなうねりとなり、西洋建築の壮大さとは異なる、日本の伝統美の粋を凝縮したこの静謐な建物は、多くの人々の心を掴んで離さない、特別な場所となっていた。
桐島の視線が、列から少し離れた場所で、静かに鳳凰殿を見上げる一組の老夫婦の上で止まった。
彼らは、言葉を交わすでもなく、ただ手を繋ぎ、じっと、その優美な佇まいを見つめている。
やがて、夫人がそっとハンカチで目元を拭うのを、桐島は見た。特別な解説も、華やかな催しもない。
ただ、そこにある建物の美しさが、言葉や文化を超え、名も知らぬ異国の一人の女性の心を、確かに揺さぶっている。
(…届いている。私たちの想いは、確かに…)
その光景は、桐島の胸を、何よりの達成感で温かく満たした。
その時だった。
「美しい光景ですな、ミズ・キリシマ」
穏やかな声に振り返ると、そこにはオスマン帝国館のアフメット・ベイが、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「アフメット様…」
「いや、見事というほかありません。あなたの鳳凰は、実に美しく、このシカゴの空を舞っている」
彼は、感嘆のため息と共に、鳳凰殿を見上げた。
「そして、あなたの成功は、我々のような『西洋ではない国』が、自分たちの文化の魂を、いかにして世界に伝えればよいのか、
その一つの輝かしい道を示してくれた。我々にとっても、大きな希望の光です。心から、感謝する」
アフメットは、そう言うと、自国の作法に則った丁寧なお辞儀をした。
その言葉は、バーナム総監督からの称賛とも、フランス館のライバルからの敗北宣言とも違う、温かく、そして何よりも重い意味を持っていた。
自分たちの戦いが、ただ日本の勝利に終わっただけでなく、同じように苦悩する、遠い国の友にも勇気を与えられたのだ。
桐島は、これ以上ないほどの達成感を胸に、深く、そして晴れやかに、微笑み返した。
日本チームの面々は、異国の地で数々の困難を乗り越え、この輝かしい日々を迎えられたことに、深い感慨を覚えていた。
特に、月二度の定期開催となった「鳳凰殿特別懇話会」は、毎回シカゴの知識人や各国のVIPで満席となり、その質の高さと日本文化の奥深さが絶賛されていた。
それは日本館の評価を不動のものとし、ひいては万博全体の文化的な豊かさを大いに盛り上げる、まさしく中心的な一翼を担っていたのである。
明治26年(1893年)5月6日、夜明け前。
まだ万国博覧会の喧騒が始まる前の、静寂に包まれたウデッド・アイランド。
朝靄(あさもや)の中に、日本のパビリオン「鳳凰殿」が、荘厳な影として浮かび上がっていた。
その屋根の上では、数人の宮大工たちが、最後の一つの部材を、慎重に、そして敬虔な手つきで吊り上げている。
それは、この建物の名を決定づける、黄金に輝く一対の鳳凰像の片割れだった。
現場の全ての人間が、呼吸を忘れてその光景を見守っている。
桐島文子、大野健吾、市駒、市乃、そして日本の職人たち全員。
屋根の上の中心に立つ、建築家・久留正道。
その寡黙な顔には、これまでの苦労と、そして生涯の仕事を成し遂げんとする、職人の誇りが刻まれている。
彼は、自らの手で、ゆっくりと鳳凰像を定位置へと導いていく。
そして――。 コンと乾いた、しかし澄み切った音が、夜明け前の静寂に響いた。
最後の鳳凰像が、寸分の狂いもなく、大棟(おおむね)の両端に見事に収まり、鳳凰殿が完成したのだった。
「……入ったぞ!」
誰かが叫んだ。 地上で見ていた職人たちの中から「おお…」という、低い唸りのような歓声が上がった。
互いに肩を叩き合い、薄汚れた手ぬぐいを目元に押し当てる者もいる。
久留は、しばらくの間、自らが完成させた鳳凰殿の屋根に立ち、朝日が昇り始める東の空を、じっと見つめていた。
やがて、昇ってきた太陽の最初の光が、二羽の鳳凰の翼を照らし、まばゆい黄金の輝きを放つ。
それは、まるで長い眠りから覚めた鳳凰が、今まさにこのシカゴの空へと、力強く羽ばたこうとしているかのようだった。
久留は、ゆっくりと地上へ視線を落とした。
そこには、泥だらけの靴で立ち尽くし、眩しそうに鳳凰を見上げている、桐島文子の姿があった。
久留は、屋根の上から、桐島に向かって、無言で拳を突き上げた。
それは「俺の仕事は終わった。あとは、お前の番だ」という、無言の合図だった。
桐島もまた、視界を滲ませながら、久留に向かって深く、深く頷き返した。
あのスープの夜に交わした「契約」が、今、確かな「信頼」へと変わった瞬間だった。
言葉はいらなかった。
黄金に輝く鳳凰の下、職人の魂と広報官の覚悟が、ようやく本当に一つになったのだった。
◇13-2【万博を彩った日本の星、鳳凰殿の輝き】
明治26年(1893年)5月中旬、シカゴ万国博覧会は空前の賑わいを見せていた。
開幕当初こそ建設の遅れが心配されたものの、桐島文子の機転による「建築記録」報道が大きな話題を呼び、その未完成の姿すら「創造の物語」として多くの人々の関心を集めた。そして完成してからは、その人気は爆発的なものとなった。
連日、鳳凰殿には、途切れることのない長蛇の列ができている。
その日の昼下がり、桐島文子は、鳳凰殿の縁側から、その光景を感慨深く眺めていた。
開幕当初の息詰まるような状況が、嘘のようだ。
彼女の機転による「建築記録」報道、そして起死回生の一手であった「鳳凰殿特別懇話会」の成功。
それらが大きなうねりとなり、西洋建築の壮大さとは異なる、日本の伝統美の粋を凝縮したこの静謐な建物は、多くの人々の心を掴んで離さない、特別な場所となっていた。
桐島の視線が、列から少し離れた場所で、静かに鳳凰殿を見上げる一組の老夫婦の上で止まった。
彼らは、言葉を交わすでもなく、ただ手を繋ぎ、じっと、その優美な佇まいを見つめている。
やがて、夫人がそっとハンカチで目元を拭うのを、桐島は見た。特別な解説も、華やかな催しもない。
ただ、そこにある建物の美しさが、言葉や文化を超え、名も知らぬ異国の一人の女性の心を、確かに揺さぶっている。
(…届いている。私たちの想いは、確かに…)
その光景は、桐島の胸を、何よりの達成感で温かく満たした。
その時だった。
「美しい光景ですな、ミズ・キリシマ」
穏やかな声に振り返ると、そこにはオスマン帝国館のアフメット・ベイが、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「アフメット様…」
「いや、見事というほかありません。あなたの鳳凰は、実に美しく、このシカゴの空を舞っている」
彼は、感嘆のため息と共に、鳳凰殿を見上げた。
「そして、あなたの成功は、我々のような『西洋ではない国』が、自分たちの文化の魂を、いかにして世界に伝えればよいのか、
その一つの輝かしい道を示してくれた。我々にとっても、大きな希望の光です。心から、感謝する」
アフメットは、そう言うと、自国の作法に則った丁寧なお辞儀をした。
その言葉は、バーナム総監督からの称賛とも、フランス館のライバルからの敗北宣言とも違う、温かく、そして何よりも重い意味を持っていた。
自分たちの戦いが、ただ日本の勝利に終わっただけでなく、同じように苦悩する、遠い国の友にも勇気を与えられたのだ。
桐島は、これ以上ないほどの達成感を胸に、深く、そして晴れやかに、微笑み返した。
日本チームの面々は、異国の地で数々の困難を乗り越え、この輝かしい日々を迎えられたことに、深い感慨を覚えていた。
特に、月二度の定期開催となった「鳳凰殿特別懇話会」は、毎回シカゴの知識人や各国のVIPで満席となり、その質の高さと日本文化の奥深さが絶賛されていた。
それは日本館の評価を不動のものとし、ひいては万博全体の文化的な豊かさを大いに盛り上げる、まさしく中心的な一翼を担っていたのである。


