シカゴを舞う京の鳳凰~あなたの財布で眠っている130年の誇り ―

◇0【帰国~幕末の傷跡、忘れられた都】

全ては、間違いだったのだ。
アメリカからこの国へ帰ってきたことも、父の言葉を信じて、この都に夢を見たことも。
人力車を降りた私を迎えた、墓地のように静まり返った冬の空気が、 その冷たい真実を、私に告げていた。
そう。この都は完全に死んでいた。

明治22年(1889年)
アメリカでの長きに渡る暮らしを終え、 23歳になった私は17年ぶりに、故郷の土を踏んだ。

地に足をつけた瞬間に肌を刺した、鴨川から吹く風の底冷え。
それは、からりとしたカリフォルニアの空気とは全く違う、 湿り気を帯びた古都の溜息そのものだった。

幼い頃、父に連れられてこの都を離れアメリカへ渡った。
あれは1872年、6歳の頃のことだ。

記憶の中の京都は、幼い瞳に映った断片的な光景として存在していた。
祭りの日に通りを埋め尽くす人々の熱気と、甘い菓子の匂い。 辻々を彩る雅な衣装が擦れる、絹の音。
そして何より、父が誇らしげに語った「千年の都」という、輝かしい響き
― ―それらが、私にとっての京都の全てだった。

だが今、私の耳が捉えるのは、父の語った賑やかな西陣の機音(はたおと)ではない。
家々の格子戸を寂しく吹き抜ける風の音と、自身の草履が土を踏む、か細い音だけだ。
目の前にあるのは、かつての光沢を失い、所々漆の剥げた寺の門。埃をかぶり、
色褪せた暖簾(のれん)を掲げたまま、固く閉ざされた商家。
帝が去りし後の街は、 まるで魂を抜かれた抜け殻のようだった。

思い描いていた故郷との落差。
一体どこで、何が、この都をこれほどまでに変えてしまったというのだろう。
帰国してからというもの、茶屋の隅で交わされるひそやかな囁きや、
商人たちの諦念に満ちた溜息の中に、その答えを探し続けていた。
浮かび上がってくるのは、あの幕末の動乱が生んだ、いまだ癒えぬ深い傷跡であった。

元治元年(1864年)蛤御門の変に端を発した戦火は、瞬く間に市中を飲み込み、 数多の寺社仏閣、公家や町衆の屋敷、
そしてそこに息づいていた千年の歴史と文化の蓄積を、あっけなく灰燼に帰せしめた。
焼け跡に立ち尽くす人々の目に映ったのは、ただ虚無であったろう。

維新という名の嵐は、戦火を生き延びた文化にも容赦はなかった。
「旧弊打破」「文明開化」の大号令の下、神仏分離令は廃仏毀釈という名の愚行を招き、
由緒ある寺院は打ち壊され、貴重な仏像や経典は薪となり、あるいは二束三文で海外へと流出した。

京都が京都である由縁だった伝統文化は全て衰退していく。
廃藩置県は、長らく都の文化を支えてきた大名や公家の経済的基盤を奪い、
そして何よりも決定的だったのは、明治2年(1869年)の東京遷都である。

帝がおわさぬ都は、もはや都ではない。公家は帝を追い、武士は職を失い、 商人たちは新たな商機を求めて、
蜘蛛の子を散らすようにこの街を去っていった。
人口は激減し、清水(きよみず)の窯から立ち上る煙も、まるで最後の息のようにか細い。
夏になれば聞こえてくるはずの祇園囃子の笛の音も、今はもう、遠い昔の追憶のようにしか響いてこなかった。

近代化の波は、効率と実利を優先し、手間暇をかけて育まれてきた京都らしい雅(みやび)やかな文化や、
職人たちの精緻な手仕事の価値を、時代遅れのものとして片隅へと追いやった。

色褪せた洛中で、すれ違う人々の肩は心なしか落ち、
その口から漏れるのは、過ぎ去りし栄華へのやるせない郷愁と、 明日をも知れぬ未来への澱(おり)のような不安ばかりだ。

人々は、アメリカ育ちの私の、まっすぐな視線を避けるように俯いて通り過ぎていく。
その無関心と諦念の空気が、見えざる壁となって行く手を阻むようだった。
歴史の重みと、人々の無力感が、冷たい塵(ちり)となって声もなく降り積もり、
この静まり返った街を、その輝かしい記憶ごと覆い尽くそうとしている。