シカゴを舞う京の鳳凰~あなたの財布で眠っている130年の誇り ―

◇9-1【絶対的権力者バーナムと、日本館の焦り】

明治26年(1893年)、春まだ浅いシカゴ。
万国博覧会開幕への槌音(つちおと)は日増しに高まっていた。
この壮麗な祭典の全てをその掌中に収め、巨大な白い街「ホワイトシティ」を現出させた男――ダニエル・ハドソン・バーナム。

シカゴ万博の建設総監督にして主任建築家である彼の名は、すでにアメリカ建築界、いや、世界の都市計画史に深く刻まれようとしていた。 彼は単なる建築家ではない。都市そのものを創造し、シカゴだけでなく、アメリカの未来を形作る絶対的な権限を握る男であった。

22年前、このシカゴの街は、たった一夜で全てを失い、焼け落ちた。
1871年に起きたシカゴ大火によって灰燼と瓦礫(がれき)の海と化したこの都市の、 再生の礎を築いたのは、他でもない若き日のバーナムだったのだ。 その記憶が、今の白亜の都市のどこかに、消えぬ煤(すす)の痕(あと)として刻み込まれている。
だからこそ、彼は秩序を求めた。混沌からこの白亜の都市を築き上げた彼にとって、 万博は単なる祭典ではない。
それは無秩序に対する文明の、そして人間の意志の、絶対的な勝利の証でなければならなかった。

会場内で開催される公式行事、各国の展示内容への指導、VIPの視察スケジュールに至るまで、の全てにバーナムの鋭い目が光り、彼の意向が色濃く反映される。 シカゴ万博の成功は、まさに彼の双肩にかかっていると言っても過言ではなかった。
そのバーナムの目は、各国のパビリオンを冷静に、そして厳しく評価していた。

バーナムは既に日本の展示に対する関心を、より確実で華やかな他の展示物へと移してしまっていた。
美しさには確かに価値がある。しかし、それは期限内に完璧な形で提示されることを絶対条件としてのみ評価されるのだ。

彼にとって、遅れた展示、あるいはその可能性のあるものは、万博全体の完璧な調和を乱す、許されざる「混沌の兆し」だった。
一つの綻(ほころ)びが、やがて巨大な建築物全体を崩壊させることを、彼は灰と化したシカゴの街で、骨身に染みて知っている。

その一方で、桐島文子は、この鉄の意志を持つ男、ダニエル・バーナムこそ、万博における最重要の交渉相手と見定めていた。
日本の文化の真価を、世界に深く響かせるためには、彼の理解と協力が不可欠だった。

中村栄助からもたらされた情報によれば、バーナムは個人の情熱や感傷に動かされるタイプの人間ではない。
彼にとって万博は、国家の威信と経済効果を賭けた巨大な国際プロジェクトであり、 全ては合理性と、万博全体の成功という大目的に照らして判断されるのだ。

桐島は、その現実に真正面から立ち向かう決意を固めていた ―「鳳凰殿特別懇話会」という、彼女がシカゴの地で、京都の職人の魂と、アメリカの観衆の心を洞察する中で練り上げた、新たな戦略と共に。
しかし、その独創的なアイデアが、混沌を憎み、秩序と実績を絶対とするこの鉄の男に受け入れられるかどうかは、まったくの未知数であった。

◇9-2【懇話会構想と、内部の壁】

万博開幕まで、あとわずか。日本の誇りを賭けた鳳凰殿の完成は、絶望的に遅れていた。
それでも桐島文子は、その美しい顔に焦りの色を表に出すことはなかった。
彼女にとってこの切迫した状況は、ただ乗り越えるべき障害ではない。むしろ、日本文化を世界へ正しく、そしてより深く伝えるための、新たな機会を生み出す好機とさえ捉えようとしていた。

「私たちの目的はただ一つ。日本の伝統文化を、世界の人々に知っていただくこと」

開幕前のある日、鳳凰殿の日本館事務所の一室に集まった設計責任者の久留正道、桐島の補佐役である大野健吾、
そして日本から派遣された数名の運営職員を前に、桐島は静かに、しかし力強い口調で告げた。

彼らの表情には、先の見えない現状への不安が色濃く刻まれている。
だが、その中で桐島の大きな瞳だけは、揺るぎない決意の光を放っていた。

「そのために、私たちは『鳳凰殿特別懇話会』と名付けた催しを企画します」
会議室の空気が、わずかに動いた。
「何ですか?それは?」
大野が、訝しげに首を傾げた。

桐島は深く頷く。
「私たちが世界に伝えたいのは、鳳凰殿の建築美や意匠の細やかさだけでなく、その奥に息づく千年の都が育んだ美意識そのものです。 この懇話会では、価値を理解し、それを発信する力のある、選ばれた方々に限定して開放し、日本の文化の本質を深く、直接的に伝えるのです」

職人の一人である老人が、眉をひそめた。
「特別な者、とは一体どなたのことですかな? 我々の鳳凰殿は、万人に見ていただきたいものですが…」

「おっしゃる通りです」
桐島は、その言葉を優しく受け止めた。
「しかし万博という情報の洪水の中で、私たちの声は小さすぎて届かない。 だからこそ、まずは影響力のある方々――シカゴの主要な新聞記者、文化学者、大学教授、芸術家、そして外交官など日本の美意識を正しく理解し、 その真価を自らの言葉で発信できる方々を厳選してご招待するのです。彼らには深い感銘を、彼らの筆で、彼らの声で、世界へと伝えてもらうのです」

大野が、腕を組みながら口を開いた。
「しかし、桐島さん、具体的にはどのような形で?」
桐島は、その問いを待っていたかのように、自信に満ちた声で続けた。
「まず、鳳凰殿の内部を、私が解説を交えながらご案内いたします。 単に建築を鑑賞していただくだけでなく、設計思想、卓越した技、日本独自の空間美について、 英語で質疑応答を行いながら、参加者が抱くであろうあらゆる疑問にお答えします」

久留が、ここで初めて腕を組み、低い声で呟いた。
「つまり、ただ建築物を見せるのではなく、その背景にある我々の考え方まで、言葉で伝えるというのか」

「その通りです。次に屋外の、鳳凰殿が最も美しく水面に影を映す場所へと移動、そこに特別席を設けます。ここからが、懇話会の第二部です」

職人たちが、息をのんで彼女の言葉に耳を傾ける。
「そこでは、市駒さん、市乃さんによる京舞を披露していただきます。 鳳凰殿という最高の空間の中で、日本の生きた文化を、視覚的に体験していただく場となります」
しばしの沈黙の後、大野が再び問うた。
「なるほど。桐島さんのことだ。まだ続きがありますよね」

桐島は、静かに微笑んだ。
「もちろん、それだけではございません。日本茶と、京都から取り寄せた美しい和菓子をふるまい、日本の『もてなし』を体験していただきます。 そして、もし久留先生にお許しいただけるのであれば、日本の職人の方に、 例えば木組みの技の一部などを実演していただき、実際に工芸技術を目の前で感じていただくのです」

「ただ見るだけではない、五感全てで体験する、というわけか……」
久留の声が、ほんの少しだけ和らいでいるようにも感じられた。

「そうです。そして、懇話会の最後には、参加された方々全員に、この特別な体験の証として、 日本文化の美を凝縮した記念品(鳳凰殿柄の栞)をお持ち帰りいただきます。 記憶だけでなく、物理的な形として日本の美を残すことで、より深く、そして長く、その価値を伝えていけると信じております」

しかし、そこで久留が、組んでいた腕を解き、厳しい表情で桐島を見据えた。
「…桐島君。君の言うことは分からんでもない。だが、その『懇話会』とやらを、万博の総監督であるバーナム氏が認めるとは、到底思えん」

会議室の空気が、再びぴんと張り詰めた。
「なぜですの、久留先生?」
桐島が、まっすぐに問い返す。 久留は、迷うことなく答えた。
「彼は合理性と公正さを重んじ、時間と成果を計算する男だ。日本館の遅れを考えれば、 君の言う限定的な公開は非効率かつ不公平である、と一蹴されるだろう。鳳凰殿特別懇話会は彼の理想とは真逆にある」

「つまり、彼は鳳凰殿を、ただの『美しい建物』の一つとして、効率的に処理したい、と」

桐島は、噛み締めるように言った。 久留は、重々しく頷いた。
「そうだ。彼にとって、建築とは万博の成功を形作るための一要素に過ぎん。 そこに込められた文化的な深みや精神性よりも、まずは視覚的な完成度と、運営の効率性を求める。 だから、おそらく君のその素晴らしい提案も、彼には受け入れられまい」

桐島は、目を閉じ、一呼吸置いた。 久留の言葉は、的確で、そして重かった。
「…でも、私は、この戦略こそが、今の私たちに残された唯一の、そして最善の道だと確信しております」
久留が、驚いたように眉をひそめる。
「あの鉄の男を、君が説得できるとでも?」
「彼にとって、そして万博全体にとっても『合理的』で『有益』な提案にしてみせますわ」
桐島の大きな瞳には、もはや迷いの色はなかった。
そこには、次なる一手、困難な交渉を乗り越えるための、新たな戦略の光が、確かに宿っていた。

日本館のスタッフ全員が共有する行動規範― 「京都の誇る伝統文化を世界に知ってもらうこと」
鳳凰殿特別懇話会は、その理念のもとに生まれた、まさに起死回生の一手であった。
そしてこの場の誰もが、桐島文子という女性の深い洞察と覚悟に裏打ちされた決断であることを、理解し始めていた。

◇9-3【決意のノック】

桐島文子は、その数日後、ついにダニエル・バーナムとの面会の機会を得た。
大野健吾を伴い、彼女は万博会場の中心に聳え立つ、白亜の管理棟の奥深くにある総監督執務室の前にたった。

バーナムの執務室の、あの重厚な扉をノックする直前。 大野が、緊張した面持ちで、桐島に最後の問いを投げかける。
「桐島さん、本当に…このまま直球でぶつかるおつもりですか。相手は、あのバーナムですよ」

「ええ。この初手は、勝つためのものではございません、大野さん。まずは、相手を知るためのものです。 あの鉄の男が、何を大切にし、何を恐れているのか。その魂の形を、この目で確かめるのです。今日のこの会談は、いわば『偵察』ですよ」

「偵察」という言葉で武装した心とは裏腹に、その扉の向こうに待つ男の威圧感が、肌に粟(あわ)を生じさせた。
彼女は、自らの指先が、氷のように冷たくなっているのを感じていた。

桐島は、重厚な木製のドアを、三度、澄んだ音を立ててノックした。
ドアの向こうから聞こえてきたのは、低く、そして有無を言わせぬ威厳に満ちた声だった。
「入りたまえ」

◇9-4【鉄の城、最初の攻防】

重厚なドアが、吸い込まれるように静かに、しかし有無を言わせぬ音を立てて閉まった。
部屋に満ちていたのは、磨き上げられたマホガニーの家具が放つ蝋(ろう)の匂いと、革張りのソファの重厚な香り、そして微かな葉巻の残り香だった。 壁一面に広がるのは、シカゴの未来を描いた壮大な都市計画図。
そして、部屋の隅に置かれた大きな置き時計が、カチ、カチ、と無慈悲なまでに正確に時を刻む音だけが、広大な空間に響いていた。 大きな窓の外には、彼がまさに創造した白亜の都「ホワイトシティ」が、まるで巨大な模型のように広がっている。

その中央、大きな机の向こうで、ダニエル・バーナムは山積みの書類を捌いていた。
シカゴ万博の建設総監督、主任建築家として、この壮大な国家プロジェクトの秩序を守り、成功へと導く全ての責任を負っている男。

バーナムは書類から顔を上げ、鋭い視線で二人を一瞥すると、わずかに眉をひそめた。
「…日本館のミス・キリシマか」
その声には冷淡な響きがあった。

桐島はそれを承知の上で、少しも臆することなく、しかし礼を尽くして、毅然とした口調で話し始めた。

「本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます、ミスター・バーナム。私、日本館の広報責任者を務めます、桐島文子と申します。 本日は、シカゴ万博における日本館の展示を、より多くの皆様にご理解いただき、万博全体の文化的価値をさらに高めるための、重要なご提案がございまして参りました。それは、『鳳凰殿特別懇話会(フェニックス・ホール・ソサエティ)』の開催についてでございます」

バーナムは、ペンを置き、無言のまま、値踏みするような目で彼女を見つめた。 置き時計の秒針の音だけが、やけに大きく聞こえる。桐島は、意識的に深く息を吸い込むと、事前に大野と練り上げた企画書を手に、その説明を始めた。

「…日本文化の神髄を、選ばれた方々に五感で深く体験していただく『鳳凰殿特別懇話会』の開催をご提案いたします」
桐島は、企画書を示しながら、その内容と万博への貢献を理路整然と説明した。

バーナムは、組んだ腕を解くことなく、静かに桐島を見据えていた。 やがて、彼は重々しく口を開いた。
「ミズ・キリシマ。君のその熱意は理解できなくもない。しかし、万国博覧会というものは、その名の通り、万国の民に公平に開かれた場である。 特定の選ばれた者だけに、特別な体験をさせるなどということは、この万博の理念に根本から反する。あってはならないことだ」
桐島は、その言葉に一瞬息をのんだが、すぐに食い下がった。
「ミスター・バーナム、だからこそ、私たちは『選別』するのです。 誰にでも無差別に門戸を開くのではなく、日本文化の真の価値を正しく評価し、 そしてそれを的確に世界へ発信する能力と影響力を持つ方々を厳選することで、 より深く、そしてより広範囲に、その本質的な影響を与えることができると信じております。それは、決して不公正ではございません。むしろ、文化の質の高さを保証するための、必要な措置です」

バーナムは、わずかに首を横に振った。
「それは、君たちの理想論に過ぎん。公正さを著しく欠いている。日本館だけをそのような形で特別扱いするわけにはいかない。君のその提案を安易に認めれば、他国も、次から次へと同様の特権を要求してくるだろう。その時、私はどこで線を引けばいいというのだ? それぞれの国が『我々の文化は、特定の者にのみ深く体験させたい』と言い出したら、この万博の秩序は一瞬にして崩壊する」

彼の声には、微塵の揺らぎもなかった。確固たる拒絶が、そこにはあった。
「万博に求められるのは、より多くの人々が短時間で理解し、楽しめる、効率的で開かれた公平性だ。君の言うような、限られた者だけが深く理解する仕組みは、その根本理念にそぐわない」
バーナムの言葉は、理路整然としており、反論の余地を見つけるのは困難だった。

このままでは、彼女がシカゴで描いた夢の第一歩が、踏み出されることすらないまま潰えてしまう― ―
バーナムにとっては、特定の文化の深さや、一参加国の担当者の理想よりも、万博全体の成功と、そこに求められる公平性と効率性こそが、何よりも優先されるべき重要事項なのだった。 それでも、桐島の胸には、まだ諦めという言葉はなかった。
彼女は、深々と一礼すると、バーナムの執務室を後にした。 重厚な扉が、無情な音を立てて閉まる。
白亜の管理棟の、長く、そして静まり返った廊下を、桐島文子と大野健吾は、一言も交わさずに歩いていた。
大野は、隣を歩く桐島の横顔を、痛ましげな思いで盗み見た。
あれほど情熱と論理を尽くした提案が、完璧に、そして冷徹に打ち砕かれたのだ。
彼女の肩は、心なしか小さく見え、その表情からは、先ほどまでの輝きが消え失せているように感じられた。

「桐島さん…」
大野は、意を決して声をかけた。
「お気を落とさずに。今日のところは、一旦引きましょう。あの鉄の男を、一度で説得するなど、土台無理な話だったのです。また、別の機会に、きっと…」

その、慰めの言葉をかけ終える前に、桐島は、ふと足を止めた。 そして、ゆっくりと大野の方へ向き直る。
その顔に、落胆の色はなかった。
それどころか、彼女の大きな瞳の奥には、まるで難解な数式を解き明かした数学者のような、静かで、しかし熱を帯びた光が宿っていた。

「落ち込んでいるように、見えましたか?」
彼女は、小さく首を振った。
「いいえ、大野さん。これでようやく分かったのです」

「…分かった、とは?」
桐島の口元に、ほんのわずかな、しかし確かな笑みが浮かぶ。それは、好敵手に出会えた者の、不敵な笑みにも似ていた。

「彼が何を大切にし、何を恐れているのかが。彼のあの完璧な論理の、唯一の隙間が、 どこにあるのかが」
彼女は、窓の外に広がる、建設途上の万博会場を見つめた。
その視線は、もはや目の前の壁ではなく、その壁の向こう側にある、まだ誰も見ていない未来を見据えている。

「…次の手は、見えましたわ」
その言葉に、大野は息をのんだ。 敗北ではなかった。
この女性にとって、先ほどの会議は敵の懐に飛び込み、 その城の設計図を、その頭脳に焼き付けるための、周到な偵察に過ぎなかったのだ。
大野は、目の前の、華奢な女性の背中が、今やどんな巨漢よりも大きく、そして頼もしく見えた。
彼の心に宿っていた敗北感は、一瞬にして、目の前のリーダーへの絶対的な信頼と次なる戦いへの新たな期待へと変わっていた。
桐島文子は、もはや振り返らない。
彼女は、確かな足取りで、光の差す廊下の先へと、再び歩み始めた。

◇9-5【アイデンティティへの刃(やいば)】

万博総監督であるバーナムとの、鳳凰殿の運営方針を巡る交渉が暗礁に乗り上げた翌日。
事務所への帰り道で、桐島はジュリエットと鉢合わせになった。
「ごきげんよう、ミズ・キリシマ。またバーナム氏に、あなた方のその非効率な『哲学』とやらを説きに行った帰りかしら?」
嫌味と分かっていながらも、図星を突かれた桐島の胸が、ちくりと痛む。
「ええ、おかげさまで。あなたと同じくらい、頑固な方でしたわ」
桐島が精一杯の皮肉で返すと、ジュリエットは面白そうに喉を鳴らした。
「一つ、伺ってもよろしくて? あなたは、一体何者なの?」

ジュリエットは、値踏みするように、桐島の全身を見つめた。
「あなたは、日本の伝統の美を、流暢な英語で、西洋の論理構造を用いて、私に説いてみせる。その姿は、まるで……そうね、美しい日本の着物を着て、ハイヒールを履いているような、奇妙なちぐはぐさを感じるわ。あなたは、日本人なの? それとも、アメリカ人なの? あなたのその言葉は、本当にあなたの魂から出たものなのかしら。それとも、二つの世界の都合の良い部分だけを切り貼りした、借り物の言葉なのかしら?」

その言葉は、桐島の心の、最も柔らかな、そして最も触れられたくない部分を、容赦なく抉り出した。
アイデンティティの揺らぎ。自分は、どちらの世界にも完全には属せない、中途半端なコウモリなのではないか。
京都で感じた、あの身を切るような孤独。その古傷が、ジュリエットの言葉によって、再び熱を持ち、痛み始める。

「……あなたに、私の魂の値踏みなどされたくありませんわ」
桐島の声が、自分でも気づかぬうちに、鋭く尖っていた。
いつも浮かべていた穏やかな微笑みは、仮面のように剥がれ落ち、その下から、傷つけられた者の、剥き出しの敵意が顔を覗かせる。 その一瞬の変化を、ジュリエットは見逃さなかった。
彼女は、初めて桐島の心の鎧に罅を入れたことに、満足げな、しかしどこか複雑な表情を浮かべた。